溺愛社長とおいしい夜食屋

みつきみつか

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四年目の春の話(最終章)

二 冬に起きたこととこれからのこと

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 スーツ姿のルイスの腕に抱かれてすっかり海老反りになりつつ、マリアンヌは泣き叫んでいる。自宅のマンションを出る前からずっとこの調子である。

「パパいやー!」

 ルイスは困り切っている。

「ほら! マリー! 着いたよ。レン、レンだよ。お父さん!」
「おとーしゃーーーん!」

 カウンター内のレンに向かって、マリアンヌは腕を伸ばす。レンは慌てて作務衣を脱ぎながらカウンターを出て、ルイスからマリアンヌを受け取る。
 レンはマリアンヌの背を叩きながら揺らした。

「マリー、また泣いてるの。パパを困らせちゃいけませんよ」

 やっと解放されたルイスは、身体をほぐしながら答える。

「日曜日はレンは休みって覚えてしまったんだよ。なのに朝早くに出かけるから……」
「ごめんね、マリー。恭介に今日の準備を全部任せるのは申し訳なくて」

 今日、午後から、ルイスの親族たちとよぞらの二階で食事をする予定になっている。

「俺はいいっすよ」
「困るよ、恭介……」

 なにせ、店が狙われているのである。今までもこれからも、恭介の快諾は、よぞらをいつか奪取するための布石なのである。いくらでも任せてほしいと恭介は本気で思っている。下心があったことを知り、レンはやや複雑な思いである。
 真っ赤な泣き顔をカウンター越しに覗き、恭介はマリアンヌに微笑む。

「わあ、可愛いな。マリーちゃん」
「マリー。ほら、恭介お兄さんだよ」

 と、レンはやっと泣き止んだマリアンヌの涙や鼻水を、ルイスから渡されたハンカチで拭きながら、恭介に紹介する。

「何歳ですか?」
「一歳十ヶ月だね、マリー」

 ルイスは答えた。
 ルイスとレンがマリアンヌの世話をしはじめて、早四ヶ月が経つ。
 冬の終わりに、機能不全家庭と協議した。マリアンヌの今後のことだ。
 だがマリアンヌの父である陸のその父親は、息子のことさえどうでもよさそうで、母親は保身ばかりで、息子である陸のことも、小さな子がいるという現実を知ろうともしないものだから、今度はルイスではなくレンが激怒して、陸の父親に殴りかかろうとするなど色々あった。
 あやうく警察沙汰になりかけて、キレるレンをルイスと陸が必死で押さえて止めた。
 レンは、マリアンヌをいらないと言われて、我慢ならなかった。レンはパワーこそないが、喧嘩となると自分の身体を省みずに立ち向かう。痛みに強いせいだ。
 ルイスはそのとき、やはりレンは怒ると怖いと思った。殴りたい気持ちは同じだし、客観的には同情を引く内容であろうが、やはり人を殴るのはよくないし、ビザの都合上、警察沙汰は避けたい。高度専門職なので優遇されてはいるが、暴行傷害は非常に厳しい。
 けっきょく、陸がマリアンヌを育てるのは、まったく現実的ではなかった。そのため、ルイスとレンが世話を続けている。
 陸は、大学に通いながら、週に一、二度、マリアンヌに会いに来る。
 そのときにルイスは陸に勉強を教えたり、はとこであるミシェルの話をしている。
 なお、ルイスはマリアンヌの未成年後見人となる予定なのだが、マリアンヌのパパいやがすごいので、認められなかったらどうしようかと頭を悩ませている。

「恭介、このお店が欲しいの?」

 ルイスは訊ねた。ルイスはドア越しに少し聞こえていた。
 恭介は堂々と答える。

「はい」
「ふうん」

 ルイスは腕を組んだり、顎に手をやって考える。
 ルイスは、そういう仕事をしている。
 従業員への事業承継である。とはいえ、ルイス自身は、日本の個人事業主を扱った経験がない。とうに現場を退いて経営に集中しているし、今の会社はこれほど小規模の案件は取り扱っていない。
 だが、レンと恭介に任せていたらぐだぐだになりそうだ。調整するなら自分だろうと思う。
 以前、決算書を見たので、事業の価値を算定するための情報はある程度持っている。とはいえもう一度調査しよう。レンの利益を最大化すれば、恭介の負担が重くなり、かえってレンの気が揉める。その点も配慮する必要がある。
 経営資源、物的資産を整理しなければならない。不動産をどうするか。
 飲食店営業の許認可、税制、税金、レンの廃業届に恭介の開業届、アルバイト二名の雇用契約の引き継ぎ……。

