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二年目の夏の話
四 他人の人生を背負うこと
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レンはルイスの自宅を訪れた。夏祭りを終え、その後、商店街の面子で打ち上げがあり、打ち上げ後のことだ。
日曜日。午後十時。
朝が早かったので、疲れている。だがルイスが自宅に戻るそうで、レンの方から行きたいと言った。
レンがマンションに到着したとき、ちょうどルイスがロビーまで迎えにおりてきたところだった。商店街を出るときに連絡しておいたからだ。ただのTシャツと半パンという、ラフな格好だ。
笑顔のルイスを見た瞬間、レンはほっとした。
「レン、お疲れさまです」
「ルイスさん、急にすみません。お疲れさまです」
ロビーに現れたルイスは躊躇いなくレンを抱擁する。頬に口づける。レンは焦る。すぐ近くにコンシェルジュがいる。こちらを見るともなく見ているはずだ。
ルイスは笑いながら離れる。
「ビズです、ビズ」
レンはルイスとともにエレベーターに乗り、ルイスの部屋に入る。
「おいで、レン」
ルイスは先に廊下にあがって、レンを迎えた。
いつものようにキスをしない。ただきれいな手を差し伸べている。
普段と違うので、どうしたのかとレンは不思議に思う。
「そんな顔してやってきて、手出しできませんよ」
ルイスは苦笑しながら言った。
ルイスの目に、レンは憔悴しているように見えた。いつものわりと余裕そうなレンではなくて、弱っている。
「何か用意しましょうか?」
「あ、お茶持ってきました」
「では、僕がいれますよ」
ルイスは緑茶を入れて、リビングのソファに並んで掛けた。
レンが部屋に来るようになってから、レンが飲み物や食べ物を持ち込むので、レンがいるときだけは充実している。
「あの、淳弥のことなんですが……」
「ああ。ごめんね。大人げなかったです」
ルイスは落ち込む。絡まれたとはいえ、もっと抑制的に対応をしなければ、レンに迷惑をかける。良くも悪くも自分は目立つ。レンを巻き込みかねない。
経営者同士は対等だとルイスは思う。ともに自分の事業をしている。事業の規模をみて人間同士の釣り合いがとれているかを判断するなんてナンセンスだ。そもそも釣り合いという表現自体がくだらない。
だが、客観的にどう見えるのかは意識しておいたほうがいい。レンを守るためでもある。
ルイスが代表取締役をつとめる会社の従業員数は約百人程度であり、せいぜい中小企業なのだが、資産家の実家のネームバリューも手伝って、実態以上に大きくみられる。
「いえ、あれは淳弥のほうが失礼です」
淳弥は純粋に心配しているのではないとレンは思う。幼馴染で友人ではあるが、自分たちの関係は、身体の関係を結んだときに、普通の友達ではなくなっている。
「あのときは、恭介がいたから、言えなかったんですが」
「ああ、もう一人いた子」
「はい。アルバイトをしてもらうことになりました。二階に住みこみで」
「そうなんですか。少し意外です」
「すみません、ちょっと不安で……」
レンは大きくため息を吐いた。
ルイスはレンと手を繋いで、レンの手の甲にキスをする。レンの緊張が解れるようにと願いを込める。憔悴の原因だろうと察し、優しく問いかける。
「不安? どうして?」
「人の人生、背負いこむみたい。怖いです」
本当に、これでよかったのだろうか。
恭介を雇うと決めたときから、気づくと手が震えている。
心臓が煽ってくる。高揚というよりも不安だ。たしかに、手伝ってもらえると助かるし、土日の営業もしたい。ランチの営業も考えていることだった。
だが、いざ進めてみると、やはり怖い。
自分一人の手では限界があるとは知っていた。ならばいつか、誰かの手を借りなければならない。恭介とは二日間一緒に仕事をした。一度はホテルにも採用されている。話し合いもできる。性格も良い。だから恭介にはきっと問題はない。
何もかも怖い。自分一人は気楽だ。何があっても自分が無理をすれば済む。
「ふふ。レンは怖がりですねえ」
「そうかも……。何かをするときは、いつも怖いです」
「気持ちはわかります」
「……ルイスさんは、何も怖くなさそうに見えます」
「僕は何も怖くないです。そのへんの神経が切れているとよくいわれます」
「それって……」
「けなされてます」
レンは吹き出して、ルイスを見る。やっと見たとルイスは思った。今日のレンは、心許なさそうな、縋るような瞳をする。だがどこか上の空だった。
ルイスは言った。
