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医食武同源 第一話/玄米と立ち腕搦

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   一

 そこは狭い路地裏、行き止まり。
 目つきの悪い四人の若侍に、取り囲まれる若侍が二人。
 痩せたほうがとり呉江ごえゆうしん、太ったほうが太道典おおみちのりろう
「で、銭は持ってきたか?」
 オドオドと、懐から胴巻きを取り出す裕之進。
 中から銭を取り出そうとすると、丸ごと奪い取られた。
「あああ~そんな全部は……」
 泣きそうな声が漏れる。
「たりねぇじゃねぇか! どういう了見だ鳥呉江!?」
「我が家も手元不如意で……そのぉ」
 泣きそうな顔の鳥呉江に、無慈悲な言葉が飛ぶ。
「残りは明日持ってこい。なければ借りてでもな。おい太道、お主も早くしろ」
 それまでうつむいていた典次郎が、目をカッと見開き。
 決意した表情かおになっている。

「渡す金など───ない!」
「んだとぉ?」
「同じ貧乏御家人の家、家計が苦しいのはお互いわかって……」
 ゴツンッという鈍い音を立て、典次郎の鼻骨ぶち込まれる拳骨。
「フグゥッ!」
 放ったのは、四人の若侍の内の、最も腕が太い男。
 名は古久保外記こくぼげき
 肌が荒れ、面皰にきびが蜜柑の皮のようである。
「の……典次郎!」
 慌ててのぞき込む裕之進をグイと押しのけ、鼻血をボタボタ流す典次郎を、後ろの板塀に激しく突き飛ばす外記の無慈悲。

 典次郎は身体をくの字に曲げ、ヨロヨロと二、三歩歩き、転倒した。
 立ち上がろうとするが、そこを他の若侍たちに足蹴にされる。
 胸を蹴られ、再び起き上がり小法師こぼしのように、立ち上がろうとしてはひっくり返るの繰り返し。
「や…やめてくだされ。明日、明日かならず払いますゆえ……」
 涙目で懇願する裕之進。
 だが、蹴られながら制止する典次郎だった。
「やめるんだ裕之進! こんな奴らの言いなりは、もうまっぴらだッ!」
「まぁだ、わかっておらんようじゃ…の!」
 二人がかりの蹴りに、ひたすら耐える典次郎。
 もう二人に小突き回される裕之進。
 この地獄が終わる気配はなかった

「いかんいかん、いかんのぉ~」
 間の抜けた声が響いた。
 一同が振り返ると、そこに髪に白いものを重ねた、初老の男が立っていた。
 静かな笑みを浮かべ、好々こうこう然としている。
「多勢で無勢、士道不覚悟じゃのう」
「何の用だジジイ! 邪魔すると老体といえども……」
 初老の男の袖を掴んで、追い払おうとする古久保外記であったが───
「イダダダダァ~ッ!」
 初老の男がゆっくり腕を内から外に回すと、外記の肘関節がめられていた。
 しかも、重心を後ろに崩されたのか、外記は爪先立ちになり、ヨタヨタしている。
 裕之進も典次郎も眼の前の事態が呑み込めず、呆気にとられていた。

「な……」
「どうじゃ? これは〝うでがらみ〟という技じゃ」
 初老の男がパッと手を離すと、重心を崩して後頭部から板塀に激突する外記。
「こんのォ!」
 初老の男の胸ぐらを掴む若侍其の二。
 だが、初老人がストンと尻餅をつくようにその場に座り込むと、胸ぐらを掴んだ手に引きずられるように、前のめりになる。そのまま、顔面を板塀に叩きつける。
「こいつは〝猪脅ししおどげ〟じゃ」
 飄々ひょうひょうとした初老人の、思わぬ動きの良さに、刀に手をかける若侍其の三。
「やるのか、ジジイ!」
 尻餅をついた姿勢から、さっと低い突き蹴りを膝下に喰らわせて動きを止めた初老人、流れるように立ち上がると相手の懐に入り、若侍其の三の手首を下から抑えた。

