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過去編 ある四月から九月の話(カズ視点)
一 眠れない
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数学。二週目の問2を同じ箇所で間違えたことに気づいて、つい力が入って鉛筆の芯が折れた。根元のほうが折れたので、だいぶ削らないといけない。
自分が情けない。無駄なことをする時間など、一分一秒たりとも、ないのに。
午前三時。
男子学生寮はしんと静かだ。起きている人がいなくなり、もう少し経てば起きる人がいる、途切れるような時間に差し掛かる。
この時間に電動の鉛筆削りは使えない。隣室に響く。
学生寮は通常は二人部屋のところ、特進科と普通科の大学進学予定者は一人部屋を与えられる。隣も進学予定者の一人部屋だ。
勉強机の端に置いてあるペン立てのカッターナイフを取る。銀色の刃をかちかちと出していく。
ノートの上で、左手に持った鉛筆を、右手のカッターナイフで削ぎ落していく。薄くめくれた木くずと黒鉛の粉が落ちていく。
俺は、中国史上もっとも残酷といわれる処刑方法を思い浮かべる。
凌遅刑。一九〇五年廃止。光緒帝。伯母は西太后。傀儡。最後は毒殺。ほどなく西太后も崩御。最後の皇帝、愛新覚羅溥儀が即位……。満州事変、関東軍……。
黒鉛は鉛ではなくて炭素。……これはいらない。第一志望の大学は、英語、国語、地歴または数学。ボローデール山。日本で最初に鉛筆を使ったのは徳川家康。普及したのは明治維新後……。ウィーン万国博覧会。一八七三年……。
二年生最後の模試で第一志望がC判定だったのは、また体調が悪かったせい。緊張すると胃腸が悪くなる。医者からは精神的なものだといわれている。
高校受験で全滅したなんて、後にも先にも俺だけだ。滑り止めを含むすべての志望校がA判定だったのに、すべての本番で体調を崩した。トラウマを身体が強烈に覚えている。薬なしに眠れない。
だが、そろそろ寝なければならない。これ以上は脳の回転に差し障る。人体は繊細かつ合理的にできている。無理を押せばどこかに皺寄せがくる。
引き出しから薬を出して、机の端のペットボトルの水で飲む。十五分で効く。
カッターナイフの刃に、勉強机の明かりが鋭く反射する。少しだけ手首の血管に当ててみる。冷たい。
刃を舌で舐めてみる。唇で挟んでみる。金属の味。ひたひたと刃を味わいながら、取り留めなく考える。体を削られていく感覚に思いを馳せる。縦に刺したり、薄くめくったり。
もうやめたい。
月曜日。月曜日は嫌いだ。大嫌いだ。考えるだけで息ができなくなる。最初の失敗が月曜日だったから。
早く、今すぐにでも人生が終わればいいのに。毎晩眠る前に考えている。二年間考え続けてきた。カッターナイフの刃をかちかちと戻しながら思う。
実行するなら、日曜日がいい。月曜日が永遠に来ないように。
やがて朝が来る。来なくてもいいのに。
自分が情けない。無駄なことをする時間など、一分一秒たりとも、ないのに。
午前三時。
男子学生寮はしんと静かだ。起きている人がいなくなり、もう少し経てば起きる人がいる、途切れるような時間に差し掛かる。
この時間に電動の鉛筆削りは使えない。隣室に響く。
学生寮は通常は二人部屋のところ、特進科と普通科の大学進学予定者は一人部屋を与えられる。隣も進学予定者の一人部屋だ。
勉強机の端に置いてあるペン立てのカッターナイフを取る。銀色の刃をかちかちと出していく。
ノートの上で、左手に持った鉛筆を、右手のカッターナイフで削ぎ落していく。薄くめくれた木くずと黒鉛の粉が落ちていく。
俺は、中国史上もっとも残酷といわれる処刑方法を思い浮かべる。
凌遅刑。一九〇五年廃止。光緒帝。伯母は西太后。傀儡。最後は毒殺。ほどなく西太后も崩御。最後の皇帝、愛新覚羅溥儀が即位……。満州事変、関東軍……。
黒鉛は鉛ではなくて炭素。……これはいらない。第一志望の大学は、英語、国語、地歴または数学。ボローデール山。日本で最初に鉛筆を使ったのは徳川家康。普及したのは明治維新後……。ウィーン万国博覧会。一八七三年……。
二年生最後の模試で第一志望がC判定だったのは、また体調が悪かったせい。緊張すると胃腸が悪くなる。医者からは精神的なものだといわれている。
高校受験で全滅したなんて、後にも先にも俺だけだ。滑り止めを含むすべての志望校がA判定だったのに、すべての本番で体調を崩した。トラウマを身体が強烈に覚えている。薬なしに眠れない。
だが、そろそろ寝なければならない。これ以上は脳の回転に差し障る。人体は繊細かつ合理的にできている。無理を押せばどこかに皺寄せがくる。
引き出しから薬を出して、机の端のペットボトルの水で飲む。十五分で効く。
カッターナイフの刃に、勉強机の明かりが鋭く反射する。少しだけ手首の血管に当ててみる。冷たい。
刃を舌で舐めてみる。唇で挟んでみる。金属の味。ひたひたと刃を味わいながら、取り留めなく考える。体を削られていく感覚に思いを馳せる。縦に刺したり、薄くめくったり。
もうやめたい。
月曜日。月曜日は嫌いだ。大嫌いだ。考えるだけで息ができなくなる。最初の失敗が月曜日だったから。
早く、今すぐにでも人生が終わればいいのに。毎晩眠る前に考えている。二年間考え続けてきた。カッターナイフの刃をかちかちと戻しながら思う。
実行するなら、日曜日がいい。月曜日が永遠に来ないように。
やがて朝が来る。来なくてもいいのに。
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