26 / 27
第五章
七 過去のこと
しおりを挟む
七
好きだったんですよねー、とBさんは白状した。
食事と風呂を終えて、敷かれている布団に並んで横たわって、部屋を暗くして、いつの間にか腕のなかにおさまってキスしながら話をしていた。そのなかで、Bさんは過去のことを話しはじめた。
「前社長を、ですか」
「……はい」
「だから結婚したんですね」
Bさんは、奥さんの父親である前社長のことが長く好きだったらしい。胸がつきつきと痛いものの、聞かなければ後悔すると思う。今夜耳を塞げば、二度と話してくれない気がするからだ。
「相手はノンケですし、家庭もあるし、ただの片想いだけど、そばにいれたらいいかと思って、勧められるがままに。でも、やはり難しかったです。だけど後悔しても反省してもなんともならず」
亡くなったから離婚したわけではないんです、とBさんは弁解しはじめる。
すべてが終わったいまだからいいけれど、もしもっと前にこの話しを聞いていたら、俺は心穏やかではいられなかっただろうなと思う。
「妻の恋人にも何度も打診されていました。社長の椅子にしがみついていたのは、本当に、彼の言うとおりです。離婚したら仕事を失うかもしれない、前社長との縁も切れる。住む場所も、何もかも、失ってしまいますから」
「怖いですよね」
「でも案外うまくいきました。忙しくて会えなかった分、全力投球しました。平社員に言われっぱなしなのは嫌ですもんね」
「前社長のこと……」
まだ、好きなのだろうか。
せっかく口を噤んだのに目で問いかけてしまい、Bさんは笑っている。
「七十過ぎのじいさんですよ。……でも、いつまでも若いひとで、こんなに早くいなくなるなんて。好きでした。でも過去のことです。いまは憧れです。尊敬していました」
そうだ、とBさんは胸を起こした。荷物の中からラムネ菓子を取り出し、その包み紙でこよりを作って、俺の左手をとる。
「指輪って首輪みたいだと思っていました」
「俺に首輪つけます?」
「つけられるのはすごく嫌だったのに、いまはつけたい気持ちでいっぱいです。僕のものにしたい。ひと目見たとき、なんてきれいな子なんだろうって思いました。見た目ではなくて、佇まい。心細そうで、悲しそうで、つらそうで」
「同情してくれてましたね」
「僕にそんな権利はないのに、僕のところにおいでって言いそうになって。気づいたらきみとの未来ばかり考えて。なのに、君が離れていったとしても僕は引き留めることはきっとできなかった」
左手の薬指に紙ナプキンの指輪を巻いて、このサイズ、と確かめている。
「基くん」
「はい」
「僕の恋人になってください」
「喜んで」
「やったね」
俺は笑って頷いた。
Bさんは俺をぎゅうぎゅう抱きしめて喜びを口にした後、静かに嗚咽を漏らした。
俺はBさんの広い背中に腕を回して手のひらで優しく撫でる。
Bさんがかつて見たと言った、俺が幸せそうに笑っている未来は、ほんの数分後だと思いながら。
〈終わり〉
好きだったんですよねー、とBさんは白状した。
食事と風呂を終えて、敷かれている布団に並んで横たわって、部屋を暗くして、いつの間にか腕のなかにおさまってキスしながら話をしていた。そのなかで、Bさんは過去のことを話しはじめた。
「前社長を、ですか」
「……はい」
「だから結婚したんですね」
Bさんは、奥さんの父親である前社長のことが長く好きだったらしい。胸がつきつきと痛いものの、聞かなければ後悔すると思う。今夜耳を塞げば、二度と話してくれない気がするからだ。
「相手はノンケですし、家庭もあるし、ただの片想いだけど、そばにいれたらいいかと思って、勧められるがままに。でも、やはり難しかったです。だけど後悔しても反省してもなんともならず」
亡くなったから離婚したわけではないんです、とBさんは弁解しはじめる。
すべてが終わったいまだからいいけれど、もしもっと前にこの話しを聞いていたら、俺は心穏やかではいられなかっただろうなと思う。
