溺愛社長とおいしい夜食屋

みつきみつか

文字の大きさ
上 下
76 / 136
三年目の春の話

四 別れ話

しおりを挟む
 真夜中。

「――レン?」

 電話越しのルイスの声に、レンは安心する。
 ルイスが突然アメリカに一時帰国するといって消えて、一週間が経っていた。
 いつ頃戻ってくるのだろうかと思いつつ待っていると、メッセージがあって、電話をしたいというので、待っていた。電話がきたのはさらに三日後だ。
 午前二時。仕事終わりを見計らったのだろう。レンは着替えて眠ろうとしていた。ベッドの上に座っている。向こうは何時なのだろうか。

「はい」
「僕ですけど」
「はい」

 よく考えると、電話をする機会はほとんどなかった。待ち合わせのとき以来か。久しぶりにルイスの声を聞く。ルイスも、久しぶりのレンの声に耳を傾ける。直接話すときの距離感と異なる。耳元で囁かれるようで、これはこれでいいとルイスは思う。

「今、何時ですか? そちらは」
「サマータイムで、午後一時です。そっちはどう?」
「えっと、桜が、咲いていますね」
「ああ、こちらでも咲きはじめていますね」
「アメリカにも桜ってあるんですか」
「ありますよ。会社からセントラルパークが見えるんですけど、そのあたりに」

 桜といえば、ルイスは思い出す。
 レンと二人でよぞらの近くの公園で夜桜を見た。
 風のない夜で誰もいない。一緒にレンが作ったお弁当を食べて、お菓子を食べて、穏やかな時間を過ごした。レンにアメリカに連れていってもいいかと訊ね、了承を得た。
 色々な思い出がある。こんな風に、彼との間で積み重ねたものがあるのだと、ルイスはつくづく思った。だからといって、まだ懐かしみたくはない。
 音声だけではなくて、テレビ電話にでもすればよかった。姿を見たい。だがきっとそうしたら、さらに欲求が深くなる。今でも、一足飛びに、直接会いたい。触れたい。
 ルイスはため息とともに言った。

「とりあえず、三日後に戻ります」
「そうなんですか」
「はい。話をしてみたものの、父の考えはわからないので、もう少し仕事をして、さっさと帰ります」

 ルイスの父親は厳しいが、ルイスに対して策略家ではない。話せない人間ではない。だが、今回は父子で直接話しても言を左右にしていて本音がわからない。ただ帰ってこいと言うだけだ。
 そこで、レンは言った。

「お父さんと、よく話し合ってくださいね」

 ルイスは苦笑した。
 自分と父の関係は、一般的な親子よりも情緒が希薄である。話せないわけではないが、別に仲が良いわけでもないし、ビジネスの付き合いだけの期間のほうがよほど長い。仕事で逆らえない相手だ。

「これ以上話しても、何も得られないんですよ……。ああ、ごめん、レンにいうべきではなかったです。すみません」

 二つの意味で、レンを傷つけかねないことにルイスは気づいた。レンは数年前に父親を失っている。父が健在であるルイスには、父を失う辛さはわからない。実母を亡くしたとき、ルイスは生まれたばかりだった。
 それに、父子の関係をレンに話しても仕方ない。背景を説明することまではできない。
 ルイスは言った。

「ごめんね」
「いえ。大丈夫です。差し出がましいことをいってすみません」

 レンは、ルイスに気を遣わせてしまい、申し訳ないと思う。

「ただ、このままこちらの仕事に浸かっていると、日本に戻れなくなりそうです」

 ルイスは日本での仕事を奪われようとしている。

「戻らないんですか……?」
「本国で椅子を用意されて、日本では解任ですから」

 外堀を埋められつつある。戻ろうにも立場がない。
 ルイスは父に、レンのことを話せていない。だが、恋人を残してアメリカに戻ることは、今の自分には想像できない。
 父にとって、アメリカに戻ろうとしないルイスのほうが不可解な存在だろう。いずれ戻るために外に出されていたのだから。先ほども、まだ日本にいたいと言ったら、もう十分だろうと言われ、今更何を言っているのかといった顔をされた。
 ルイスもそのつもりだった。昔の自分ならば、やっと戻れると喜んでいてもおかしくない。レンと出会っていない頃の自分であれば。
 変わってしまったのは自分のほうだとルイスは自覚している。

