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三年目の夏の話
八 現恋人と、元セックスフレンド(再)
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しばらくして、引き戸が開いた。
緊張が走る。
恭介が電話を切って以降、誰も何も話さず、ただ手元の飲み物だけを飲んでいる状況だった。友人たちは淳弥とレンが心配で、帰るに帰れない。
会社から帰ってきて書斎で仕事をし続けていたので、ルイスはスーツ姿のままだ。会社では社外の人との打ち合わせがあったので、ネイビーのサマースーツにネクタイまで締めている。そのまま出てきた。
あらわれた金髪碧眼の、背の高い細身の男に、振り返った友人たちは、言葉を失う。
ルイスはハリウッドスター顔負けの、現実離れした美しすぎる貴公子である。外国人の金持ちのオッサンという淳弥の言葉を元に想像していた人物とは乖離している。
「失礼します」
と普通に入ってきて、後ろ手に引き戸を閉めた。
誰かが思わず吹き出した。
「レン、面食いすぎない?」
カウンター内で、レンは頷いた。
「うん」
もう、なるようになればいい。
思い返せれば、レンはほとんど、ルイスに一目惚れだったのである。
「ルイス・ジェームズ・アーヴィンといいます。アメリカ人で、会社経営者です」
ルイスはスーツの内ポケットから名刺入れを取り出す。あ、と席についていた面々が立ち上がる。
「田中です」
「森です」
「吉原です」
「渡辺です」
などと、頭を下げながら名刺交換をし始める。ルイスは淡々と、友人たちに挨拶する。名刺にあるとおり、ルイスは外資系総合コンサルティング会社と投資会社を経営している。親会社は、ニューヨークにある資産運用会社だ。
レンはその様子をぼんやりと眺めている。
溶けた氷をちびちび舐めている淳弥以外と挨拶を終える。淳弥は振り返らず、ルイスは椅子をすすめられても座らず、引き戸を壁代わりに背にする。席が空いていないので誰か一人は立つことになる。
「婚約者がいるって聞いたけど」
「あいにく、レン以外の婚約者がいたことは、この三十四年間、一度もありません。この指輪のことなら、レンとお揃いのものです」
ルイスは堂々と言う。
社外の人との打ち合わせなので仕事中は指輪を外していたが、自宅を出るときにつけてきた。シンガポールにいたときに飛び込みでブランド店に入って、半ば衝動的に買った、プラチナ製の、石も刻印も何もないものだ。
「あんた、レンを愛人にするんじゃないの」
「何か誤解があるようですが」
ルイスは否定し、友人たちが止める。
「もうやめとけよ、淳弥」
「心配いらなくない? 別に何の根拠もないけど……」
「あのー、宮本ちゃんが勤めてる会社の社長さんでは?」
「宮本さんは総務部の女性ですね」
「やっぱり」
ルイスは、百五十人いる社員のフルネームと来歴、現在の部署を全て記憶している。
こうして見ていると、ルイスは本当に一般人とかけ離れているんだな、とレンは他人事のように思う。
周りは全員、レンと同じ、二十七歳のごく普通の日本人男性だ。だいたいの人間がサラリーマンである。
ルイスはそこに立っているだけで、ただごとではない雰囲気が漂っている。ひとりだけ世界が違うみたいだ。
着ているものも、身に着けているものも、所作も、何もかもに隙がない。視線の鋭さが、いつもレンに向けるものとはまったく異なる。
ルイスは他人に対してこんな冷ややかな目をするのかとレンは思う。心の中身まで見透かされるようで、これが上司なら敵に回したくない。
「俺は、レンとあんたじゃおかしいと思うんだよな。男が好きにしたって、あんたにも立場があるだろ。そこんとこどうなの」
「質問が主観的で曖昧です。趣旨もわかりません」
「その不釣り合いさだよ。胡散臭い。俺には、外国人のオッサンに、レンが遊ばれて、いずれ捨てられるようにしか思えないんでね。あんた、ずっと日本にいるわけじゃないんだろ。どこぞの跡取り息子なんだし」
友人らがたしなめる。
「やめとけって、淳弥」
「酔いすぎてんな。レン、淳弥連れて帰るわ」
友人の一人が淳弥の腕を引くのを、淳弥は振り払った。
