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6 ある三百万円のゆくえ
八 多紀
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事務所の出入口で父親を見送った後、俺はふたたび事務所内に戻った。
応接室の六人掛けのテーブルセット。和臣さんの隣に座る。
和臣さんの向かい側に掛けている次郎お兄さんは、テーブルに広げた資料を和臣さんと確認しながら電卓を打っている。
俺は深々と頭を下げた。
「次郎先生、ご面倒をおかけします。もし父が何か我侭を言うようなら、俺が張り倒しますので」
「多紀くんは僕が用意してって言った資料を揃えてきてくれたから、スムーズに進められると思うよ。債務整理の依頼者は、弁護士が介入すると、債権者の督促が止むものだから安心しちゃって、事件処理に協力しなくなる傾向にあるんだ。自分のことなのに」
次郎お兄さんは電卓と資料を突き合わせながら言った。
本日土曜日。
実父から連絡があって一週間後。
俺は借金まみれの父親を連れて、和臣さんとともに、次郎お兄さんが経営している法律事務所にやってきた。
和臣さんが次郎お兄さんに話を通してくれて、五百万円の借金を、債務整理という形で解決するために。
債務整理とは、弁護士が債権者との間に入って、月々の返済額を調整したり、返済が難しければ自己破産する、というものらしい。
自己破産とは、借金をチャラにする法的な手続きのことだ。
ただし、なんでもかんでもチャラにはできない。自己破産するには要件があって、父親の生活状況を知りたいと言われて連れてきた。
結果、自己破産ではなく、任意整理という形になるらしい。
任意整理とは、利息をカットしたり、利息の発生を止めて、月々の返済額を調整することだ。
驚いたことに親父ときたら、今はきちんと働いていて、かなりの額の給料をもらっている。
一時期、体調を崩して残業できなくなって、ギャンブルもしてしまって、少しずつ借金が増えていって、そういうのを繰り返しているうちに自転車操業になってしまったらしい。
資料を読んだ次郎お兄さんと和臣さんの見立てでは、今、父親は、破産の要件を満たしていないんだと。
過払いという払い過ぎのお金が戻ってくるのもありそうで、次郎お兄さんが調べてくれる。
なんとかして返さなくちゃ、と思っていたけど、こんなやり方があるもんなんだ。
和臣さんに教えてもらったときは目から鱗だった。俺が世間知らずなのかな。
弁護士費用は、最初に払うという着手金は十万円もかからなくて、俺が出した。
終了報酬というお金があとでかかるらしいんだけど、それは父親が払うことになった。
「なんだ、三郎。言いたいことがあるなら言え」
次郎お兄さんは、なにやら和臣さんと視線を絡ませて、嫌そうな表情で溜息を吐いている。
「いいか。三郎。お父さんと区別する必要があるだろ」
何の話だろう。俺がいないときに何か話していたのかな。兄弟が険悪な雰囲気になっている。
大丈夫かな。俺のせいかな。
和臣さんは苛立ちを隠さずに言った。
「区別するなら、相田さんと相田くんでいいでしょ? 多紀くん、だなんて!」
「ややこしいな。黙れバカ」
「あ! バカって言った! 次郎兄さんが言いたいことがあるなら言えって言ったんじゃん!」
「言うやつがあるか」
兄弟喧嘩勃発。あ、さっきの面談で、次郎お兄さんが俺を多紀くんと呼んでいたことで、和臣さんが拗ねてるのか。アホくさ。次郎お兄さんの言うとおり、父親と区別する必要があるだろ。
「あのー、どちらでも大丈夫です」
「多紀くんは黙って! 多紀くんって呼ぶのは俺の専売特許なの!」
「ということみたいなので、次郎お兄さんはぜひ、俺の名前を呼び捨ててください」
「わかった。多紀」
「ずるいよ! やめて!」
和臣さんの叫び声。ずるいって何? 和臣さんも呼び捨てたらいいじゃん。そういえば、もう長いのにずっとくん付けだな。
次郎お兄さんは呆れながら苦笑している。
「はいはい。相田くん。あとはやっておくね。何かあったら連絡するよ」
次郎お兄さん、優しいな。心広いわ。
「お休みのところ申し訳ありませんでした。何卒宜しくお願いいたします」
「とはいえ、三郎にも事件処理してもらうから、時々借りるね」
「和臣さん、宜しくお願いします。何かあったら言ってください。俺にできることなら、なんでもしますので」
「了解。何してもらおうかな!」
にやにやしてる。それ全然別のことを想定してるよね? 次郎お兄さんの前なんですけど。
次郎お兄さんは咳払い。
俺は頭をさげる。
「すみません……」
「いや……こちらこそ、苦労かけるね」
「とんでもないです。いつも、和臣さんに助けてもらっているんです。今回のことも」
俺は、まず自分の進学費用を充てて、あとは和臣さんが二百万円を貸してくれそうなら借りて、和臣さんに返していこうと思っていた。
和臣さんにお金を借りるなんて気が進まなかったものの、そうするしかないと思い詰めて。
和臣さんは俺の肩を抱いてにこにこ笑っている。おい、次郎お兄さんの前だぞ。肩を抱くな。
「多紀くんに即金で二百万円渡してもよかったよ」
「そのときはちゃんと返すつもりでした」
「月五千円で年利二パーセントの五十年払い。どう?」
住宅ローンかよ。返し終わるの何歳だよ。
「今なら二年ぐらいで返せます」
「それじゃあ貸せないな……。ふふふ。がんじがらめにしたい」
そろそろ帰らないと、次郎お兄さんが苦悶の表情を浮かべている。
