上 下
61 / 65

終章/蒼き奔流 第4話『ウルクル決戦す』

しおりを挟む
   一

 赤獅剣は、台座に飲み込まれた。
 今度も、火花は飛ばなかった。
「すげぇ! まるで計ったみたいだね、大将」
 ミアトの言う通り、剣の両刃の部分までを呑み込んだ台座の穴は、まるで最初からアサドの剣を、そこに納める為に造られたようにも見えた。
 だがアサドはミアトの言葉を無視して、黙って長剣を凝視している。
 その刃の長さの6割ほどが、台座に突き刺さっていた。

 やがて、剣から白い冷気が流れ出し、瞬く間にその白く輝く刀身に沸々と水滴を纏いはじめた。
 冷気は剣全体を包むように下方に流れ、台座の上に滑り落ち、床にまで漂いだす。
 冷気に促されるように、刀身の結露がいっそう巨大な玉となる。
 つい先刻、台座に結露が生じた時よりも格段の早さで、
 剣から台座へ、
 台座から床へ、
 水滴が集まり、
 溢れては滴り、
 流れ落ちる───。

 その様はまるで、剣から無限に水が湧き出て来るかのようにさえ見える。
 ゴ……ゴゴゴゴ…………オオオオ……オオ………………ゴゴゴゴゴゴ!
 鏡に囲まれた空間全体が、何かに共鳴するように、微かな音を立て始めた。
「水……水だよ、大将!」
 突然、ミアトが自分の足元を見て素っ頓狂な声を上げた。
 いつの間にか、彼らの足下には指の第一関節分ほどの水が溜まっていた。

「あてずっぽうだったが、どうやら正解だったようだな」
 ふぅと大きなため息を付き、アサドがつぶやく。
「こ…これは?」
「この剣は赤獅剣と呼ばれているが、その名の通り〈水を産む獅子の剣〉だという伝説が、アティルガン家に伝わっているのだ。もしや…と思ってな」
「アサド…水を司った古代の王、水を産む獅子の剣…なんという偶然……い、いや…」
 サウドが呆然と呟いた。


   二

「ア…アサド殿、この剣は一体いつから王家に伝わっていたのですか? ま…さかこれは…!」
 アサドに問うサウドの顔は、何故か蒼白になっている。
「アティルガン家の何代目かが得た……としか、伝わってはいないのだ」
 今のアサドには、赤獅剣の由来には興味が無いのか、サウドの問いに軽く答えると、あたりを見回した。
「どうやらこの聖搭は、ただの神殿ではなく、水を作り出すための装置でもあるらしいな」
 アサドは無造作に、台座の上の剣の棟に手の甲を当てた。
「アサド殿!」
「大将!」
 サウドとミアトが同時に叫び、ミアトが慌ててアサドの手を離そうとする。だが……

「大丈夫だ。おまえ達も触ってみろ」
「ほ…ほんとに大丈夫なの? じゃ、じゃあ……ありゃ? 冷たいよ、これ!」
 もともと冷たい刀身が、ミアトの手が貼り付きそうになるくらい、冷えきっている。
「さっきの火花が、剣に何らかの作用をもたらしたようだな。刀身が信じられないほど冷たくなっている」
「なるほど、この潤んだ空間の中で、剣に結露がたやすく生じるはずですな」
 やはり刀身に触れたサウドが、納得したように頷いた。
 いつの間にか、鏡の間の壁にも天井にも、大量の結露が生じ、滴となって落ちてくる。
 アサド達の服は、まるで河に飛び込んだかのように、グッショリと濡れていた。

「うわっ、は…早くここから出ないと、おぼれちゃうよ~」
「どうやら、その心配はなさそうだな。見ろ」
「ありゃりゃりゃ?」
 アサドが台座を指し示した。
 水が底面に溜まった分だけ、台座の底がズズズとせり上がってくるではないか。
「これ、どういう仕掛け?」
「判らんが、これに掴まっていれば上まで連れていってくれそうだ」
「…の、ようですな」

 三人が台座にしがみついたが、彼らの重さなど関係ないかのように、台座は一定の速度を保ったまま、どんどん上昇していく。
 やがて、遥か上方にあった穴の入り口がもう目の前まで近づき、穴から覗き込んでいる部下たちの驚いた顔が、判別できるようになった。
「……サウド」
「何でしょうか?」
「決戦は近い。場所はこの聖塔だ」


   三

「勝算はおありでしょうな?」
 当然だ…とアサドの顔が、眼が、全身が語っていた。必勝の確信を得た時、その碧眼は晴れ渡った蒼天のごとき輝きを宿す。
「ヴィリヤーに使いを出せ。ウルクル城邑の民は全て脱出させ、瀝青の丘の東南に集結させろと」
「従わぬ者は?」
「生きる希望を強く持つ者だけで充分だ。あの無能な太守と運命を共にするのもまた、本人の意志だ」
 いつものアサドに戻っていた。
 冷静で、冷酷にさえ感じる、傭兵隊長に。