「妻の恋人にも何度も打診されていました。社長の椅子にしがみついていたのは、本当に、彼の言うとおりです。離婚したら仕事を失うかもしれない、前社長との縁も切れる。住む場所も、何もかも、失ってしまいますから」
「怖いですよね」
「でも案外うまくいきました。忙しくて会えなかった分、全力投球しました。平社員に言われっぱなしなのは嫌ですもんね」
「前社長のこと……」
まだ、好きなのだろうか。
せっかく口を噤んだのに目で問いかけてしまい、Bさんは笑っている。
「七十過ぎのじいさんですよ。……でも、いつまでも若いひとで、こんなに早くいなくなるなんて。好きでした。でも過去のことです。いまは憧れです。尊敬していました」
そうだ、とBさんは胸を起こした。荷物の中からラムネ菓子を取り出し、その包み紙でこよりを作って、俺の左手をとる。
「指輪って首輪みたいだと思っていました」
「俺に首輪つけます?」
「つけられるのはすごく嫌だったのに、いまはつけたい気持ちでいっぱいです。僕のものにしたい。ひと目見たとき、なんてきれいな子なんだろうって思いました。見た目ではなくて、佇まい。心細そうで、悲しそうで、つらそうで」
「同情してくれてましたね」
「僕にそんな権利はないのに、僕のところにおいでって言いそうになって。気づいたらきみとの未来ばかり考えて。なのに、君が離れていったとしても僕は引き留めることはきっとできなかった」
左手の薬指に紙ナプキンの指輪を巻いて、このサイズ、と確かめている。
「基くん」
「はい」
「僕の恋人になってください」
「喜んで」
「やったね」
俺は笑って頷いた。
Bさんは俺をぎゅうぎゅう抱きしめて喜びを口にした後、静かに嗚咽を漏らした。
俺はBさんの広い背中に腕を回して手のひらで優しく撫でる。
Bさんがかつて見たと言った、俺が幸せそうに笑っている未来は、ほんの数分後だと思いながら。
〈終わり〉
210
お気に入りに追加
134
あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
幸せの温度
本郷アキ
BL
※ラブ度高めです。直接的な表現もありますので、苦手な方はご注意ください。
まだ産まれたばかりの葉月を置いて、両親は天国の門を叩いた。
俺がしっかりしなきゃ──そう思っていた兄、睦月《むつき》17歳の前に表れたのは、両親の親友だという浅黄陽《あさぎよう》33歳。
陽は本当の家族のように接してくれるけれど、血の繋がりのない偽物の家族は終わりにしなければならない、だってずっと家族じゃいられないでしょ? そんなのただの言い訳。
俺にあんまり触らないで。
俺の気持ちに気付かないで。
……陽の手で触れられるとおかしくなってしまうから。
俺のこと好きでもないのに、どうしてあんなことをしたの? 少しずつ育っていった恋心は、告白前に失恋決定。
家事に育児に翻弄されながら、少しずつ家族の形が出来上がっていく。
そんな中、睦月をストーキングする男が現れて──!?


飼われる側って案外良いらしい。
なつ
BL
20XX年。人間と人外は共存することとなった。そう、僕は朝のニュースで見て知った。
なんでも、向こうが地球の平和と引き換えに、僕達の中から選んで1匹につき1人、人間を飼うとかいう巫山戯た法を提案したようだけれど。
「まあ何も変わらない、はず…」
ちょっと視界に映る生き物の種類が増えるだけ。そう思ってた。
ほんとに。ほんとうに。
紫ヶ崎 那津(しがさき なつ)(22)
ブラック企業で働く最下層の男。悪くない顔立ちをしているが、不摂生で見る影もない。
変化を嫌い、現状維持を好む。
タルア=ミース(347)
職業不詳の人外、Swis(スウィズ)。お金持ち。
最初は可愛いペットとしか見ていなかったものの…?
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます


ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる