上 下
103 / 136
三年目の秋の話

九 家族会議

しおりを挟む
 フェリーの船首にある広いラウンジに、レンは南に連れられて案内された。
 ラウンジに入ると、ウォルターが迎えにくる。連れられて、ラウンジの奥のテーブルに案内される。空いている席を促されて、一礼して腰掛けた。
 席は端だ。誕生日席。短辺の一席。
 二十人掛けの長方形のテーブルの向こう、対面の短辺の一席に、六十代の男性が掛けている。まだ若い。気難しそうな顔立ちに、ルイスが仕事をしているときの表情を見る。意外なことに、髪はブラウンで、瞳も同じ色だった。金髪碧眼は母方の血らしい。
 船はドレスコードがあるので、と、レンはここに来る際に南にブラックスーツを着せられている。明日着るために用意していたものだ。
 ブラックスーツのスリーピースに、サテン地の水色のネクタイをしている。ルイスが用意した、二日目用のスーツのセットだ。レンはひとりではネクタイを結べず、南に色々手伝ってもらった。
 ルイスがよく身に着けているブルートパーズのカフスボタンをつけている。同じくブルートパーズの入った銀色のネクタイピンでネクタイをとめている。明日つけてあげると言われていたものだ。それを言ったら、南は複雑そうな表情でこれらをレンにつけた。
 長辺側のすぐ右隣にエマ、左隣にウォルターがいる。顔見知りなので、二人がいるのは、少しだけ心強い。ただ、確実にレンの味方になってくれるクリスティナがいない。
 自分を含めて、二十人。全員大人で、自分以外は外国人だ。エマ、ウォルター、キャシー、ジュリア、アンソニー。そこまでしかわからない。

「レンくん、ホットコーヒーでいい?」

 と、エマが空いているカップにポットのコーヒーを遠慮なく注ぐ。

「あ、ありがとうございます」

 レンは受け取って、自分の前に置いた。

「初めまして、清水廉といいます」

 レンは深く頭を下げた。

「和食のお店をしています。料理人です」

 エマが通訳を買って出て、レンの言葉を英語にして伝える。父からの質問を、エマが日本語に訳する。

「いくつ?」
「二十七歳です」
「He is twenty seven。あ、まだ二十代なんだ。初めて見たときから若い子だとは思ってたけど」
「あ、お店にいらしたとき……」
「ううん。ほら、ルイスと駅で買い物していたでしょ。フライパン買ってたの。見かけたの」
「え、あのときですか」

 エマがクリスに連れられてよぞらに来るよりも以前の出来事だ。
 レンは少し納得した。エマは、レンとルイスとの関係に対して、レンがはっきりしないうちから、妙に推進派なのである。
 ウォルターが咳払いをする。エマは社交性が高いものの話が脱線しやすい。

『ルイスは最近どうなんだ』

 という父の問いに、エマは肩を竦めた。

『人が変わったみたいに優しくなって怖いくらい』
『あまり会社にいないそうだが』
『コンビニみたいな仕事の仕方はしてないけれど、一日一回は見ますよ。役員だから、最低でも、取締役会さえ出ていれば』
『結婚したいそうだな。頭が痛い』

 エマはレンに対して、言った。

「結婚するのよね?」
「あ、はい。できれば、どうするのかは、わかりませんが、将来は」

 エマが父からの質問を、嫌そうにしつつ訳する。

「『君といることで、ルイスに何の得があるのかを教えてほしい』」

 レン自身もよくわからない。
 ルイスにとって、自分という存在は、何なんだろう。自分はいったい、彼に何を与えることができるのだろう。何を与えているのだろう。代わりがいないといわれるのだから、何かあるのだろうが、自分ではよくわからない。
 ルイスが何を感じ取っているのかは、本人しかわからない。自分にできることを伝えるしかない。

「……食いはぐれることはないと思います」

 何人かが失笑する。
 大事なことだとレンは思う。
 レンは料理人なので、食事に関しては自信がある。生計を立てていけなくなることもないし、時機を逸して食べられないこともない。
 いつだって食材があるし、調理ができるし、なんでも美味しいものを食べさせることができる。それによって働ける。経済的にも問題はない。
 食事は、一日に何度も必要になる。自分はその一端を担うことができる。毎日のこととなると、よぞらは決して安くはない。それでもたくさんの常連客がいて、選んでもらえる。美味しいと言ってくれる。
 厳しかったり、固い表情で入ってきた人が、ほっとした顔で帰っていく。そしてまた来てくれる。迎え入れて、見送って、また迎え入れる。その歓びは何物にも代えがたい。自然と背筋が伸びる。
 レンはそんな思いで、毎日、店を開けている。

