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第参話/三方一両損・承章
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一
「ちょうどこれから、お葉姉ちゃんのところに行こうと思ってたんだ」
「あら仙ちゃん、なんか用だったの?」
お葉の問いかけに仙太、新八を気にしてか言いにくそうである。
そのことに気付いたお葉は、助け船を出す。
「あ、この人は大丈夫。ただの売れない噺家だから」
「売れないだけ余計だっての」
「ひょっとして、お葉姉ちゃんのいい人?」
お葉、とたんに嬉しそうに照れて首をフリフリ。
「いい人だなんてぇ~仙ちゃん。ただの幼馴染みよぉ。ねえ、新八さん?」
「おう正真正銘、混じりっけなしの、ただの幼馴染みだ」
新八の言葉にお葉、「この莫迦ッ!」と、左頬をおもいっきり張った。
思いの外強烈な一撃に、再び新八の鼻血がツツー。
「今日はこんなんばっか……もうイヤッ」
二人のじゃれ合いに呆れたのか、仙太は用件を切り出した。
「実はお葉姉ちゃんに、手紙を書いてもらいてぇんだ」
「手紙? どんな?」
「──秘密は知ってる。ばらされたくなかったら、妙見神社の狛犬のところに一両おいておけ───ってやつ」
意外な内容に戸惑いながら、お葉はチラリと新八を見ながら、仙太の真意を確認した。
「手紙っていうより、なんだか脅迫の文みたいねぇ……」
「捕物ごっこで使うから、それでいいんだよ」
「あ、そうなんだ。男の子って捕物とか御白州の御奉行様とか、大好きだものねぇ。講談や落語にも、大岡政談の演目あったわよねぇ」
「そうそう、それだよ」
「なんなら俺が、書いたやろうか…仙太よ?」
横から急に口を挟んだ新八に、仙太は怪訝な表情である。
「兄ちゃんが? そりゃ男の字の方が都合がいいけど…」
「この人、こうみえて達筆よぉ~。なにしろ勘亭流を嗜むんだから」
「おうよ。お陰で、近頃は寄席のビラも頼まれてよ。おかげで寄席の上がりより、そっちの稼ぎが良いぐれぇだよ」
寄席では、独自の書体の文字が使われる。現代では寄席文字と呼ばれる、その一種独特の文字は、神田豊島町藁店に住まう紺屋の職人・栄次郎が、それまで歌舞伎で用いられていた勘亭流の書体に、提灯や半纏などに使われてきた字体とを折衷して、編み出したとされる。
このため、江戸ではビラ字と呼んでいた。
「ほんと、剣術も書も三味線も、いろいろと器用なのにねぇ。なぁんで一番苦手な落語を、商売に選んじゃったのやら」
「うるせぇうるせぇ、うるせぇっての! 俺ぁ蛾蝶師匠の落語に惚れたんだよ」
「それじゃあ、お願いします。おいら、おっかあが心配だから」
ペコリと頭を下げて、去っていく仙太。
その仙太を見送りながら新八は、お葉に尋ねた。
「ところであいつ、どこの子だい? えらく利発だな」
「丸源長屋の、お楽さんの一人息子。母一人子一人でね。お楽さんの方はもう、ずいぶん長いこと臥せってるんだけど、あの子が看病に稼ぎにって、頑張ってるのよ。ほんと、あんな息子を持ちたいって、評判よ」
「そんなに忙しいのに、捕物ごっこ……ねぇ」
歩き去る仙太の後ろ姿を、じっと見つめる新八であった。
「男の字の方が都合がいい…か」
「ん? 何か言った?」
その言葉は、お葉には届かなかった。
二
ここは鉢須賀家の江戸屋敷。
静かに書物を読んでいる、藩主蜂須賀主水である。
文人大名として知られ、貧乏藩の殖産興業に余念がない。
家督を継いで八年、まだ四十少しである。
そこへ江戸家老の酒田又右衛門が、うろたえて入ってきた。
「殿、かようなものが、庭に投げ込まれておりました」
石をくるんでクシャクシャになった紙を、酒田は主水へ渡す。
その紙を受け取り、読む鉢須賀公。
