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医食武同源 第三話/大豆と手解き・医術編
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一
暮石六庵は、諸蓋──長方形の大きな木箱の中で、南九州で餅を入れたり味噌麹を発酵させる時に使う長方形の木箱の、重ねた上の一枚を外した。
発酵する麦の香りをスーッとかぐ。
途端に顔がほころぶ。
「うむ……良い香りじゃ。太道殿も鳥呉江殿も、嗅いでみるが良い」
促された二人も顔を近づけ、その匂いを鼻から吸い込む。
「何やら胸がすく、さわやかな香りがいたしますなぁ」と太道。
「これは、蒸した麦に、麹をかけた物ですか?」と鳥呉江。
二人の顔もほころぶ。
「うむ、これで麦味噌を作るのじゃ」
六庵の言葉に、太道は意外な顔をする。
「麦で味噌が作れるのですか? 醤油ではなく?」
「江戸では、味噌は買うものじゃのう。朱引きの外では、大豆と米とで赤味噌を作る農家も多いが。安芸の国や九州では麦味噌が多いのう。わしは長崎への蘭学修業の折り、すっかり麦味噌の虜になってな。上方で学んだ折りには、京は今出川近くの古道具屋の求善賈堂で、薩摩藩士の奇知を得てのう。いろいろと面白い料理や製法を学んだのじゃ。この木箱も、諸蓋と呼ばれる九州の道具じゃ」
六庵の説明に、江戸しか知らぬ二人は、興味津々である。
赤味噌と白味噌の違いは、原材料ではなく成熟期間である。
長期間熟成させるほど色が濃くなり、赤味噌を通り越して黒味噌になる。
中国から伝わった味噌は本来、醤と呼ばれる液体調味料であった。
現在でも、秋田のしょっつるやベトナムのニョクマム、タイのナンプラーなど、魚醤が各地にある。
魚類を塩で漬け込み、発行させて得られる、旨みたっぷりの液体調味料である。
他にも、動物の肉を用いた肉醤もある。
やがて、小麦や豆を用いた醤が作られ、これが味噌のルーツとなった。
「拙者は仙台味噌が、ことのほか好きです」と太道。
「拙者は西京味噌を以前に、食したことがありますが、甘みがあり旨いですねぇ」と鳥呉江。
「うむ、仙台味噌は米味噌じゃが、赤色も良いのう。西京味噌は甘みがあって、九州の味噌もこれに近い」
京都では米を味噌の原料として用いたが、昔は米は貴重品である。
それも調味料というよりは、舐める御飯のおかずとして平安貴族に食された。
やがて鎌倉時代に禅宗の僧侶や武士の間で味噌汁が食されるようになり、室町時代に全国に広がった。
そこで各地で米より安価な麦味噌や豆味噌が生まれ、独自の発展を遂げたのである。
「我が師──平子龍先生は、玄米と味噌を食うだけで、すこぶる頑強であった。儂が思うに、強兵あるところ旨い味噌あり、じゃな」
「仙台味噌は伊達政宗公が陣中での兵糧として工夫されたとか。神君家康公の故郷の東海では、八丁味噌が有名ですなぁ」
「おうおう、他にも信玄公の信州味噌に、謙信公の越後味噌も旨いと聞く。川中島で味噌比べといきたいのう」
「敵に塩を送るの故事も、山国の信州では味噌作りにも越後の塩は欠かせなかっただろうて」
こう言われると、三人とも武士である。心当たりのある戦国武将と味噌の、名前だけは出てくる。
「広島の府中味噌に……」
「加賀百万石の加賀味噌!」
麹が繁殖し、白くなった麦を手で軽くほぐしながら、すっかり脳に味噌が浮かんでいる二人に、六庵はさらに追い打ちをかける。
「薩摩の味噌も長崎のそれと近い麦の白味噌じゃが、葱を刻んで練り、焼き味噌にすると握り飯にあって旨いのう~」
「いや六庵先生、実に腹が減る話ですなぁ」
「では後ほど、馳走しよう」
六庵の言葉に、思わずよだれを垂らす太道と鳥呉江であった。
二
大豆を釜で煮る六庵は、湯気も暑さも気にならないのか、どこか嬉しそうである。