「あと――おもちゃの飛行機を買ってほしいみたいなので、今度買ってあげようと思っています」

 昔ねだられて断ったことを思い出して、父は鼻白む。教育費は惜しみなく注いだが、翻って、玩具などの娯楽費は徹底的に絞ったのである。
 レンによるちょっとした意趣返しである。

『君はルイスといて、何の得がある?』

 問われて、レンは少し考える。
 そうか、損得ではないのだと、やっとわかる。ルイスがいいという気持ちには、別に理由がない。ただ傍で笑っていてほしい。その笑顔を見ていたら、幸せになれる。
 たぶん、ルイスも同じだ。愛し合っているということは、そういうことなのだ。
 考えて、答えた。

「……子守歌を、うたってくれるんです」

 エマの通訳に、全員が戦慄した。
 レンは指を折って、数えてみる。だが途中で数えるのを諦める。
 ゆっくりと言った。

「一番辛かったとき、傍にいてくれました。彼がしてくれることを数えたら、きりがありません。愛情深くて、何でも言葉にしてくれて、髪を乾かしてくれるし、生涯、世界で一番大切にするといってくれて、大切にしてもらっています」

 通訳をしているエマの声が震える。
 嘆きのようなため息が漏れる。聞かされている者の中から、すごくショックを受けた時に思わず口にする、神に祈る言葉が出る。
 レンはさらに言う。
 通訳しやすいように、丁寧に、言葉を一つ一つ区切る。

「出会って三年で、二年近く、お付き合いをしています。一年ほど、一緒に暮らしています。寂しがりで、甘えん坊で、すぐに不安がって、どうしようもない、意外と泣き虫で、情に厚い人です。ずっと傍にいてほしいといわれています。俺も一緒にいたいです。俺はもう、たくさんの幸せと温かさをもらっているので、あとは、彼が望むことをしてあげたいです」

 エマは、なんとか通訳しきった。これ以上は無理かもしれないと思う。日本語のできるウォルターに引き受けてもらいたい。
 だがウォルターも難しい。限界を迎えつつある。これ以上、レンに、自分の目で見た兄のことを話されたら困る。
 父は椅子にもたれかかって天井を仰ぎつつ、ため息を吐き、顔を片手で覆って呟いた。
 とても辛そうだ。

『誰の、何の話をしているのか……、わからなくなってきた……』

 家族全員が、とうとう吹き出した。
 笑い声があがって、レンだけが取り残される。
 こらえていたエマも、ウォルターも、爆笑している。
 レンだけが蚊帳の外だ。

「え? え?」
「いえ、おかしくて……『誰の何の話?』」
「俺、おかしいんでしょうか?」
「ルイスがおかしいのよ。私たちに見せる顔とまったく違うんだから。もうやだ、レンくん。のろけすぎよ」

 ひとしきり笑っても、まだ笑い足りない。
 笑い疲れるまで、時間がかかった。
 父は嘆息する。

『あれは長男として多くの教育費をかけて、つまり多額の投資をしてきた。現時点で、私の後継者として、そして我が家の次期当主として相応しい者は、ルイス以外にいない』

 父の言葉に、全員が黙った。

『偏屈で評判は悪いが、私にとっては、出来がいい息子なんだ。あまりイメージを崩壊させないでくれ』

 苦笑しながら、ふう、と息を吐くのを皮切りに、場がなごんだ。
しおりを挟む
感想 23

あなたにおすすめの小説

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

ハイスペックED~元凶の貧乏大学生と同居生活~

みきち@書籍発売中!
BL
イケメン投資家(24)が、学生時代に初恋拗らせてEDになり、元凶の貧乏大学生(19)と同居する話。 成り行きで添い寝してたらとんでも関係になっちゃう、コメディ風+お料理要素あり♪ イケメン投資家(高見)×貧乏大学生(主人公:凛)

処理中です...