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序章/赤き砂塵 第6話『隻眼の赤獅団長』
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一
この辺境の田舎者に、ウルクルの近衛師団の実力を思い知らせてやる!
最初はその巨馬に圧倒されたが、所詮は農耕馬ではないか。
しかもこの体では、ゆうに八歳は超えているだろう。
ならば、今年四歳の自分の愛馬の半分のスピードもない──そう彼女は踏んでいた。
しかもこちらは、二頭立てだ。
どんな魔法を使ったか分からないが、あの間者の首を切り落とした技、確かめさせてもらう!
ピシィッ!
彼女の手にした鞭が一閃するし、二頭の牝馬は蹄を鳴らし、さらに加速した。
奴の背におった剣の刃渡りは5キュビット弱。
柄や腕の長さを入れても、切っ先は奴の周囲8キュビットにしか届かない。
しかも、あんな長剣を正確に扱えるわけがない。
奴の間合いをぎりぎりのところで回避し、速度を利して側面から背後に回り込めば、あとは簡単に始末できる!
あの杖はちょっと長いが大丈夫、切り落とせる!
ピシピシィッ!
弾ける鞭に、まるで彼女の心が読めるかのように、愛馬は赤い巨馬の左脇8キュビットの地点をすり抜けた。
「もらったぁ!」
馬の手綱を引き絞り、急激に右旋回。
これであの赤い巨馬の、左斜め後ろにぴたりと位置したはず。
だったが…………
「な、消えた!?」
ファラシャトの目の前にあるはずの赤い巨馬と、その主の後ろ姿が無い。
忽然と姿が消えたのだ。
「くっ……何処に!」
慌ててファラシャトがあたりを見回そうとしたその瞬間、ヒヤリ…と喉笛に押し当てられた感触。
それは彼女の喉元に突きつけられた、鋭利な金属のようだ。
だが、彼女にはそれが何であるか、確認することは出来ない。
不用意に動けば、頚動脈を掻き切られる。
二
粘っこい汗が、彼女の背筋を、ゆっくりと伝わる。
「この剣は父の唯一の形見だ。おいそれと他人にくれてやるわけにはいかないのだよ」
いささかも感情を示さない、錆を含んだ声がした。
口調はさっきと全く同じなのに、今度は地獄の底から響く声のようだ。
彼女はようやく、自分の首筋に当てられた凶器が、彼が手にしていた杖のような物であることを理解した。
あれは単なる杖などではない。
先端に付いていた飾りは、鎌のように内側が鋭利な刃物になっていたのだ。
これか!
あの間者の首を、切断したのは。
ファラシャトには思いも付かなかった。
あの商隊に化けた間者の首を、両断した物の存在が。
あれほどの切り口をみせる以上、この男が手練の技と凶器を持っていることは十分予想できた。
だが、この武器は彼女が今まで見たことも聞いたこともないものだ。
防御しようがない。
かと言って、動けない。
動けば首が飛ぶ。
彼女の背筋だけでなく、手のひらにも冷たい汗が滲み出す。
部下たちは何をしているのだ?
首を動かせないファラシャトは、ゆっくりと目玉だけを右に移動させ、部下達の状況を確認した。
「そん……な!」
自分が駆け出す瞬間まで、大将と呼ばれた隻眼の男の背後にいたはず──の彼の配下が。
今はウルクルの近衛隊士達の喉元に、それぞれ手にした武器を、突きつけているではないか。
全員殺される!
