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第1章/青き咆哮 第3話『嬲り殺しの狂宴』
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一
この片耳の男も常人よりは頭ひとつ分は飛び抜けた体躯だが、今現れた禿頭の大男は、頭二つ分は優に超えている。体重は三割増しで重いだろう。
やや腹の辺りの肉はたるみかけているが、分厚い胸板からゴツゴツとした二の腕の筋肉は、怪物じみている。
突然の挑戦者の出現に、既に隊長になった気でいた片耳は露骨にむっとした顔をした。
「なんだぁ、おまえ?」
「ず、ず、ずぎにかかってごい!」
片耳の言葉を無視するかのように、禿頭が両手を大きく広げた。
隙だらけ、まるで素人だ。
なるほど、これだけの体格の前には多少の技など無意味であろう。
圧倒的な体力差にモノを言わせて攻撃をしのぎ、相手を捕まえ首でも胴でも強引に締め上げる。
生半可な技量より圧倒的な体力の方が戦場では重要なのだ。
それは片耳の男にもよくわかっている。
彼とて、洗練された体術には無縁だ。
戦場仕込みの、実戦で叩き上げた度胸と体力が全ての武器。
「ちっ!」
軽く舌打ちすると、不意に片耳の男は禿頭の顎先に頭突きをかました。
人間の繰り出しうる最強の打撃技は、頭突きである。
全身の筋力を集約し、全体重をかけられ、なおかつ姿勢の崩れの少ない技として、確実に最大のダメージを相手に与えられる。
片耳の男の額は、下から伸び上がるようにして、禿頭の顎を直撃した。
骨と骨がぶつかって軋む重い音が響き、その絶妙な一撃に周囲の人垣は声を失った。
えげつない攻撃を躊躇なく繰り出せる、片耳の危険さに。
だが…。
「なは、なはは、何のつもりだぁよ?」
禿頭の笑いを含んだ声に、片耳はギョッとした。
バカな!
こんな一撃を喰らったら普通の人間は確実に昏倒するはずだ! 最悪、死にも至る一撃であったはず。
二
だが、彼のそんな考えをあざ笑うかのように、禿頭の拳が片耳の鼻を直撃した。
「フゲッ!」
それは禿頭の巨体からは全く想像できない速さの一撃であった。
片耳の鼻骨がグシャリと折れ、鼻の中にきな臭い匂いが充満した。
打撲による鼻血が出る時必ずこんな匂いがする。
まずい…鼻血が出ると呼吸がしにくくなる。持久戦に持ち込まれるとこっちの体力が……片耳の脳裏にそんな考えが一瞬よぎった。
体勢を立て直そうとした彼の顔面に、しかし第二、第三の衝撃がぶち込まれた。
「ゲヘッ! ゲヘヘッ! ゲヘッアア!」
「ガ……おあ! えあ…しょおお……!」
反撃を許さない速さで禿頭の拳が回転する。
一瞬体勢を立て直そうとした片耳の男の右の耳に、禿頭の平手が飛んだ。
パン!
乾いた音を発して、片耳の男の右耳を包み込むように平手が決まった。
周囲の者たちにはそれほど強烈な一撃には見えなかった……いや、先程までの剛拳の連打に比べれば撫でるようなものだろう。
だが、禿頭の剛拳にも揺るがなかった片耳の足もとが急にふらつきだした。
「どうしたのだ? 大した打撃にも見えなかったが……」
ファラシャトは思わず声を上げた。
「鼓膜だ」
「え?」
ファラシャトは、とっさにアサドの言葉が理解できなかった。
「ああやって耳を張られると、一瞬自分がまっすぐ立っているかどうかわからなくなるのさ」
アサドの呟きにファラシャトは困惑した。そんな技が存在すること自体、彼女には初耳だったのだ。
「戦場では耳からはいる感覚も大切なのだ。奴の左耳はとっくの昔に役立たずになっているだろうから、ほとんどの音を右耳で聞いていたんだろう」
「その右耳をやられたら……」
「勝ち目はないだろうな」
アサドの言葉どおり、片耳の男は剣術の粘土の切り込み台のように、殴られ出した。
三
それはもはや一方的な暴力であった。
片耳の髪を鷲掴みにすると、禿頭は何発も、何発も、何発も…………殴り続けた。
殴られ続けた片耳の顔は青黒く変色し、皮膚の至る所が裂け内出血した血が吹き出している。