「解り申した───して、私の役目は?」
「もちろん、ウルクルに残った民の護衛と救出だ」
「フフフ……やっとあなたらしくなってきましたな」
 サウドの口の端に、自然と笑みが浮かんだ。
「ついに雌雄を決するときが来た」
 アサドの低い錆を含んだ声が、赤獅団の面々に、そう、告げた。
 アサドたちが、瀝青の丘の聖塔で戦の準備を決意した翌日───

 ウルクルもまた、決戦に向かっていた。
「ついに雌雄を決するときが来た!」
 ウルクル太守のひっくり返った声が、高い空に虚しく響く。
 集められた兵達の眼には、確実な死への恐怖と、諦念と無気力だけが浮かんでいた。
 ファラシャトの復讐戦。
 いくらそう大義名分を掲げられても、所詮は太守の私怨。しかも、衆寡よく敵を退けた勇将アサドは、もう、いない。ろくな作戦も、勝算もない。
 それは一兵卒の目から見ても無謀な総力戦…であった。

 昨夜、最後の軍議の席で太守の無謀を再度諌めた大臣は、その場で斬首された。
 老いた太守の全身を満たしているのは、ただ、狂気と酒だけであった。
 その暴挙に、重臣達は気色ばみ、将軍達の中には剣の柄に手を掛ける者もあった。
 広間に不穏な空気が満ちた時、
「太守のご命令とあらば、致し方ありません。我らは従いましょう」
 突然、それまで黙然と太守の言動を見ていたヴィリヤーが、声を発した。
「な…何を言う! ヴィリヤー殿」
 大臣の一人が狼狽して叫ぶ。
「太守の命令は絶対、曲げるわけにはいきませぬ!」


   四

 他の者の反論を許さぬかのように、再びヴィリヤーの声が強く響いた。
「ヴィリヤー、よくぞ申した! それでこそわしが選んだ我がウルクルの軍師じゃ」
 思わぬヴィリヤーの賛意に気を良くした太守が、酒杯を掲げて上機嫌で叫ぶ。
 その口は呂律が回らず、その眼は朦朧としている。
 軽く頭を下げると、ヴィリヤーは太守に背を向け、重臣達に向き合った。
「我に秘策あり、全兵力を結集しての総力戦ならば、総司令官無き今のアル・シャルク軍など畏るに足らず」
「貴公の作戦など信用できん!」
 即座に、反論が飛んだ。

「それでも結構。私の作戦は信用して頂かなくとも…だが…」
 低い呟くような声で彼は言葉を継いだ。
「砂漠には獅子が、待っている」
「獅子…だと!」
 その場の重臣達は総て、その言葉の意を悟った。
 そう、ヴィリヤーの作戦は信用できなくとも、あの男の作戦ならば……。
「全軍集結。これより最後の決戦に入る。各々部下に下知しておけ」

 こうして、ウルクルの全兵が集められた。
 もちろん、ヴィリヤーの真意など知らぬ兵達は、確実な死の予感に怯えるしかない。
 金細工を施した豪華な甲冑に身を包んだ太守は、痩せ衰えた肉体に狂騒のみを漲らせ、戦車に陣取った。かさつき皺ばんだ手に持った剣を掲げ叫ぶ。
「城門を開け!」
 重く鈍い音を響かせて門が開かれ、跳ね橋が堀の向こうに渡される。
「突撃ぃ!」
 無謀な、最悪の、そして狂気の進軍が始まった。

 ウルクル軍の総突撃は、アル・シャルク軍にも驚愕をもたらした。
「ウルクル軍、こちらに進軍してきます!」
「兵力は?」
「およそ五千! ほぼ全軍です」
 物見からのやウギ馬屋の報告に、総司令部の幕舎にいたラビン新司令官は、ひどく困惑した。
「何ぃ? ウルクル軍は正気か?」




■終章/蒼き奔流 第4話『ウルクル決戦す』/終■
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

RESET WORLD

ききょう
ファンタジー
このサイト初投稿です! よろしくお願いします(*ˊ˘ˋ*)♡ 毎日更新予定!(大学受かってたら) 雷に打たれて亡くなった涙。 その原因は雷神だった。 お詫びに異世界に転生した涙は一体どうなるのか。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

八代とお嬢

えりー
恋愛
八代(やつしろ)は橋野みくる(はしの みくる)の為に昔作られた刀だ。 橋野家は昔から強い霊力をもって生まれてくる女児がいる。 橋野家にいた当時の当主は預言者に”八代目の当主はけた外れの霊力を持って生まれてくる。その女児を護る為の刀を作れ”と言われる。 当主は慌てて刀を造らせた。 それが八代だった。 八代には変化の力があった。 八代目の当主が生まれるまで封印されることになる。 どのくらいの時が経ったかわからなくなった頃封印を破った女児がいた。 それがみくる。八代目の当主だった。 それから八代はみくるの傍から片時も離れない。 みくるは産まれた時から外へは出してもらえない。 強い霊力を持っているため魔物に狙われるからだ。 いつも八代に付きまとわれていた。 それが嫌である日橋野家を抜け出し魔物に襲われる。

処理中です...