そう観念した刹那、だが、喉笛に当てられたそれはスッとファラシャトの首から離れた。
三
「なぜやめた?」
ファラシャトは男を凝視しながら尋ねた。
この隻眼の怪物の、考えが全く掴めない。
敵か? 味方か? それさえも判然としない。
「確かウルクルの城主殿には、一人娘がいたな。希なる美姫だが、勝ち気なのが玉に瑕とか……名は〝蝶〟とか」
「おまえ……まさか」
「ウルクルでの雇い主になるかもしれん御仁を、殺すわけにもゆくまい。いくら無礼者でもな」
男の皮肉に、ファラシャトは赤面した。
この男の力量を見抜けなかった自分に、そしてこんな皮肉に対して反論すら出来ないほどに、この男の殺気に気圧されてしまっている自分に。
「へへへっ、オレ達ウルクルの太守様に乞われて来たんだよ。名前ぐらいは知ってるでしょ? 〝赤獅団〟ってね」
ミアトが無邪気に告げる。
彼の短剣は、ついさっきまで彼が「じいさん」と呼んだ兵士の喉元に、突き付けられている。
近衛隊の間に動揺が走った。
城主がそのような傭兵団を呼ぶことは、知っていた。
幾多の戦場で勇名を馳せ、最強との呼び名も高い〝赤獅団〟を。
それがまさか、こいつらだったとは。
「おねえちゃん、これは鉄戈っていう武器だよ。初めて見た?」
ミアトが悪戯っぽく笑った。
こんな幼い子供まで信じられない技量を有している。
ファラシャトは呆然としていた。
「雇い主に、腕前を見せておくのも、悪くはあるまい。まだ不足かな?」
そう言う大将と呼ばれる男の声には、やはりなんの感情も現れてはいない。
「……十分だ」
短く、やっとそれだけ言うと、ファラシャトは男の顔を睨み付けた。
その眼にくやしさが溢れている。
ちょっとでも突けば爆発しそうだ。
いっぱしの武人気取りであったお姫様は、圧倒的な傭兵隊長の技量に、自分の矜持をずたずたにされたのだ。
感情的になっているファラシャトを見て取って、参謀のヴィリヤー軍師が二人の間に割って入った。
理知的なこの男でなければ、場を収拾できない。
「ひとつだけ念のために確認しておきたい。先程の男の首を刈ったのは貴公か?」
傭兵隊長は軽くうなずいた。
「赤獅団の団長だ。部下は大将と勝手に呼んでるがな」
四
「あなたが団長……なぜ奴が、アル・シャルクの間者と?」
赤獅団の団長は、自身が出現した白い大岩の陰を、指さす。
「向こうに奴の仲間が眠っている。いわゆる伏兵だ。俺達をウルクルの兵士と勘違いしたよのか、いきなり襲ってきたから、一刻前に片づけておいた」
「なに?」
ヴィリヤー軍師は、既に終わった戦闘に、驚きを隠せなかった。
「そいつらを頼って、あの贋の商人め、一直線に走ってきたのだ。アル・シャルクの兵以外にあるまい?」
彼の言葉が終わりきらぬうちに、ファラシャトは瀝青の丘へと走っていた。
駆けて駆けて、丘の裏手に廻った時、不意に彼女の足がとまった。
その青い眼は、大きく見開かれていた。
死屍累々───
赤い砂漠をさらに赤く染め、三十人近い兵の死体と首が、そこに転がっていた。
半月刀に槍、弓矢で完全武装している。
装備や年齢から見て、アル・シャルクの隠密行動を主に行う部隊、しかもその中でも精鋭であろう。
激しい戦闘の跡を思わせるように、蹄の跡が大きく乱れている。
奇襲ではなく、正面からこの傭兵達と対峙したのだ。
にもかかわらず皆、一撃で首を落とされている。
ファラシャトに続いて、現場を目撃した近衛隊の面々も、あまりの凄惨さに声も無い。
「これ…は、おまえらが?」
ファラシャトがやっと、声を絞り出した。
「ああ。でもやったのは大将一人だけどさ。オレらが手を出す間もないんだもんな」
ミアトがこともなげに答える。
一人で?
全員を?
まさか!
ファラシャトは、やっと声を絞り出した。
「なぜ?」
「通りかかった俺達に、いきなり襲って来た。黙って殺されるいわれは、無いからな」
赤獅団の団長の声は、相変わらず静かだ。
だから余計に、怖い。
「皆殺しにしたのか?」
「いんや。敵の小隊長は生け捕りにしたよん。あいつを」
ミアトが指さした方向に、猿轡を噛まされ両手足を縛られた男が転がっている。
目は虚ろで、焦点が定まっていない。
「んで、吐かせたのさ。こいつらアル・シャルクの先乗り部隊だね。おいら達を、あんたら近衛隊と勘違いしたんだってさ。見てわかんねぇのかね?」
ファラシャトが捕虜に近づくと、異臭が鼻に届いた。
失禁した上に、脱糞までしているようだ。
実戦の場を何度もくぐり抜けてきたはずの男が、ここまで醜態をさらすとは……。
よほどの恐怖を味あわされたのだろう。
さきほど自分の首に突きつけられた恐怖と戦慄を思い出して、ファラシャトは気分が悪くなった。
自分の首がつながっているのを確かめるように、
無意識に彼女の指は首筋にふれていた。
よかった、繋がっている。
■序章/赤き砂塵 第6話『隻眼の赤獅団長』/終■
この辺境の田舎者に、ウルクルの近衛師団の実力を思い知らせてやる!
