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番外編19 未来と過去の話(和臣視点)
後輩と寝ることになった理由②
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フォローしているのは、好きな子と、あとは母親と長兄がやっている犬アカウントと、あとはテキトーに、企業のアカウントを少し。カムフラージュ的なものだ。ミュートにしている。
タイムラインはタキくんだけだ。そのタキくんが何かを更新したらしい。
俺は目を閉じた。
(見たら、諦められなくなる)
見ないほうがいい。わかっていた。諦めると決めていた。
俺の恋は成就しない。タキくんは、俺を恋愛の対象にはできない。
タキくんを思い出すと胸が苦しい。だが彼を想うことは幸せで、つい思い出してしまう。
先々月のことだ。
お互いに仕事が忙しく、待ち合わせの時間がずれ込んで夜十一時にやっと待ち合わせて、チェーンの牛丼屋に入ったのは。
カウンターで肩を並べて牛丼を食べながら、俺は言った。
「あんまり遅いときは気を遣わないで、断ってくれていいよ」
「いえ、こちらこそ」
「俺はこの辺に住んでるし。外食多いから平気」
「だったらいいんですが……。俺もここで食べるか大宮で食べるかの差なので。…………上司に理不尽に八つ当たりされて落ち込んでたから、先輩に会って回復しておきたかったんですよね……嫌な気持ち、洗い流したくって」
「タキくんの命の洗濯?」
「先輩と一緒にいる時間って、なんていうんでしょう。自然? 気が楽なんです。ぎすぎすしてた気持ちが落ち着くというか。デトックス?」
「ふふ。そっか」
お世辞でも嫌味でもなく、本当にそう思ってるんですよ、と言っていた。暗い目をしていたので、上司の八つ当たりがあまりにひどかったのだろう。
俺がごくふつうにタキくんを可愛がっている先輩だったら、可愛い後輩だなというだけで済むよ。
でも、邪な思いを抱いているんだから、そんなことを言っちゃいけないよ。
「新入社員が辞めちゃって、いま結構たいへんで……入社二日で……」
「あ、たまにいるよね、そういう子」
「えっ、先輩の会社みたいな大きな会社でも、そんなことあります?」
「全然あるよ。人が多い分余計に。入社式が終わったら消えていた事件が最速かな?」
「マジですか!? 早すぎません!?」
「迷子か事故かって社内騒然、一時間後に電話があって、社風が合わないので辞めますって。お母さんが」
「お、お母さん……!」
「あー……、ごめん。これ、社外秘? 他言無用で……」
「あ、はぁい。了解です。……でも、まぁ、そういうのもありですよね……。判断が早いというか。辞めた子が、ちゃんとまた居場所が見つかって、前を向いて、これからも幸せに生きていけたら、それでいいんですよね」
タキくんはしんみり言った。
退職した人間にもそれぞれの人生があってこの先も続いていくのだと、俺は初めて知ったかのように思った。どうでもいいから考えもしなかった。部署の直通電話にかかってきたから一次電話に出たことすらも、この話をするまで忘れていた。
タキくんが誰かを思いやる、裏表のない素直な思いやりに、いつまでも耳を傾けていたい。まるでその言葉を、自分に掛けてもらっているみたいに、あたたかく感じるんだ。
「会社は星の数あるもんね。本人さえよければいいよね。でもさすがに……お母さんは、衝撃的だった……」
「びっくりですよね。頼れるひとがいるのは羨ましいですが……」
帰り際。
埃っぽい都会の真夜中。梅雨を前に蒸し暑い夜を、泳ぐように歩きながら。
「タキくん、顔が疲れてるよ。無理しないようにね」
「はぁい。眠いけど、充電できたんで、明日から頑張れそうです」
「ふふ。今度飲みにいこうか。もっと元気なときね。この時間じゃふらふらになっちゃうから、早い時間に」
「んじゃ、いますぐもっと元気にならないと。ずっと喋ってたいんですよ。時間経つのが早くて早くて」
「チョーシはよさそうだね。あはは」
「本当ですよ! 俺、楽しみにしてるんですからね!」
「俺も。またね。おやすみ」
「おやすみなさい!」
去っていくタキくんの後姿を見送ったとき、これきりにしてもいいと思った。本当に心からそう思った。これが最後なんだと確信したほどだった。心の中で、勝手に指切りをした。
彼に会える約束はいつだって楽しみで、約束の日までの数日間、浮かれてしまうほど嬉しい。
ならばこの幸福な約束は、二度と訪れないからこそ永久になる。だから、いつまでも、いつか来るその日を楽しみに待つことができる。
閉じ込めておきたいほど美しい、ガラス細工のようだった。記憶の箱に入れて鍵をかけて、この宝物を、死ぬまで抱いていられる。
俺はタキくんを諦められない。きっと一目見たら、好きだという感情が、蓋をした奥底から溢れ出して止まらなくなる。あとからあとから泉のように湧いてくる。