「日本の会社は、ルイスさんがいなくなって、大丈夫なんですか」
「それは問題ありません。後任であるエマの夫のジムは、前任でもあります。エマも代表ですが、外交役で、経営は別の人、と役割分担しているんです。ただ僕は、実務家寄りで、引き継がなければならないことがまだ残っていて……」

 日本に戻る必要はある。しかし、それは一時的な仕事の引き継ぎではない。恒久的に日本に残りたい。少なくともレンが店にピン留めされているうちは、一緒に暮らすためにはルイスが日本に戻るほかない。
 レンは、そこで初めて、ルイスがアメリカにずっと住むのだとわかった。それもそうだ、と思う。彼はアメリカ人であり、仕事の都合で日本にいたのだ。
 本格的に離れ離れになったら、自分たちはどうなるのだろうか。アメリカと、日本。どちらも、その場に縫いつけられるみたいに動けない。
 レンは押し黙った。嫌な想像が頭を過ぎる。考えてはいけない。
 自分たちがこのまま、どうなるのか。

「先に言っておきますが」

 と、ルイスは切り出した。

「レンのことを諦めるつもりはありません」

 ルイスはあらゆる意味を込めてそう言った。レンとの関係の維持も、将来のことも、父の理解もすべて、実現できないものはないと考えている。ルイスはポジティブなのである。
 だが、諦めるという言葉にレンは立ち尽くす。レンはネガティブである。

「ですが、実際は、厳しいですよね」

 声が震えた。何を言っているんだろうとレンは思う。自分はいったい何を告げようとしているのか、わからなくなる。恐ろしくて手が震える。
 頭が痛い。混乱している。ルイスは戻ってこない。会えなくなる。会いたい。

「これって……いずれ、わ、別れる、しかなくなるんじゃ、ないですか」

 泣きそうになる。嫌だ。声がかすれる。視界が回る。
 うまく話せない。心が拒否するせいだ。
 手が震えたままだ。落ち着かせるために握ったら今度は腕ごと震える。
 ルイスは静かに怒った。

「レン。いま考えてもわからないことは、考えるのをやめて、後回しにしましょう。そちらは二時過ぎですよね? 夜も遅いし、君はお仕事で疲れています。だから、朝起きて、お日様の下で、ふたりで考えましょう。結論を出すのはまだ早いです」

 なぜルイスが冷静でいられるのか、レンは理解できない。

「結論って、だって、ルイスさんって、そちらの仕事を選ぶしか……、そうしたら結論って、一つしかないじゃないですか」
「ちょっと待ってください、レンは別れたいんですか?」
「そんなわけないです」
「レンの口振りだと、別れる選択肢しかないように聞こえますが」
「そんな」
「あとは僕が考えます」

 ルイスは少しうんざりしている。レンは結論を急ぎすぎる。
 問題ごとの解決は自分向きの仕事であるし、ある程度は筋道も立ててある。あとはレンがどこまで自分を信じてくれるか。
 だが、自分はそこまでに至っていないと痛感する。別れるという言葉を安易に口にされることも、レンにはあり得るのかと思うと、ショックが大きい。自分は、別れるという言葉の使用を避けていたのに。

「絶対に別れません」

 とルイスはレンに念押しした。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

後輩が二人がかりで、俺をどんどん責めてくるー快楽地獄だー

天知 カナイ
BL
イケメン後輩二人があやしく先輩に迫って、おいしくいただいちゃう話です。

処理中です...