最初はその巨馬に圧倒されたが、所詮は農耕馬ではないか。
しかもこの体では、ゆうに八歳は超えているだろう。
ならば、今年四歳の自分の愛馬の半分のスピードもない──そう彼女は踏んでいた。
しかもこちらは、二頭立てだ。
どんな魔法を使ったか分からないが、あの間者の首を切り落とした技、確かめさせてもらう!
ピシィッ!
彼女の手にした鞭が一閃するし、二頭の牝馬は蹄を鳴らし、さらに加速した。
奴の背におった剣の刃渡りは5キュビット弱。
柄や腕の長さを入れても、切っ先は奴の周囲8キュビットにしか届かない。
しかも、あんな長剣を正確に扱えるわけがない。
奴の間合いをぎりぎりのところで回避し、速度を利して側面から背後に回り込めば、あとは簡単に始末できる!
あの杖はちょっと長いが大丈夫、切り落とせる!
ピシピシィッ!
弾ける鞭に、まるで彼女の心が読めるかのように、愛馬は赤い巨馬の左脇8キュビットの地点をすり抜けた。
「もらったぁ!」
馬の手綱を引き絞り、急激に右旋回。
これであの赤い巨馬の、左斜め後ろにぴたりと位置したはず。
だったが…………
「な、消えた!?」
ファラシャトの目の前にあるはずの赤い巨馬と、その主の後ろ姿が無い。
忽然と姿が消えたのだ。
「くっ……何処に!」
慌ててファラシャトがあたりを見回そうとしたその瞬間、ヒヤリ…と喉笛に押し当てられた感触。
それは彼女の喉元に突きつけられた、鋭利な金属のようだ。
だが、彼女にはそれが何であるか、確認することは出来ない。
不用意に動けば、頚動脈を掻き切られる。
二
粘っこい汗が、彼女の背筋を、ゆっくりと伝わる。
「この剣は父の唯一の形見だ。おいそれと他人にくれてやるわけにはいかないのだよ」
いささかも感情を示さない、錆を含んだ声がした。
口調はさっきと全く同じなのに、今度は地獄の底から響く声のようだ。
彼女はようやく、自分の首筋に当てられた凶器が、彼が手にしていた杖のような物であることを理解した。
あれは単なる杖などではない。
先端に付いていた飾りは、鎌のように内側が鋭利な刃物になっていたのだ。
これか!
あの間者の首を、切断したのは。
ファラシャトには思いも付かなかった。
あの商隊に化けた間者の首を、両断した物の存在が。
あれほどの切り口をみせる以上、この男が手練の技と凶器を持っていることは十分予想できた。
だが、この武器は彼女が今まで見たことも聞いたこともないものだ。
防御しようがない。
かと言って、動けない。
動けば首が飛ぶ。
彼女の背筋だけでなく、手のひらにも冷たい汗が滲み出す。
部下たちは何をしているのだ?
首を動かせないファラシャトは、ゆっくりと目玉だけを右に移動させ、部下達の状況を確認した。
「そん……な!」
自分が駆け出す瞬間まで、大将と呼ばれた隻眼の男の背後にいたはず──の彼の配下が。
今はウルクルの近衛隊士達の喉元に、それぞれ手にした武器を、突きつけているではないか。
全員殺される!