「阿蘭陀人に言わせると、日本人は肉を食う量が足りんそうじゃ」
「そうですかなぁ? 我が家は魚をまずまず、食しておりますが。馴染みの魚屋が棒手振りで、毎日やってきますから」と、納得がいかない顔の太道である。
「日の本では、魚や鳥は食うが、四足の獣はあまり食わぬのう。肉は薬喰いと言うて、病人が滋養のために食うがのう」
日本人は、四足動物の肉食は仏教の禁忌に当たると、あまり食さなくなったが。
天武天皇の時代に、農耕期間の四月から九月は、牛・馬・犬・猿・鶏の五畜を食することが禁止されたとの記録がある。
牛馬に鶏はともかく、猿と犬にはぎょっとする人もいるだろうが。当時は貴重なタンパク源であり、普通に食べられていた。鹿や猪より、身近な獣であったことが伺われる。
また、江戸時代の生類憐れみの令が出ても、地方では犬肉食の文化は残っており、薩摩藩などが有名である。
彦根藩の牛肉の味噌漬けは、大名への贈答品として、
譜代の大藩である彦根藩は、陣太鼓用の牛皮を毎年、幕府に献上する慣例があり、牛の飼育が盛んであった。
これが彦根牛のルーツである。
「阿蘭陀やエゲレスではよく、獣肉を食うそうじゃ。牛に鹿に兎に猪など」
「接種は食がほしので、なんだか胃が、もたれそうですなぁ」
鳥呉江は、肉が苦手なのか、思わず腹を擦る。
「確かに、肉は滋養があるが、苦手なものもおる。儂のような年寄には、重いのもある。だが、安く手に入るモノで代わりになると思っておるぞ」
太道と鳥呉江の目の前に大豆を一粒、差し出す六庵である。
「それが大豆が……ですか?」
「うむ、肉はなくとも味噌や豆腐、納豆で頑強な身体になれる。それを儂は長崎と京大坂を巡る中で、確信したのじゃ」
大豆は縄文時代から栽培が確認されているが、欧米では1900年代まで重視されてこなかった。
ところが日本では、空中の窒素を固定する根粒菌とマメ科植物の共生で、痩せた土地でも大豆はよく育つため、貴重なタンパク源となった。
日本では、味噌や醤油、豆腐、納豆、湯葉、黄粉などなど、大豆は実に多種多様な利用をされ、食卓に欠かせない存在担っている。
豆腐は高タンパク低脂肪の食材として、近年では欧米でも気軽にスーパーで買えるほど、浸透している。
「拙者は納豆もどうにも苦手で……」
「鳥呉江は好き嫌いが多いのう。だが確かに、臭いが嫌いと言う者も多いなぁ。拙者は納豆掛けご飯も納豆汁も、好物だぞ」
「医者として多くの患者を診察しておると、理由はわからんが……どうも納豆好きには中気が少ないのう。儂も納豆は、江戸の糸引き納豆も京の大黒寺納豆も、ついでに甘納豆も好物じゃ」
「あとのふたつは、納豆違いではございませんか」
中気とは、現代でいう脳卒中とそれに伴う後遺症の、東洋医学での呼称である。中風とも呼ぶ。
東洋医学の名著『傷寒論』にも、中風の名称で頻出する。
江戸時代の食事は塩分が多く、脳卒中を患う日本人は多かった。
脳卒中は塩分過多の食生活や運動不足、ストレスが原因となりやすい。かの上杉謙信の死因も、脳卒中とされる。
納豆から発見された酵素ナットウキナーゼは、血栓の溶解作用や、血液をサラサラにする効果が認められている。
六庵の言葉に、太道が思い出したように手をポンと叩く。
「そういえば……中気で長く寝たきりだった母方の祖父も、納豆嫌いでしたなぁ」
「加えて塩辛いものが、好みであったろう?」
頭をかいて、恐縮する太道であった。
「うう…先生はなんでもお見通しですなぁ。まったくそのとおりで。塩を舐めて酒を飲んでおりました」
「それは、本物の酒好きじゃのう。平子龍先生も常に酒を切らさず、居間の押し入れに四斗樽を据えて、冷や酒を呑まれていたが……晩年は寝起きが不自由になられた。酒は百薬の長というが、度を過ぎれば百害の長と、心得よ」
