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三年目の春の話
一 話したいこと
しおりを挟む「ごちそうさまでした」
クリスティナはそう言って、手を合わせた。席を立って、ランドセルを背負う。
レンが気づき、カウンターの中でクリスティナへ駆け寄った。
「クリスさん」
と、そのとき、背後で「お茶くださーい」という声と、「注文いいですか?」の声が重なる。レンが振り返ると、恭介が水出しの緑茶を冷蔵庫から取り出して汲みながら、少々お待ちくださいと言った。
三月下旬。午後六時半。座席は満席だ。全員女性客である。
よぞらの店内は狭く、カウンター席しかない。それが全員女性で埋まっていて、数か月前とは別の店のようだとレンは思う。もう少し遅い時間帯になると、男性客の比率が高まってくるのではあるが。
クリスティナは、苦笑した。
「さいきん大繁盛だね。忙しそう」
「ゆっくり過ごせなくてすみません。本当はお話ししたいんですが」
話したいことは色々あるのに、この数ヶ月、まったく話せていない。
クリスティナは明るく振舞う。
「あたしもレン兄とお話ししたいな。でもまあ、落ち着いたらね。じゃ、塾あるから行くね! いってきまーす!」
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
と、レンはクリスティナが出ていくのをなすすべもなく見守る。外に並んでいるお客さんがいるので、クリスティナの食べたあとを片づけて急いで席を空ける。
「お会計お願いしまーす」
という二人客に対応して、カウンターで会計をする。
次にのれんをくぐったのは、いつものメガネのお兄さんだ。
「レンくーん、ただいまー。日替わり何? テイクアウトしてもいい?」
「あっ、おかえりなさい! 手毬寿司、山菜の天ぷらと、筍の土佐煮、お吸い物、茶碗蒸しと、菜の花の辛し和えです。席空いてますがテイクアウトでいいですか?」
「帰って食べるよー」
メガネのお兄さんはいつも一人の独身男性なので、店員以外全員女性という環境に怖気づいている。
「忙しそうだね。なんかここのところ、女性客の増えっぷりが……」
「ネットで紹介してくださった方がいるみたいで……」
「あー。なるほどね。じゃあ、外で待ってるから」
「承知しました!」
「すみませーん、日替わりひとつお願いしますー」
と向こうの席から注文の声が聞こえる。恭介とレンは揃って「はぁい」と返した。なぜか別のほうで、黄色い声があがる。ふとそちらを見るが、誰が出した声かわからない。
「レンさん、手毬寿司ってここに入ってるので全部ですか?」
と、恭介は冷蔵庫の上段を開けながらレンに確認する。
「あ、ううん。下の段にもある」
「あ、下ですね」
「言い忘れてごめん」
「大丈夫です」
恭介もレンもてんてこまいだ。十席しかないが、料理に手が込んでいるので、することが多い。仕込みの量も倍増している。レン一人で営業していたのと同じ時間帯で営業しているだけなのに、恭介と二人でも回らなくなりつつある。
忙しいのは嬉しい悲鳴だが、先ほどクリスティナに気を遣わせてしまい、メガネのお兄さんにも店内で過ごしてもらえず、従来のお客さんをないがしろにしているようで気が引ける。
恭介は見かねて小声で言った。
「レンさん、落ち込むのは後にしてください」
「あ、はい。すみません」
恭介に注意されて、レンは居住まいをただした。そんな二人の様子をみて、くすくすと笑いが漏れ聞こえてくる。恥ずかしい。しっかりしなければならない。これではどちらが店長で年長者なのかわからない。
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