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医食武同源 第二話/朝粥と蜘蛛立ち・武術編

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   一

 ここは、暮石六庵くれいしろくあんの板の間の道場。
 稽古のために袴や上着をからげ、とり呉江ごえ太道おおみちの準備が整うと。
 六庵は道場の神棚に柏手をひとつ打つと、頭を下げ、しばし黙想。
「それでは本日は、お主らに立ち方を教えようかの」
「立ち方……でございますか?」
 キョトンとした太道を見越したように六庵は、ニンマリと笑った。
「そんなことはわざわざ教えてもらうまでもない……と言いたげじゃのう」
「い、いえ! けしてそんな」
 手を左右に振り、否定する太道であったが。
 その慌てぶりが、図星と言ってるも同然であった。
「この前の喧嘩で太道殿は、張り倒された後は一方的に足蹴にされていたのう」
「うぐぅ……そうでございました。起き上がって反撃したかったのですが、どうにもいいようになぶられまして」
 かつての屈辱を思い出したのか、太道は忌々しげに自分の太股ふとももを、こぶしで叩いていた。
 
「転倒は古来より、絶体絶命の窮地じゃ」
 その場でクルリと前転しながら、道場の床に仰向けに倒れ込む六庵だった。
「故に柔術ではず、転び方と立ち方を学ぶ。本来は転び方、すなわち受け身の取り方を教えるのが筋じゃが、お主らには難しそうじゃ。ゆえに立ち方から教える」
 仰向けに座り込んだ状態になり、技を説明する六庵である。
「正面から押されて、仰向けに倒されたならば、まずは四肢ししを踏ん張り、尻を地面から浮かす……」
「何やら、蜘蛛のようでございますな」
 背中が床についた状態から、蜘蛛のような姿勢になり、斜め上を見上げる形になる。
「右手の平と左足の裏に力を込め、左手と右足を薄紙一枚ぐらい浮かせるようにして──左手で顔を守るように前方に突き出しつつ、右手と左足を軸にして、右足を後方に引いて抜く」
 クルリンと身体を反転させ地面を見る姿勢になり、足を抜いてみせる六庵。
「そのまま敵との距離を保ちながら、半歩下がりつつ立ち上がる」

「それだけ……ですか?」
 太道がポカンとした顔になるのも、当然であった。
 六庵の見せた動きはあまりに単純で、子供でも出来そうである。
 そんな太道に、地面に尻餅をつくように促す六庵。
「論より証拠じゃ。太道が立ち上がらぬよう鳥呉江殿、軽く胸を蹴ってみよ」
「はぁ…朋友を足蹴にするのは、ちとためらわれますが…こんな感じでしょうか?」
 言われたように、立ち上がろうとする太道に、ちょこんと蹴りを合わせる鳥呉江。
「あ…れ?」
 立ち上がるタイミングを崩され、再び尻餅をつく太道。
 もう一回立ち上がろうとするが、再び鳥呉江の蹴りに転ぶ。
 何度やっても同じで、上手く立てない。
 小太りで、機敏とは言えない太道には、思った以上に難しいのだ。

「では、ワシが言うた方法で、立ち上がってみよ」
「こう──ですかな?」
「むむむ?」
 太道が手を前に突き出すと鳥呉江、その手に邪魔されて間合いが詰められず、蹴りが届かないのだ。
 迂闊に踏み込むと、脚を掴まれそうで、戸惑う。
「その上で……こうだったかな?」
 右脚をたどたどしく抜いて、それでも太道は立ち上がることに成功した。
「……た、立てた立てた、立てたぞ」
 あまりにあっけなく立てた事に、ポカンとした表情の太道。
「攻めた側の鳥呉江殿、お主はどうじゃ?」
「前に出された手が妙に邪魔で、懐に飛び込めなくて……なぜでしょうか?」
「なかなか、良い質問じゃのう」


   二

 道場に備えられた四尺棒を手に、構える六庵。
 青眼──中段に構え、鳥呉江の喉元に向けて、殺気を軽く放つ。
「柔術も剣も同じゃ。己の正中をしっかり守れば、相手は容易に踏み込めぬ」
「うう…何やら喉を突かれそうで、怖いのですが……」
 六庵の気迫に押されて、ジリジリと後退する鳥呉江であった。
 四尺棒を太道に渡し、自分は扇子を青眼に構えると六庵、
「急所が集まる正中の線を、守る動きが万全ならば、長い獲物を持つ敵も──」
 太道に打ち込むよう促す六庵。
 木刀で恐る恐る打ち込むが──六庵の扇子に受け流され前のめりに倒れこむ太道。
「あだだだだっ!」

 六庵は木刀を手に、鳥呉江に軽く打ち込んで解説を始めた。
「相手の打ち込みに対し素人は、剣を直角にして受け止める」
 木刀を真横にして、打ち込みを受け止める鳥呉江。
「これなら技量が低くても、取り敢えず受け止めやすい」
歌舞伎かぶき荒事あらごと剣戟けんげきでも、よく見かけますな」
「しかし技量に優れた敵の、二の打ち三の打ちには対応できぬ……」
 ポンポンと鳥呉江の胴に籠手に、左右から連打を六庵が繰り出す。
「うわ…と…とっ! 守りが追いつきませぬ」
 なんとか受け止めようとするが、次第に六庵の動きに追いつかなくなり、頭にコツンコツンと入れられる鳥呉江であった。

