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4 寝室の壁と婚約指輪

三 湖畔の教会

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 文弥さんは嵐みたいだ。俺はそう思う。
 すごい勢いで俺を巻き込んで、突然消えてしまった。
 置いていかれた俺は、文弥さんのいうとおりゆっくりしようと思うけれど、知らないおうちなので落ち着かず、リビングの広いソファでうたたね。暖炉の火があたたかくて、気がついたら眠っていて、時計を見ると、二時間が経っていた。
 文弥さん、遅いな。
 夜ご飯を一緒にって話しが出ていたということは、夜まで戻らない可能性があるのだろうか。
 タクシーに乗る前に最寄り駅でもらった地図を開いてみる。周辺の観光マップだ。文弥さんのこっちの知り合いは、別荘地のどこかの家の人なのかな。
 この別荘は奥深い別荘地のさらに奥の方にあり、裏手に湖と教会があるらしい。
 湖畔の教会は、別荘から徒歩十分。他のエリアや観光地よりもずいぶん近い。
 文弥さんは帰ってこないし、少し散歩しようかな。日が落ちたら歩けなさそうだから、少しだけ。
 そう思って、俺は別荘を出た。

 外の空気は冷たいものの、地図のとおりのゆるやかな勾配のある遊歩道を歩いていると気持ちよくて、頭がすっきりする。
 文弥さんが言ったとおり、空気がすごくきれいだ。
 なんだか不思議な気分。
 どうして俺は、信州の山奥の別荘地を、ひとりきりで歩いているんだろう。こんな場所にいる自分を、いつ誰が想像できただろう。
 俺は、一年後の今日、自分かどこで何をしているのかを考えてみる。どこで何をしているのか、まったく想像できなかった。
 どうして文弥さんとの契約結婚に乗り気になってしまったのか、ずっと考えていた。
 俺、寂しかったんだ。
 これまでひとりで生きていたし、これからもひとりで生きていくはずだった。なのに、ほんの一瞬でもふたりになれるんだったらと、差し出された手をとってしまった。ひとりじゃ嫌だって、潜在的に、思っていたのかもしれない。自分でも気づかないうちに。
 いまとなっては、選んじゃいけなかったと思う。文弥さんとの契約結婚生活を。
 文弥さんが幸せそうにしていればしているほど、俺を好きだと言ったり、キスをしたり、そばにいる時間は、幸せであると同時に、心に寂しさが募る。
 こんなふうに、満たされながら、同時に別れを意識して寂しくなるなんて。
 先日かかったお医者さんは、αは傲慢だから、Ωの体のリスクなんて考えてくれないと言った。
 でも俺も考えてなかった。ほんの数週間足らずで、一年後のお別れに辛くなるなんて、ちっとも考えてなかった。体のことも、心のこともなんにも。
 本当は、目先の利益に釣られずに、もっとちゃんと考えなくちゃいけなかったんだ。
 だから、文弥さんと話さなきゃいけない。文弥さんなら、話せばわかってくれるはずだ。俺の体のことを文弥さんはきっと気遣って、早いうちに離婚したほうがいいって判断してくれる……。
 ……文弥さんと、離婚するのか、俺。

 気づくと、湖畔の教会にまでやってきていた。地元のひとたちのための教会のようだが、観光客にも開放しているらしく、扉が開いている。
 なかを覗くと、イースターの飾り付けがしてあり、ひとが何人かいた。
 俺は見慣れた姿に息を止める。
 文弥さん?
 文弥さんと――誰だろう。少し年上らしい、小柄な男性が向かい合っている。
 知り合いってあのひとかな。他の別荘ではなく、ここで会っていたんだ。
 こちらに背を向けている。
 ふたりとも、覗いている俺には気づいていなかった。

「――好きなんです」

 と、文弥さんは緊張した声で言った。

「どうか受け取ってもらいたいです……」

 男性は、手元で何かを開けている。
 小さい箱だ。片手におさまるサイズで、サイコロみたいに正方形で、ベージュ色をした、ベルベッドに包まれている箱。リングケースに違いなかった。
 文弥さんと二人で、嬉しそうに、小箱をのぞき込んでいる。
 気づくと俺は、教会に背を向けて、逃げるように走り出していた。
 聞きたくない。文弥さんが他の人に告白する場面なんて。

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