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四年目の春の話(最終章)

一 よぞらの改装

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 四月第一週の日曜日。午前八時。
 雲一つない快晴だった。春の朝だ。
 よぞらの表のシャッターを上げて、引き戸を開き、恭介が入ってくる。

「おはようございます、レンさん」

 カウンターの中にいたレンは顔をあげた。

「おはよう、恭介」
「あ、壁にテーブル置くんですか」
「うん」

 一階の客席に、小さな二人掛けのテーブルを置いてある。昨日までの改装工事の際に、一階にも少し手を入れた。

「二階、見に行っていいですか?」
「うん。ぜひぜひ」
「では遠慮なく」
「あっ、二階にロッカー置いてあるから。二階で着替えてね。鍵は刺さってる」
「了解っす」

 恭介は二階を確認して、着替えて、また降りてくる。
 階段から嬉しそうな顔を覗かせる。

「綺麗っす」
「いい感じっしょ」
「はい」
「よっしゃ。がんばろう」
「がんばりましょう」

 レンは、キッチンカウンターに入ってきた恭介とハイタッチをした。
 去年の暮れに恭介が提案した二階の改装は、昨日終わった。一月に恭介が引っ越して、業者を調べて計画を練り、実際の改装に着手したのが三月に入ってすぐのことだ。一部営業をしながら一ヶ月ほどかけて工事をし、四月初旬。
 一階の水回りとお手洗い、階段の手すりを補強して、二階は風呂と台所を撤去して、小上がりの和室三部屋にして場合によって繋げられるようにし、従業員用の休憩スぺースを作った。
 恭介は作業を始めつつ感激する。

「いいなあ。いい店です……!」

 恭介はよぞらをとても気に入っている。

「そんなに? 嬉しいな」

 レンは作業をしながら訊ねた。

「恭介は新しいお部屋はどう?」
「普通です。ごくフツーの1DK。また遊びにでも来てください。ここより狭いですけど、設備は新しいですね」
「ここは古かったからなあ。水回りは今回手入れしたけど、何年かしたら全面改築かも」
「お金を貯めておかないとですね」
「あっ、心配しなくても、すっからかんってわけじゃないよ」

 改装には費用がかかる。レンは当然ながら、請求書を見て、税理士に相談した上で支払いをおこなおうとした。
 気を遣おうとしたのかもしれないのだが、そこで、資金が足りないのならば自分が出そうかと言ったルイスと喧嘩になった。思い出してしまい、レンは少し苦々しい。
 パトロンみたいで嫌だから、万一足りないとしても銀行などに借りるといって固辞したところ、ルイスは、レンはパトロンを真に理解していないと怒り、さらには、レンはすぐに感情でものをいうと詰り、しまいには、金利って知ってる? などと言って馬鹿にしたのである。
 金利ならばレンだって知っている。だが、具体的にどのように計算をすればいいのかはわからない。レンは数学が苦手だ。それをルイスは、算数だよといってまた馬鹿にした。
 実際は改装費用はそもそも足りていたのだから、本音なんか言わなければよかったとレンは思う。ルイスとレンは、どちらも遠慮がなくなりつつある。
 昔、商店街で、年の離れた裕福な男性の支援でブティックを出した派手な女性がいて、そして排斥しようとした動きがあって、雰囲気が悪かったこと、それ以来、商店街内のテナントが流動しなくなったことを、レンはルイスに説明した。ここでは、空気を読まなければ生き抜けない。
 するとルイスは、だから日本は起業家精神が育たないだの、かといってレンがレバレッジをかける必要はないだの、いろいろ小難しいことをぶつくさ言いながらも、観念して引き下がった。
 ルイスは、そんなどうでもいいことで鼻つまみになる商店街の恐ろしさを、レンが熟知していることを理解したわけである。たしかにレンは直感的にものごとを考える傾向にある。だがそれは悪いことばかりではない。人間は論理ではなく感情の生き物である。
 恭介は言った。

「俺もお金を貯めないと」
「お。なにか欲しいものでもあるの?」
「はい」
「なになに?」

 レンは興味深い。恭介の欲しいものなど聞いたことがない。何が欲しいのだろう。
 恭介は言った。

「ここです」
「ん?」
「レンさんが旦那さんと一緒にアメリカにいくときには、俺、この店が欲しいんですよ」

 レンは硬直した。
 作業の手が止まる。くらくらする。

「え、狙われてるの、よぞら……」

 恭介は、堂々と宣言した。

「はい。狙ってます。場所がいいんです。俺……この街を、気に入ってるんです」
「街を?」
「はい」

 レンは地元民でこの下町にそれなりに愛着はある。だが、客観的に、便利だが何もない街だという印象しか持っていない。

「レンさん。俺が生まれた村は、なーんにもなくて、冬は雪に閉ざされて、行き詰まりみたいな村だったんです。みんな横並びで、村役場に就職するコネ持ってるヤツが勝ち組で、あとは漁師になるか、畑を耕すか。今年って、雪が多かったでしょ? 思い出して辛かったですよ」

 レンは言葉をなくす。恭介には実家がない。ないというのがどういうことなのか、詳しく聞いてはいない。長い休みに、どこかに帰っている様子もない。
 ちなみに、恭介のいう何もないは、比較的都会育ちのレンの想像をはるかに超えて、本当に何もない。この街は、レンにとって何もないただの地元だが、恭介にとっては欲しいものが全て揃っている。

「恭介……」

 目を輝かせて恭介は語る。

「だから、ここに住みたいし、根差したいんです。レンさんみたいに、この街に生まれ育ちたかったです。それはできないでしょ。居場所がないんです。ここにいる理由が欲しいんです。というわけで、よぞらは格好の……」

 標的である。恭介は思わぬ伏兵である。
 レンは困った。
 困るレンを見て、恭介は苦笑する。
 別に、今日や明日の話ではない。もっとずっと先のことだ。しかも、期待しているわけでもない。もし可能であればという程度の希望だ。本気ではあるけれど。

「そのうちです」
「そのうちって……」
「でも、忘れないでください。頭の片隅に置いといてください」
「う、うーん……?」

 レンとしては、なかなか、はいとは言いづらい。

「それよりも、いいんですか、今日。そろそろ行かないといけないんじゃないですか?」

 恭介に言われて、レンは顔を上げ、店の壁掛け時計を見る。
 いつの間にやら午前九時になろうとしている。

「あっ! こんな時間」

 と、そのとき、店の引き戸が開いた。
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