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番外編5 こぼれ話
9 コタツの話
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「ただいま」
みぞれまじりの土砂降りの中、レンが帰宅すると、いつもならば飛び出してくる迎えがない。春先の冷えた廊下はしんと静まり返り、明かりもついていない。
あ、寝ているなとレンは気づき、物音を立てないように、そうっとあがる。靴の中まで水が入り、靴下が濡れているので、脱ぎながら。
レインコートを脱いで、靴を乾かすために立てかけて、途中の脱衣所で靴下や上着を洗濯機に放り込んで、タオルで濡れた部分を拭きながら、廊下の明かりをつけ、レンはリビングに入った。リビングの明かりはつけずに見回す。
いない。
どこでうたたねをしているのだろう。
ガラス張りのサンルームは遠い街灯の光が差して薄暗く、だが人影はない。寝室のドアを開けたが、そこにもいなかった。やっとどこにいるのかわかる。
レンが自室に入ると、正解だった。ドアを開けた瞬間にわかる。レンの部屋に置いてある正方形の小さなコタツで、ルイスとマリアンヌは寝息を立てている。
午後八時の部屋は暗い。いったいいつから寝ているのだろうか。
規則正しい呼吸音がふたつ、タイミングがズレながら、また重なり、またズレていく。しばらく、その、秒針と分針のような音に耳をそばだてる。
廊下の明かりを頼りにレンがコタツの上を見ると、ルイスはノートパソコンで仕事をし、マリアンヌはクレヨンでお絵描きをしていたという経緯が手に取るようにわかる。
A3の真っ白い画用紙に、笑顔のお父さんとパパとマリアンヌ。今夜の夕飯に作りおきしていた、マリアンヌの好物であるオムライス。黄色く塗られた卵の上に、ルイスが絞ったと思しき星とハートのケチャップが、赤いクレヨンで丁寧に描かれている。マリアンヌは細かい。職人技である。
ルイスは、マリアンヌをコタツから出して、上掛けを羽織らせて腕枕をして眠っている。小さなマリアンヌが脱水症状を起こさないように。
いまここに存在する物事のひとつひとつに、自分たちが積み重ねてきた幸せが宿っているとレンは思う。
レンがコタツの上の二人のために作ったオムライスを味わっていると、やがてマリアンヌがもぞもぞ動いた。
レンはしゃがみこんでマリアンヌに小声で問いかける。
「マリー。起きた?」
マリアンヌは、大あくびと伸びをし、目をこすりながらレンを見て、両腕を伸ばす。
「おとーさん。おかえりなさい」
レンはマリアンヌの脇に両手を差し入れて立ち上がらせ、首元や頭に触れる。
「ただいま。マリー、汗かいてるね。お水飲んで、お着替えしようか」
「ん」
這い出てきたマリアンヌはパジャマ姿だ。お風呂に入れたあとらしい。
自室を出て、マリアンヌを着替えさせ、水を飲ませる。トイレに行かせたあと、寝室に連れて行くと、気持ちよさそうにすんなり寝た。
あとは、レンが自室に戻ってもまだ寝ている、コタツが大好きな大人。
先程マリアンヌがいた位置に、レンは潜り込もうとする。狭いから無理だなと断念して、傍らに横たわって、ルイスの額に、自分の額を寄せた。それから天井を仰いで、目を閉じる。
静かだとレンは思う。
ルイスはおしゃべりなので、会話が途切れることが普段はあまりない。ただ、起きているか寝ているかにかかわらず、ルイスとの間に、こういう静けさが、時折ふと流れる。おしゃべりも好きだが、このとても静かな時間を、レンは気に入っている。
しばらくそうしていると、ルイスが身動ぎをして、レンの上半身に腕を回しながら、額に唇を寄せた。
