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6 ある三百万円のゆくえ

一 和臣

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 十月上旬、土曜日。午前八時。
 金曜日の夜のうちに、多紀くんと二人で暮らしているマンションに帰ってきている。日曜の終電で修習先に戻る予定。
 朝起きてイチャイチャして、先にシャワーを浴びて、多紀くんがシャワーを浴びてくるのをベッドで涼みながら待っていると、多紀くんがやってきて、隣に寝転んだ。

「なーに読んでるんです?」

 目を細めて首を傾げて、にこにこしちゃって可愛い。乾かしたばかりの黒髪は湿っていてつやつや。触れる肩は温かい。背を抱いてみる。多紀くんは擦り寄ってくる。いいにおい。多紀くんのにおい。いまこの瞬間に時間が止まればいい。

「旅行雑誌だよ。また二人で行きたいな」
「ですねー」

 あ、ちょうど、海外ウェディングのページだ。完全に女性向け。だけど憧れる。

「結婚式……」

 俺はぽつりと呟いて、ちらっと多紀くんを窺う。多紀くんは、新しい謎が出てきたな、という不思議そうな顔をしている。可愛い。
 結婚式。したい。約束がほしい。参列者なんていなくていい。他人なんてどうでもいい、多紀くんの約束がほしい。指切りでは足りない。
 一生そばにいると誓ってほしい。誓いのキスをしてほしい。そう思ったらしたくなったので、ちゅう。こめかみ、頬。唇。
 好き。舌も入れちゃおうかなー。

「ん。和臣さん、もうすぐ修習も終わりですね」
「んねー」

 多紀くんはキスに応じつつ、話題を変えた。気まずいのではなく、おそらく考えている。一度では理解できないのだと思う。仕方ない。突拍子もないし。
 だが多紀くんは流されやすい。そういうわけで、サブリミナル効果で塩揉みのように何度も何度も多紀くんの意識下に刷り込んでいき、最後は俺好みの味にする。
 これまでどおりの手法である。

「修習が終わったらどうするんですか?」
「ここに戻ってくる」

 多紀くんはふはっと笑った。

「それはわかってるんです」

 うーん、可愛い。手のひらで髪を撫でてみる。
 俺の手の中に多紀くんの頭があって、髪に触れて、多紀くんはこちらを向いて笑っている。
 すべて最高。

「弁護士登録するよ。就活は終わってるんだ」
「そうなんですか」
「でも『二回試験』があるからさ」
「にかいしけん」
「そう。修習の最後にある考試。恐ろしいことに、追試なし。落ちたら無資格のままで、翌年に受けないといけないの」
「厳しいんですね」
「次郎兄さんの知り合いに二回試験に落ちて就職先の事務所で一年間事務職員やってたひとがいて、針の筵だったらしいよ。次郎兄さんに脅されてるよ。資格がなければ一般人だぞって」
「和臣さんなら大丈夫ですよ」
「次郎兄さんはそう思ってなさそう」
「次郎お兄さんと仲良しですね」
「えー? むかしは甘やかしてくれてたのに、いまはちくちく嫌味を言われる。小姑みたいに口うるさい男だよ」

 理由はわかっている。俺が多紀くんに執着していることを、多紀くん以上に知っている唯一の人物。
 多紀くんは俺のストーカー行為について、許してくれているものの、想像力がはたらいていない部分がある。お母さんも瑞穂さんも、俺を危険視まではしていない。
 しかし次郎兄さんは違う。断片的な情報から、俺がやらかしている行動を、推測している。おそらくそれは高確率で当たっている。兄の責任で異常者の俺を監視して更生させなければならないと考えているふしすらある。
 俺を見る目は非常に冷ややか。

「次郎お兄さん、俺には気を遣ってくれて、親切にしてくれますよ」

 そりゃそうだよ。のんきでうかつで、何も知る由もない被害者。
 兄の多紀くんを見る目は、哀れみ。多紀くんに親切にしながら、到底口に出さない秘密の重さに頭を抱えているね。

「悪い人間ではないんだ」

 むしろ真面目すぎる。清廉潔白。俺と違って優等生で、挫折したことのない人生。俺とも似ていないし、体育会系の長兄ともまた異なるタイプ。

「あ、朝メシがてら散歩でもいきます?」
「うん。帰ってきたら勉強する」
「あ、勉強といえば、俺、大学の受験料を払わないと」

 昨晩、払込票が届いていたと言っていた。
 多紀くん、本当に大学に行くんだなぁ。しみじみ。通信制で、スクーリングもあって時々通学するんだって。楽しみそうにしてる。俺もくっついていきたいな……。一緒に通学して、一緒に授業受けたい……聴講生になろうかな……。
 多紀くんは、学歴高卒に、さほどコンプレックスはないと思う。真面目に働いてきて、おかげで会社でも扱いは悪くない。労働条件はいいほう。
 目標を持っていなかったことに嫌気が差していたんだ。元来、前向きで向上心のある子だから。
 ……好き!

「途中でコンビニに寄ろうか」

 と言ったそのときだ。
 多紀くんのスマホがリビングで鳴った。
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