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起章■ダイイング・メッセージ
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1
「あんた、何の罪で捕まった?」
土牢に押し込められた囚人の一人が、現実に押しつぶされ呆然としているボクに、声をかけてきた。
どこか人懐っこい顔の、小太りの中年。ボクよりも、3歳ぐらい年上だろうか。太ってるから、巨乳ではある。
不安そうな顔しているから、ボクと同じ小心者なんだろう。ナカーマ! ハイタッチ&グーパンチ、する?
「盗みか? 詐欺か? それとも主人殺しか?」
「それが……分からないんですよ。気を失って、目が覚めたらなぜか騎士達に取り囲まれてて。それで幼女を殺したなって、小突かれて、引きずられて、裁判にかけられて、いきなり7日後に死刑だぞ……って。強いて言えば、罪状は冤罪ですよ」
「えん…ざ……何だそれは? 玉ねぎと一緒に炒めると美味い、あれか?」
「ちょっと何言ってるか、わかんないんですけどォ」
サンドウィッチマンのギャグを、つい口走っちゃった。この人の良さそうなおっちゃんに、八つ当たりしてもしょうがない。スマイル、ス~マイル。チャップリンも言ってるし。
「平たく言えば、やってもいない罪で捕まったってことですよ」
「そりゃ災難だったな。だがいきなり斬り殺されなかっただけでも、あんたマシだよぉ。長槍でズンと一突きもあるでよぉ」
「そう、ですね。ハハハ……」
作り笑顔で答えたボクに、小太りの中年男氏は話しやすいと勘違いしたのか、勝手に自分語りを始めた。ボクそんなに、社交的じゃないんだけどなぁ……。
「おれっちは料理人でなぁ。ここにぶち込まれてもう3日目だよ。さすがにへばってきた」
ヘーヘー。
「女房と娘が一人。女房は評判の美人でな。娘はもう、天使のようにかわいくてなぁ。ほっぺなんか、練った小麦より柔らかくって~」
ホーホー。
それは奥様の遺伝子のおかげでしょうね、100%の確率で。
「ところが、雇い主の商人が、急に死んじまってなぁ。給料もいいし、お優しい方で、働きやすかったんだがなぁ」
ハイハイハイハイ。
ベテラン漫才コンビのボケを、心のなかでボクはつぶやいた。
よかったよかった、とはさすがに言わないけどさ。
昭和のいる・こいるってベテラン漫才コンビ、知ってる? 自分もどっちがどっちか知らん。どっちでもいいや。
でもどっちかがが、富野由悠季監督や井上大輔の、日大芸術学部の同期らしい。
ガンダムに出演しなかったのが不思議だね。3倍のスピードよかったよかった、とか言いそう。
「どうした? おめぇ何をニヤニヤ笑ってる?」
いかん、余計なことを考えてたら、苦笑してたようだ。
集中、シュウチュウ!
「あの、いや、美味しいパン生地を、つい思い出して。お腹が減ってるんですよ、水しか与えないって、判決出されましたし。どうぞ、続けてください」
本当は興味、ないけどね。
2
「そしたらよぉ、雇い主の奥様に、やってねぇ罪で捕らえられちまった」
……ほえ? ほんとに冤罪? 冤罪なのか?
他人の身の上話には興味はないが、冤罪とか犯罪とか聞くと状況も忘れて、つい聞いてみたくなる。そういう話、先にしようよ。
推理小説家としては半ば挫折しているんだけど。つい聞かずにおれない、トリック・ライターとしての悲しい性ってやつだなぁ、まったく。
「おれっちは商人のハドソン様の、お抱え料理人なんだがよぉ。その人が昼食後に庭を散策していたら急に、ばったり倒れて、おっ死んじまったんだぁよ。ほんで、そばにいた奥様がハドソン様が何かを言おうと口をパクパクさせてっから、口元に耳を寄せたら〝やられた……ピーターに〟って言ったそうなんだ」
「つまり、料理人のあなた、お名前はピーターさん?」
「んまぁ、そういうこったな。役人に、食事に何か毒を仕込んだだろうと問い詰められてよォ。おれっちは身に覚えがないといったのに、捕まっちまったんだぁよ」
おいおい、ダイイング・メッセージとは今どき、古典的だねぇ~。エラリー・クイーンかいな。
でも、ここ自体が中世の世界だから、古臭いパターンでも気にならないか。
亡くなったハドソンさん本人がピータさんを名指ししたんだから、疑われるのは仕方ないかな?