好きだ。
好きなんだ。言わせてくれ。
言えない。
この関係を壊したくない。
知られたくない。
結婚したら会うべきではない。タキくんを思いながら他の人を抱くなんて器用な真似はできそうにない。
だからといって、思い切ってダメ元で、最後だから告白しよう、とも思わなかった。
怖いんだ。
もし告白したら、俺が最後に見るタキくんの顔は、信頼していた先輩に裏切られていたことを知った、凍りついた表情に違いない。
その記憶では生きていけないんだ。言わなければよかったと後悔しながら生きてはいけない。
疲れ過ぎながら牛丼を食べたあの真夜中のように、屈託のない笑顔で、次回もあるかのようなさよならをしてほしい。またねと言ってお別れしたい。
信頼しているからこそ特別に見せてくれる素顔の笑みを脳裏に焼き付けて、再会の約束という宝物にあたためてもらえさえすれば、俺はこれから先も、生きていける。
「お次でお待ちの方ー」
「あっ、すみません」
呼ばれて俺はカウンターに急いだ。
「ホットコーヒーひとつください」
「お砂糖とミルクはいかがいたしますか」
「いりません」
タキくんはコーヒーが好きでよく飲んでいた。一日一杯は経費になるんです。うちの会社の唯一のいいところ! と喜んでいたあの笑顔を思い出す。
同じ味を知りたくてコーヒーを飲むようになったんだ。苦くて酸っぱくて、ちっとも好きじゃないけれど、好きなひとの好きなものだから。
俺はコーヒーを受け取り、外に出た。立ち止まり、熱いので蓋を開けて口をつける。
タキくんが好きな味を、忘れられるのだろうか。
こらえようとしてもこらえきれない。感情が溢れる。コーヒーの水面にぼたぼたとこぼれる。
コーヒーを飲めば、外食をすれば、いつも思い出すだろう。きっと、ふとした拍子に君との思い出の面影を追ってしまう。
君はまだ会社にいるのかな。俺は夜空の下だ。目の前には、サービスエリアの駐車場が広がっている。こんな遠くまで来たのに、どこにも辿り着けないまま、立ち尽くしている。
雨のにおいがする。もうすぐ降るかもしれないな。雨合羽はあるけれど、帰らないと。
スマホを出して、新着通知のメールをゴミ箱に移動させようと触れる。
SNSでは、tKくん。アイコンの犬は、ここだけの話、ひとんちの犬なんですと小声で言っていたな。内緒話みたいに。いちいち可愛いんだよ。
最後に、少しだけ。君のかけら。
俺はつい、SNSを開いてしまった。タキくんに触れたかったせい。帰るための一歩を踏み出す気力が欲しかった。
そして、俺はタキくんの現状を知ってしまう。
『知らない土地で野宿(笑)』
タイムラインはタキくんだけだ。そのタキくんが何かを更新したらしい。
俺は目を閉じた。
(見たら、諦められなくなる)
見ないほうがいい。わかっていた。諦めると決めていた。
俺の恋は成就しない。タキくんは、俺を恋愛の対象にはできない。
タキくんを思い出すと胸が苦しい。だが彼を想うことは幸せで、つい思い出してしまう。
先々月のことだ。
お互いに仕事が忙しく、待ち合わせの時間がずれ込んで夜十一時にやっと待ち合わせて、チェーンの牛丼屋に入ったのは。
カウンターで肩を並べて牛丼を食べながら、俺は言った。
「あんまり遅いときは気を遣わないで、断ってくれていいよ」
「いえ、こちらこそ」
「俺はこの辺に住んでるし。外食多いから平気」
「だったらいいんですが……。俺もここで食べるか大宮で食べるかの差なので。…………上司に理不尽に八つ当たりされて落ち込んでたから、先輩に会って回復しておきたかったんですよね……嫌な気持ち、洗い流したくって」
「タキくんの命の洗濯?」
「先輩と一緒にいる時間って、なんていうんでしょう。自然? 気が楽なんです。ぎすぎすしてた気持ちが落ち着くというか。デトックス?」
「ふふ。そっか」
お世辞でも嫌味でもなく、本当にそう思ってるんですよ、と言っていた。暗い目をしていたので、上司の八つ当たりがあまりにひどかったのだろう。
俺がごくふつうにタキくんを可愛がっている先輩だったら、可愛い後輩だなというだけで済むよ。
でも、邪な思いを抱いているんだから、そんなことを言っちゃいけないよ。
「新入社員が辞めちゃって、いま結構たいへんで……入社二日で……」
「あ、たまにいるよね、そういう子」
「えっ、先輩の会社みたいな大きな会社でも、そんなことあります?」
「全然あるよ。人が多い分余計に。入社式が終わったら消えていた事件が最速かな?」
「マジですか!? 早すぎません!?」
「迷子か事故かって社内騒然、一時間後に電話があって、社風が合わないので辞めますって。お母さんが」
「お、お母さん……!」
「あー……、ごめん。これ、社外秘? 他言無用で……」
