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2 ある七月の暑い夜
八 どうにもならなかった
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午前七時。
夏の朝は涼しくて気持ちいいけれど、日が差して徐々に暑くなってくる。
俺は近所のコンビニに向かった。カズ先輩はまだ寝ている。鍵を借りて出てきた。
腹が減った。許可を得ているとはいえ、他人の家の棚や冷蔵庫を勝手に開ける気になれなかったのである。
カズ先輩は何か食うのかな。何か買っておこうか。まあ、いっか。あの人は自分ちなわけだし。
テキトーにサンドイッチとおにぎりを選んで買って、マンションに戻る。
鍵を使って入ろうとして、ドアを開けたときに、ちょうどカズ先輩が向こう側からドアを開けた。
なんだろ、急いでる?
慌てて服を着た、という感じ。慌てるって珍しい。
「おはようございまーす」
「ど、どこ行ってたの……!」
「え、コンビニ……。鍵借りますって一応言ったんですけど。すみません、寝てたから起こしづらくて」
「……よかった……」
あ、俺がいなくて焦ったのか。別に黙って帰ったりはしないよ。帰りたいのは山々だけど。
俺は言った。
「じゃあ、俺、帰りますね」
カズ先輩が起きるまで、朝飯でも食いながら待とうと思ってたけど、起きたんだったら帰ってもいいや。
朝飯は道すがら食べるか。
カズ先輩はきょとんとしながら訊ねてくる。
「え、どうして? ここに住むんじゃないの?」
???
いつの間にそんな話に変わったの?
押し強すぎない?
「いいえ、アパートに帰ります。総務から連絡があって。例の中途採用、本人から断りの連絡がきたらしいのと、ひとり辞めて出ていくみたいで、しばらくアパート出ていかなくてよくなりました」
さっき携帯電話を見たら、メッセージが届いていた。朝の五時。徹夜だったな、総務の子。可哀そうに。固定残業代なのに。九時五時。つまり午前九時から午前五時の会社だよ。
俺も、自分で自分が可哀相だよ。仕事もプライベートも散々だよ。
でもまあ、ブラック企業に振り回されて骨折り損なんざ、朝飯前。
カズ先輩は、ちょっと怖い顔してる。
開けたままのドアに軽くもたれながら。カズ先輩、裸足だ。部屋に入ればいいのに。
「前から思ってたんだけどさ」
「……はい」
「その会社、辞めようよ」
俺は沈黙する。
だがカズ先輩も沈黙している。
俺は苦笑した。
「……でも、転職するの怖いんですもん。学歴もないし、スキルもないし、住む場所もなくなるし」
「タキくん、年収三百万円でしょ。残業代もろくにつかないみたいだし、いくら社宅っていったって、そんな働き方でその年収では、体を壊したらどうするの。そこよりいい会社、ぜったいにあるよ」
カズ先輩にしては、突っ込んだ話をしてきた。
いつもは俺の話を聞くに徹していて、自分の意見なんか、一切言わなかったのに。
そういう余計なお節介さのない距離感が、心地好かったのに。
「ずっと言おうとは思ってたんだよ、でも嫌がると思って……」
そりゃ、嫌がったかもしれない。現に今、言われて嫌だもん。
実家を出たかったし、無職になって、住むところもなくて、今よりいい会社などという曖昧な、謎のベールに包まれているような会社がちゃんと見つからなかったら、見つかったとしても採用されなかったら、貯金なんか一瞬で尽きてしまう。一ヶ月、二ヶ月……三ヶ月もたない。
だからといって、仕事しながら転職活動できるような状況でもない。
毎日くたくたで、疲れて倒れるように眠ってる。日常生活だって何もかも後回しにしてしまうのに、転職活動なんかできっこない。
自分でも現状を変えたいとは思ってるよ。でも変えられない。踏み出せない。
そんな情けない自分に後ろめたさを感じているのに、他人からアレコレ言われたら、たぶん俺はその人を鬱陶しく感じると思う。
とはいえ、多少お節介でも、まだ、転職の相談に乗ってくれるほうが、無理やり犯しながら片想いの告白をしてくるよりはマシなんですけどね……。
「先輩みたいに、二十六歳で年収八百万円超えてる人には、わかりませんよ……」
ひねくれてる、と先輩は苦笑する。
「じゃあ、会社に行けないように、捕まえてもいい?」
カズ先輩は、俺の手首を掴んで、部屋に引き込んだ。
夏の朝は涼しくて気持ちいいけれど、日が差して徐々に暑くなってくる。
俺は近所のコンビニに向かった。カズ先輩はまだ寝ている。鍵を借りて出てきた。
腹が減った。許可を得ているとはいえ、他人の家の棚や冷蔵庫を勝手に開ける気になれなかったのである。
カズ先輩は何か食うのかな。何か買っておこうか。まあ、いっか。あの人は自分ちなわけだし。
テキトーにサンドイッチとおにぎりを選んで買って、マンションに戻る。
鍵を使って入ろうとして、ドアを開けたときに、ちょうどカズ先輩が向こう側からドアを開けた。
なんだろ、急いでる?