しかし、これは……もうちびっと詳しく、聞いてみっか。
「あの、その人──ハドソン氏はどんな状態で、亡くなっていました?」
「血は一滴も出ていねぇよ。急に呻いて、倒れたって庭師が……」
「殴られたり、ナイフで刺されたりした訳ではないんですね。それであなた、ピーターさんが、料理で毒殺したと?」
「旦那様は一人で食事をしたし、給仕を務めたのも、おれっち一人だからなぁ。他の者には、そもそも毒を仕込む機会がねぇ。でもよぉ、御主人殺して、なんの得がある? 優しい主人で、給金だって良かった。もちろん喧嘩なんかしたことねぇぞ。おれっちの料理を、いつも美味い美味いって褒めてくれてよぉ。一生仕えてもいいって、そう思ってたぐれぇなのに」
「その庭師、信用できるんですか?」
「旦那様が、ちんまい頃から仕えている男だぁよ。毒を盛る理由なんて、おれっち以上にねぇよ。先代の旦那様からも、かわいがってもらったぐれぇだ」
ハァ、さいですか。
う~ん、困ったな。その庭師がどんな人物か、この目で確かめることができない以上、ピーターさんの言い分を信じるしかない。推理小説の定跡でいけば、そういうやつが一番疑わしいんだけどねぇ~。
「倒れた旦那様の身体に、いつもと違った点、何かありました?」
「首から胸にかけてこう、赤い痣? 腫れっていうのか? こう…緋色になっててよ。それがあっちこっちに浮いてたなぁ。ほんで奥様はそれを見て、毒殺に違いないって言い出してよぉ」
緋色、緋色、緋色──はて、なんだろう? そんな症状が出る毒物、あったっけ? この世界の毒物なんて、砒素とか鳥兜とか、中世から知られてる単純なモノしかないはずだ。
緋色…ねぇ……かのシャーロック・ホームズ第一作『緋色の研究』でも毒薬が登場してたけど、具体的な名前って、出てたっけ? 思い出せない。出てなかったような。どっちみち、即効性の毒だったし。この事件は、食事に入れたとすれば遅効性の毒。関係ないや。
毒、毒、毒ねぇ………………ん? あ、あああ、あったわ、毒!
3
「アナフィラキシー・ショックだ……」
「はぁ? 尻穴銀河症状だぁ? なぁに言ってんだ、オメェ」
うわぁお、なんだその超絶な聞き間違いは? 計算してちゃ、出て来ない笑いだわ。
素人は怖いね。天然物は養殖物に勝る。
もしボクが元の世界に戻れて、また小説を書く機会に恵まれたらそのギャグ、どっかで使わせてもらいます。パクって悪いか? ギャグに著作権はないのだ。
「蜂に刺されたことがある人が、もう一回刺されたときに、起きる症状があるんですよォ~。それを〝アナフィラキシー・ショック〟って呼ぶんです!」
ボクは思わず、大きな声を出してしまっていた。
なにしろ推理小説を書くときは、最初にトリックと犯人を決めて、そこから逆算して伏線を張るって作り方をしていたからね。
すでに結末が分かっている推理小説は、作り手側としては退屈な部分もある。
だが『料理人ピーターの冤罪毒殺事件(仮題)』は、生まれて初めて読む推理小説みたいなものだ。読者として、面白くないはずがないじゃん。アーニャ、ワクワク。
「蜂の毒ってあんたぁ、お医者かね? そんな話は、初めて聞いたぞ」
「部屋の中に入ってきた蜂に、ハドソン氏は刺されたか。それとも……仕えていた家の人に、地方出身者は? 遠乗りとか郊外に出るのが好きな人は? あるいは蜂蜜が好きな人は?」
「そんな勢い込んでポンポン言われても……ああ、そういえば妹君が甘い物好きで、領地の養蜂家と仲が良かったなぁ」
「それだ!」
「どれだ?」
ナイスなボケ。さすが天然物。
キョロキョロする料理人に、ボクは苦笑を抑えつつ、ゆっくり説明してあげた。純朴な人は、なんかいいな。どっかの小説投稿サイトなら「昭和の時代のギャグで、作者のセンスの古さを感じます」とか書かれるだろうな、確実に。
「雀蜂……は欧州にはいないか。えっと、足長蜂に中年男性が刺されると、死ぬことがあるんです」と身振り手振りで説明を試みるボク。
「あのホッソリした蜂で? おれっちも蜜蜂にゃあ刺されたことはあるが、ちょっと腫れただけで、寝込むことも死ぬようなことも、なかったぞい?」
「う~ん、なんて説明すればいいかな……毒そのものの強さで死ぬんじゃなくて、2回刺されることで身体がビックリしちゃって、心臓が止まっちゃうんですよ」
近代医学どころか、中世の初歩的な医学も知らないであろう料理人に、アナフィラキシー・ショックを説明するのは、まず無理だ。
そう思ったボクは言葉を選んで、ピーターさんが飲み込みやすいであろう説明を、試みたのだった。わかるかな? わかんねぇだろうなぁ。
「おお、そういえば祖母さんの弟が、森で熊に出くわしてよぉ、噛まれたわけでもねぇのに、驚き過ぎて心の臓が止まっちまったって、子守話で聞いたことがあるど」
そうそう、そういうこと。説明としては、今ので充分だろう。
しっかし、ハドソン氏が蜂に刺されて死亡、ねぇ?