「僕がレンに何をすれば、君は納得するというんですか。まさか今のうちに関係を清算しろとでも? それはできない相談です」
「友達として心配なんだよ。何かおかしいだろ。あんたみたいなのが、なんでレンにそんなに執着するのか――」
そこで、レンは言った。
「何が友達として心配だって?」
先ほどから、淳弥がいったい何を言いたいのか、レンにはわからない。
淳弥はレンにとって、かなり踏み込んでいる。ただ純粋に心配する気持ちとは異なる。レンと淳弥はとうに、他の友達のような単なる友人関係ではないのだ。
淳弥は顔をあげる。
レンは言う。
「俺が将来的にこの人に捨てられようが、俺の選んだことだ。お前には関係がない」
「いえ、あのー、捨てませんけど」
ルイスはレンを見た。
レンもルイスをふと見る。視線が合う。
ルイスは黙ることにした。
レンが怒っていることがわかる。おそらく、いまだかつてなく怒っている。レンは普段は落ち着いているので、感情をあらわにしない。
真顔のレンが怖い。レンは精神的に安定している。だが感情の起伏に乏しい人間ではない。表に出さないだけだ。にこにこしながら殺意を抱いているかもしれない。
レンは淳弥を見やる。
「お前はいいよな。昔から、俺とヤったと思えば、女の子ともフツーに付き合ってさ。それで今は彼女がいて、これから結婚して、子どもでも生まれたりして、俺とのことなんかなかったことにして、器用に生きていけるんだろうね」
友人らがどよめく。
こんなの、ただの仕返しだ、とレンは思う。
淳弥とのあいだに肉体関係があったことを、本当は、死ぬまで秘密にするつもりだった。友達の前で言うつもりなんかなかった。今も、こんなことを言いたいわけじゃない。それでも、自分にだってプライドがある。
自分の気持ちを守りたい。
「ルイスさんと不釣り合いだからって、じゃあ俺は、どうすればいいわけ? 身の丈にあったような他の人にしろとでも? 俺、淳弥と違って、器用じゃない。なあ、同性を好きになって、相手も俺が好きなんて信じられるか? 俺だって半信半疑だよ。でも、結婚したいほどだって言われるなんて、そんなこと、この先の人生で、もっかい起こるのかよ。お前が言ってること、俺だって、何百回も考えてるよ」
ルイスの表の顔をほとんど知らずに関係を持つことになった。そうでなかったとしたら、不安だっただろうとレンは思う。
自分と彼の境遇は、共通点がない。なぜ出会ったのか、いまだに不思議である。
幸いにして、ルイスの素性は、少しずつわかってきたことなので、受け入れることができた。ルイスが情報を小出しにしていたおかげだと思う。
ルイスは、何もかもを知れば、レンが気後れするとわかっていた。自分はいかにも胡散臭いほど、一般人とかけ離れている。自覚はある。
「ルイスさんの肩書きだとか、そういうのいらないんだよ。俺、メシ作ったらみんなに美味しいって言ってもらえるし、だから、普通に生きる分には稼げるし、働けると思うから。愛人になんかならない。ひとりでも十分生きていけるんだ」
レンは淳弥を見据える。
淳弥は何も言わず、レンを眺めている。
誰も何も言わず、レンが話すのを聞いている。レンがこんな風に心情を吐露することは、ほとんどない。レンも普段これほど口数が多くないので、次第に疲れてくる。
だが、言っておきたい。
言わなければ気が済まない。
「でも、本当はひとりで生きていくのは嫌なんだよ。俺だって好きな人と一緒に生きていきたいよ。だけど叶うはずがないって、ずっと諦めてた。好きだからって一緒にいられるわけじゃない。ハードル高いんだよ。好きな人を好きでいていいのは、俺にとって価値があるんだよ。だから今、ルイスさんと一緒にいてもいいって、大きなことなんだよ。一所懸命、大事にしてくれてるよ! これで騙されてるっていうなら、もう騙されてたっていいよ! 今まで大事にしてくれたことと引き換えに、これから何をされたって構わない! 好きだから信じたい――そう思った俺が悪いわけじゃない! 外野のくせに、これ以上、ごちゃごちゃ言うな!」
最後は息切れがして、過呼吸になりそうで、レンは息を整える。冷や汗が流れてくる。
恭介はレンにそっと水を差し出した。レンは黙って受け取って飲み干した。
