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三年目の冬の話
三 よぞらの二階
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十二月二十九日。午後五時。
よぞら。
カウンターの中で、レンは恭介と並んで、それぞれの作業を始めている。
平日夜のアルバイトとして、大学生一人に週三で入ってもらい、土曜のランチ営業は主婦のアルバイト一人に入ってもらい、恭介はすっかり仕事を任せられるようになり、レンはずいぶん楽になった。一人で何もかもしていた頃には戻れないなあとレンは思う。
年末である。明日から一月三日まで五連休にした。今夜が年内最終日だ。
本日の日替わりメニューは脂の乗った鰤が入ったので、刺身だ。
他に、みぞれあんの揚げ出し豆腐、ほうれん草とにんじんの白和え、かぶとゆずの酢の物、えびの茶碗蒸し、鰤カマの照り焼き、ちりめんごはん、お吸い物。
茶碗蒸しにいれる海老と椎茸とカマボコを切ろうとする。レンがあとで使おうと思っておろし金を取り出したとき、炊飯器をセットし終えて、恭介はレンに呼びかけた。
「レンさん」
「はーい」
「俺、引っ越そうと思うんです」
レンはおろし金を握ったまま、硬直した。
恭介が引っ越し。
恭介が住んでいるのは、よぞらの二階である。
つまり……?
今しようとした作業を続けようと、レンの体は自動的に動く。仕事になると、レンは体が勝手に動くのである。
「…………待って。心の整理がつかない。待ってね、恭介」
「レンさん」
「待って!」
「すりおろしじゃないです!」
「あっ!」
手元を見ると、おろし金で椎茸をすりおろしつつあった。半分ほど欠けてしまう。混乱したせいか。自宅で幼児食を試行錯誤しているせいだろうか。
「レンさん、あのー」
レンはしどろもどろになる。
恭介に退職されると、困るどころの話ではない。
「待ってってば、恭介。そう……謝るから。俺、何かした? 謝る。謝るし、何か……そう、要望、要望があるんだったら話し……話し合おう」
「レンさん。聞いてください」
「待って、言わないで、お願い。やめて。俺、恭介がいないと――」
レンの縋るような涙目に、恭介は半ば呆れている。
「聞いてくださいって!」
「うわー!」
「二階に、お店を拡張しませんか?」
レンはその場にしゃがみこみ、作業台の下の冷蔵庫の扉に、額をぶつけた。
あまりに取り乱しすぎて、顔が熱い。
そのままの姿勢で独白のように謝罪する。
「~~~……すみません」
「いえ、俺のほうもすみません……そんなに反射的に拒否られると思わなくて、言いたいことを最初に言うべきでした」
レンに先走って結論を早めてしまうくせがあることは、ルイスも頻繁に指摘している。が、直らない。
レンはすっくと立ち上がった。仕事をしなければならない。恭介は話しながらもきちんと作業を続けているのである。
「えー、はい。続けてください……」
「もしレンさんが無理なら、まあいいんですけど。ただの提案なんで。バイトの子、二人もいるし、上を使うのはどうかなって。現状、ピークタイムはすっかり並んじゃうし、レンさん、お客さんを外で待たせるの、気にしてるでしょ」
「仰るとおりです」
よぞらには十席しかない。恭介が入って、店がさらに繁盛するようになり、ほとんどの時間は満席になって、外に並んでしまう。
店舗を拡張できないので、移転しかないと思っていたが、レンの中で現実的ではなかった。だが、悪天候の下で待たせる時間が長くなってくると、気になって仕方がない。だから二階を使うという案は、最善ではある。
「でも恭介、住むところどうするの?」
「んー、今寮費として差し引かれている分を、給料に乗せて払ってもらえたら。自分でなんとかします。あとは保証人の問題だけなんですけど、保証会社使えば、保証人はいらないみたいなんですよ」
恭介の方はすでにしっかり考えている。レンは保証人になるつもりもある。
「ただ、二階って改装しないといけないんですよね。改装費用がかかるんで」
「あー……それは、なんとかなるんじゃないかな。実際に見積をみてみないとわからないけど……」
レンは少し考えてみる。リフォームそのもののことと、その費用、保健所の許可。
二階は和室が二室あり、台所と風呂がついている。台所と風呂をどうするか。住まないならばなくしても構わないだろうが、今後一切住まないだろうか。
一階で作って、二階に持っていく必要がある。今は階段が急なので、もう少し傾斜をゆるくしたほうがいいと感じている。手すりも必要だ。
何席置けるだろうか。一階はカウンターなので、二階にはテーブルを置きたい。和室をつなげるか、分割したままにして、個室にするか。台所や風呂の場所を開ければ、席が今の倍以上になる。
いっそのこと、一階にも手をくわえて、全体のリフォームをしようか。
欲が出てくる。動線も考える。
色々考えてレンは途端に楽しくなってくる。長年住んでいた思い出もあるものの、不思議なことに寂しさがあまりない。物が少ない家だったせいか。自分にとって、ここはすでに職場だからか。
「レンさん」
「うん。よかった。恭介がいなくなったらどうしようかと思ったよ……」
「レンさん。それ、すりつぶしじゃないです」
レンの手元で、茶碗蒸し用の海老がすっかりすりつぶされている。
恭介は呆れている。
「あっ!」
「どうするんですかそれ……。あと、レンさん、ここ数日、野菜が全体的に細かいんですけど」
幼児食ばかり作っているせいだ。
「申し訳ございません……」
レンは反省して謝罪した。頭を切り替えなければならない。
よぞら。
カウンターの中で、レンは恭介と並んで、それぞれの作業を始めている。
平日夜のアルバイトとして、大学生一人に週三で入ってもらい、土曜のランチ営業は主婦のアルバイト一人に入ってもらい、恭介はすっかり仕事を任せられるようになり、レンはずいぶん楽になった。一人で何もかもしていた頃には戻れないなあとレンは思う。
年末である。明日から一月三日まで五連休にした。今夜が年内最終日だ。
本日の日替わりメニューは脂の乗った鰤が入ったので、刺身だ。
他に、みぞれあんの揚げ出し豆腐、ほうれん草とにんじんの白和え、かぶとゆずの酢の物、えびの茶碗蒸し、鰤カマの照り焼き、ちりめんごはん、お吸い物。
茶碗蒸しにいれる海老と椎茸とカマボコを切ろうとする。レンがあとで使おうと思っておろし金を取り出したとき、炊飯器をセットし終えて、恭介はレンに呼びかけた。
「レンさん」
「はーい」
「俺、引っ越そうと思うんです」
レンはおろし金を握ったまま、硬直した。
恭介が引っ越し。
恭介が住んでいるのは、よぞらの二階である。
つまり……?
