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3 ある八月の熱帯夜

十一 体の関係でいい

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 俺はカズ先輩に肩を貸して、自分の住んでいるウィークリーマンションに連れて帰った。安普請ではなくてしっかりした普通のマンションだ。とはいえワンルームで八畳と狭い。大宮のアパートのほうが広い。
 カズ先輩は本当に具合が悪そうで、真っ青な顔をしていた。
 部屋に入って、着替えてもらって、敷いてある布団に寝かせたら、具合悪そうにしながら荷物から薬を出して飲んで、すぐに寝た。
 起きたのは、午前四時だ。俺も布団の端っこで寝ていて、カズ先輩が起きて身動ぎをしたので、俺も起きる。
 部屋に帰ってきたのが午後十時過ぎだから、わりとしっかり寝たなあ。
 カズ先輩は仰向けで、オレンジ色の薄明りの天井を眺めながら呟いた。

「……本当にごめん」

 謝るくらいならやるなよと声を大にして言いたい。言いたいことはいくらでもあるけれど、やはりこれを言いたい。

「…………大丈夫ですか?」
「うん……。始発、何時だろ……」
「六時半が一番早いです」
「そっか。出勤できそう」
「ネットで予約しておけば、六時十分に出ても間に合いますよ。もうひと眠りしたらどうですか」
「ううん、もういいや。ごめん、あとでシャワーを借りてもいい?」
「どうぞ」

 カズ先輩は、ふうとため息を吐く。

「……ごめんね。付き合いきれないね」
「…………もういいです。でも俺としては、昨日言ったことがすべてです。俺のことなんか好きでいても何の得も意味もないし、カズ先輩にとっていいことないです。本当はわかってるんでしょ。何断ってんですか、お見合いとか、告白とか。葉子さんに聞きましたよ。誰とも付き合わないって」

 どうせそれ、俺のせいでしょ。

「興味ないよ。誰に告白されたって、それこそ意味なんかないよ。タキくんがいい。君しかいらない。タキくんじゃないんだったら、誰とも付き合わなくていいもん」

 いいもんじゃない。かわいこぶってもだめ。
 あんな美女軍団に囲まれて本気でそれ言ってんだったら俺の敵だよ。イケメンのくせに。

「またお見合いの話も来ますよ。だから大丈夫です。いくらでも来ますから」

 と軽く言ったら、カズ先輩は軽く笑った。少し元気になったみたいに。

「さすがにもう来ないよ」
「そうなんですか?」
「……本当は、断れない見合いだったんだよ。断るなんて、誰も、きっと誰も思ってなかったよ。俺だって、断るつもりなんかなかったんだから……」

 この人、俺のことあんなひどく犯しておいて、ちゃんとお見合いで結婚するつもりだったのか。信じられない。墓場まで持っていく秘密にしたほうがいいよ。

「上司とかですか?」
「次期社長の親戚。俺より二つ下の……、すごくかわいらしい子。おしとやかで、育ちがよくて、いい学校を出ていて、お花とかお茶とか日舞とかならってて。でも案外今どきの考え方の、前向きで、しゃんとした子で、ちゃんとした会社に就職して、仕事にも真剣に取り組んでいて……。出世が約束されて、親も、いい縁談だって。家柄も合って、一回会って」
「あ、お見合いしたんですか」
「うん。会った。で、この子と結婚するのが、俺の人生の正解なんだなって思った。お見合いの次の日の晩に、仕事が終わってバイクで横浜あたりを走りながら考えて……結婚するって決めた。戻ったら、正式に返事をするつもりだった」

 カズ先輩は言葉を切った。
 そして自嘲気味に笑う。

「今から帰るって時に――タキくんが『知らない土地で野宿(笑)』ってSNSで呟いたんだ……」

 ああ、二ヶ月前のあの夜か。
 そうそう。で、豊橋にいるってもう一個呟いたら、すぐに連絡があったんだよな。仕事で近くにいるって。
 カズ先輩、あのとき横浜にいたのか。仕事って嘘じゃん。ほんと嘘っぱち。
 それに、横浜と豊橋って近いか?
 静岡の存在をお忘れでない?

「会いたくなった。会いに行った。いつも、会いたいのは、タキくんだけなんだ……」

 ああ、俺もあのとき、カズ先輩に早く会いたかったな。
 会ったらひどい目に遭わされたわけだけど、キスされる瞬間まで、いや、入れられる瞬間まで、カズ先輩のこと信じていたし、ほっとしたんだよな。
 助けてくれた。そう思って。

「あのとき、タキくんが困ってたのもあるけど、俺も困ってた。正解なんか、選びたくなかったから。君に会って、やっぱり、泣きたいくらい好きで。君を一目見たら諦められなくて、断るしかなくなった。あんなことしちゃったし」

 でも本当は、その女の子が大正解で、俺は不正解なのに。
 その不正解に、あんなことまでしてさぁ……。

「もう俺、あれ忘れたいんですけど……」
「何もするつもりなかったよ。少しだけ、少しだけ触りたくて、思いのほかすぐに起きてしまって、でも触りたくて、止まらなくなった。止まらなくなったら、全部やっちゃった。ごめんね……」
「もっと穏やかな方法がよかったです……」

 カズ先輩は起き上がって、たまらなさそうに前髪を掻きむしった。

「悪かったと思ってる。本当に。でもさ、普通に告白したら受け入れてくれた? 受け入れなかったとしても、それまでみたいに会ってくれた? ごはん食べたり、話してくれた? どうなってた? タキくんのことが好きだって言ったら……。言えないよ。ただの先輩以上の存在になれる自信、ないよ……」

 俺もぜんぜん自信ない。
 俺は答えた。

「俺もカズ先輩のこと好きでしたよ。みんなの憧れの先輩で、かっこよくて、俺も憧れの先輩。仲がいい先輩後輩っていうの、嬉しかったですよ。警戒心丸出しの猫が、俺にだけ懐いているみたいで……。なんで話せるのか、みんなに聞かれまくりでしたもん。でも、カズ先輩のことを恋愛対象にする自信はないです。今もないです」
「じゃあ体の関係でいいよ……」
「よくないんですけど……?」
「……わかった。最後にする。最後にエッチさせて」

 と、カズ先輩は誤魔化すように笑って、俺の上に覆いかぶさってくる。
 口づけられるのも、もう慣れた。キスが上手くて気持ちいいことなんか絶対に言わない。たぶんバレてるだろうけど。
 俺は言った。

「お別れエッチしようとする悪い男……。で、どうせ無理にでもするんでしょ。断っても嫌がっても嫌いでもするんでしょ」
「するね……。でも、本当は、一度くらいは、恋人同士みたいにしたかったな……。タキくんと、心から、お互いに愛し合ってるみたいにしたい……」

 君の一番になりたくて、なれなくて、ずっと苦しかった、とカズ先輩は言った。
 涙がぱたぱた降ってくる。
 また泣いてるし……。
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