そこには『秘密は知っている。ばらされたくなかったら、妙見神社の狛犬のところに一両おいておけ』と墨痕淋漓。
「ひょっとして、あのことが漏れたのでは……」
「あのことを知っての強請りならば、一両とは少々額が低すぎぬか? 我が藩の貧乏は、そこまで知られておるのかのう」
自虐的につぶやく藩主である。
「しかしこのまま、放置しておくわけにも……」
「良きに計らえ。……ただし、手荒なマネはせぬようにな」
「はっ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
月明りに浮かびあがる、妙見神社を守るように両脇に立つ狛犬。
正確には、神社に向かって右に配置され、口を開いているのが阿行の獅子であり、向かって左に配置され、口を閉じている吽行が狛犬である。
狛犬には時に、角が生えている。獅子が実在のライオンを描いてるのに対し、狛犬は一種の神獣である。
また、インドの古代サンスクリット語では、阿が最初の文字で吽が最後である。
物事の始まりと終わりを意味する。
東大寺南大門の金剛力士像もまた、阿と吽で一対である。
その狛犬の足下にスッと伸びてくる子どもの手。
それををパッと掴み、ねじ上げる大人の手。
「痛ッ」と声を上げる仙太。
「なんと。子供であったか」と驚く手下の侍。
「はなせー、はなしやがれ」と叫ぶ仙太に、酒田又右衛門が問いただした。
「小僧、おまえだな、あの書き付けを投げ入れたのは?」
ぷいと、ソッポをむく仙太。
「我が藩の秘密とはなんだ?」
「…………ふん」
「正直に言わぬと子供といえども容赦せんぞ!」
手下の侍が仙太の腕を背中にまわし、ギリギリと締めあげる。
「イテテテッ」
「申せ、申さぬか!」
仙太の香を見ていた侍の一人が、急に声を上げた。
「この者は先日、門番にくってかかっていた小僧です。殿様に会わせろと騒いで、門番にうるさいぞ小僧、いきなり現れた町人ごときが殿会わせろなどと図々しいわと、突き飛ばされておりました」
仙太。
「ちっくしょう~、覚えていやがったか!」
三
……と突如、酒田の背後からスーッと現れた煙管が、鼻先に突き付けられて。
「む?」
そのまま鼻っ柱をペシッと打つ。
「うぎゃん!」
「ご、御家老! 何やつ!?」
「餓鬼を相手に侍が、ちと大人気ねぇぞ?」
スッと浮かび上がるは着流し姿の新八。
「不覚。仲間がいたか。いや、お主が黒幕か?」
「こいつは真鍮流しの喧嘩煙管でな。加えて俺ぁ直心影流じゃあ、ちっとは知られた者だ。喉元くれぇ、軽く突き破るぜ」
それは煙管と呼ぶには、あまりに無骨すぎた。
大きく、太く、長く、さらに角張りすぎた。
まさにに鉄の棒であった。
親指よりも太い六角形の羅宇部分は、真鍮流し。
殴ったとき、六角形のほうが力が集中して破壊力が増す。
吸口と雁首の根本には、霰棒のようなイボまでついている。
「その子を放しな! でねぇと御家老様が喉からじかに煙草吸うことになるぜ」
ほとんど寝かせるような、直心影流独特の八相の構えで、新八は部下の侍たちが動くより先に、家老に一撃を喰らわせる姿勢である。
「い…言うとおりにしろ」
新八の並外れた太い声と気迫に、渋々と仙太を放す手下たちであった。
素早く新八の背後に隠れる仙太。安全な場所を知ってるのだ。
「おら、御家老様のお帰りだ…よっと!」
ドンと酒田の尻を蹴り上げ、手下の元に押しやる新八。
押されてフラフラと二三歩よろけ、転がる酒田。
「町人風情が御家老を足蹴に? ゆ、許せん!」
怒りに燃えて、刀を抜く手下の侍たち。
藩の手練れを揃えたのか、眼光鋭く構えには力みがない。
「上等だぁ、お江戸名物の尺半の喧嘩煙管をドタマに受けて、田舎で自慢しな浅葱裏めい!」
浅黄裏とは、地方武士が愛用した、丈夫な木綿のことである。
江戸では流行遅れとなり、田舎者を蔑むときに使われた。
