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三年目の冬の話

十 心が望んでいる

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 午後九時。
 大雪の中、エマに青年を頼んで、レンは眠るマリアンヌを抱いて守りながら、茫然自失としているルイスの手を引いて、やっとのこと、自宅マンションに戻った。

「ただいま」

 玄関に入り、マリアンヌをあたためて着替えさせ、寝室の子ども用のベッドに寝かせる。
 ルイスとレンが二人で並んで眺めていたら、マリアンヌは少しだけ目を覚まして、「パパ」と言って、手近の指を掴んだ。ルイスの指だ。
 ルイスは優しい子守歌を呟く。
 きらきら星。虹の彼方に。ゆっくりと歌う。
 とろりと眠りの世界に誘われていくのを見届けたあと、ルイスはしばらく名残惜しくそのままにして、それからマリアンヌの小さな指を、気づかれないようにやわらかく解く。

「少し、いいですか」

 と、レンはルイスを誘って、いつまでもマリアンヌの寝顔を眺めているルイスを、寝室から連れ出した。
 リビングは、マリアンヌのおもちゃだらけだ。たった一ヶ月少々預かるだけなのに、ルイスもレンもお金に糸目をつけずに買ってしまうせいだ。
 レンがキッチンに行くと、ルイスは大人しくついてくる。憔悴して疲れ切っている。
 レンは手鍋で牛乳を沸かす。雪にまみれて冷たいので、手早く着替えを用意して、二人して着替える。

「カフェオレにしましょうか。ミルクのままにしますか。ココアでも」

 返事がないので、レンはホットミルクを二つ入れる。ただついてきて、着替えてもなお立ち尽くしているルイスに、あたたかいマグカップを渡した。

「はい。少しだけでも飲んでください」
「うん」

 ルイスはようやく返事をする。ゆっくりと口をつけて、一口飲む。

「ありがとう」

 そして苦しそうに微笑んだ。

「……ねえ、レン。何もかも思い通りには、ならないね。僕はたくさんのものを持っているのに。愛するレンがいるのに。おもちゃの飛行機も、もう持っているし。十分幸せなのに。母を恋しがって、マリーを欲しがって、僕は贅沢だね? 母を――妻を亡くした父の悲しみにも、不器用な愛情にも、長く気づかずに、わがままばかりだね……」

 レンは口をつけていないマグカップを置く。ルイスに腕を伸ばす。
 ルイスもマグカップを置く。レンはルイスを抱く。
 レンは答えた。

「いいえ、いいえ……!」

 苦しいならば、無理に笑わないでほしい。笑っているようになんか、見えないから。
 泣けばいいのに、ルイスは泣かなかった。本当は泣き虫のくせに。
 あるいは、泣くことすらできない。
 マリアンヌが欲しい。だが心の底から、実の親と引き離したくないと思っている。
 たとえ実の親が、親となる意思を、能力を、経済力を有さなかったとしても。繋がりなど遺伝子だけだとしても、それでも実の親と過ごしてほしい。
 実母に育ててもらえなかったルイスの生い立ちから生じた、切実な祈りだ。
 自分が育てたい気持ちと、親と離れてほしくない気持ちは、どちらかを選べば、どちらかが叶わない。
 それはいずれルイスが自分の血を引く子どもを持つと考えたときにもかならず直面する。避けられない葛藤になる。
 ルイスが泣かないので、レンのほうが、立ち竦んで涙をこぼす。
 選びたい、なのに選ぶことのできないルイスの辛さに、レンは胸が張り裂けそうになる。
 レンは涙ながらに言った。

「ひとりにしてごめんね……」

 せめてあのとき追いかけていたらと悔やまれる。
 ふたりきりの少し肌寒いキッチンで、ルイスを抱きしめて、レンはルイスの代わりに声を放って泣いた。どうしようもなく咽び泣きながら、レンは強く想う。
 背負うものが重い彼を、途方もなく愛している。



 <三年目の冬の話 終わり。四年目の春の話(最終章/全5話)に続く>
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