ならマリオさんは車で轢死ってか?
苦笑を噛み殺しながら、ボクは次の手を考えていた。
4
「あの、ピーターさんの奥さんか友人に、今言った話を、牢の外の人に伝えること、できませんか?」
「そりゃ難しいなぁ。おれっちは死刑が決まってしまったから、もう会えるのは処刑前日に、懺悔を聞いてもらう、神父様だけだぁよ」
「それだ!」
「どれだ?」
天丼ギャグに天然で乗ってこられると、2度目は笑えないなぁ。
ピーターさんも、ボクを笑わそうなんて気は、毛頭ないだろうけどさ。
「その懺悔のときに、今ボクが話したことを全部、神父に話すんです。そして蜂に刺されて死んだ人間を見たことがある医者を、奥さんにがんばって探してもらう! まずは毒殺の疑いを晴らすのが先決です。で、この土牢から出してもらえたら、時間をかけて真犯人を見つけることだって、できるはずですよ!」
長文を一気に吐き出した。橋田壽賀子センセの脚本ほどじゃないがね。
ちょい疲れた。ピーターさん、理解できたかな?
なんでこんな長文が、スラスラ出てきたかって?
実はある脚本家に頼まれて以前、時代劇でのトリックを考えていたんだよね。
長屋の大工の熊さんが、雀蜂に刺されアナフィラキシー・ショックで死んでしまうってネタ。
だが運悪く、いまわの際に「蜂に刺された」と言おうとして、「はちに……」ってダイイング・メッセージを残してしまった。そんなアイデア。
その結果、仲の悪い植木屋の八っつぁんが、トリカブトの毒を飲ませて殺したと誤解される──そんな小ネタ。
コンペでは単純すぎると、ボツを食らってしまった。
「今時、ダイイング・メッセージですか?」って、飯田橋に新社屋を建てたあの副編集長も、薄ら笑いを浮かべてやがった。うっさいわ。
「足長蜂は英語で……そうだペーパー・ワスプだ!」
「なんだいアンタ、〝足長蜂は言葉で足長蜂だ〟って、そんな大きな声で」
……ん? そういえば、ボクはさっきから普通に日本語でしゃべってるつもりだけど、ピーターさんには英語だかフランス語だかに、変換されて聞こえてるらしい。
つまり、ボクが〝足長蜂〟と言っても〝ペーパー・ワスプ〟と言っても、彼の耳には同じ言葉に翻訳されて伝わってるらしい。
リアル版ほんやくコンニャクだね、どうも。
いったいどういう仕組だろ? こも世界の藤子・F・不二雄先生も、そこまで細かい設定は考えていないだろうけれどさ。
「つまりピーターさんの御主人様は〝足長蜂に刺された〟と言おうとしたのに、息も絶え絶えだったので奥様が〝ピーターにやられた〟って、聞き間違ったんですよ!」
「ペーパー? ピーター? ……ンななななな、なんですとぉ~!」
ピーターさんの人生で、ここまで裏返った声を出したことは、なかっただろう。たぶん。脳天から出る声ってやつだ。なんですとバンプレスト。
ボクの推理の意味が呑み込めて、ピーターさん目がキラキラしてる。
生きる希望って、こんなにも人間を変えちゃうんだなぁ~。コッチも嬉しいというか、誇らしいというか。
うん、電車で妊婦に席を譲ったときより、晴れがましい。
こうして『料理人ピーターの冤罪毒殺事件(仮題)』の、ダイイング・メッセージの謎は解けたのだった。
起章■ダイイング・メッセージ/終
「あんた、何の罪で捕まった?」
土牢に押し込められた囚人の一人が、現実に押しつぶされ呆然としているボクに、声をかけてきた。
どこか人懐っこい顔の、小太りの中年。ボクよりも、3歳ぐらい年上だろうか。太ってるから、巨乳ではある。
不安そうな顔しているから、ボクと同じ小心者なんだろう。ナカーマ! ハイタッチ&グーパンチ、する?