誰も何も言わない。
淳弥だけが黙って立ち上がる。
出て行こうとする淳弥を、ルイスは腕を掴んで引き留めた。
真正面から静かに言った。
「いいですか? もう僕、君とレンを会わせたくないです。二度とレンに近づかないでください。そっとしておいてください。僕は生涯、世界で一番、レンを大切にします」
淳弥はルイスを振り払って出ていく。
淳弥が出て行ったあと、レンはずるずるとその場に座り込んだ。恭介が慌てて支えようとする。
「レンさん」
何人かの友人が、カウンター内のレンを慌てて立ち上がって覗き込んだ。倒れたわけではなく、力が抜けて、立っていられなくなっただけだ。
「レン、淳弥のほう、一応フォローしとくわ。また話そう」
「俺も行ってくるから」
レンは、視界が滲んで仕方ない。本当に申し訳ない。涙が溢れてくる。
「ごめん、みんな。ほんとごめん……」
「いやー、淳弥にはよく言っておくからさ。レンは気にすんな」
「本気で心配してるとは思うんだよ。お前らの付き合い長いし」
「あ、じゃあ俺らは残るから、淳弥のほう頼む」
「おー、じゃあレンのほう頼むわ」
そうやって、友人らが分散していく。半分ずつになる。友情に厚い、気のいい世話焼きの友人たちだ。
だが秘密だけは、知られたくなかった。淳弥とのことだって言うつもりなんかなかったのに。
恭介がカウンターを片づけていって、全員がカウンターに掛け直す。ルイスも友人らに並んで、椅子に座ることにした。
レンはふらふらと立ち上がる。こういうとき、人は酒を飲みたくなるのかもしれないとレンは思う。新しいグラスを出して、数人がビールを飲む。
レンの友人にビールをすすめられてルイスは断った。
「すみません、僕、お酒飲まなくて。お茶にします」
事情があって、アルコールはもう飲まないのである。そして、カウンターの中で立つレンに、いつものように声を掛ける。
「レン。僕、おなかすきました。何かありますか?」
「はい。何にしましょうね」
レンは二の腕で泣き顔を拭って、表情を切り替える。
笑おうと思っても、今は難しい。
「何でもいいです。レンの作るものなら、なんでも美味しいですから」
ルイスはそう言って微笑んだ。
緊張が走る。
恭介が電話を切って以降、誰も何も話さず、ただ手元の飲み物だけを飲んでいる状況だった。友人たちは淳弥とレンが心配で、帰るに帰れない。
会社から帰ってきて書斎で仕事をし続けていたので、ルイスはスーツ姿のままだ。会社では社外の人との打ち合わせがあったので、ネイビーのサマースーツにネクタイまで締めている。そのまま出てきた。
あらわれた金髪碧眼の、背の高い細身の男に、振り返った友人たちは、言葉を失う。
ルイスはハリウッドスター顔負けの、現実離れした美しすぎる貴公子である。外国人の金持ちのオッサンという淳弥の言葉を元に想像していた人物とは乖離している。
「失礼します」
と普通に入ってきて、後ろ手に引き戸を閉めた。
誰かが思わず吹き出した。
「レン、面食いすぎない?」
カウンター内で、レンは頷いた。
「うん」
もう、なるようになればいい。
思い返せれば、レンはほとんど、ルイスに一目惚れだったのである。
「ルイス・ジェームズ・アーヴィンといいます。アメリカ人で、会社経営者です」
ルイスはスーツの内ポケットから名刺入れを取り出す。あ、と席についていた面々が立ち上がる。
「田中です」
「森です」
「吉原です」
「渡辺です」
などと、頭を下げながら名刺交換をし始める。ルイスは淡々と、友人たちに挨拶する。名刺にあるとおり、ルイスは外資系総合コンサルティング会社と投資会社を経営している。親会社は、ニューヨークにある資産運用会社だ。
レンはその様子をぼんやりと眺めている。
溶けた氷をちびちび舐めている淳弥以外と挨拶を終える。淳弥は振り返らず、ルイスは椅子をすすめられても座らず、引き戸を壁代わりに背にする。席が空いていないので誰か一人は立つことになる。
「婚約者がいるって聞いたけど」
「あいにく、レン以外の婚約者がいたことは、この三十四年間、一度もありません。この指輪のことなら、レンとお揃いのものです」
ルイスは堂々と言う。