「事業譲渡契約書……」

 ルイスの不穏な独り言にレンは怯えた。よぞらに暗雲が立ち込めている気がする。ルイスと恭介に任せていたら、レンの知らないうちに事が進んでしまう。
 ルイスは、現在、アメリカにある親会社の経営を諦めていない。単身赴任は考えられないので、いずれレンを連れてアメリカに戻るつもりである。

「あのー、そこの二人、勝手に決めないようにね……?」

 レンは二人に釘を刺しておく。
 そして、腕の中で大人しくしているマリアンヌに話しかける。

「さあ、マリー。待たせてごめんね。お父さんとパパと写真を取りに行きましょうね」

 恭介が訊ねる。

「衣装は……レンさんは現地ですか」

 ルイスは最高品質のスーツを着ているが、レンは普段着である。

「うん。式場で着替えるよ」
「僕も着替えるよ。レンとお揃いなんだ」

 とルイスは自慢する。

「旦那さんのスーツって衣装じゃないんですか?」
「これは普段着だけど?」

 恭介は苦笑する。

「華やかですねえ」

 ルイスのスーツは常に何かの撮影のように決まっているが、現地では、シルバーのタキシードにボウタイの予定である。レンも同じなのだが、衣装合わせの際、レンが七五三だったのに比べて、ルイスはどこからどう見ても王侯貴族だった。
 似合いすぎて、式場の人に写真を載せさせてほしいと懇願されていた。ルイスは別に構わないというかレンと一緒ならむしろ使ってほしかったが、レンは断った。なのでルイスも断った。

「写真できたらまた見せるよ。本物の衣装だと、驚くほど貴族だよ」
「ぜひ。なんかいいっすね。幸せそう」
「親族で式場内の教会で式を挙げて、写真を撮るだけ。はあ。場所は式場だし、僕の親族だけだし、披露宴はしないし、衣装はレンタルだし」

 ルイスは言った。
 正直いって不満なのである。
 レンがあまり盛大にするのは……と後ろ向きなので、やむを得ず、ごく近しい身内で挙式のみ行うことにしたが、この人生最大ともいえる機会に潤沢な資金を使わないで一体いつ使うのかと悔しい。
 せめて花火でも打ち上げてしまおうかとこっそりスタッフに相談し、ルイスにとってはポケットに入っている小銭レベルのオプション料金だったが、耳ざといレンに素気無く断られた。
 レンとしては、これ以上どうすればいいのかという思いである。男性同士でも結婚式を挙げること自体がレンにとって奇想天外だ。式の話が出たとき、なかなか理解できなかった。ルイスが挙げたいというのでやむなくである。
 ルイスとレンが結婚式を挙げることをクリスティナが前もって知っていたようで、レンは驚いた。誘ったら、「ああ、知ってる。いつするんだったっけ?」と答えたのである。
 ルイスが結婚式について言及したのは、クリスティナの誕生日パーティーの二日目の朝食時である。そのため、列席者は全員その時点で知っていた。結婚式を挙げることを知らなかったのは、当事者であるレンだけだ。英語が聞き取れないせいである。
 ルイスは言った。

「アメリカで、あちらにいる親族に紹介するときには、盛大な結婚パーティーにするんだ。ねえ、レン」
「ええ、まあ、はい……」

 彼が盛大だというのだから、きっと自分では到底想像できない盛大さであることを、レンは覚悟している。英語がわからないのをいいことに、今度は花火も打ち上げる気がする。
 実のところルイスは、そのパーティーで自分のパートナーが男性であると公表することになるので、緊張している。隠し通すつもりで生きてきたのである。アメリカでの自分の立場は、準公人に近い。あちらのパパラッチは本当にひどいので、レンを守らなければならない。大々的にするかは検討中である。なんだか格好悪いので、レンには絶対に言わない。
 そうこうしているうちに、時間が迫ってくる。

「恭介、あとでまた来るね。頼むね」
「オッケーっす」

 恭介に見送られて、ルイスとレン、マリアンヌの三人で店を出た。戸を開ければ広がる、雲一つない快晴の朝の空が眩しい。
 レンは腕の中でご機嫌な様子のマリアンヌに言う。

「わあ、いい天気だねえ、マリー。歩く?」
「ううん」

 ルイスは道の先を示す。

「レン、行こうか」
「はい」
「ね、マリーも行こうねー。パパとお父さんの結婚式なんだよ。おめかししようねー」
「パパいや。おとうしゃんがいい」
「マシェリ。突然そんな口達者になって言うことがそれって。パパは悲しいです……」

 ルイスは肩を落としつつ、逆境に負けないようにマリアンヌの額にキスをした。マリアンヌはむずがる。
 レンは歩きながら言った。

「マリー。パパはマリーが大好きだし、お父さんはね、マリーとパパが大好きなんだよ」

 レンと目が合ったルイスは人目もはばからず、レンの頬にキスをした。
 ルイスの顔をレンから遠ざけるべく、マリアンヌは手が出た。
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