「盗みか? 詐欺か? それとも主人殺しか?」
「それが……分からないんですよ。気を失って、目が覚めたらなぜか騎士達に取り囲まれてて。それで幼女を殺したなって、小突かれて、引きずられて、裁判にかけられて、いきなり7日後に死刑だぞ……って。強いて言えば、罪状は冤罪ですよ」
「えん…ざ……何だそれは? 玉ねぎと一緒に炒めると美味い、あれか?」
「ちょっと何言ってるか、わかんないんですけどォ」
サンドウィッチマンのギャグを、つい口走っちゃった。この人の良さそうなおっちゃんに、八つ当たりしてもしょうがない。スマイル、ス~マイル。チャップリンも言ってるし。
「平たく言えば、やってもいない罪で捕まったってことですよ」
「そりゃ災難だったな。だがいきなり斬り殺されなかっただけでも、あんたマシだよぉ。長槍でズンと一突きもあるでよぉ」
「そう、ですね。ハハハ……」
作り笑顔で答えたボクに、小太りの中年男氏は話しやすいと勘違いしたのか、勝手に自分語りを始めた。ボクそんなに、社交的じゃないんだけどなぁ……。
「おれっちは料理人でなぁ。ここにぶち込まれてもう3日目だよ。さすがにへばってきた」
ヘーヘー。
「女房と娘が一人。女房は評判の美人でな。娘はもう、天使のようにかわいくてなぁ。ほっぺなんか、練った小麦より柔らかくって~」
ホーホー。
それは奥様の遺伝子のおかげでしょうね、100%の確率で。
「ところが、雇い主の商人が、急に死んじまってなぁ。給料もいいし、お優しい方で、働きやすかったんだがなぁ」
ハイハイハイハイ。
ベテラン漫才コンビのボケを、心のなかでボクはつぶやいた。
よかったよかった、とはさすがに言わないけどさ。
昭和のいる・こいるってベテラン漫才コンビ、知ってる? 自分もどっちがどっちか知らん。どっちでもいいや。
でもどっちかがが、富野由悠季監督や井上大輔の、日大芸術学部の同期らしい。
ガンダムに出演しなかったのが不思議だね。3倍のスピードよかったよかった、とか言いそう。
「どうした? おめぇ何をニヤニヤ笑ってる?」
いかん、余計なことを考えてたら、苦笑してたようだ。
集中、シュウチュウ!
「あの、いや、美味しいパン生地を、つい思い出して。お腹が減ってるんですよ、水しか与えないって、判決出されましたし。どうぞ、続けてください」
本当は興味、ないけどね。
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「そしたらよぉ、雇い主の奥様に、やってねぇ罪で捕らえられちまった」
……ほえ? ほんとに冤罪? 冤罪なのか?
他人の身の上話には興味はないが、冤罪とか犯罪とか聞くと状況も忘れて、つい聞いてみたくなる。そういう話、先にしようよ。
推理小説家としては半ば挫折しているんだけど。つい聞かずにおれない、トリック・ライターとしての悲しい性ってやつだなぁ、まったく。
「おれっちは商人のハドソン様の、お抱え料理人なんだがよぉ。その人が昼食後に庭を散策していたら急に、ばったり倒れて、おっ死んじまったんだぁよ。ほんで、そばにいた奥様がハドソン様が何かを言おうと口をパクパクさせてっから、口元に耳を寄せたら〝やられた……ピーターに〟って言ったそうなんだ」
「つまり、料理人のあなた、お名前はピーターさん?」
「んまぁ、そういうこったな。役人に、食事に何か毒を仕込んだだろうと問い詰められてよォ。おれっちは身に覚えがないといったのに、捕まっちまったんだぁよ」
おいおい、ダイイング・メッセージとは今どき、古典的だねぇ~。エラリー・クイーンかいな。
でも、ここ自体が中世の世界だから、古臭いパターンでも気にならないか。
亡くなったハドソンさん本人がピータさんを名指ししたんだから、疑われるのは仕方ないかな?