 悪戯っぽく笑うと、再び青眼にかまえると六庵、鳥呉江に打ち込むように促す。
「故に技量が上がってきたら、剣を受け止めるのではなく──腕は腰溜めに固定し、剣を〝払う〟ようになるのじゃ」
 中段に構え、鳥呉江の打ち込みを払ってかわしてみせる六庵に、鳥呉江も太道も感心しきりである。
「二人で交互に、打ち込みと払いを試してみよ」
「なるほど…これは、…相手が速くても、なんとか…なります」
 思いの外簡単に、攻撃がかわせることに驚き、目を輝かせる太道に、今度は六庵が打ち込んで払わせる。
 これも、簡単にできる。
 なんだか、自分が上手くなったような気持ちになって、太道の口元に笑みが浮かぶ。

「しかし払う動きは、一瞬だが剣先が正中線から離れる」
 六庵の打ち込みを払おうとした太道を、拍子タイミングを外してかわす。
 行き場を失った太道の剣先が、正中線から離れたところに大きく踏み込み、喉元に木刀の切っ先を突きつける六庵の動きに、再び恐怖した。
「ヒィイッ……」
「名人上手と言われる武芸者は、剣を払わずに次第に〝受け流す〟ようになる」
 剣先を固定したまま、太道の打ち込んだ剣を手首の返しで受け流す、六庵の流れるような剣技。
 わずかな動きなのに、太道や鳥呉江の体勢が大きく崩れて、転びそうになる。

手練てだれの武芸者同士の戦いは、正中線の奪い合いになる」
 鳥呉江にプレッシャーをかける六庵。
 ジリジリ後退する鳥呉江は、あっという間に道場の羽目板まで追い込まれた。
「ま、参りましたぁ~」
「先ほど太道が立つ時に、腕を前に出した仕草と、形は違えども同じじゃな」
 太道の手が邪魔で、踏み込めなかったことを、思い出す鳥呉江であった。
「剣も柔術やわらも、大本の術理は似ておるのじゃよ」
「相手に急所を襲わせないことが重要……なのですな」
 六庵の技の意図を、理解する太道である。
 飲み込みは悪くない。六庵の説明も上手いのだが。
「勝つための技よりも、負けないための技を身につけることが、わしのり方なんじゃ」
「負けないための技───」
 六庵の言葉を、反芻する太道と鳥呉江であった


   三

「もしうつ伏せに倒れたら、技を応用して───」
 先ほどとは異なり、うつ伏せの状態で倒れた六庵は、別の技を解説し始めた。
 太道の前でうずくまった状態の六庵は、同じ原理で右脚を抜いて仰向けになる瞬間、抜いた脚を前方にスッと伸ばし、太道の膝頭をポンと蹴った。
「おわっとぉ!」
 膝関節蹴りで体勢を崩し、太道は前のめりに倒れてしまった。
 人間の膝は、一方方向にしか曲がらない、単間接である。正面から蹴られると、力が抜けず下半身全体に影響を及ぼしてしまう。
「……手の代わりに、蹴りを撃ちこむこともできる」
 感動で顔を紅潮させる鳥呉江であった。
「蜘蛛のような立ち方は、守るためだけではなく、攻めることもできるのですね」
「こりゃあ、弁慶の泣き所──脛や足首を狙われても、かなり効くぞ」と太道。

「この技の鍛錬には、こうやって左右に回転し、繰り返し鍛錬できる」
 六庵は、蜘蛛立ちの練習方法を丁寧に解説した。
 先ずは仰向け状態で四肢を踏ん張り、腰を地面から浮かす。
 右手の平と左足裏にグッと力を入れ、右脚を後方に抜き、うつ伏せ状態になる。
 その状態から、左手の平と右足裏の対角線を軸に、左脚を前方に抜き、仰向け伏せ状態になる。
 この動作を二回繰り返し、元の位置に戻る。
 さらにこの組み合わせを十回、繰り返す。


「最初からは難しいが、少しずつ技を学びながら、相手の攻撃に動じぬ〝芯のある体〟を作るのが肝要じゃ」
 反復練習する二人に、訓示する六庵であった。
 実際にやってみると、さほど筋力のない太道と鳥呉江にも、簡単にできる。
 最初は順番を間違ってぎこちなかったが、反復する内にだんだんとさまになってくるから、不思議である。
 何よりこの動き、やっていて楽しい。
 リズミカルにセットをこなせると、楽しいのだ。

「お主ら、楽しいかな? ならば結構じゃ。わしの道場では、しかめっつらで苦行僧のような鍛錬はせんでも良い。好きこそ物の上手なり、じゃ。先ずは楽しみ、好きになれ。さすれば、ほっといても上達する」
 六庵の指導はどれも、楽しんでやれるのを、中心に据えているようである。
 武術と言うより、道楽に近い。
「唐土の孔子様も申しておられる。好む者は楽しむ者に如かず、とな。楽しんで精進しなされよ」
 六庵の言葉に、太道と鳥呉江は溌剌はつらつと応えた。
「「精進しまする!」」



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