新八が喧嘩煙管を一振りすると、一尺ほどだった全長はシュルリと伸びて、一尺半を超えるほどに。
こうなると、十手とそう変わらない。
いや、十手より遥かに太く、実戦用である。
先頭の侍が斬りかかると、新八は右前足の拇指球を軸にクルリと身をかわし、相手の刀身の鍔元を、峰側からガツンと一撃。
それだけで、ポッキリと折れてしまった。
「そこは刀の急所だ、業物でも当たりどころが悪いと、ポッキリと逝く。次に折られたいのは、どいつだ?」
「ぬぬ、舐めおって」
「やめろ!」
「しかし…御家老」
「この者の腕、並みではない。勝てぬわけではないが、長引いて人が来てはまずい、一先ずは引くのだ」
舌打ちしつつも刀をおさめ、家老の酒田とともに逃げていく。
四
伏兵がいないことを確認し、新八は中段に構えた喧嘩煙管を収め、ふぅと息をつく。
「助かったぜ」
いくら新八が使い手とはいえ、三人掛かりで来られれば、無傷ではすまない。
半分ハッタリで脅しての駆け引き、なんとか切り抜けて、安堵の溜息であった。
「おい坊主、なんだってこんな、危ない橋を渡った? 母親の薬湯代欲しさか?」
「──違わい」
「侍相手に強請りをかけちゃ、殺されても文句は言えねぇんだぞ? 俺が案じて跡をつけてなきゃ、おまえは今頃……」
「関係ないだろ!」と、言い捨て駆けだしていく仙太。
「ちょっと待てって……ああ、逃げ足だけは素早いな」と嘆く新八だったが。
最初から、追いかける気はなさそうであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「仙ちゃんが強請りを!」
「莫迦ッ、声がでかいぜ、お葉」
「あ、ごめ~ん」
新八にたしなめられて、あっさり謝るお葉である。
こういうところは、さっぱりしている。
ここは茶屋。
萬葉亭蛾蝶師の高座を控え、先に前座として楽屋入りする新八が、お葉を呼び出したのである。
「仙太の様子か怪しいんで、妙見神社ではってたら案の定だ」
「でもなんで? 仙ちゃんってば悪戯でそんなことをする子じゃないし」
「おおかた母親の薬代ほしさだろうよ。親孝行じゃねぇか、泣かせるじゃねぇか」
真八の母もまた、長く患っていた。
そのため、兄の新七郎にはなかなか、嫁のきてがなかった。
もっとも、新七郎の方も、病の両親の面倒を見させるために、嫁を取る気もなかったのだが。そういうところは、無骨で不器用な兄であった。
「感心してる場合じゃないわよ。仙ちゃんと新八さんの面が割れちゃってるんでしょ? 大丈夫なの?」
「大丈夫じゃねぇが、むこうはわざわざ家老が出ばってきてたんだ。相当の根多で強請られてるに違ぇねぇ。下手に騒げねぇから、夜道だけ気をつけるさ」
新八は茶をすすると、ぽそぽそと語った。
どこの藩かは解らぬが、手練の技量もわかっている。
昼の日中に多人数で、襲うようなマネはすまいと、見切っている感じである。
こういうところは、肚が座っているというか、豪胆である。
「いったい何の根多で脅したのかな?」
「そいつは解らねぇ。たぶん仙太はもう一度、おまえに書き付けを頼みにくるだろうから。そん時ぁ応じる振りをして、すぐに知らせてくれ。今日はさらくちだが、いつもみたいに穴が開くだろうから」
『さらくち』とは、寄席で一番最初に上がる芸人を指す。大概が前座である。
その日、トリを取る師匠の弟子のことが多い。
ちなみに、休憩の仲入りのすぐ後に、高座に上がる芸人を『くいつき』と呼ぶ。
客が休憩時間に弁当やお菓子を召す時に 上がるので、食いつき。客席が落ち着かないのでやりにくく、腕の良い若手噺家が勤める。
トリのすぐ前に出る芸人を『膝替り』と呼ぶ。
目立ってはいけないが、かと言って場を冷やしてもいけない。
時間を見ながら話を調整できる、腕のあるベテランが務めることが多い。
立て前座として、新八はずっと楽屋仕事である。
「へい、合点承知!」