そう観念した刹那、だが、喉笛に当てられたそれはスッとファラシャトの首から離れた。
三
「なぜやめた?」
ファラシャトは男を凝視しながら尋ねた。
この隻眼の怪物の、考えが全く掴めない。
敵か? 味方か? それさえも判然としない。
「確かウルクルの城主殿には、一人娘がいたな。希なる美姫だが、勝ち気なのが玉に瑕とか……名は〝蝶〟とか」
「おまえ……まさか」
「ウルクルでの雇い主になるかもしれん御仁を、殺すわけにもゆくまい。いくら無礼者でもな」
男の皮肉に、ファラシャトは赤面した。
この男の力量を見抜けなかった自分に、そしてこんな皮肉に対して反論すら出来ないほどに、この男の殺気に気圧されてしまっている自分に。
「へへへっ、オレ達ウルクルの太守様に乞われて来たんだよ。名前ぐらいは知ってるでしょ? 〝赤獅団〟ってね」
ミアトが無邪気に告げる。
彼の短剣は、ついさっきまで彼が「じいさん」と呼んだ兵士の喉元に、突き付けられている。
近衛隊の間に動揺が走った。
城主がそのような傭兵団を呼ぶことは、知っていた。
幾多の戦場で勇名を馳せ、最強との呼び名も高い〝赤獅団〟を。
それがまさか、こいつらだったとは。
「おねえちゃん、これは鉄戈っていう武器だよ。初めて見た?」
ミアトが悪戯っぽく笑った。
こんな幼い子供まで信じられない技量を有している。
ファラシャトは呆然としていた。
「雇い主に、腕前を見せておくのも、悪くはあるまい。まだ不足かな?」
そう言う大将と呼ばれる男の声には、やはりなんの感情も現れてはいない。
「……十分だ」
短く、やっとそれだけ言うと、ファラシャトは男の顔を睨み付けた。
その眼にくやしさが溢れている。
ちょっとでも突けば爆発しそうだ。
いっぱしの武人気取りであったお姫様は、圧倒的な傭兵隊長の技量に、自分の矜持をずたずたにされたのだ。
感情的になっているファラシャトを見て取って、参謀のヴィリヤー軍師が二人の間に割って入った。
理知的なこの男でなければ、場を収拾できない。
「ひとつだけ念のために確認しておきたい。先程の男の首を刈ったのは貴公か?」
傭兵隊長は軽くうなずいた。
「赤獅団の団長だ。部下は大将と勝手に呼んでるがな」
四
「あなたが団長……なぜ奴が、アル・シャルクの間者と?」
赤獅団の団長は、自身が出現した白い大岩の陰を、指さす。
「向こうに奴の仲間が眠っている。いわゆる伏兵だ。俺達をウルクルの兵士と勘違いしたよのか、いきなり襲ってきたから、一刻前に片づけておいた」
「なに?」
ヴィリヤー軍師は、既に終わった戦闘に、驚きを隠せなかった。
「そいつらを頼って、あの贋の商人め、一直線に走ってきたのだ。アル・シャルクの兵以外にあるまい?」
彼の言葉が終わりきらぬうちに、ファラシャトは瀝青の丘へと走っていた。
駆けて駆けて、丘の裏手に廻った時、不意に彼女の足がとまった。
その青い眼は、大きく見開かれていた。
死屍累々───
赤い砂漠をさらに赤く染め、三十人近い兵の死体と首が、そこに転がっていた。
半月刀に槍、弓矢で完全武装している。
装備や年齢から見て、アル・シャルクの隠密行動を主に行う部隊、しかもその中でも精鋭であろう。
激しい戦闘の跡を思わせるように、蹄の跡が大きく乱れている。
奇襲ではなく、正面からこの傭兵達と対峙したのだ。
にもかかわらず皆、一撃で首を落とされている。
ファラシャトに続いて、現場を目撃した近衛隊の面々も、あまりの凄惨さに声も無い。
「これ…は、おまえらが?」
ファラシャトがやっと、声を絞り出した。
「ああ。でもやったのは大将一人だけどさ。オレらが手を出す間もないんだもんな」
ミアトがこともなげに答える。
一人で?
全員を?
まさか!
ファラシャトは、やっと声を絞り出した。
「なぜ?」
「通りかかった俺達に、いきなり襲って来た。黙って殺されるいわれは、無いからな」
赤獅団の団長の声は、相変わらず静かだ。
だから余計に、怖い。
「皆殺しにしたのか?」
「いんや。敵の小隊長は生け捕りにしたよん。あいつを」
ミアトが指さした方向に、猿轡を噛まされ両手足を縛られた男が転がっている。
目は虚ろで、焦点が定まっていない。
「んで、吐かせたのさ。こいつらアル・シャルクの先乗り部隊だね。おいら達を、あんたら近衛隊と勘違いしたんだってさ。見てわかんねぇのかね?」
ファラシャトが捕虜に近づくと、異臭が鼻に届いた。
失禁した上に、脱糞までしているようだ。
実戦の場を何度もくぐり抜けてきたはずの男が、ここまで醜態をさらすとは……。
よほどの恐怖を味あわされたのだろう。
さきほど自分の首に突きつけられた恐怖と戦慄を思い出して、ファラシャトは気分が悪くなった。
自分の首がつながっているのを確かめるように、
無意識に彼女の指は首筋にふれていた。
よかった、繋がっている。
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