慌てて服を着た、という感じ。慌てるって珍しい。
「おはようございまーす」
「ど、どこ行ってたの……!」
「え、コンビニ……。鍵借りますって一応言ったんですけど。すみません、寝てたから起こしづらくて」
「……よかった……」
あ、俺がいなくて焦ったのか。別に黙って帰ったりはしないよ。帰りたいのは山々だけど。
俺は言った。
「じゃあ、俺、帰りますね」
カズ先輩が起きるまで、朝飯でも食いながら待とうと思ってたけど、起きたんだったら帰ってもいいや。
朝飯は道すがら食べるか。
カズ先輩はきょとんとしながら訊ねてくる。
「え、どうして? ここに住むんじゃないの?」
???
いつの間にそんな話に変わったの?
押し強すぎない?
「いいえ、アパートに帰ります。総務から連絡があって。例の中途採用、本人から断りの連絡がきたらしいのと、ひとり辞めて出ていくみたいで、しばらくアパート出ていかなくてよくなりました」
さっき携帯電話を見たら、メッセージが届いていた。朝の五時。徹夜だったな、総務の子。可哀そうに。固定残業代なのに。九時五時。つまり午前九時から午前五時の会社だよ。
俺も、自分で自分が可哀相だよ。仕事もプライベートも散々だよ。
でもまあ、ブラック企業に振り回されて骨折り損なんざ、朝飯前。
カズ先輩は、ちょっと怖い顔してる。
開けたままのドアに軽くもたれながら。カズ先輩、裸足だ。部屋に入ればいいのに。
「前から思ってたんだけどさ」
「……はい」
「その会社、辞めようよ」
俺は沈黙する。
だがカズ先輩も沈黙している。
俺は苦笑した。
「……でも、転職するの怖いんですもん。学歴もないし、スキルもないし、住む場所もなくなるし」
「タキくん、年収三百万円でしょ。残業代もろくにつかないみたいだし、いくら社宅っていったって、そんな働き方でその年収では、体を壊したらどうするの。そこよりいい会社、ぜったいにあるよ」
カズ先輩にしては、突っ込んだ話をしてきた。
いつもは俺の話を聞くに徹していて、自分の意見なんか、一切言わなかったのに。
そういう余計なお節介さのない距離感が、心地好かったのに。
「ずっと言おうとは思ってたんだよ、でも嫌がると思って……」
そりゃ、嫌がったかもしれない。現に今、言われて嫌だもん。
実家を出たかったし、無職になって、住むところもなくて、今よりいい会社などという曖昧な、謎のベールに包まれているような会社がちゃんと見つからなかったら、見つかったとしても採用されなかったら、貯金なんか一瞬で尽きてしまう。一ヶ月、二ヶ月……三ヶ月もたない。
だからといって、仕事しながら転職活動できるような状況でもない。
毎日くたくたで、疲れて倒れるように眠ってる。日常生活だって何もかも後回しにしてしまうのに、転職活動なんかできっこない。
自分でも現状を変えたいとは思ってるよ。でも変えられない。踏み出せない。
そんな情けない自分に後ろめたさを感じているのに、他人からアレコレ言われたら、たぶん俺はその人を鬱陶しく感じると思う。
とはいえ、多少お節介でも、まだ、転職の相談に乗ってくれるほうが、無理やり犯しながら片想いの告白をしてくるよりはマシなんですけどね……。
「先輩みたいに、二十六歳で年収八百万円超えてる人には、わかりませんよ……」
ひねくれてる、と先輩は苦笑する。
「じゃあ、会社に行けないように、捕まえてもいい?」
カズ先輩は、俺の手首を掴んで、部屋に引き込んだ。
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