「真似するんじゃねえや」
おどけるお葉に、仏頂面の新八であった。
「ちょうどこれから、お葉姉ちゃんのところに行こうと思ってたんだ」
「あら仙ちゃん、なんか用だったの?」
お葉の問いかけに仙太、新八を気にしてか言いにくそうである。
そのことに気付いたお葉は、助け船を出す。
「あ、この人は大丈夫。ただの売れない噺家だから」
「売れないだけ余計だっての」
「ひょっとして、お葉姉ちゃんのいい人?」
お葉、とたんに嬉しそうに照れて首をフリフリ。
「いい人だなんてぇ~仙ちゃん。ただの幼馴染みよぉ。ねえ、新八さん?」
「おう正真正銘、混じりっけなしの、ただの幼馴染みだ」
新八の言葉にお葉、「この莫迦ッ!」と、左頬をおもいっきり張った。
思いの外強烈な一撃に、再び新八の鼻血がツツー。
「今日はこんなんばっか……もうイヤッ」
二人のじゃれ合いに呆れたのか、仙太は用件を切り出した。
「実はお葉姉ちゃんに、手紙を書いてもらいてぇんだ」
「手紙? どんな?」
「──秘密は知ってる。ばらされたくなかったら、妙見神社の狛犬のところに一両おいておけ───ってやつ」
意外な内容に戸惑いながら、お葉はチラリと新八を見ながら、仙太の真意を確認した。
「手紙っていうより、なんだか脅迫の文みたいねぇ……」
「捕物ごっこで使うから、それでいいんだよ」
「あ、そうなんだ。男の子って捕物とか御白州の御奉行様とか、大好きだものねぇ。講談や落語にも、大岡政談の演目あったわよねぇ」
「そうそう、それだよ」
「なんなら俺が、書いたやろうか…仙太よ?」
横から急に口を挟んだ新八に、仙太は怪訝な表情である。
「兄ちゃんが? そりゃ男の字の方が都合がいいけど…」
「この人、こうみえて達筆よぉ~。なにしろ勘亭流を嗜むんだから」
「おうよ。お陰で、近頃は寄席のビラも頼まれてよ。おかげで寄席の上がりより、そっちの稼ぎが良いぐれぇだよ」
寄席では、独自の書体の文字が使われる。現代では寄席文字と呼ばれる、その一種独特の文字は、神田豊島町藁店に住まう紺屋の職人・栄次郎が、それまで歌舞伎で用いられていた勘亭流の書体に、提灯や半纏などに使われてきた字体とを折衷して、編み出したとされる。
このため、江戸ではビラ字と呼んでいた。
「ほんと、剣術も書も三味線も、いろいろと器用なのにねぇ。なぁんで一番苦手な落語を、商売に選んじゃったのやら」
「うるせぇうるせぇ、うるせぇっての! 俺ぁ蛾蝶師匠の落語に惚れたんだよ」
「それじゃあ、お願いします。おいら、おっかあが心配だから」
ペコリと頭を下げて、去っていく仙太。
その仙太を見送りながら新八は、お葉に尋ねた。
「ところであいつ、どこの子だい? えらく利発だな」
「丸源長屋の、お楽さんの一人息子。母一人子一人でね。お楽さんの方はもう、ずいぶん長いこと臥せってるんだけど、あの子が看病に稼ぎにって、頑張ってるのよ。ほんと、あんな息子を持ちたいって、評判よ」
「そんなに忙しいのに、捕物ごっこ……ねぇ」
歩き去る仙太の後ろ姿を、じっと見つめる新八であった。
「男の字の方が都合がいい…か」
「ん? 何か言った?」
その言葉は、お葉には届かなかった。
二
ここは鉢須賀家の江戸屋敷。
静かに書物を読んでいる、藩主蜂須賀主水である。
文人大名として知られ、貧乏藩の殖産興業に余念がない。
家督を継いで八年、まだ四十少しである。
そこへ江戸家老の酒田又右衛門が、うろたえて入ってきた。
「殿、かようなものが、庭に投げ込まれておりました」
石をくるんでクシャクシャになった紙を、酒田は主水へ渡す。
その紙を受け取り、読む鉢須賀公。
そこには『秘密は知っている。ばらされたくなかったら、妙見神社の狛犬のところに一両おいておけ』と墨痕淋漓。
「ひょっとして、あのことが漏れたのでは……」