あまりの凄惨さに、ファラシャトは無意識に両手を握り締め声もない。
だが、彼女の父は……玉座の上の大守は恍惚の笑みを浮かべていた。
手にした杯はとっくに床に転げ落ちている。
「か、か、か、片っぽだけだと、へ、へ、へ、変だな。おでが直してやるげ」
禿頭は片耳の残った右の耳を愛しそうにさすりながら、ニマリと笑いを浮かべた。
「すひゃああああ!」
片耳が絶叫した。
その声だけ聞けば、妙ななわめき声でしかない。聞きようによってはユーモラスな感じさえするだろう。だが、それは自分の耳を生きながら食いちぎられた男の声だ。
禿頭は今自分が食いちぎった耳を、クチャクチャと音を立てながら咀嚼し、喉を鳴らして飲み込んだ。
「こ、こ…これで、お、お、男前になったなあ、ハハハハハ」
血が混じった涎を垂らしながら、禿頭は笑っている。
人の生き死にには慣れっこのはずの傭兵達が、思わず顔を背ける。
若い傭兵の中には絶えきれずに嘔吐している者もいる。
「もう……やめて…く…れ……」
無惨に腫れ上がった片耳の……いや、今となっては耳無し男の口から、絞り出すような声が漏れた。
「き、き、き、聞こえねえなあ。や、や、や、なあんにもなあ……ち、ち、ちっとも!」
残忍な笑みを浮かべて、禿頭の大男はなおも敗者をなぶろうとした。
「止めろ! もうおまえの勝ちは決まった。放してやれ!」
たまらず放たれたファラシャトの鋭い声を無視して、禿頭の腕が片耳の頭を抱きしめた。
自分の胸に抱え込むように、片耳の頭を締め付ける。一瞬、手足をバタつかせた後、耳無し男の身体はビクンッ!と大きく痙攣し、ダラリと力無く禿頭の身体になだれかかった。
禿頭が手を広げると、元片耳の男の身体は糸を切られた操り人形のように、カクカクと地面に崩れた。
「首だ!」
「首の骨を折られている……」
口元に血の泡をまとわりつかせ、完全に白目をむいた片耳の頭部はほぼ真後ろを向いていた。
四
「ど、ど、ど、どうだ! こ、こ、このジャーヒル様が一番だぁ!」
ジャーヒルと名乗る禿頭は片耳の死体にどっかと片足を乗せると、両手を突き上げて周囲を睨みまわした。
「おでが隊長しゃんだ! 文句があるかああ?」
……誰も言葉を発する者はいない。
恐怖がその場を支配していた。
だが──それまで沈黙していたアサドが、スッと壁から離れた。
「何をするつもりだ? おまえ」
訊くまでもない問いを、ファラシャトは発した。
「やめろ! 勝てるわけない!」
さっきまでアサドをけしかけていたことを忘れ、ファラシャトは彼を止めようとした。その声が耳に入らぬようにアサドはジャーヒルの方へ歩を進めてゆく。追いすがる彼女に、アサドは脱いだ上着を投げた。
「わぷっ! 何をする」
「持ってろ……」
「な…! 私はおまえの女房じゃない!」
汗くさい上着を頭から被らされて、ファラシャトは毒づき、丸めて地面に叩きつけようとして───思いとどまった。
上着に八つ当たりしてもしょうがない。
それよりも……。
無骨な傭兵隊長の上着でありながら、乳香が炊き込められ、かすかに甘い香りがする。
一部の上級の武人の、嗜みである。
アサドを止めようとするファラシャトを、ミアトが制した。
「心配しなくっても大丈夫だって! 大将の凄さは、お姉ちゃんも知ってるでしょ?」
からかうようなミアトの口調に、ファラシャトの足が止まる。
……そうだった。
目の前の惨劇に取り乱したが、この男の恐ろしさを一番最初に身を以て経験したのは、自分自身ではないか。
「賭けてもいいよん、大将の勝ちにさ」
ミアトをはじめ、アサドの部下の誰もが動こうとはしていない。
彼らは確信しているのだ。アサドの勝利を。
ファラシャトは部下達のあまりに冷静な態度に比べて、取り乱した自分が急に恥ずかしくなった。
バカバカしい。
何で自分がアサドの心配をしなくてはいけないのだ? そうだ、私はこいつがブザマに敗北する姿を期待していたはずではないか。
彼女はムっと唇を結ぶとミアトの横にどっかと腰を下ろした。
とりあえず、あの男の素手での戦いぶりを見物させてもらおうではないか。