「はい! 祖父のように毎日飲むのは控えまする」
「拙者は下戸ですので、そこは大丈夫です」
三
「それでは、合わせ味噌を創るので、お主らも手伝ってくれ。出来上がりの味見も、もちろんお願いするがのう」
大きめのすり鉢で、二種類の味噌をあわせ、スリコギで混ぜる六庵。
鉢を抑える役の太道と、鳥呉江である。
「赤味噌に比べて、白味噌は塩が少なく、熟成期間も短い。それぞれに良さがあるので、赤味噌と白味噌を合わせて食すのも、身体には良いぞ。こうやって念入りにすりつぶすと、味も良くなる。味噌以外にもお主ら、大豆の食す量を工夫してみよ」
「そうですなぁ……起き抜けに豆乳を飲み、朝餉に納豆汁や納豆かけ飯を食し──」
「夕餉には湯豆腐や味噌田楽、湯葉や油揚げを食うとか?」
「うむ、良き答えじゃな。油揚げやお稲荷さんも良いぞ。薩摩芋を蒸したものを、すりこ木で潰し、それに餅米と砂糖と塩を少々加え、さらに練り。黄粉をたっぷりとまぶした〝ねったば〟という料理が、薩摩にはあるが、小腹がすいたときに餅や菓子代わりに食うと、甘すぎず身体にも良いぞ」
「芋なら、安くできますな。そちらの作り方も、ぜひ教えて下さいませ」
「甘いものは拙者も目がありませぬ」
二人の反応に、六庵は楽しげにうなずく。
「男子厨房に入らず──などと申すが、それでは戰場でどうやって腹を満たす? むしろ、飯が作れて一人前じゃ」
「先生に勧められた『養生訓』でも、大豆料理を称揚しておりました!」
「副食が増えることを忌む傾向があるが……わしはむしろ、おかずは少量でも品数を増やし、できるだけ中庸を
心掛けたほうが養生の王道じゃと思うのう」
出来上がった合わせ味噌を六庵は、豆腐とワカメの味噌汁、刻んだネギと混ぜての焼き味噌に仕上げ、さらに納豆、発芽玄米、梅干し、メザシの御膳を揃えてくれた。
「さぁ、朝餉にしようかのう」
「いっただきまぁ~す!」
手を合わせる太道と鳥呉江の声が、六庵の家の外まで響いた。
医食武同源 第三話/大豆と手解き・医術編
暮石六庵は、諸蓋──長方形の大きな木箱の中で、南九州で餅を入れたり味噌麹を発酵させる時に使う長方形の木箱の、重ねた上の一枚を外した。
発酵する麦の香りをスーッとかぐ。
途端に顔がほころぶ。
「うむ……良い香りじゃ。太道殿も鳥呉江殿も、嗅いでみるが良い」
促された二人も顔を近づけ、その匂いを鼻から吸い込む。
「何やら胸がすく、さわやかな香りがいたしますなぁ」と太道。
「これは、蒸した麦に、麹をかけた物ですか?」と鳥呉江。
二人の顔もほころぶ。
「うむ、これで麦味噌を作るのじゃ」
六庵の言葉に、太道は意外な顔をする。
「麦で味噌が作れるのですか? 醤油ではなく?」
「江戸では、味噌は買うものじゃのう。朱引きの外では、大豆と米とで赤味噌を作る農家も多いが。安芸の国や九州では麦味噌が多いのう。わしは長崎への蘭学修業の折り、すっかり麦味噌の虜になってな。上方で学んだ折りには、京は今出川近くの古道具屋の求善賈堂で、薩摩藩士の奇知を得てのう。いろいろと面白い料理や製法を学んだのじゃ。この木箱も、諸蓋と呼ばれる九州の道具じゃ」
六庵の説明に、江戸しか知らぬ二人は、興味津々である。
赤味噌と白味噌の違いは、原材料ではなく成熟期間である。
長期間熟成させるほど色が濃くなり、赤味噌を通り越して黒味噌になる。
中国から伝わった味噌は本来、醤と呼ばれる液体調味料であった。
現在でも、秋田のしょっつるやベトナムのニョクマム、タイのナンプラーなど、魚醤が各地にある。
魚類を塩で漬け込み、発行させて得られる、旨みたっぷりの液体調味料である。
他にも、動物の肉を用いた肉醤もある。
やがて、小麦や豆を用いた醤が作られ、これが味噌のルーツとなった。
「拙者は仙台味噌が、ことのほか好きです」と太道。