社外の人との打ち合わせなので仕事中は指輪を外していたが、自宅を出るときにつけてきた。シンガポールにいたときに飛び込みでブランド店に入って、半ば衝動的に買った、プラチナ製の、石も刻印も何もないものだ。
「あんた、レンを愛人にするんじゃないの」
「何か誤解があるようですが」
ルイスは否定し、友人たちが止める。
「もうやめとけよ、淳弥」
「心配いらなくない? 別に何の根拠もないけど……」
「あのー、宮本ちゃんが勤めてる会社の社長さんでは?」
「宮本さんは総務部の女性ですね」
「やっぱり」
ルイスは、百五十人いる社員のフルネームと来歴、現在の部署を全て記憶している。
こうして見ていると、ルイスは本当に一般人とかけ離れているんだな、とレンは他人事のように思う。
周りは全員、レンと同じ、二十七歳のごく普通の日本人男性だ。だいたいの人間がサラリーマンである。
ルイスはそこに立っているだけで、ただごとではない雰囲気が漂っている。ひとりだけ世界が違うみたいだ。
着ているものも、身に着けているものも、所作も、何もかもに隙がない。視線の鋭さが、いつもレンに向けるものとはまったく異なる。
ルイスは他人に対してこんな冷ややかな目をするのかとレンは思う。心の中身まで見透かされるようで、これが上司なら敵に回したくない。
「俺は、レンとあんたじゃおかしいと思うんだよな。男が好きにしたって、あんたにも立場があるだろ。そこんとこどうなの」
「質問が主観的で曖昧です。趣旨もわかりません」
「その不釣り合いさだよ。胡散臭い。俺には、外国人のオッサンに、レンが遊ばれて、いずれ捨てられるようにしか思えないんでね。あんた、ずっと日本にいるわけじゃないんだろ。どこぞの跡取り息子なんだし」
友人らがたしなめる。
「やめとけって、淳弥」
「酔いすぎてんな。レン、淳弥連れて帰るわ」
友人の一人が淳弥の腕を引くのを、淳弥は振り払った。
「僕がレンに何をすれば、君は納得するというんですか。まさか今のうちに関係を清算しろとでも? それはできない相談です」
「友達として心配なんだよ。何かおかしいだろ。あんたみたいなのが、なんでレンにそんなに執着するのか――」
そこで、レンは言った。
「何が友達として心配だって?」
先ほどから、淳弥がいったい何を言いたいのか、レンにはわからない。
淳弥はレンにとって、かなり踏み込んでいる。ただ純粋に心配する気持ちとは異なる。レンと淳弥はとうに、他の友達のような単なる友人関係ではないのだ。
淳弥は顔をあげる。
レンは言う。
「俺が将来的にこの人に捨てられようが、俺の選んだことだ。お前には関係がない」
「いえ、あのー、捨てませんけど」
ルイスはレンを見た。
レンもルイスをふと見る。視線が合う。
ルイスは黙ることにした。
レンが怒っていることがわかる。おそらく、いまだかつてなく怒っている。レンは普段は落ち着いているので、感情をあらわにしない。
真顔のレンが怖い。レンは精神的に安定している。だが感情の起伏に乏しい人間ではない。表に出さないだけだ。にこにこしながら殺意を抱いているかもしれない。
レンは淳弥を見やる。
「お前はいいよな。昔から、俺とヤったと思えば、女の子ともフツーに付き合ってさ。それで今は彼女がいて、これから結婚して、子どもでも生まれたりして、俺とのことなんかなかったことにして、器用に生きていけるんだろうね」
友人らがどよめく。
こんなの、ただの仕返しだ、とレンは思う。
淳弥とのあいだに肉体関係があったことを、本当は、死ぬまで秘密にするつもりだった。友達の前で言うつもりなんかなかった。今も、こんなことを言いたいわけじゃない。それでも、自分にだってプライドがある。
自分の気持ちを守りたい。
「ルイスさんと不釣り合いだからって、じゃあ俺は、どうすればいいわけ? 身の丈にあったような他の人にしろとでも? 俺、淳弥と違って、器用じゃない。なあ、同性を好きになって、相手も俺が好きなんて信じられるか? 俺だって半信半疑だよ。でも、結婚したいほどだって言われるなんて、そんなこと、この先の人生で、もっかい起こるのかよ。お前が言ってること、俺だって、何百回も考えてるよ」
ルイスの表の顔をほとんど知らずに関係を持つことになった。そうでなかったとしたら、不安だっただろうとレンは思う。