それから気づく。夢見心地な曖昧な動きではなく、体に力が入る。起きたらしい。
「……あれ? マリーじゃなくて、レンだ。おかえり。そんな時間?」
「ただいま。八時過ぎだよ。あとは恭介たちにお願いしてきたんだ」
「マリーは?」
「寝室に寝かせてる。着替えさせたよ。何時に寝たの」
「七時過ぎかな。マリーのお絵描きを見届けて」
「あ、そうなんだ」
ルイスはあまり寝ないほうだが、コタツの魔力に取りつかれており、コタツに入るとうたたねしてしまうことが多い。
マリアンヌもルイスの影響を受け、コタツが好きだ。冬の間、リビングにいる時間よりも、レンの部屋にいる時間のほうが長い。
春頃にコタツを撤去すると永遠の別れのように惜しんでいる。少し寒さが戻ると、まだ仕舞うには早かったのではないか、とこぼしている。
レンはルイスに、リビングにコタツを置いてはどうかと提案したが、二十畳以上のリビングではなく、ちょっと狭いレンの部屋にあるのがちょうどいいんだ、とルイスが力説するので、コタツはレンの部屋が定位置だ。
ルイスはマリアンヌのことを考えながらつぶやいた。
「暑かったかもしれないな……」
「汗はかいてたけど、全身出てたから大丈夫」
ルイスはほっとして、ふたたびレンを抱き寄せる。
「ごはんは全部食べたよ。オムライスとサラダ。オニオンスープ。お風呂も入ったし、歯も磨いたし、お絵描きもして、あとは寝るだけだったんだ」
「うん」
「見て、お父さんとパパとマリー。これは僕のコレクション」
「うん」
レンはくすくす笑いながら、軽く上半身を起こして、ルイスの顔を覗き込む。
「ジェイミー」
「ん?」
「ちょっと妬ける」
ルイスはレンの意図を察して、レンの頭を両手で引き寄せ、口づけた。
「では、これからは大人の時間にしよう」
「うん」
ルイスはコタツから出つつ、レンの上になってまた深く口づける。
〈コタツの話 終わり〉
みぞれまじりの土砂降りの中、レンが帰宅すると、いつもならば飛び出してくる迎えがない。春先の冷えた廊下はしんと静まり返り、明かりもついていない。
あ、寝ているなとレンは気づき、物音を立てないように、そうっとあがる。靴の中まで水が入り、靴下が濡れているので、脱ぎながら。
レインコートを脱いで、靴を乾かすために立てかけて、途中の脱衣所で靴下や上着を洗濯機に放り込んで、タオルで濡れた部分を拭きながら、廊下の明かりをつけ、レンはリビングに入った。リビングの明かりはつけずに見回す。
いない。
どこでうたたねをしているのだろう。
ガラス張りのサンルームは遠い街灯の光が差して薄暗く、だが人影はない。寝室のドアを開けたが、そこにもいなかった。やっとどこにいるのかわかる。
レンが自室に入ると、正解だった。ドアを開けた瞬間にわかる。レンの部屋に置いてある正方形の小さなコタツで、ルイスとマリアンヌは寝息を立てている。
午後八時の部屋は暗い。いったいいつから寝ているのだろうか。
規則正しい呼吸音がふたつ、タイミングがズレながら、また重なり、またズレていく。しばらく、その、秒針と分針のような音に耳をそばだてる。
廊下の明かりを頼りにレンがコタツの上を見ると、ルイスはノートパソコンで仕事をし、マリアンヌはクレヨンでお絵描きをしていたという経緯が手に取るようにわかる。
A3の真っ白い画用紙に、笑顔のお父さんとパパとマリアンヌ。今夜の夕飯に作りおきしていた、マリアンヌの好物であるオムライス。黄色く塗られた卵の上に、ルイスが絞ったと思しき星とハートのケチャップが、赤いクレヨンで丁寧に描かれている。マリアンヌは細かい。職人技である。
