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三年目の夏の話
七 秘密
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「……なんて?」
しんと静まった店内で、誰かが言う。笑うに笑えないという声だ。
土曜日。午後九時。
八月の下旬は、この時間でも蒸し暑い。
レンは一人でキッチンに立ち、小学校からの友人たち十五人で集まっている。午後七時に開始して、二時間ほど。食事はそこそこに、酒を飲んでいる。
レンは手が震える。血の気が引いて、立っているのがやっとだった。視線が集まっているが、誰のほうも見ることができない。
目の前に淳弥がいる。カウンター席に座って、こちらを見ている。
「……ごめん」
レンは誰にともなく言った。
十秒前、酒に酔った淳弥は、レンに同性の恋人がいることを告げた。
あの男とまだ付き合っているのか――。
これによって、残りの十三人の友達の知るところとなった。店内は水を打ったように静まり返っている。
ごめんと言ったのは、淳弥に対してではない。他の人たちだ。楽しく飲んでいたのに、淳弥とレンの諍いに巻き込んだ。
今日、淳弥が現れたときから、淳弥とレンがぎくしゃくしていることは周囲にも感じ取られていた。最低限の口しか聞かない二人に、どうしたんだよ、喧嘩でもしたのか、などとからかわれていた。取り繕うことすらもできず、ぎくしゃくしたままだった。
「ごめん、みんな」
とレンは言う。隠していてごめん。そういう意味だ。
誰かが苦笑する。
「いや、レンが謝ることじゃなくない?」
「淳弥、お前何言ってんの?」
「あ、レン、一緒に店やってる子と……とか?」
恭介は今日、病み上がりのレンを心配して、時々おりてきて片づけなどを手伝ってくれている。
レンは慌てて否定した。
「違う、恭介は違う。違うんだ。絶対違うから。マジでただの元職場の後輩……」
恭介に飛び火するのはいけない。
「別の男だよ」
と淳弥が言う。
「レン、やっぱりあいつとまだ付き合ってんだな。あれ、結婚するんだったっけ」
と揶揄する。レンは淳弥を睨む。淳弥は、からかうような目をしていない。静かに怒るような、そういう目だ。
「あの忙しそうな逃げ腰のオッサン」
「淳弥に何の関係があるの、それ」
恭介がおりてきて、心配そうにキッチンに入ってくる。
「レンさん、大丈夫ですか」
「ごめん、恭介。大丈夫」
「呼べよ」
淳弥は言った。
「ここに呼んでみたら。前は、あいつが逃げたせいで話せなかったから」
「レンさん」
「なんで淳弥にいわれて、呼ばなきゃならないの。あの人、忙しいんだけど」
「そうだよな。家庭でもあるのかもな」
「ないよ。いい加減にしろよ」
淳弥はレンに、諭すように言った。
「なあ、レン。もっと冷静に考えてみろよ。アメリカの大富豪の跡取りで、大企業の社長が、本当にレンと付き合うと思うの? 囲われて愛人にでもなって、レンはそれでいいって?」
「もうその話はしないでくれ。お前にはわからない」
「そうか? 俺には、レンのほうがわかってないと思えるよ。いいじゃん、この機会に、あいつに説明させてみようぜ。レンとの関係。そんなこともできないの。なあ、恭介だっけ。あいつ呼べる?」
「え……」
と、恭介は自分の携帯電話がポケットに入っているのを意識する。一応、レンに何かあったときのために、緊急連絡先としてルイスの携帯番号を教えてもらってある。
あとは、この状況が緊急か、そうではないかだ。
「恭介、気にしないでいいから。本当にごめん」
「外国人の金持ちのオッサンの慰みになってんの、レン、自分でわかってんの?」
頭痛がする。何もかもが淳弥の認識と異なる。だが否定してどうなるというものでもない。自分とルイスのことは、自分たちがわかっていればそれでいいのに。
「やめてくれ」
友人たちは目を見合わせて戸惑っている。
「淳弥、レンが心配でやるせない気持ちはわかるけどさ、レン、すごい辛そうだし、今はやめといたら?」
「レンはレンで、もし周りに心配かけるようなことがあるんだったら、相手との関係は考え直したほうが……」
レンは慌てる。
「いや、違うんだ。淳弥が言うようなことはないんだ」
恭介は携帯電話を取り出した。
「やめて、恭介。掛けないで」
「呼んで、恭介」
「あの人を巻き込みたくない。これは俺の問題だから」
恭介は、ルイスの電話番号を鳴らした。レンは信じられない思いで恭介を見る。
「なんで、恭介」
レンは泣きそうになる。
「だって、絶対巻き込まれたがると思いますよ」
恭介はルイスのことをよくわかっている。
レンもわかっている。呼べば、彼は必ず来る。だからこそ掛けないで欲しかったのに。
五コールほど鳴って、ルイスが電話に出る。
『はい』
「すみません、高木です。レンさんが友達とトラブってて」
レンは叫んだ。
「問題ないです! 来なくて大丈夫です!」
『お店ですね』
「はい」
恭介が頷き、淳弥が聞こえるように大きな声で言う。
「あんたのことだよ」
淳弥の声が聞こえて、ルイスは腹立たしい。なぜいつまで経っても関わりが消えないのかと苛立つ。友達の飲み会だと聞かされた時点で、嫌な予感はしていたが、やはりという思いだ。
『すぐに行きます。僕も言いたいことがありますので』
通話が切れた。すぐに来ると言うのだったらすぐに来るだろう。彼は自宅におり、ここは自宅から十分もかからない。
