エリート先輩はうかつな後輩に執着する

みつきみつか

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6 ある三百万円のゆくえ

六 多紀

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 弟に呼ばれて、母親が個室の病室に駆けこんでいく。俺の手には通帳と銀行印が残されたままだ。
 開きっぱなしのドアから中を覗くと、目を覚ました森下のおじさんに、弟と母親が縋りついて泣いているのが見えた。

「パパぁ……」
「やめてくれよ、お父さん。いきなりさぁ……」

 二人の涙声と、森下のおじさんの呻き声。そこにある家族というかたち。
 俺はドアをそうっと閉める。そして出口はどこだろうかと病棟を彷徨うように歩く。途中で、手を握って誘導されて、気づいたら病院を出て、駅のほうへ歩いていた。
 冬の気配を含む冷たい風が吹いている。
 途中で、和臣さんの手を離した。

「すみません。ついてきてくれて、ありがとうございます」
「ううん。大丈夫だよ」

 和臣さんはいつものように柔らかく微笑んでいる。今はその笑顔でさえ辛い。見ないでほしい。情けないから。
 俺は笑いながら言った。

「馬鹿みたいですよね。自分がガキで、俺のことを受け入れようとしてくれたひとを拒絶しておいて、そのせいで拗れて、何も覚えちゃいなくて、長いあいだ、勝手に不貞腐れてたなんて。ぜんぶ俺のせいじゃないか……」

 ほんと俺は馬鹿。
 実の父親なんてクズなんだから、新しい父親に懐いて、忘れたって構わなかったじゃん。親父なんて、若い頃の森下さんを傷つけてまで大切にしてあげたい存在じゃない。
 いい記憶は一個だけ。悪い記憶のほうが圧倒してる。
 俺が中学生のときに祖父が死んでしまって、援助を受けられなくなって、養育費ももらえなくて、二人で暮らしていくことが難しくなった。母親だけだったら一人でもなんとか生きられた。母親が再婚したのは、俺を守るためだと思う。
 和臣さんは穏やかに、だけど力強く言った。

「俺は、多紀くんが馬鹿だなんて思わない」
「……」
「多紀くんは悪くない」
「和臣さん」
「多紀くんのせいじゃない」

 優しいな。でもさ。
 野球場に連れていってくれる話は覚えてないものの、森下さんに懐くことが後ろめたかった気持ち、母親に言われて思い出した。
 なのに、いまの俺も、やっぱり、球場に行くんだったら実父なんだよ。こんなに、頑なになる必要なんてないのに。
 実父はマジでクズ。五百万円の借金なんか、知るかよ。養育費払えよ。でも通帳の金と、俺の貯金、ぜんぶ合わせたら一括で返せるじゃん。
 だけど、このお金は使えない。森下さんに返さなくてはならない。父親の役回りを拒んだのは俺のほうだ。赤の他人に学費を出させるわけにはいかないでしょ。
 やっぱり実父に渡せるのは、俺の手元にある進学費用だけ。
 実父に使ってやれるほど無価値な金じゃない。俺は汗水垂らして必死に働いて、せっせと送金してた。
 森下さんは、毎月きっちり当日のうちに振り替えて、死ぬかもしれないと感じた瞬間に母親に託したんだ。だから学費は森下さんが負担してくれて、そのまま。俺なんかのために。
 この金を、あんなやつのためには一円たりとも使えない。使いたくない。
 それでも、実の父親なんだよ。なんでなんだよ。
 缶ジュースの味だって、思い出せないほど遠い記憶なのに。
 残り二百万円は、少しずつ渡していけばいい。大学は、急いで行かなきゃいけないわけじゃない。しばらく諦めて、またお金を貯めればいいんだ。返済した後でいい。
 俺は言った。

「家族って、いいですよね。憧れます」

 風が冷たいな。寒くなってきた。
 打ちのめされているのは、家族の光景を目の当たりにしたせいだ。病室には入れなかった。俺は部外者だから。金があっても、学歴を得たとしても、俺には得られないもの。
 実父だって今は新しい家族がいる。俺のことなんて金づるにしか思っていない。わかっているんだ、そんなこと。
 和臣さんは、何も言わなかった。
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