「侍が不用意に刀を抜いてはいかんのぉ。刀は抜かざるもの、と言うぞい」
 若侍其の三の横に回り込み、器用に腕を折りたたんで肩関節を軽く極め、そのまま妙な技で投げてしまった。
「これは〝ほうげ〟と呼ばれる技じゃ」
 最後に残った若侍其の四の目が、初老人と合った。
 ニッコリ笑う、その表情に青ざめる若侍其の四。
「ひぃいッ!」
 ひょこひょこと歩いてくる初老人に、思わず後退あとずさりから脱兎のごとく逃げ出す若侍其の四。
朋友ほうゆうを見捨てるとは、薄情な奴じゃのぉ。士道不覚悟と再び言おうかの。じゃが、逃げるものを深追いせぬのも兵法のことわりじゃな」
 クルリときびすを返すと初老人、立ち去るのだった。
 その姿を、しばらく、呆然と、見送っていた、裕之進と典次郎だったが……。
 突然、典次郎が慌てて追いかけだした。
「ちょっ…典次郎!?」
 慌てて後に従う裕之進であった。


   二

 初老の男が中に消えた屋敷の前で、ウロウロする太道典次郎。
 いきなり入っていいものか、思案していたから。
 実戦流と太字で書かれた看板の横には、かすれた字で何か書いてあった。
「なになに〝他流試合勝手次第、飛道具其外矢玉にても苦しからず〟……だとォ!?」
「なぁ、典次郎よぉ~飛び道具相手でも他流試合をやるとは、ちと……いやだいぶ危ない御仁ではないか?」
 このまま帰りたそうな鳥呉江裕之進が震える声で、典次郎の袖を引く。
「おや、先ほどの二人かな?」
「うわぁたったああ~ッ!」
 振り返ると、家の中に消えたはずの初老の男がそこにいた。
「い、家の中に入られたのでは、なかったのですか?」
「誰ぞつけてきてると気づいたのでな。用心のため裏から回ったのじゃ。お主ら、隠密回り同心には向いておらんのう」

 疑われたことでさらに、冷や汗一斗の典次郎だったが、それでも振り絞るように声を発した。
「いや、あのぉ…そのぉ…先ほどのお礼を申し上げた…く」
「ほう、礼儀正しいのう。それではワシも名乗らねばならんな。蘭学者の暮石六庵くれいしろくあんじゃ」
「へ……蘭学者? ひとかどの武芸者とお見受け致しましたが」
 初老の男──暮石六庵は呵呵かかと笑うと、
「若い頃は武芸も、少しばかりたしなんだがのう。今はただの老骨、隠居じゃよ」
「しかし……他流試合勝手次第と、看板に書いてございますが」
「それはワシの師匠が昔、掲げていた看板じゃよ。形見に頂いたが、わしはもうそんな真似はせんし、できんよ。室内に飾るのもなんじゃから、外に置いてあるだけ」
 その言葉に典次郎、少し安心したが。同時に、こんな看板を所持する風狂な師とはいったい、何者なのか?
 裕之進と典次郎は俄然、興味が湧いていた。
「その、師匠とはいったい何処の何方様でしょうか?」
へいりゅう先生じゃ」
「──平子龍? もしや実戦じっせんりゅうの……平山行蔵ひらやまこうぞう殿…でありますか?」

 平山行蔵───微禄の紀州藩伊賀同心だが、水戸藩のふじとうをして「生まれてくる時代が早すぎたか遅すぎた」と嘆かせた、武芸百般の傑物であった。
 真冬でもあわせを一枚のみを着、寝る時は布団を用いずよろいを着て土間に寝ていた、常在戦場の人。
 同時に博識の教養人で、その著書五百巻ともされる。
「ほう、若いのに存じておったか」
「そんな方の直弟子とは、強いのも道理じゃあ~」
「平山師は医者と坊主が大嫌いであったゆえ、蘭方医のわしゃあ不肖の弟子じゃがのう」
 カラカラと笑う六庵に、いきなり土下座する典次郎。
「お願いしますッ! この太道典次郎を弟子にしてくだされ」
「お…太道……おまえそんな」
 しばし沈黙。
 大道の顔をマジマジと見つめていた暮石六庵、
「──お主、江戸わずらいの兆候しるしがあるのう。ひとつて進ぜようか」
「は?」
「こっちじゃ」
 返事も聞かず、スタスタ家の中に入る六庵。
 それを追いかける典次郎。
 少し遅れて裕之進が続く。