レンは天井を仰いだ。
しんと静まった店内で、誰かが言う。笑うに笑えないという声だ。
土曜日。午後九時。
八月の下旬は、この時間でも蒸し暑い。
レンは一人でキッチンに立ち、小学校からの友人たち十五人で集まっている。午後七時に開始して、二時間ほど。食事はそこそこに、酒を飲んでいる。
レンは手が震える。血の気が引いて、立っているのがやっとだった。視線が集まっているが、誰のほうも見ることができない。
目の前に淳弥がいる。カウンター席に座って、こちらを見ている。
「……ごめん」
レンは誰にともなく言った。
十秒前、酒に酔った淳弥は、レンに同性の恋人がいることを告げた。
あの男とまだ付き合っているのか――。
これによって、残りの十三人の友達の知るところとなった。店内は水を打ったように静まり返っている。
ごめんと言ったのは、淳弥に対してではない。他の人たちだ。楽しく飲んでいたのに、淳弥とレンの諍いに巻き込んだ。
今日、淳弥が現れたときから、淳弥とレンがぎくしゃくしていることは周囲にも感じ取られていた。最低限の口しか聞かない二人に、どうしたんだよ、喧嘩でもしたのか、などとからかわれていた。取り繕うことすらもできず、ぎくしゃくしたままだった。
「ごめん、みんな」
とレンは言う。隠していてごめん。そういう意味だ。
誰かが苦笑する。
「いや、レンが謝ることじゃなくない?」
「淳弥、お前何言ってんの?」
「あ、レン、一緒に店やってる子と……とか?」
恭介は今日、病み上がりのレンを心配して、時々おりてきて片づけなどを手伝ってくれている。
レンは慌てて否定した。
「違う、恭介は違う。違うんだ。絶対違うから。マジでただの元職場の後輩……」
恭介に飛び火するのはいけない。
「別の男だよ」
と淳弥が言う。
「レン、やっぱりあいつとまだ付き合ってんだな。あれ、結婚するんだったっけ」
と揶揄する。レンは淳弥を睨む。淳弥は、からかうような目をしていない。静かに怒るような、そういう目だ。
「あの忙しそうな逃げ腰のオッサン」
「淳弥に何の関係があるの、それ」
恭介がおりてきて、心配そうにキッチンに入ってくる。
「レンさん、大丈夫ですか」
「ごめん、恭介。大丈夫」
「呼べよ」
淳弥は言った。
「ここに呼んでみたら。前は、あいつが逃げたせいで話せなかったから」
「レンさん」
「なんで淳弥にいわれて、呼ばなきゃならないの。あの人、忙しいんだけど」
「そうだよな。家庭でもあるのかもな」
「ないよ。いい加減にしろよ」
淳弥はレンに、諭すように言った。
「なあ、レン。もっと冷静に考えてみろよ。アメリカの大富豪の跡取りで、大企業の社長が、本当にレンと付き合うと思うの? 囲われて愛人にでもなって、レンはそれでいいって?」
「もうその話はしないでくれ。お前にはわからない」
「そうか? 俺には、レンのほうがわかってないと思えるよ。いいじゃん、この機会に、あいつに説明させてみようぜ。レンとの関係。そんなこともできないの。なあ、恭介だっけ。あいつ呼べる?」
「え……」
と、恭介は自分の携帯電話がポケットに入っているのを意識する。一応、レンに何かあったときのために、緊急連絡先としてルイスの携帯番号を教えてもらってある。
あとは、この状況が緊急か、そうではないかだ。
「恭介、気にしないでいいから。本当にごめん」
「外国人の金持ちのオッサンの慰みになってんの、レン、自分でわかってんの?」
頭痛がする。何もかもが淳弥の認識と異なる。だが否定してどうなるというものでもない。自分とルイスのことは、自分たちがわかっていればそれでいいのに。
「やめてくれ」
友人たちは目を見合わせて戸惑っている。
「淳弥、レンが心配でやるせない気持ちはわかるけどさ、レン、すごい辛そうだし、今はやめといたら?」
「レンはレンで、もし周りに心配かけるようなことがあるんだったら、相手との関係は考え直したほうが……」
レンは慌てる。
「いや、違うんだ。淳弥が言うようなことはないんだ」
恭介は携帯電話を取り出した。
「やめて、恭介。掛けないで」
「呼んで、恭介」
「あの人を巻き込みたくない。これは俺の問題だから」
恭介は、ルイスの電話番号を鳴らした。レンは信じられない思いで恭介を見る。
「なんで、恭介」
レンは泣きそうになる。
「だって、絶対巻き込まれたがると思いますよ」
恭介はルイスのことをよくわかっている。
レンもわかっている。呼べば、彼は必ず来る。だからこそ掛けないで欲しかったのに。
五コールほど鳴って、ルイスが電話に出る。
『はい』
「すみません、高木です。レンさんが友達とトラブってて」
レンは叫んだ。
「問題ないです! 来なくて大丈夫です!」
『お店ですね』
「はい」
恭介が頷き、淳弥が聞こえるように大きな声で言う。
「あんたのことだよ」
淳弥の声が聞こえて、ルイスは腹立たしい。なぜいつまで経っても関わりが消えないのかと苛立つ。友達の飲み会だと聞かされた時点で、嫌な予感はしていたが、やはりという思いだ。
『すぐに行きます。僕も言いたいことがありますので』
通話が切れた。すぐに来ると言うのだったらすぐに来るだろう。彼は自宅におり、ここは自宅から十分もかからない。
レンは天井を仰いだ。
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