しかし、これは……もうちびっと詳しく、聞いてみっか。
「あの、その人──ハドソン氏はどんな状態で、亡くなっていました?」
「血は一滴も出ていねぇよ。急に呻いて、倒れたって庭師が……」
「殴られたり、ナイフで刺されたりした訳ではないんですね。それであなた、ピーターさんが、料理で毒殺したと?」
「旦那様は一人で食事をしたし、給仕を務めたのも、おれっち一人だからなぁ。他の者には、そもそも毒を仕込む機会がねぇ。でもよぉ、御主人殺して、なんの得がある? 優しい主人で、給金だって良かった。もちろん喧嘩なんかしたことねぇぞ。おれっちの料理を、いつも美味い美味いって褒めてくれてよぉ。一生仕えてもいいって、そう思ってたぐれぇなのに」
「その庭師、信用できるんですか?」
「旦那様が、ちんまい頃から仕えている男だぁよ。毒を盛る理由なんて、おれっち以上にねぇよ。先代の旦那様からも、かわいがってもらったぐれぇだ」
ハァ、さいですか。
う~ん、困ったな。その庭師がどんな人物か、この目で確かめることができない以上、ピーターさんの言い分を信じるしかない。推理小説の定跡でいけば、そういうやつが一番疑わしいんだけどねぇ~。
「倒れた旦那様の身体に、いつもと違った点、何かありました?」
「首から胸にかけてこう、赤い痣? 腫れっていうのか? こう…緋色になっててよ。それがあっちこっちに浮いてたなぁ。ほんで奥様はそれを見て、毒殺に違いないって言い出してよぉ」
緋色、緋色、緋色──はて、なんだろう? そんな症状が出る毒物、あったっけ? この世界の毒物なんて、砒素とか鳥兜とか、中世から知られてる単純なモノしかないはずだ。
緋色…ねぇ……かのシャーロック・ホームズ第一作『緋色の研究』でも毒薬が登場してたけど、具体的な名前って、出てたっけ? 思い出せない。出てなかったような。どっちみち、即効性の毒だったし。この事件は、食事に入れたとすれば遅効性の毒。関係ないや。
毒、毒、毒ねぇ………………ん? あ、あああ、あったわ、毒!
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「アナフィラキシー・ショックだ……」
「はぁ? 尻穴銀河症状だぁ? なぁに言ってんだ、オメェ」
うわぁお、なんだその超絶な聞き間違いは? 計算してちゃ、出て来ない笑いだわ。
素人は怖いね。天然物は養殖物に勝る。
もしボクが元の世界に戻れて、また小説を書く機会に恵まれたらそのギャグ、どっかで使わせてもらいます。パクって悪いか? ギャグに著作権はないのだ。
「蜂に刺されたことがある人が、もう一回刺されたときに、起きる症状があるんですよォ~。それを〝アナフィラキシー・ショック〟って呼ぶんです!」
ボクは思わず、大きな声を出してしまっていた。
なにしろ推理小説を書くときは、最初にトリックと犯人を決めて、そこから逆算して伏線を張るって作り方をしていたからね。
すでに結末が分かっている推理小説は、作り手側としては退屈な部分もある。
だが『料理人ピーターの冤罪毒殺事件(仮題)』は、生まれて初めて読む推理小説みたいなものだ。読者として、面白くないはずがないじゃん。アーニャ、ワクワク。
「蜂の毒ってあんたぁ、お医者かね? そんな話は、初めて聞いたぞ」
「部屋の中に入ってきた蜂に、ハドソン氏は刺されたか。それとも……仕えていた家の人に、地方出身者は? 遠乗りとか郊外に出るのが好きな人は? あるいは蜂蜜が好きな人は?」
「そんな勢い込んでポンポン言われても……ああ、そういえば妹君が甘い物好きで、領地の養蜂家と仲が良かったなぁ」
「それだ!」
「どれだ?」
ナイスなボケ。さすが天然物。
キョロキョロする料理人に、ボクは苦笑を抑えつつ、ゆっくり説明してあげた。純朴な人は、なんかいいな。どっかの小説投稿サイトなら「昭和の時代のギャグで、作者のセンスの古さを感じます」とか書かれるだろうな、確実に。
「雀蜂……は欧州にはいないか。えっと、足長蜂に中年男性が刺されると、死ぬことがあるんです」と身振り手振りで説明を試みるボク。
「あのホッソリした蜂で? おれっちも蜜蜂にゃあ刺されたことはあるが、ちょっと腫れただけで、寝込むことも死ぬようなことも、なかったぞい?」
「う~ん、なんて説明すればいいかな……毒そのものの強さで死ぬんじゃなくて、2回刺されることで身体がビックリしちゃって、心臓が止まっちゃうんですよ」
近代医学どころか、中世の初歩的な医学も知らないであろう料理人に、アナフィラキシー・ショックを説明するのは、まず無理だ。
そう思ったボクは言葉を選んで、ピーターさんが飲み込みやすいであろう説明を、試みたのだった。わかるかな? わかんねぇだろうなぁ。
「おお、そういえば祖母さんの弟が、森で熊に出くわしてよぉ、噛まれたわけでもねぇのに、驚き過ぎて心の臓が止まっちまったって、子守話で聞いたことがあるど」
そうそう、そういうこと。説明としては、今ので充分だろう。
しっかし、ハドソン氏が蜂に刺されて死亡、ねぇ?