 江戸患い、とはかっのことである。
 江戸庶民は精米された白米を主に食べていたため、ぬかに多く含まれるビタミンB1不足で、脚気にかかる者が多かった。
 脚の倦怠や手足の痺れやむくみ、皮膚炎や口内炎、動悸や右心肥大と言った症状を伴い、心不全で死亡することもあった。
 十四代将軍家茂も、その妻の皇女和宮も、脚気が原因で若くして亡くなった。

 診療台に腰掛けた大道の膝を、拍子木で六庵が軽く叩く。
「江戸患いにかかった者は、こうやって叩いても、膝先がピクリと動かん」
 隣に座る裕之進の足を軽く叩くと、ピョコンと膝下が跳ね上がる。
「わわわ!? なんだこりゃ。動かそうと思ってもいないのに」
「こうなるのが普通じゃな」

 六庵の言葉に、典次郎は青ざめた。
「実は祖母も、江戸患いで三年前に……」
 祖母の最後を思い出し、暗い表情になる典次郎である。
「江戸患いでは、身体からだに力が入らん。喧嘩も弱くて当然じゃな」
「あのぉ、拙者は江戸患いではございませんが、喧嘩は強くないのですが……」
「それは単に気骨が足りんだけじゃな。太道殿はあやつらに逆らったが、鳥越殿はひたすら嵐が過ぎるのを待っていたのう」
 あっさり言われ、ずっこける裕之進であった。
「見られてましたか、たはは~」 
「せっかくじゃから、江戸患いの特効薬を進ぜようかのう」
 六庵の言葉に、思わず顔を見合わせる裕之進と典次郎、同時に声が漏れた。
「「そんなものが、あるのですか!?」」


   三

 二人に出されたお膳は、強飯こわめし──玄米と、糠漬けであった。
「さ、遠慮なく召し上がれ」
「これは強飯──ですか?」
 粗末な食事に、戸惑う鳥呉江裕之進と太道典次郎である。
 それを見越したかのように、ニヤリと笑う暮石六庵。
「平山師は玄米と味噌しか口にされなんだが、頑強そのものじゃったな。まぁ、居間の押し入れに四斗樽を置いて冷酒を呑んでおられたので、中風にはなったがのう」
 亡き師を回想しているのか、六庵の口元がわずかに緩んでいた。

「わしも師のマネをして、玄米を食しだしてからは、江戸患いが治ったでな。以来、江戸患いには強飯を勧めておる。遠慮のう喰うてくれ」
 半信半疑で玄米を口にする鳥越と大道の二人であった。
 白米を食い慣れた二人には、やや勝手が違うようで、表情が硬い。
「なかなか堅くて……モグモグ……アゴが疲れますな」
「慌てず、ゆっ…くりと噛みしめることじゃ。さすれば、少量でも満腹になるぞ」
「あ……れ? この強飯は、ちと味が違いませんか?」
「ほぉ気がついたか。これは芽を出した玄米じゃ」

 六庵、おけの中の微温湯ぬるまゆに、ザルで湿しめした玄米を、二人に見せた。
阿蘭陀オランダでは麦に芽を出させたもので、酒を作るんだそうじゃ」
「わざわざ芽を……ですか? 水飴でも作るようですなぁ」と典次郎。
 芽が出た大麦は、蓄えた澱粉質がβアミラーゼという酵素が分解し、糖化する。
 これを用いて飴を作る。
 砂糖や蜂蜜ほどの甘さはないが、甘すぎないほどの良さを、愛する人も多い。
 この男、甘味が好きなようである。太っているのは、理由があるのだ。
「うむ、芽が出ていないと、上手く酒にならんらしい」
「それで暮石殿も米で試されたと?」
「うむ、ただの強飯より味も良く、調子もすこぶる快適じゃ。この漬物も、わしなりに工夫した糠漬けじゃ」

「しかし、なかなか歯応えが……」
 ゆっくり、楽しむように米を噛みしめる六庵に比して、裕之進はいやいや噛んでいるのがわかる。
「玄米一膳でを上げては、モノにはならぬぞ」
 その言葉に、反応したのは典次郎であった。
「この玄米を食いきれば、弟子にして頂けますか!?」
「さようなことは申しておらん。それにもう弟子を取る身ではないからのう」と苦笑の六庵。
 ションボリとなる典次郎。
「そう……ですよね。拙者らのような惰弱な者は、教えるだけ無駄」
「仕方ないから明日は銭を渡して、あいつらに勘弁してもらおう」
「うむ……それともいっそ、武士らしく腹を───」
 二人の気落ちぶりに、困り顔の六庵である。
 弟子にしろと、脅してるも同然である。
「弟子にする気はない──が、誰でも出来る武技を一手、指南して進ぜようかのう。飯を食い終わったら、四半刻ほど身体を休めてから、の」
 その言葉に、途端に表情が明るくなる典次郎であった。
「お願いいたしますッ!」


