今夜、恋人の命令で変態に抱かれる

みつきみつか

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第四章

一 元恋人

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   一

 薄暗いバーには、それなりに人が入っていて、各々歓談している。

「いま、何してんの」

 久しぶりという言葉を交わしたあと、二人ともしばらく無言でグラスを傾けていた。口火を切ったのは彼のほうだった。
 隣に掛ける元恋人に、俺は答えた。

「ごくふつうにサラリーマン。そっちは?」
「俺も同じく」

 同じ学部で同じ学科、ゼミも同じだった。そのため、どれほど避けても噂話は耳に入る。卒業してしまえば、お互いにごく普通の企業に就職したところまでしか知らないでいられた。
 ゼミの友人から、元恋人が俺に連絡したがっていると聞いたのは、二週間前だ。
 当初、反射的に断りそうになった。二年以上経っても、傷ついたことは昨日のことのように思い出す。
 記憶に苛まれながらも連絡先を教えた。会いたいといわれて新たに傷つくリスクを感じながらも応じたのは、自分自身を試したかったからだった。
 俺は訊ねた。

「ところで、何の用?」
「お前に会いたくなって」
「都合いいね」
「……あぁ、本当に」

 元恋人の横顔を見ると、思い出す。初めて会ったとき、この横顔に直感的に惹かれた。若くてエネルギッシュで、射るように遠くを見つめる目が好きだった。手が好きで、眼差しが好きで、声が好きだった。全身で惹かれた。そのひとつひとつを思い出せる。
 彼が訊ねてくる。

「いま、付き合ってる人いる?」
「なんで?」
「……後悔してる。やり直したい」
「……は?」

 と、そのときだった。スマホが鳴った。
 午後九時に電話をかけてくるとしたら同僚だろうかと予想する。
 仲の良い同期で、彼に告白されて一時期は気まずい思いをしたのだが、いまは少し距離をおいて、落ち着いた関係になっている。
 人間関係は、ガラスよりも壊れやすい。だから丁寧に扱って手入れしないといけない。と思う。ちょっとしたきっかけで、ひび割れたことにすら気づかないうちに粉々に壊れてしまう。
 それでいて、案外強かったりもする。相手を尊重する気持ちがあれば、なんだかんだ上手くいくものだ。同僚との関係が維持できているのは、同僚の努力のおかげだと思う。ありがたかった。
 だが、画面を見ると、Bさんだった。俺は切られないように慌てて電話に出た。

「はい」
『Aくん? お久しぶりです』

 Bさんも久しぶりだ。ここ数ヶ月、何度かこちらから連絡した。だが、仕事が忙しいようで、真夜中の短いラリーがすぐ途切れてしまうという状況が続いた。
 最後に会ったのは、水族館に行ったときだ。遊園地に行った後、次はどこに行きたいか訊かれて、翌週に水族館に行った。施設内が暗いおかげでこっそり手を繋ぐことにも成功した。だがそのあとは会えなくなった。
 仕事は終わったのだろうか、忙しくなくなったのだろうか、とにかくこの機会を逃したくない。

「お久しぶりです」
『ごめんね。しばらく連絡できなくて。ちょっと忙しくて。いまどこにいます? おうち?』
「駅前の、前に行ったことのあるバーです。知り合いと呑んでいて……」
『近くにいるけれど、今夜は難しそうですね。お邪魔してごめんなさい。また掛けます』
「いえ。用事は済みました。行きます」
「え、帰るのかよ」

 元恋人に縋られて俺は振り払った。

「当たり前だろ。やり直すなんて冗談じゃない」
「誰か来るのか?」
「もう用ないよね」
『何か揉めてる?』
「待てよ、終わってない。話だけでも聞いてくれよ。俺が馬鹿だったんだ」
「悪いけど他を当たって。俺、もっと大切なことに時間を使いたいんだ」

 バーの入口が開いて、カウンターを目指してひとが来る。つかつかとやってきたBさんは、カウンターチェアにかける俺と元恋人との間に入った。

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