自分と彼の境遇は、共通点がない。なぜ出会ったのか、いまだに不思議である。
幸いにして、ルイスの素性は、少しずつわかってきたことなので、受け入れることができた。ルイスが情報を小出しにしていたおかげだと思う。
ルイスは、何もかもを知れば、レンが気後れするとわかっていた。自分はいかにも胡散臭いほど、一般人とかけ離れている。自覚はある。
「ルイスさんの肩書きだとか、そういうのいらないんだよ。俺、メシ作ったらみんなに美味しいって言ってもらえるし、だから、普通に生きる分には稼げるし、働けると思うから。愛人になんかならない。ひとりでも十分生きていけるんだ」
レンは淳弥を見据える。
淳弥は何も言わず、レンを眺めている。
誰も何も言わず、レンが話すのを聞いている。レンがこんな風に心情を吐露することは、ほとんどない。レンも普段これほど口数が多くないので、次第に疲れてくる。
だが、言っておきたい。
言わなければ気が済まない。
「でも、本当はひとりで生きていくのは嫌なんだよ。俺だって好きな人と一緒に生きていきたいよ。だけど叶うはずがないって、ずっと諦めてた。好きだからって一緒にいられるわけじゃない。ハードル高いんだよ。好きな人を好きでいていいのは、俺にとって価値があるんだよ。だから今、ルイスさんと一緒にいてもいいって、大きなことなんだよ。一所懸命、大事にしてくれてるよ! これで騙されてるっていうなら、もう騙されてたっていいよ! 今まで大事にしてくれたことと引き換えに、これから何をされたって構わない! 好きだから信じたい――そう思った俺が悪いわけじゃない! 外野のくせに、これ以上、ごちゃごちゃ言うな!」
最後は息切れがして、過呼吸になりそうで、レンは息を整える。冷や汗が流れてくる。
恭介はレンにそっと水を差し出した。レンは黙って受け取って飲み干した。
誰も何も言わない。
淳弥だけが黙って立ち上がる。
出て行こうとする淳弥を、ルイスは腕を掴んで引き留めた。
真正面から静かに言った。
「いいですか? もう僕、君とレンを会わせたくないです。二度とレンに近づかないでください。そっとしておいてください。僕は生涯、世界で一番、レンを大切にします」
淳弥はルイスを振り払って出ていく。
淳弥が出て行ったあと、レンはずるずるとその場に座り込んだ。恭介が慌てて支えようとする。
「レンさん」
何人かの友人が、カウンター内のレンを慌てて立ち上がって覗き込んだ。倒れたわけではなく、力が抜けて、立っていられなくなっただけだ。
「レン、淳弥のほう、一応フォローしとくわ。また話そう」
「俺も行ってくるから」
レンは、視界が滲んで仕方ない。本当に申し訳ない。涙が溢れてくる。
「ごめん、みんな。ほんとごめん……」
「いやー、淳弥にはよく言っておくからさ。レンは気にすんな」
「本気で心配してるとは思うんだよ。お前らの付き合い長いし」
「あ、じゃあ俺らは残るから、淳弥のほう頼む」
「おー、じゃあレンのほう頼むわ」
そうやって、友人らが分散していく。半分ずつになる。友情に厚い、気のいい世話焼きの友人たちだ。
だが秘密だけは、知られたくなかった。淳弥とのことだって言うつもりなんかなかったのに。
恭介がカウンターを片づけていって、全員がカウンターに掛け直す。ルイスも友人らに並んで、椅子に座ることにした。
レンはふらふらと立ち上がる。こういうとき、人は酒を飲みたくなるのかもしれないとレンは思う。新しいグラスを出して、数人がビールを飲む。
レンの友人にビールをすすめられてルイスは断った。
「すみません、僕、お酒飲まなくて。お茶にします」
事情があって、アルコールはもう飲まないのである。そして、カウンターの中で立つレンに、いつものように声を掛ける。
「レン。僕、おなかすきました。何かありますか?」
「はい。何にしましょうね」
レンは二の腕で泣き顔を拭って、表情を切り替える。
笑おうと思っても、今は難しい。
「何でもいいです。レンの作るものなら、なんでも美味しいですから」
ルイスはそう言って微笑んだ。
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