ならマリオさんは車で轢死ってか?
苦笑を噛み殺しながら、ボクは次の手を考えていた。
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「あの、ピーターさんの奥さんか友人に、今言った話を、牢の外の人に伝えること、できませんか?」
「そりゃ難しいなぁ。おれっちは死刑が決まってしまったから、もう会えるのは処刑前日に、懺悔を聞いてもらう、神父様だけだぁよ」
「それだ!」
「どれだ?」
天丼ギャグに天然で乗ってこられると、2度目は笑えないなぁ。
ピーターさんも、ボクを笑わそうなんて気は、毛頭ないだろうけどさ。
「その懺悔のときに、今ボクが話したことを全部、神父に話すんです。そして蜂に刺されて死んだ人間を見たことがある医者を、奥さんにがんばって探してもらう! まずは毒殺の疑いを晴らすのが先決です。で、この土牢から出してもらえたら、時間をかけて真犯人を見つけることだって、できるはずですよ!」
長文を一気に吐き出した。橋田壽賀子センセの脚本ほどじゃないがね。
ちょい疲れた。ピーターさん、理解できたかな?
なんでこんな長文が、スラスラ出てきたかって?
実はある脚本家に頼まれて以前、時代劇でのトリックを考えていたんだよね。
長屋の大工の熊さんが、雀蜂に刺されアナフィラキシー・ショックで死んでしまうってネタ。
だが運悪く、いまわの際に「蜂に刺された」と言おうとして、「はちに……」ってダイイング・メッセージを残してしまった。そんなアイデア。
その結果、仲の悪い植木屋の八っつぁんが、トリカブトの毒を飲ませて殺したと誤解される──そんな小ネタ。
コンペでは単純すぎると、ボツを食らってしまった。
「今時、ダイイング・メッセージですか?」って、飯田橋に新社屋を建てたあの副編集長も、薄ら笑いを浮かべてやがった。うっさいわ。
「足長蜂は英語で……そうだペーパー・ワスプだ!」
「なんだいアンタ、〝足長蜂は言葉で足長蜂だ〟って、そんな大きな声で」
……ん? そういえば、ボクはさっきから普通に日本語でしゃべってるつもりだけど、ピーターさんには英語だかフランス語だかに、変換されて聞こえてるらしい。
つまり、ボクが〝足長蜂〟と言っても〝ペーパー・ワスプ〟と言っても、彼の耳には同じ言葉に翻訳されて伝わってるらしい。
リアル版ほんやくコンニャクだね、どうも。
いったいどういう仕組だろ? こも世界の藤子・F・不二雄先生も、そこまで細かい設定は考えていないだろうけれどさ。
「つまりピーターさんの御主人様は〝足長蜂に刺された〟と言おうとしたのに、息も絶え絶えだったので奥様が〝ピーターにやられた〟って、聞き間違ったんですよ!」
「ペーパー? ピーター? ……ンななななな、なんですとぉ~!」
ピーターさんの人生で、ここまで裏返った声を出したことは、なかっただろう。たぶん。脳天から出る声ってやつだ。なんですとバンプレスト。
ボクの推理の意味が呑み込めて、ピーターさん目がキラキラしてる。
生きる希望って、こんなにも人間を変えちゃうんだなぁ~。コッチも嬉しいというか、誇らしいというか。
うん、電車で妊婦に席を譲ったときより、晴れがましい。
こうして『料理人ピーターの冤罪毒殺事件(仮題)』の、ダイイング・メッセージの謎は解けたのだった。
起章■ダイイング・メッセージ/終
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