ファラシャトの肚は決まった。
■第1章/青き咆哮 第3話『嬲り殺しの狂宴』/終■
この片耳の男も常人よりは頭ひとつ分は飛び抜けた体躯だが、今現れた禿頭の大男は、頭二つ分は優に超えている。体重は三割増しで重いだろう。
やや腹の辺りの肉はたるみかけているが、分厚い胸板からゴツゴツとした二の腕の筋肉は、怪物じみている。
突然の挑戦者の出現に、既に隊長になった気でいた片耳は露骨にむっとした顔をした。
「なんだぁ、おまえ?」
「ず、ず、ずぎにかかってごい!」
片耳の言葉を無視するかのように、禿頭が両手を大きく広げた。
隙だらけ、まるで素人だ。
なるほど、これだけの体格の前には多少の技など無意味であろう。
圧倒的な体力差にモノを言わせて攻撃をしのぎ、相手を捕まえ首でも胴でも強引に締め上げる。
生半可な技量より圧倒的な体力の方が戦場では重要なのだ。
それは片耳の男にもよくわかっている。
彼とて、洗練された体術には無縁だ。
戦場仕込みの、実戦で叩き上げた度胸と体力が全ての武器。
「ちっ!」
軽く舌打ちすると、不意に片耳の男は禿頭の顎先に頭突きをかました。
人間の繰り出しうる最強の打撃技は、頭突きである。
全身の筋力を集約し、全体重をかけられ、なおかつ姿勢の崩れの少ない技として、確実に最大のダメージを相手に与えられる。
片耳の男の額は、下から伸び上がるようにして、禿頭の顎を直撃した。
骨と骨がぶつかって軋む重い音が響き、その絶妙な一撃に周囲の人垣は声を失った。
えげつない攻撃を躊躇なく繰り出せる、片耳の危険さに。
だが…。
「なは、なはは、何のつもりだぁよ?」
禿頭の笑いを含んだ声に、片耳はギョッとした。
バカな!
こんな一撃を喰らったら普通の人間は確実に昏倒するはずだ! 最悪、死にも至る一撃であったはず。
二
だが、彼のそんな考えをあざ笑うかのように、禿頭の拳が片耳の鼻を直撃した。
「フゲッ!」
それは禿頭の巨体からは全く想像できない速さの一撃であった。
片耳の鼻骨がグシャリと折れ、鼻の中にきな臭い匂いが充満した。
打撲による鼻血が出る時必ずこんな匂いがする。
まずい…鼻血が出ると呼吸がしにくくなる。持久戦に持ち込まれるとこっちの体力が……片耳の脳裏にそんな考えが一瞬よぎった。
体勢を立て直そうとした彼の顔面に、しかし第二、第三の衝撃がぶち込まれた。
「ゲヘッ! ゲヘヘッ! ゲヘッアア!」
「ガ……おあ! えあ…しょおお……!」
反撃を許さない速さで禿頭の拳が回転する。
一瞬体勢を立て直そうとした片耳の男の右の耳に、禿頭の平手が飛んだ。
パン!
乾いた音を発して、片耳の男の右耳を包み込むように平手が決まった。
周囲の者たちにはそれほど強烈な一撃には見えなかった……いや、先程までの剛拳の連打に比べれば撫でるようなものだろう。
だが、禿頭の剛拳にも揺るがなかった片耳の足もとが急にふらつきだした。
「どうしたのだ? 大した打撃にも見えなかったが……」
ファラシャトは思わず声を上げた。
「鼓膜だ」
「え?」
ファラシャトは、とっさにアサドの言葉が理解できなかった。
「ああやって耳を張られると、一瞬自分がまっすぐ立っているかどうかわからなくなるのさ」
アサドの呟きにファラシャトは困惑した。そんな技が存在すること自体、彼女には初耳だったのだ。
「戦場では耳からはいる感覚も大切なのだ。奴の左耳はとっくの昔に役立たずになっているだろうから、ほとんどの音を右耳で聞いていたんだろう」
「その右耳をやられたら……」
「勝ち目はないだろうな」
アサドの言葉どおり、片耳の男は剣術の粘土の切り込み台のように、殴られ出した。
三
それはもはや一方的な暴力であった。
片耳の髪を鷲掴みにすると、禿頭は何発も、何発も、何発も…………殴り続けた。
殴られ続けた片耳の顔は青黒く変色し、皮膚の至る所が裂け内出血した血が吹き出している。
あまりの凄惨さに、ファラシャトは無意識に両手を握り締め声もない。
だが、彼女の父は……玉座の上の大守は恍惚の笑みを浮かべていた。