そして片手で顔を隠しながら、絞り出すように言った。
「苦労かけるね……」
「いえ、すみません」
応接室の六人掛けのテーブルセット。和臣さんの隣に座る。
和臣さんの向かい側に掛けている次郎お兄さんは、テーブルに広げた資料を和臣さんと確認しながら電卓を打っている。
俺は深々と頭を下げた。
「次郎先生、ご面倒をおかけします。もし父が何か我侭を言うようなら、俺が張り倒しますので」
「多紀くんは僕が用意してって言った資料を揃えてきてくれたから、スムーズに進められると思うよ。債務整理の依頼者は、弁護士が介入すると、債権者の督促が止むものだから安心しちゃって、事件処理に協力しなくなる傾向にあるんだ。自分のことなのに」
次郎お兄さんは電卓と資料を突き合わせながら言った。
本日土曜日。
実父から連絡があって一週間後。
俺は借金まみれの父親を連れて、和臣さんとともに、次郎お兄さんが経営している法律事務所にやってきた。
和臣さんが次郎お兄さんに話を通してくれて、五百万円の借金を、債務整理という形で解決するために。
債務整理とは、弁護士が債権者との間に入って、月々の返済額を調整したり、返済が難しければ自己破産する、というものらしい。
自己破産とは、借金をチャラにする法的な手続きのことだ。
ただし、なんでもかんでもチャラにはできない。自己破産するには要件があって、父親の生活状況を知りたいと言われて連れてきた。
結果、自己破産ではなく、任意整理という形になるらしい。
任意整理とは、利息をカットしたり、利息の発生を止めて、月々の返済額を調整することだ。
驚いたことに親父ときたら、今はきちんと働いていて、かなりの額の給料をもらっている。
一時期、体調を崩して残業できなくなって、ギャンブルもしてしまって、少しずつ借金が増えていって、そういうのを繰り返しているうちに自転車操業になってしまったらしい。
資料を読んだ次郎お兄さんと和臣さんの見立てでは、今、父親は、破産の要件を満たしていないんだと。
過払いという払い過ぎのお金が戻ってくるのもありそうで、次郎お兄さんが調べてくれる。
なんとかして返さなくちゃ、と思っていたけど、こんなやり方があるもんなんだ。
和臣さんに教えてもらったときは目から鱗だった。俺が世間知らずなのかな。
弁護士費用は、最初に払うという着手金は十万円もかからなくて、俺が出した。
終了報酬というお金があとでかかるらしいんだけど、それは父親が払うことになった。
「なんだ、三郎。言いたいことがあるなら言え」
次郎お兄さんは、なにやら和臣さんと視線を絡ませて、嫌そうな表情で溜息を吐いている。
「いいか。三郎。お父さんと区別する必要があるだろ」
何の話だろう。俺がいないときに何か話していたのかな。兄弟が険悪な雰囲気になっている。
大丈夫かな。俺のせいかな。
和臣さんは苛立ちを隠さずに言った。
「区別するなら、相田さんと相田くんでいいでしょ? 多紀くん、だなんて!」
「ややこしいな。黙れバカ」
「あ! バカって言った! 次郎兄さんが言いたいことがあるなら言えって言ったんじゃん!」
「言うやつがあるか」
兄弟喧嘩勃発。あ、さっきの面談で、次郎お兄さんが俺を多紀くんと呼んでいたことで、和臣さんが拗ねてるのか。アホくさ。次郎お兄さんの言うとおり、父親と区別する必要があるだろ。
「あのー、どちらでも大丈夫です」
「多紀くんは黙って! 多紀くんって呼ぶのは俺の専売特許なの!」
「ということみたいなので、次郎お兄さんはぜひ、俺の名前を呼び捨ててください」
「わかった。多紀」
「ずるいよ! やめて!」
和臣さんの叫び声。ずるいって何? 和臣さんも呼び捨てたらいいじゃん。そういえば、もう長いのにずっとくん付けだな。
次郎お兄さんは呆れながら苦笑している。
「はいはい。相田くん。あとはやっておくね。何かあったら連絡するよ」
次郎お兄さん、優しいな。心広いわ。
「お休みのところ申し訳ありませんでした。何卒宜しくお願いいたします」
「とはいえ、三郎にも事件処理してもらうから、時々借りるね」
「和臣さん、宜しくお願いします。何かあったら言ってください。俺にできることなら、なんでもしますので」
「了解。何してもらおうかな!」
にやにやしてる。それ全然別のことを想定してるよね? 次郎お兄さんの前なんですけど。
次郎お兄さんは咳払い。
俺は頭をさげる。
「すみません……」
「いや……こちらこそ、苦労かけるね」
「とんでもないです。いつも、和臣さんに助けてもらっているんです。今回のことも」
俺は、まず自分の進学費用を充てて、あとは和臣さんが二百万円を貸してくれそうなら借りて、和臣さんに返していこうと思っていた。
和臣さんにお金を借りるなんて気が進まなかったものの、そうするしかないと思い詰めて。
和臣さんは俺の肩を抱いてにこにこ笑っている。おい、次郎お兄さんの前だぞ。肩を抱くな。
「多紀くんに即金で二百万円渡してもよかったよ」
「そのときはちゃんと返すつもりでした」
「月五千円で年利二パーセントの五十年払い。どう?」
住宅ローンかよ。返し終わるの何歳だよ。
「今なら二年ぐらいで返せます」
「それじゃあ貸せないな……。ふふふ。がんじがらめにしたい」
そろそろ帰らないと、次郎お兄さんが苦悶の表情を浮かべている。
そして片手で顔を隠しながら、絞り出すように言った。
「苦労かけるね……」
「いえ、すみません」
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