「拙者は西京味噌を以前に、食したことがありますが、甘みがあり旨いですねぇ」と鳥呉江。
「うむ、仙台味噌は米味噌じゃが、赤色も良いのう。西京味噌は甘みがあって、九州の味噌もこれに近い」
京都では米を味噌の原料として用いたが、昔は米は貴重品である。
それも調味料というよりは、舐める御飯のおかずとして平安貴族に食された。
やがて鎌倉時代に禅宗の僧侶や武士の間で味噌汁が食されるようになり、室町時代に全国に広がった。
そこで各地で米より安価な麦味噌や豆味噌が生まれ、独自の発展を遂げたのである。
「我が師──平子龍先生は、玄米と味噌を食うだけで、すこぶる頑強であった。儂が思うに、強兵あるところ旨い味噌あり、じゃな」
「仙台味噌は伊達政宗公が陣中での兵糧として工夫されたとか。神君家康公の故郷の東海では、八丁味噌が有名ですなぁ」
「おうおう、他にも信玄公の信州味噌に、謙信公の越後味噌も旨いと聞く。川中島で味噌比べといきたいのう」
「敵に塩を送るの故事も、山国の信州では味噌作りにも越後の塩は欠かせなかっただろうて」
こう言われると、三人とも武士である。心当たりのある戦国武将と味噌の、名前だけは出てくる。
「広島の府中味噌に……」
「加賀百万石の加賀味噌!」
麹が繁殖し、白くなった麦を手で軽くほぐしながら、すっかり脳に味噌が浮かんでいる二人に、六庵はさらに追い打ちをかける。
「薩摩の味噌も長崎のそれと近い麦の白味噌じゃが、葱を刻んで練り、焼き味噌にすると握り飯にあって旨いのう~」
「いや六庵先生、実に腹が減る話ですなぁ」
「では後ほど、馳走しよう」
六庵の言葉に、思わずよだれを垂らす太道と鳥呉江であった。
二
大豆を釜で煮る六庵は、湯気も暑さも気にならないのか、どこか嬉しそうである。
「阿蘭陀人に言わせると、日本人は肉を食う量が足りんそうじゃ」
「そうですかなぁ? 我が家は魚をまずまず、食しておりますが。馴染みの魚屋が棒手振りで、毎日やってきますから」と、納得がいかない顔の太道である。
「日の本では、魚や鳥は食うが、四足の獣はあまり食わぬのう。肉は薬喰いと言うて、病人が滋養のために食うがのう」
日本人は、四足動物の肉食は仏教の禁忌に当たると、あまり食さなくなったが。
天武天皇の時代に、農耕期間の四月から九月は、牛・馬・犬・猿・鶏の五畜を食することが禁止されたとの記録がある。
牛馬に鶏はともかく、猿と犬にはぎょっとする人もいるだろうが。当時は貴重なタンパク源であり、普通に食べられていた。鹿や猪より、身近な獣であったことが伺われる。
また、江戸時代の生類憐れみの令が出ても、地方では犬肉食の文化は残っており、薩摩藩などが有名である。
彦根藩の牛肉の味噌漬けは、大名への贈答品として、
譜代の大藩である彦根藩は、陣太鼓用の牛皮を毎年、幕府に献上する慣例があり、牛の飼育が盛んであった。
これが彦根牛のルーツである。
「阿蘭陀やエゲレスではよく、獣肉を食うそうじゃ。牛に鹿に兎に猪など」
「接種は食がほしので、なんだか胃が、もたれそうですなぁ」
鳥呉江は、肉が苦手なのか、思わず腹を擦る。
「確かに、肉は滋養があるが、苦手なものもおる。儂のような年寄には、重いのもある。だが、安く手に入るモノで代わりになると思っておるぞ」
太道と鳥呉江の目の前に大豆を一粒、差し出す六庵である。
「それが大豆が……ですか?」
「うむ、肉はなくとも味噌や豆腐、納豆で頑強な身体になれる。それを儂は長崎と京大坂を巡る中で、確信したのじゃ」
大豆は縄文時代から栽培が確認されているが、欧米では1900年代まで重視されてこなかった。
ところが日本では、空中の窒素を固定する根粒菌とマメ科植物の共生で、痩せた土地でも大豆はよく育つため、貴重なタンパク源となった。
日本では、味噌や醤油、豆腐、納豆、湯葉、黄粉などなど、大豆は実に多種多様な利用をされ、食卓に欠かせない存在担っている。