「あのことを知っての強請りならば、一両とは少々額が低すぎぬか? 我が藩の貧乏は、そこまで知られておるのかのう」
自虐的につぶやく藩主である。
「しかしこのまま、放置しておくわけにも……」
「良きに計らえ。……ただし、手荒なマネはせぬようにな」
「はっ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
月明りに浮かびあがる、妙見神社を守るように両脇に立つ狛犬。
正確には、神社に向かって右に配置され、口を開いているのが阿行の獅子であり、向かって左に配置され、口を閉じている吽行が狛犬である。
狛犬には時に、角が生えている。獅子が実在のライオンを描いてるのに対し、狛犬は一種の神獣である。
また、インドの古代サンスクリット語では、阿が最初の文字で吽が最後である。
物事の始まりと終わりを意味する。
東大寺南大門の金剛力士像もまた、阿と吽で一対である。
その狛犬の足下にスッと伸びてくる子どもの手。
それををパッと掴み、ねじ上げる大人の手。
「痛ッ」と声を上げる仙太。
「なんと。子供であったか」と驚く手下の侍。
「はなせー、はなしやがれ」と叫ぶ仙太に、酒田又右衛門が問いただした。
「小僧、おまえだな、あの書き付けを投げ入れたのは?」
ぷいと、ソッポをむく仙太。
「我が藩の秘密とはなんだ?」
「…………ふん」
「正直に言わぬと子供といえども容赦せんぞ!」
手下の侍が仙太の腕を背中にまわし、ギリギリと締めあげる。
「イテテテッ」
「申せ、申さぬか!」
仙太の香を見ていた侍の一人が、急に声を上げた。
「この者は先日、門番にくってかかっていた小僧です。殿様に会わせろと騒いで、門番にうるさいぞ小僧、いきなり現れた町人ごときが殿会わせろなどと図々しいわと、突き飛ばされておりました」
仙太。
「ちっくしょう~、覚えていやがったか!」
三
……と突如、酒田の背後からスーッと現れた煙管が、鼻先に突き付けられて。
「む?」
そのまま鼻っ柱をペシッと打つ。
「うぎゃん!」
「ご、御家老! 何やつ!?」
「餓鬼を相手に侍が、ちと大人気ねぇぞ?」
スッと浮かび上がるは着流し姿の新八。
「不覚。仲間がいたか。いや、お主が黒幕か?」
「こいつは真鍮流しの喧嘩煙管でな。加えて俺ぁ直心影流じゃあ、ちっとは知られた者だ。喉元くれぇ、軽く突き破るぜ」
それは煙管と呼ぶには、あまりに無骨すぎた。
大きく、太く、長く、さらに角張りすぎた。
まさにに鉄の棒であった。
親指よりも太い六角形の羅宇部分は、真鍮流し。
殴ったとき、六角形のほうが力が集中して破壊力が増す。
吸口と雁首の根本には、霰棒のようなイボまでついている。
「その子を放しな! でねぇと御家老様が喉からじかに煙草吸うことになるぜ」
ほとんど寝かせるような、直心影流独特の八相の構えで、新八は部下の侍たちが動くより先に、家老に一撃を喰らわせる姿勢である。
「い…言うとおりにしろ」
新八の並外れた太い声と気迫に、渋々と仙太を放す手下たちであった。
素早く新八の背後に隠れる仙太。安全な場所を知ってるのだ。
「おら、御家老様のお帰りだ…よっと!」
ドンと酒田の尻を蹴り上げ、手下の元に押しやる新八。
押されてフラフラと二三歩よろけ、転がる酒田。
「町人風情が御家老を足蹴に? ゆ、許せん!」
怒りに燃えて、刀を抜く手下の侍たち。
藩の手練れを揃えたのか、眼光鋭く構えには力みがない。
「上等だぁ、お江戸名物の尺半の喧嘩煙管をドタマに受けて、田舎で自慢しな浅葱裏めい!」
浅黄裏とは、地方武士が愛用した、丈夫な木綿のことである。
江戸では流行遅れとなり、田舎者を蔑むときに使われた。
新八が喧嘩煙管を一振りすると、一尺ほどだった全長はシュルリと伸びて、一尺半を超えるほどに。
こうなると、十手とそう変わらない。
いや、十手より遥かに太く、実戦用である。
先頭の侍が斬りかかると、新八は右前足の拇指球を軸にクルリと身をかわし、相手の刀身の鍔元を、峰側からガツンと一撃。
それだけで、ポッキリと折れてしまった。
「そこは刀の急所だ、業物でも当たりどころが悪いと、ポッキリと逝く。次に折られたいのは、どいつだ?」
「ぬぬ、舐めおって」
「やめろ!」
「しかし…御家老」
「この者の腕、並みではない。勝てぬわけではないが、長引いて人が来てはまずい、一先ずは引くのだ」
舌打ちしつつも刀をおさめ、家老の酒田とともに逃げていく。
四
伏兵がいないことを確認し、新八は中段に構えた喧嘩煙管を収め、ふぅと息をつく。
「助かったぜ」
いくら新八が使い手とはいえ、三人掛かりで来られれば、無傷ではすまない。
半分ハッタリで脅しての駆け引き、なんとか切り抜けて、安堵の溜息であった。
「おい坊主、なんだってこんな、危ない橋を渡った? 母親の薬湯代欲しさか?」
「──違わい」
「侍相手に強請りをかけちゃ、殺されても文句は言えねぇんだぞ? 俺が案じて跡をつけてなきゃ、おまえは今頃……」
「関係ないだろ!」と、言い捨て駆けだしていく仙太。
「ちょっと待てって……ああ、逃げ足だけは素早いな」と嘆く新八だったが。
最初から、追いかける気はなさそうであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「仙ちゃんが強請りを!」
「莫迦ッ、声がでかいぜ、お葉」
「あ、ごめ~ん」
新八にたしなめられて、あっさり謝るお葉である。
こういうところは、さっぱりしている。
ここは茶屋。
萬葉亭蛾蝶師の高座を控え、先に前座として楽屋入りする新八が、お葉を呼び出したのである。
「仙太の様子か怪しいんで、妙見神社ではってたら案の定だ」
「でもなんで? 仙ちゃんってば悪戯でそんなことをする子じゃないし」
「おおかた母親の薬代ほしさだろうよ。親孝行じゃねぇか、泣かせるじゃねぇか」
真八の母もまた、長く患っていた。
そのため、兄の新七郎にはなかなか、嫁のきてがなかった。
もっとも、新七郎の方も、病の両親の面倒を見させるために、嫁を取る気もなかったのだが。そういうところは、無骨で不器用な兄であった。
「感心してる場合じゃないわよ。仙ちゃんと新八さんの面が割れちゃってるんでしょ? 大丈夫なの?」
「大丈夫じゃねぇが、むこうはわざわざ家老が出ばってきてたんだ。相当の根多で強請られてるに違ぇねぇ。下手に騒げねぇから、夜道だけ気をつけるさ」
新八は茶をすすると、ぽそぽそと語った。
どこの藩かは解らぬが、手練の技量もわかっている。
昼の日中に多人数で、襲うようなマネはすまいと、見切っている感じである。
こういうところは、肚が座っているというか、豪胆である。
「いったい何の根多で脅したのかな?」
「そいつは解らねぇ。たぶん仙太はもう一度、おまえに書き付けを頼みにくるだろうから。そん時ぁ応じる振りをして、すぐに知らせてくれ。今日はさらくちだが、いつもみたいに穴が開くだろうから」
『さらくち』とは、寄席で一番最初に上がる芸人を指す。大概が前座である。
その日、トリを取る師匠の弟子のことが多い。
ちなみに、休憩の仲入りのすぐ後に、高座に上がる芸人を『くいつき』と呼ぶ。
客が休憩時間に弁当やお菓子を召す時に 上がるので、食いつき。客席が落ち着かないのでやりにくく、腕の良い若手噺家が勤める。
トリのすぐ前に出る芸人を『膝替り』と呼ぶ。
目立ってはいけないが、かと言って場を冷やしてもいけない。
時間を見ながら話を調整できる、腕のあるベテランが務めることが多い。
立て前座として、新八はずっと楽屋仕事である。
「へい、合点承知!」
「真似するんじゃねえや」
おどけるお葉に、仏頂面の新八であった。
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