ルイスは、マリアンヌをコタツから出して、上掛けを羽織らせて腕枕をして眠っている。小さなマリアンヌが脱水症状を起こさないように。
いまここに存在する物事のひとつひとつに、自分たちが積み重ねてきた幸せが宿っているとレンは思う。
レンがコタツの上の二人のために作ったオムライスを味わっていると、やがてマリアンヌがもぞもぞ動いた。
レンはしゃがみこんでマリアンヌに小声で問いかける。
「マリー。起きた?」
マリアンヌは、大あくびと伸びをし、目をこすりながらレンを見て、両腕を伸ばす。
「おとーさん。おかえりなさい」
レンはマリアンヌの脇に両手を差し入れて立ち上がらせ、首元や頭に触れる。
「ただいま。マリー、汗かいてるね。お水飲んで、お着替えしようか」
「ん」
這い出てきたマリアンヌはパジャマ姿だ。お風呂に入れたあとらしい。
自室を出て、マリアンヌを着替えさせ、水を飲ませる。トイレに行かせたあと、寝室に連れて行くと、気持ちよさそうにすんなり寝た。
あとは、レンが自室に戻ってもまだ寝ている、コタツが大好きな大人。
先程マリアンヌがいた位置に、レンは潜り込もうとする。狭いから無理だなと断念して、傍らに横たわって、ルイスの額に、自分の額を寄せた。それから天井を仰いで、目を閉じる。
静かだとレンは思う。
ルイスはおしゃべりなので、会話が途切れることが普段はあまりない。ただ、起きているか寝ているかにかかわらず、ルイスとの間に、こういう静けさが、時折ふと流れる。おしゃべりも好きだが、このとても静かな時間を、レンは気に入っている。
しばらくそうしていると、ルイスが身動ぎをして、レンの上半身に腕を回しながら、額に唇を寄せた。
それから気づく。夢見心地な曖昧な動きではなく、体に力が入る。起きたらしい。
「……あれ? マリーじゃなくて、レンだ。おかえり。そんな時間?」
「ただいま。八時過ぎだよ。あとは恭介たちにお願いしてきたんだ」
「マリーは?」
「寝室に寝かせてる。着替えさせたよ。何時に寝たの」
「七時過ぎかな。マリーのお絵描きを見届けて」
「あ、そうなんだ」
ルイスはあまり寝ないほうだが、コタツの魔力に取りつかれており、コタツに入るとうたたねしてしまうことが多い。
マリアンヌもルイスの影響を受け、コタツが好きだ。冬の間、リビングにいる時間よりも、レンの部屋にいる時間のほうが長い。
春頃にコタツを撤去すると永遠の別れのように惜しんでいる。少し寒さが戻ると、まだ仕舞うには早かったのではないか、とこぼしている。
レンはルイスに、リビングにコタツを置いてはどうかと提案したが、二十畳以上のリビングではなく、ちょっと狭いレンの部屋にあるのがちょうどいいんだ、とルイスが力説するので、コタツはレンの部屋が定位置だ。
ルイスはマリアンヌのことを考えながらつぶやいた。
「暑かったかもしれないな……」
「汗はかいてたけど、全身出てたから大丈夫」
ルイスはほっとして、ふたたびレンを抱き寄せる。
「ごはんは全部食べたよ。オムライスとサラダ。オニオンスープ。お風呂も入ったし、歯も磨いたし、お絵描きもして、あとは寝るだけだったんだ」
「うん」
「見て、お父さんとパパとマリー。これは僕のコレクション」
「うん」
レンはくすくす笑いながら、軽く上半身を起こして、ルイスの顔を覗き込む。
「ジェイミー」
「ん?」
「ちょっと妬ける」
ルイスはレンの意図を察して、レンの頭を両手で引き寄せ、口づけた。
「では、これからは大人の時間にしよう」
「うん」
ルイスはコタツから出つつ、レンの上になってまた深く口づける。
〈コタツの話 終わり〉
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