手にした杯はとっくに床に転げ落ちている。
「か、か、か、片っぽだけだと、へ、へ、へ、変だな。おでが直してやるげ」
禿頭は片耳の残った右の耳を愛しそうにさすりながら、ニマリと笑いを浮かべた。
「すひゃああああ!」
片耳が絶叫した。
その声だけ聞けば、妙ななわめき声でしかない。聞きようによってはユーモラスな感じさえするだろう。だが、それは自分の耳を生きながら食いちぎられた男の声だ。
禿頭は今自分が食いちぎった耳を、クチャクチャと音を立てながら咀嚼し、喉を鳴らして飲み込んだ。
「こ、こ…これで、お、お、男前になったなあ、ハハハハハ」
血が混じった涎を垂らしながら、禿頭は笑っている。
人の生き死にには慣れっこのはずの傭兵達が、思わず顔を背ける。
若い傭兵の中には絶えきれずに嘔吐している者もいる。
「もう……やめて…く…れ……」
無惨に腫れ上がった片耳の……いや、今となっては耳無し男の口から、絞り出すような声が漏れた。
「き、き、き、聞こえねえなあ。や、や、や、なあんにもなあ……ち、ち、ちっとも!」
残忍な笑みを浮かべて、禿頭の大男はなおも敗者をなぶろうとした。
「止めろ! もうおまえの勝ちは決まった。放してやれ!」
たまらず放たれたファラシャトの鋭い声を無視して、禿頭の腕が片耳の頭を抱きしめた。
自分の胸に抱え込むように、片耳の頭を締め付ける。一瞬、手足をバタつかせた後、耳無し男の身体はビクンッ!と大きく痙攣し、ダラリと力無く禿頭の身体になだれかかった。
禿頭が手を広げると、元片耳の男の身体は糸を切られた操り人形のように、カクカクと地面に崩れた。
「首だ!」
「首の骨を折られている……」
口元に血の泡をまとわりつかせ、完全に白目をむいた片耳の頭部はほぼ真後ろを向いていた。
四
「ど、ど、ど、どうだ! こ、こ、このジャーヒル様が一番だぁ!」
ジャーヒルと名乗る禿頭は片耳の死体にどっかと片足を乗せると、両手を突き上げて周囲を睨みまわした。
「おでが隊長しゃんだ! 文句があるかああ?」
……誰も言葉を発する者はいない。
恐怖がその場を支配していた。
だが──それまで沈黙していたアサドが、スッと壁から離れた。
「何をするつもりだ? おまえ」
訊くまでもない問いを、ファラシャトは発した。
「やめろ! 勝てるわけない!」
さっきまでアサドをけしかけていたことを忘れ、ファラシャトは彼を止めようとした。その声が耳に入らぬようにアサドはジャーヒルの方へ歩を進めてゆく。追いすがる彼女に、アサドは脱いだ上着を投げた。
「わぷっ! 何をする」
「持ってろ……」
「な…! 私はおまえの女房じゃない!」
汗くさい上着を頭から被らされて、ファラシャトは毒づき、丸めて地面に叩きつけようとして───思いとどまった。
上着に八つ当たりしてもしょうがない。
それよりも……。
無骨な傭兵隊長の上着でありながら、乳香が炊き込められ、かすかに甘い香りがする。
一部の上級の武人の、嗜みである。
アサドを止めようとするファラシャトを、ミアトが制した。
「心配しなくっても大丈夫だって! 大将の凄さは、お姉ちゃんも知ってるでしょ?」
からかうようなミアトの口調に、ファラシャトの足が止まる。
……そうだった。
目の前の惨劇に取り乱したが、この男の恐ろしさを一番最初に身を以て経験したのは、自分自身ではないか。
「賭けてもいいよん、大将の勝ちにさ」
ミアトをはじめ、アサドの部下の誰もが動こうとはしていない。
彼らは確信しているのだ。アサドの勝利を。
ファラシャトは部下達のあまりに冷静な態度に比べて、取り乱した自分が急に恥ずかしくなった。
バカバカしい。
何で自分がアサドの心配をしなくてはいけないのだ? そうだ、私はこいつがブザマに敗北する姿を期待していたはずではないか。
彼女はムっと唇を結ぶとミアトの横にどっかと腰を下ろした。
とりあえず、あの男の素手での戦いぶりを見物させてもらおうではないか。
ファラシャトの肚は決まった。
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