   四

 暮石六庵の道場は、土俵を兼ねる。
 直径は十四尺、三十畳敷きほどの狭いものであった。
 はかまを着けた六庵、その前に立つ太道典次郎と鳥呉江裕之進。
「先ほどワシが使った技、覚えておるかの?」
先の場面を必死に思い出す大道。回想シーン挿入。
「着物の袖を掴んだら、いつの間にか古久保が悲鳴を上げていました」
「なぜそうなったかは、拙者にはわかりませぬが」
「論より証拠じゃ、掛けられればわかる」
 六庵に促され、典次郎は袖を掴む。
 あのときと同じように、六庵が弧を描いて手を回すと、典次郎の肘と肩が極まってしまい、悲鳴を上げる。
「いだだだだだだッ!」
「そんな技が痛いのか?」
 半信半疑の裕之進に、同じく左袖の肩口を掴ませる六庵。
「おまえさんも、ほれ」
「いだだだだだだッ!」
大道とまったく同じようにジタバタする裕之進である。

 六案は技を解き、解説に入る。
「仕組みは簡単じゃよ。捕まれた相手の手を中心に」
「弧を描いて相手の肩の後ろに、手を持ってくる──咄嗟の動きに相手は、掴んだ手を思わず強く握るので、水が流れるごとく……」
 典次郎の二の腕にそっと手を添えるように差す六庵。
「相手の手首を己の脇に軽く挟みつつ、こちらは相手の脇の下に手を差し込むと……」
「いだだだだだだっ!」
「肘と肩の関節が極まってしまう」
 原理が解った典次郎は、感動した表情になっている。
「す、凄い」
「ホッホッホ、技を知らぬ相手には、簡単に極まる技じゃ。互いに掛けてみるがよい」
 六庵に促され、二人で技を掛け合う。
「えーっと……こっちに外回して……アレ?」
 六庵の型とは、似てもにつかぬ形になってしまうのは御愛嬌。
「焦るな、回す方向が逆じゃ。技の細部をひとつひとつ確かめるように、ゆっくりで良いぞ」
「そうかそうか……こっちの方向に回して、脇に差し込んで…どうだ?」
「あだだだッ! 手加減しろ典次郎!」
 肘を極められて、裕之進は本気で文句を口にしてきた。
「そんなに力は入れておらんぞ?」

 
「柔の技は非力な者でも正しく使えば、相手を屈服できるのじゃ。だから、稽古では取りの者は受けの者に怪我させぬよう、丁寧にゆっくりとやるのじゃ」
 六庵は、何度でも模範を見せてくれる。
 教え方が、辛抱強いのだ。
「心正しからざる者が使えば、ただの殺人術じゃ。それではお主らから銭を巻き上げた、あのならず者と同じじゃ。血気にはやり相手に大怪我を追わせたら、一生負い目を持つことになる。孫子にいわく、〝百戦百勝は善の善なるものにあらざるなり。 戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり〟じゃな」
「はい!」
 元気よく答える二人であった。
 それから六庵は、二人に四股の踏み方と、木刀の素振りを教えてくれた。
 五尺を少し超える、長くて太い素振り用の木刀は三貫もあり、裕之進には持つだけで手が震えた。
 その木刀を六庵は、いきなり五百回振ってみせた。
 これを、朝昼夜と三回やるのが日課と言う。
 この小柄な老人の、底知れぬ実力の一端を見て、典次郎と裕之進は心底驚いた。

 わずかに浮いた汗を、手拭いに吸わせて六庵は、不意に言った。
「蘭学を学びに来るなら、養生法や護身の術もついでに教えるかのう」
 その言葉に、顔を見合わせニンマリする典次郎と裕之進だった。
「「お願い致しますッ!」」
 大きな声で頭を下げる二人。
 これが暮石六庵と、太道典次郎と鳥呉江裕之進の、出会いであった───。




『医食武同源』第一話/終わり
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