今しようとした作業を続けようと、レンの体は自動的に動く。仕事になると、レンは体が勝手に動くのである。
「…………待って。心の整理がつかない。待ってね、恭介」
「レンさん」
「待って!」
「すりおろしじゃないです!」
「あっ!」
手元を見ると、おろし金で椎茸をすりおろしつつあった。半分ほど欠けてしまう。混乱したせいか。自宅で幼児食を試行錯誤しているせいだろうか。
「レンさん、あのー」
レンはしどろもどろになる。
恭介に退職されると、困るどころの話ではない。
「待ってってば、恭介。そう……謝るから。俺、何かした? 謝る。謝るし、何か……そう、要望、要望があるんだったら話し……話し合おう」
「レンさん。聞いてください」
「待って、言わないで、お願い。やめて。俺、恭介がいないと――」
レンの縋るような涙目に、恭介は半ば呆れている。
「聞いてくださいって!」
「うわー!」
「二階に、お店を拡張しませんか?」
レンはその場にしゃがみこみ、作業台の下の冷蔵庫の扉に、額をぶつけた。
あまりに取り乱しすぎて、顔が熱い。
そのままの姿勢で独白のように謝罪する。
「~~~……すみません」
「いえ、俺のほうもすみません……そんなに反射的に拒否られると思わなくて、言いたいことを最初に言うべきでした」
レンに先走って結論を早めてしまうくせがあることは、ルイスも頻繁に指摘している。が、直らない。
レンはすっくと立ち上がった。仕事をしなければならない。恭介は話しながらもきちんと作業を続けているのである。
「えー、はい。続けてください……」
「もしレンさんが無理なら、まあいいんですけど。ただの提案なんで。バイトの子、二人もいるし、上を使うのはどうかなって。現状、ピークタイムはすっかり並んじゃうし、レンさん、お客さんを外で待たせるの、気にしてるでしょ」
「仰るとおりです」
よぞらには十席しかない。恭介が入って、店がさらに繁盛するようになり、ほとんどの時間は満席になって、外に並んでしまう。
店舗を拡張できないので、移転しかないと思っていたが、レンの中で現実的ではなかった。だが、悪天候の下で待たせる時間が長くなってくると、気になって仕方がない。だから二階を使うという案は、最善ではある。
「でも恭介、住むところどうするの?」
「んー、今寮費として差し引かれている分を、給料に乗せて払ってもらえたら。自分でなんとかします。あとは保証人の問題だけなんですけど、保証会社使えば、保証人はいらないみたいなんですよ」
恭介の方はすでにしっかり考えている。レンは保証人になるつもりもある。
「ただ、二階って改装しないといけないんですよね。改装費用がかかるんで」
「あー……それは、なんとかなるんじゃないかな。実際に見積をみてみないとわからないけど……」
レンは少し考えてみる。リフォームそのもののことと、その費用、保健所の許可。
二階は和室が二室あり、台所と風呂がついている。台所と風呂をどうするか。住まないならばなくしても構わないだろうが、今後一切住まないだろうか。
一階で作って、二階に持っていく必要がある。今は階段が急なので、もう少し傾斜をゆるくしたほうがいいと感じている。手すりも必要だ。
何席置けるだろうか。一階はカウンターなので、二階にはテーブルを置きたい。和室をつなげるか、分割したままにして、個室にするか。台所や風呂の場所を開ければ、席が今の倍以上になる。
いっそのこと、一階にも手をくわえて、全体のリフォームをしようか。
欲が出てくる。動線も考える。
色々考えてレンは途端に楽しくなってくる。長年住んでいた思い出もあるものの、不思議なことに寂しさがあまりない。物が少ない家だったせいか。自分にとって、ここはすでに職場だからか。
「レンさん」
「うん。よかった。恭介がいなくなったらどうしようかと思ったよ……」
「レンさん。それ、すりつぶしじゃないです」
レンの手元で、茶碗蒸し用の海老がすっかりすりつぶされている。
恭介は呆れている。
「あっ!」
「どうするんですかそれ……。あと、レンさん、ここ数日、野菜が全体的に細かいんですけど」
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