「あ、はぁい。了解です。……でも、まぁ、そういうのもありですよね……。判断が早いというか。辞めた子が、ちゃんとまた居場所が見つかって、前を向いて、これからも幸せに生きていけたら、それでいいんですよね」
タキくんはしんみり言った。
退職した人間にもそれぞれの人生があってこの先も続いていくのだと、俺は初めて知ったかのように思った。どうでもいいから考えもしなかった。部署の直通電話にかかってきたから一次電話に出たことすらも、この話をするまで忘れていた。
タキくんが誰かを思いやる、裏表のない素直な思いやりに、いつまでも耳を傾けていたい。まるでその言葉を、自分に掛けてもらっているみたいに、あたたかく感じるんだ。
「会社は星の数あるもんね。本人さえよければいいよね。でもさすがに……お母さんは、衝撃的だった……」
「びっくりですよね。頼れるひとがいるのは羨ましいですが……」
帰り際。
埃っぽい都会の真夜中。梅雨を前に蒸し暑い夜を、泳ぐように歩きながら。
「タキくん、顔が疲れてるよ。無理しないようにね」
「はぁい。眠いけど、充電できたんで、明日から頑張れそうです」
「ふふ。今度飲みにいこうか。もっと元気なときね。この時間じゃふらふらになっちゃうから、早い時間に」
「んじゃ、いますぐもっと元気にならないと。ずっと喋ってたいんですよ。時間経つのが早くて早くて」
「チョーシはよさそうだね。あはは」
「本当ですよ! 俺、楽しみにしてるんですからね!」
「俺も。またね。おやすみ」
「おやすみなさい!」
去っていくタキくんの後姿を見送ったとき、これきりにしてもいいと思った。本当に心からそう思った。これが最後なんだと確信したほどだった。心の中で、勝手に指切りをした。
彼に会える約束はいつだって楽しみで、約束の日までの数日間、浮かれてしまうほど嬉しい。
ならばこの幸福な約束は、二度と訪れないからこそ永久になる。だから、いつまでも、いつか来るその日を楽しみに待つことができる。
閉じ込めておきたいほど美しい、ガラス細工のようだった。記憶の箱に入れて鍵をかけて、この宝物を、死ぬまで抱いていられる。
俺はタキくんを諦められない。きっと一目見たら、好きだという感情が、蓋をした奥底から溢れ出して止まらなくなる。あとからあとから泉のように湧いてくる。
好きだ。
好きなんだ。言わせてくれ。
言えない。
この関係を壊したくない。
知られたくない。
結婚したら会うべきではない。タキくんを思いながら他の人を抱くなんて器用な真似はできそうにない。
だからといって、思い切ってダメ元で、最後だから告白しよう、とも思わなかった。
怖いんだ。
もし告白したら、俺が最後に見るタキくんの顔は、信頼していた先輩に裏切られていたことを知った、凍りついた表情に違いない。
その記憶では生きていけないんだ。言わなければよかったと後悔しながら生きてはいけない。
疲れ過ぎながら牛丼を食べたあの真夜中のように、屈託のない笑顔で、次回もあるかのようなさよならをしてほしい。またねと言ってお別れしたい。
信頼しているからこそ特別に見せてくれる素顔の笑みを脳裏に焼き付けて、再会の約束という宝物にあたためてもらえさえすれば、俺はこれから先も、生きていける。
「お次でお待ちの方ー」
「あっ、すみません」
呼ばれて俺はカウンターに急いだ。
「ホットコーヒーひとつください」
「お砂糖とミルクはいかがいたしますか」
「いりません」
タキくんはコーヒーが好きでよく飲んでいた。一日一杯は経費になるんです。うちの会社の唯一のいいところ! と喜んでいたあの笑顔を思い出す。
同じ味を知りたくてコーヒーを飲むようになったんだ。苦くて酸っぱくて、ちっとも好きじゃないけれど、好きなひとの好きなものだから。
俺はコーヒーを受け取り、外に出た。立ち止まり、熱いので蓋を開けて口をつける。
タキくんが好きな味を、忘れられるのだろうか。
こらえようとしてもこらえきれない。感情が溢れる。コーヒーの水面にぼたぼたとこぼれる。
コーヒーを飲めば、外食をすれば、いつも思い出すだろう。きっと、ふとした拍子に君との思い出の面影を追ってしまう。
君はまだ会社にいるのかな。俺は夜空の下だ。目の前には、サービスエリアの駐車場が広がっている。こんな遠くまで来たのに、どこにも辿り着けないまま、立ち尽くしている。
雨のにおいがする。もうすぐ降るかもしれないな。雨合羽はあるけれど、帰らないと。
スマホを出して、新着通知のメールをゴミ箱に移動させようと触れる。
SNSでは、tKくん。アイコンの犬は、ここだけの話、ひとんちの犬なんですと小声で言っていたな。内緒話みたいに。いちいち可愛いんだよ。
最後に、少しだけ。君のかけら。
俺はつい、SNSを開いてしまった。タキくんに触れたかったせい。帰るための一歩を踏み出す気力が欲しかった。
そして、俺はタキくんの現状を知ってしまう。
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