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第五章
六 手
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六
「見て」
と言われて、Bさんが差し出した左手の甲を見る。
「……」
「今日、朝から大変でした。まず、少し前に前社長が亡くなって、四十九日が過ぎて、昨日は社葬、今日の午前は来賓のお見送り」
「……元の会社でですか?」
「ええ。辞めたといっても、事業部門の子会社を立ち上げてそちらに移っただけです。左遷と言われますがやってることは変わりません」
Bさんの左手に、右手を並べてみる。年齢は手や首に出るというが、やはり、俺の苦労を知らない手とは違って、Bさんの手には深みがある気がした。
「ふふ。Aくん、気づきませんか」
「?」
「入り婿で、妻の名字だったんです。ホームページを探せば、名前はどこかにありますよ。姓を戻しました。今日は社葬の片付けのあと、元妻と本当の夫の結婚式でした」
左手には指輪がなくなっていた。どうして気づかなかったんだろう。手に見惚れていたせいだ。
Bさんは俺の手をとる。
「この結婚は前社長のはからいですから四十九日まではと断ったら、四十九日が終わった翌日に結婚式を入れられて、実は今朝、役場で離婚届を出しまして、その足で、事実婚の夫と結婚式に参列」
子会社の代表に就任するときに、旧姓で仕事をしはじめたんです、とBさんは言った。
「もー、悪者ですよ、僕。終わったら逃げ帰りました」
「どうして悪者なんです」
「前社長に取り入って娘と結婚して社長の地位にいすわりつづけたくせに、妻と同居もせずに、かといって妻を解放もしなかった、サタンです。結婚式も針の筵でしたよ。行きたくなかった」
Bさんはけらけら笑っていたけれど、俺は笑えなかった。むしろ胸が詰まって、気づくと頬が濡れている。
そんな俺にBさんは苦笑している。
「Aくん。離婚したこと、Aくんに嬉しいと思ってもらえたら、僕も嬉しいんですが」
両手で頬を覆われて見つめられる。その指にはもう固い金属はない。Bさんはぼやけているので、どんな表情をしているのかわからない。
俺は声をしぼり出す。
「嬉しいです。でも、Bさんは悪くないです」
Bさんの痛みがどんなものなのかわからない。傷が見えたらきっと深手だけれど、俺にそんな姿を見せまいとしているので、わからない。わかりたかった。Bさんが抱えていたものを持たせてもらう力はなかったけれど、俺にできることがあるなら、なんでもするのに。
「今日は、妻の恋人にも妻にも子どもたちにもかなり泣かれまして、誰かの泣き顔は辛いんです。きみも、これまで僕の前では泣いてばかりだったけれど、今日は笑ってください」
塩味のキスをする。笑ってほしいならと、目をこすって無理やり涙を止めて、口角をあげた。それでもあとからあとから涙が溢れてくる。
「見て」
と言われて、Bさんが差し出した左手の甲を見る。
「……」
「今日、朝から大変でした。まず、少し前に前社長が亡くなって、四十九日が過ぎて、昨日は社葬、今日の午前は来賓のお見送り」
「……元の会社でですか?」
「ええ。辞めたといっても、事業部門の子会社を立ち上げてそちらに移っただけです。左遷と言われますがやってることは変わりません」
Bさんの左手に、右手を並べてみる。年齢は手や首に出るというが、やはり、俺の苦労を知らない手とは違って、Bさんの手には深みがある気がした。
「ふふ。Aくん、気づきませんか」
「?」
「入り婿で、妻の名字だったんです。ホームページを探せば、名前はどこかにありますよ。姓を戻しました。今日は社葬の片付けのあと、元妻と本当の夫の結婚式でした」
左手には指輪がなくなっていた。どうして気づかなかったんだろう。手に見惚れていたせいだ。
Bさんは俺の手をとる。
「この結婚は前社長のはからいですから四十九日まではと断ったら、四十九日が終わった翌日に結婚式を入れられて、実は今朝、役場で離婚届を出しまして、その足で、事実婚の夫と結婚式に参列」
子会社の代表に就任するときに、旧姓で仕事をしはじめたんです、とBさんは言った。
「もー、悪者ですよ、僕。終わったら逃げ帰りました」
「どうして悪者なんです」
「前社長に取り入って娘と結婚して社長の地位にいすわりつづけたくせに、妻と同居もせずに、かといって妻を解放もしなかった、サタンです。結婚式も針の筵でしたよ。行きたくなかった」
Bさんはけらけら笑っていたけれど、俺は笑えなかった。むしろ胸が詰まって、気づくと頬が濡れている。
そんな俺にBさんは苦笑している。
「Aくん。離婚したこと、Aくんに嬉しいと思ってもらえたら、僕も嬉しいんですが」
両手で頬を覆われて見つめられる。その指にはもう固い金属はない。Bさんはぼやけているので、どんな表情をしているのかわからない。
俺は声をしぼり出す。
「嬉しいです。でも、Bさんは悪くないです」
Bさんの痛みがどんなものなのかわからない。傷が見えたらきっと深手だけれど、俺にそんな姿を見せまいとしているので、わからない。わかりたかった。Bさんが抱えていたものを持たせてもらう力はなかったけれど、俺にできることがあるなら、なんでもするのに。
「今日は、妻の恋人にも妻にも子どもたちにもかなり泣かれまして、誰かの泣き顔は辛いんです。きみも、これまで僕の前では泣いてばかりだったけれど、今日は笑ってください」
塩味のキスをする。笑ってほしいならと、目をこすって無理やり涙を止めて、口角をあげた。それでもあとからあとから涙が溢れてくる。
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