酔いどれ右蝶捕物噺

篁千夏

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第弐話/へっつい幽霊・結章

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   一

「これにて一件落着!」
 焼けたナメクジ長屋で、新八が呟いた。
 だが、頭をポリポリかきかがら新八、浮かぬ顔である。
「───のはずなんだがなぁ」
 何かが、引っかかっている。
 亡父から、同心は勘を磨けと、しつこく言われていたからでもある。
 理詰めで考えて、なおも自分の考えに自身が持てぬなら、その勘に従うべきである、と。
 武士の身分を捨て、噺家になってもなお、その習い性は抜けないのである。

「……ん?」
 振り向くと花を持った娘が、新八の背後に立っていた。
「お花をそこに手向けとうて……よろしおますか?」
「ああ、ひょっとして、大河屋さん所縁ゆかりの方ですかい? この度は、ご愁傷さまでした」
 ペコリと頭を下げる新八に、娘もニコリと微笑む。
 年の頃は二十歳そこそこ、上方訛かみがたなまりが、可愛らしい。
 若い娘の方言は、なんとも言えない風情があると、新八が思ったのは。落語の演目に、上方由来のものや方言を扱った内容が多いからである。最近、師匠の蛾蝶から、上方訛りを扱った演目『金明竹』の稽古を受けてるからというのもある。
「ここで死んだ大河屋の娘です」
「大河屋さんの…ええ、どうぞどうぞ」
 新八は、義姉のお花から聞いた話を、思い出していた。

 妾の死体から赤ん坊が生まれたらしい
 その時生まれたのは女の子
 名は加代

 不憫な子だと、つい新八の表情も曇る。
 そんな新八の気持ちも知らず、娘は精一杯の愛想笑いを浮かべている。
「うち、大河屋の一人娘ですぅ。お母はんのように婿を取って、身代継いでます」
 上方では、ドラ息子が家を継ぐと身代を潰すというので、娘に有能な番頭を婿としてめあわせ、家を継がせることが多い。
 現代でいう、資本と経営の分離である。
 ドラ息子はドラ息子で、養子に出して他家との縁を繋ぐ役を担う。
 よくできた仕組みである。

「確か、名はお加代さんでしたっけ。上方には戻られるんで?」
 しかし、娘はキョトンとした顔をして、意外な言葉を口にした。
「は? うち、お市と申しまんにゃが……」
「だって、大河屋さんはお加代って赤ん坊を連れて、上方に帰ったって…」
「何かの間違いやおまへんか。ウチは生まれも育ちも上方で、改名はしておりませんって」

 新八は混乱していた。
 どういうことだ。
 お花義姉さんの勘違いか?
 それとも奉行所の調べが甘かったのか?
 俺は何かを見落としてた?
 頭を下げて立ち去る大河屋の娘──お市の後ろ姿をぼんやり見つめて、新八は呟いた。
「こりゃあ、一からやり直しだ」

   二

「なぁ新九郎、おまえ……幽霊を信じるか?」
 新八の問いかけに、キョトンとした顔で答える弟である。
 ここは新九郎の養子先の家の、すぐ近くの蕎麦屋である。
 本来なら新八が、養子として迎えられる予定の家であったが、直前に家を飛び出して勘当された。
 弟の新九郎が養子に迎えられ、養父母とも上手くいっている。
 なので、家に押しかけるのは気が引ける。

 立ち話も何だと、担ぎ屋台の蕎麦を、変わっぺりに腰掛けてすすっている。
 貧乏な兄に、蕎麦を奢ってやるのもまた、新九郎の優しさでもある。
 小腹がすいたねと、自分から誘うが、払いは
「幽霊なんて、何かの勘違いだよ。昔から言うだろう? 幽霊の正体見たり枯れ尾花、ってさ」
「枯れ尾花って、ススキのことだよな。お岩さんの手のように、手のひらを下に向けるのを陰の手といってな、精気がねぇことの象徴なんだとよ。
「なるほどね、喧嘩を収めるときにも掌を下に向けて、まぁまぁってやるよね」
「うちの師匠は、怪談噺の名人だろ? 噺の枕でも、そういう蘊蓄が多くてな。つい覚えちまう」
「あの師匠、顔が怖いからねぇ。あれで人情噺をやられても、ちょっと気が逸れるよね」
 いかつい蛾蝶の顔を思い浮かべ、ふたりとも苦笑した。
 
「病気だっていっしょさ。昔は何かというと、祟りだの因果だのと語りたがるが、唐土もろこしの孔子様も怪力乱神を語らずと、おっしゃってるしね。何かと理屈をつけるより、解らないことは解らないと、素直に言うのが大事さ」
「蘭方医ってのは、そうやって理詰めで考えるんだなぁ。だが俺ぁ、この目で見たんだぜ? 障子や壁にポワ~ン…って影が映ったり」
「う~ん、何か仕掛けをして幽霊に見せかけたんじゃないのかなぁ? 幻燈を使えば簡単だし」
「幻燈?」
「走馬灯みたいなモンさ。上方じゃ錦影絵と呼ぶね。模様をかたどった薄紙に、光を当てて影を映すやつさ」
 日本には元々、影絵や写し絵の文化があったので、。
 今日こんにち見る幻燈は、西洋から渡来したマジック・ランタンが明治期に融合し、出来上がったものだが。
 写し絵の文化は昔からある。マジック・ランタンはパリを中心に、19世紀の欧州で爆発的に流行し、その原理は新九郎も翻訳書から知っていた。

「でもその影は喋ったんだよ。幻燈とやらは喋べらねぇだろ?」
「長屋の人や、洛坊さんも聞いたんでしょ? そうなると空耳とは言えないなぁ。幽霊の声、聞いてみたいねぇ」
「気持ちいいもんじゃないぞ? くぐもった声で、聞き取りづれぇし」
「それより兄さん幽霊ばっかり追いかけてて、本業の方は大丈夫?」
 新九郎の言葉に、見る見る新八の顔が青ざめていく。
「あ~っ! 稽古行くの忘れてたッ」

   三

柄前つかまえはな、旦那はんがふる鉄刀木たがや言やはって…」
「あら新八さん、落語の稽古?」
 新八が振り向くと、三味線を持って立つ桔梗がいた。
「ええ、『金明竹』を喰ってやして」
「喰う? 何をいただいてるの?」
「ああ、喰うってのは、一人稽古のことでして。落語の符牒ってやつでして、ええ」
 そう言いながら、新八は蛾蝶からの大目玉を思い出していた。

「味噌汁でツラぁ洗って、出直してこいッ! この莫迦野郎が~!」
 烈火の如く禿頭から湯気を立てる蛾蝶に新八、土下座して謝るしかない。
「か…勘弁してください師匠」
「そういう了見だからてめえは、五年近く経っても二つ目になれねぇんだよぉ~」
「師匠、まだ四年目です」
「変わりゃしねぇよ、四捨五入すれば五年だ。わっちなんか二年で二つ目、五年目ぐらいん時は余技として、踊りに浪曲や三味線に、太鼓のひとつもできたもんだ! こうなったら明日までに『金明竹』完璧に仕上げてこなかったら、破門だからなッ」
「そ…それだけは勘弁してくださいッ」

 ───と、言葉はきついが、もう何度目かの破門予告である。
 破門を言い渡すが、遅くて三日、早ければ半日で解ける。
 根は優しい師匠だからこそ、新八のような変わり種の弟子も、入門を許してくれたと言える。
 ある日突然やってきて、弟子入りを直談判してきた武家など、普通は嫌がって断るのに。
「おまえさん、人を笑わすのが好きか?」とだけ聞いた。
「好きです」と新八郎が即答すると、なら今日から住み込みでも通いでも稽古をつけてやると言ってくれた。
 亡き母が言っていた、顔が怖い人は心根は優しいとの言葉を、実感したものだった。

「上方訛りが上手くできなくって……柄前はな、旦那はんが古鉄刀木言やはって、やっぱりありゃ埋れ木じゃそうて、木が違うておりまっさかいな──駄目だ、師匠のようにはいかねぇやトホホ」
「あ、そこ、木を木ィって、ちょっと上げる感じでいうと、もっとそれらしく聞こえますよ」
「木ィが違うておりまっさかいな…こんな感じで?」
「もうちょっと語尾下がりかしら」
「木ィが違うておりまっさかいな…これぐらいで?」
「う~ん、今度は上げすぎ」
「木ィが違うておりまっさかいな…どれがいいですか?」
「一番目と三番目の口調を、たした感じかしら」
「木ィが違うておりまっさかいな……どうです?」
「うん、だいぶ良くなったわ」
 桔梗に褒められ、新八の頬を緩む。
「えへへ」

   四

「あれ、桔梗さん、生まれは大阪ですか?」
 新八は、ふと疑問を口にした。
「え? い、いえ、あたしは上州生まれよ。古くからの知り合いに、上方の人がいるもんだから」
 江戸には各地から人間が流入する、大都会である。
 相州や上州はもちろん、上方からも多くの人間がやってくる。
 徳川家康が江戸に入府したとき、生まれ故郷の三河から、多くの商人もいっしょに連れてきた。
 酒屋や醤油や酢を商う商家を、俗に三河屋と呼ぶのは、そのためである。
 このため、江戸では方言が飛びかう。
 そんな御国訛りも、数年も暮せば自然に抜けていく。
 だが、上方の訛りだけは、何年経っても抜けない人間が多い。
 新八が疑問に思ったのは、そこである。
 だが、あっさり謎は解けた。
 
「そういや桔梗さん、今日は何の帰りで?」
「お三味線を教えに」
「いいなぁ、桔梗さんの粋な三味線が聞けて。ちょっと聞かせてもらえませんか?」
「あら、高いわよ」
「えっ、金とるんですか?」
「冗談よ冗談。新八さんには、幽霊騒ぎでずいぶん助けられたし、なんなら蛾蝶師匠の御座敷に、あたしも呼んでいただきたいぐらいだわ」
 いたずらっぽく笑った桔梗、三味線をひこうとバチを三味線にあてがうと……。
「桔梗さん、その指……」
 その長く白い小指に、膏薬が貼られていたのに気づいた新八だった。
「あ、これ? この前弦が切れて怪我しちゃったの。駄目ねぇ」
「桔梗さん、しっかり者に見えてそそっかしいなぁ。商売道具なんだから、気をつけないと」
「ホントそうね」
 三味線を弾き歌う桔梗。それを見つめる新八。
 心地よい音色とは裏腹に、新八の心に疑念の鎌首がもたげるのを、止められない新八であった。
「まいったなぁ……」



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