豆腐は高タンパク低脂肪の食材として、近年では欧米でも気軽にスーパーで買えるほど、浸透している。
「拙者は納豆もどうにも苦手で……」
「鳥呉江は好き嫌いが多いのう。だが確かに、臭いが嫌いと言う者も多いなぁ。拙者は納豆掛けご飯も納豆汁も、好物だぞ」
「医者として多くの患者を診察しておると、理由はわからんが……どうも納豆好きには中気が少ないのう。儂も納豆は、江戸の糸引き納豆も京の大黒寺納豆も、ついでに甘納豆も好物じゃ」
「あとのふたつは、納豆違いではございませんか」
中気とは、現代でいう脳卒中とそれに伴う後遺症の、東洋医学での呼称である。中風とも呼ぶ。
東洋医学の名著『傷寒論』にも、中風の名称で頻出する。
江戸時代の食事は塩分が多く、脳卒中を患う日本人は多かった。
脳卒中は塩分過多の食生活や運動不足、ストレスが原因となりやすい。かの上杉謙信の死因も、脳卒中とされる。
納豆から発見された酵素ナットウキナーゼは、血栓の溶解作用や、血液をサラサラにする効果が認められている。
六庵の言葉に、太道が思い出したように手をポンと叩く。
「そういえば……中気で長く寝たきりだった母方の祖父も、納豆嫌いでしたなぁ」
「加えて塩辛いものが、好みであったろう?」
頭をかいて、恐縮する太道であった。
「うう…先生はなんでもお見通しですなぁ。まったくそのとおりで。塩を舐めて酒を飲んでおりました」
「それは、本物の酒好きじゃのう。平子龍先生も常に酒を切らさず、居間の押し入れに四斗樽を据えて、冷や酒を呑まれていたが……晩年は寝起きが不自由になられた。酒は百薬の長というが、度を過ぎれば百害の長と、心得よ」
「はい! 祖父のように毎日飲むのは控えまする」
「拙者は下戸ですので、そこは大丈夫です」
三
「それでは、合わせ味噌を創るので、お主らも手伝ってくれ。出来上がりの味見も、もちろんお願いするがのう」
大きめのすり鉢で、二種類の味噌をあわせ、スリコギで混ぜる六庵。
鉢を抑える役の太道と、鳥呉江である。
「赤味噌に比べて、白味噌は塩が少なく、熟成期間も短い。それぞれに良さがあるので、赤味噌と白味噌を合わせて食すのも、身体には良いぞ。こうやって念入りにすりつぶすと、味も良くなる。味噌以外にもお主ら、大豆の食す量を工夫してみよ」
「そうですなぁ……起き抜けに豆乳を飲み、朝餉に納豆汁や納豆かけ飯を食し──」
「夕餉には湯豆腐や味噌田楽、湯葉や油揚げを食うとか?」
「うむ、良き答えじゃな。油揚げやお稲荷さんも良いぞ。薩摩芋を蒸したものを、すりこ木で潰し、それに餅米と砂糖と塩を少々加え、さらに練り。黄粉をたっぷりとまぶした〝ねったば〟という料理が、薩摩にはあるが、小腹がすいたときに餅や菓子代わりに食うと、甘すぎず身体にも良いぞ」
「芋なら、安くできますな。そちらの作り方も、ぜひ教えて下さいませ」
「甘いものは拙者も目がありませぬ」
二人の反応に、六庵は楽しげにうなずく。
「男子厨房に入らず──などと申すが、それでは戰場でどうやって腹を満たす? むしろ、飯が作れて一人前じゃ」
「先生に勧められた『養生訓』でも、大豆料理を称揚しておりました!」
「副食が増えることを忌む傾向があるが……わしはむしろ、おかずは少量でも品数を増やし、できるだけ中庸を
心掛けたほうが養生の王道じゃと思うのう」
出来上がった合わせ味噌を六庵は、豆腐とワカメの味噌汁、刻んだネギと混ぜての焼き味噌に仕上げ、さらに納豆、発芽玄米、梅干し、メザシの御膳を揃えてくれた。
「さぁ、朝餉にしようかのう」
「いっただきまぁ~す!」
手を合わせる太道と鳥呉江の声が、六庵の家の外まで響いた。
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