「レンの人生を背負う覚悟もあります。それは生涯の伴侶として、レンを愛しているからです。労働者のことはまた別の考えを持っています」
ルイスはレンに優しくキスをする。こうしていると幸せを感じる。
レンはルイスの肩に頬をのせる。ルイスはレンの髪や、肩、背中を撫でる。レンはルイスに抱きつく。
自分を頼ってくれているようでルイスは嬉しい。
「ルイスさん。俺、次にあいつに会ったら、ルイスさんのこと、婚約者だって言ってしまいますからね」
抱きついたまま、レンは言った。恥ずかしいので、表情は見せない。
ルイスは笑った。
「それは嬉しいんですけど、わざわざ彼と会う機会を設けたりはしないように。彼は危険人物です」
「あはは」
レンが笑うとルイスは嬉しい。
「さて、レン。恭介を雇う話ですが」
「え、あ、はい」
たちまち現実に引き戻され、レンは緊張した。
「レンが不安でたまらなくなるのは、なぜなんでしょうね。よろしければ、紐解いてみましょうか」
「それは……経済的なこととか」
十分な給料を払えるわけではない。それでも、収支が合うのだろうか。そもそも調理の仕事は薄給だ。肌感覚として、おそらく最低時給くらいしか払えない。
しばらくは試用期間だ。それでいいと思う。まかないも用意できる。住む場所と食事さえあれば、ホテルほどの給料がなくても構わないと言っていた。自分と同じように、恭介にも実家がないらしい。
「あと、本人の将来のこととか」
十八歳。ホテルであれば修業場所として最適だ。横並びで競争でき、たくさんの人がいて刺激があり、技術が身につき、揉まれて、忙しさの中で得られるものが多い。レンは、手厚く教えられるわけではない。
頭がごちゃごちゃしてくる。思わずこめかみを押さえる。
「そう気負わずに。転職してステップアップするなどは、将来的に、本人が決めることですから、いまはレンはレンにできることを教えてあげて、任せてあげればいいですよ、きっと」
「あ、そっか」
レンにはレンの料理しかできない。だが、それでいいのだ。そう思うと、肩が軽くなる。
少し落ち着いたようだとルイスは思った。
「経済的な点は、あとで、数字をみてみましょうか」
「数字」
「ええ」
ルイスはにっこりと笑う。
「僕に見られるのは、嫌ですか?」
そんなことはないです、とレンが答える前に、ルイスはレンの唇を奪っていた。
日曜日。午後十時。
朝が早かったので、疲れている。だがルイスが自宅に戻るそうで、レンの方から行きたいと言った。
レンがマンションに到着したとき、ちょうどルイスがロビーまで迎えにおりてきたところだった。商店街を出るときに連絡しておいたからだ。ただのTシャツと半パンという、ラフな格好だ。
笑顔のルイスを見た瞬間、レンはほっとした。
「レン、お疲れさまです」
「ルイスさん、急にすみません。お疲れさまです」
ロビーに現れたルイスは躊躇いなくレンを抱擁する。頬に口づける。レンは焦る。すぐ近くにコンシェルジュがいる。こちらを見るともなく見ているはずだ。
ルイスは笑いながら離れる。
「ビズです、ビズ」
レンはルイスとともにエレベーターに乗り、ルイスの部屋に入る。
「おいで、レン」
ルイスは先に廊下にあがって、レンを迎えた。
いつものようにキスをしない。ただきれいな手を差し伸べている。
普段と違うので、どうしたのかとレンは不思議に思う。
「そんな顔してやってきて、手出しできませんよ」
ルイスは苦笑しながら言った。
ルイスの目に、レンは憔悴しているように見えた。いつものわりと余裕そうなレンではなくて、弱っている。
「何か用意しましょうか?」
「あ、お茶持ってきました」
「では、僕がいれますよ」
ルイスは緑茶を入れて、リビングのソファに並んで掛けた。
レンが部屋に来るようになってから、レンが飲み物や食べ物を持ち込むので、レンがいるときだけは充実している。
「あの、淳弥のことなんですが……」
「ああ。ごめんね。大人げなかったです」
ルイスは落ち込む。絡まれたとはいえ、もっと抑制的に対応をしなければ、レンに迷惑をかける。良くも悪くも自分は目立つ。レンを巻き込みかねない。
経営者同士は対等だとルイスは思う。ともに自分の事業をしている。事業の規模をみて人間同士の釣り合いがとれているかを判断するなんてナンセンスだ。そもそも釣り合いという表現自体がくだらない。
だが、客観的にどう見えるのかは意識しておいたほうがいい。レンを守るためでもある。
ルイスが代表取締役をつとめる会社の従業員数は約百人程度であり、せいぜい中小企業なのだが、資産家の実家のネームバリューも手伝って、実態以上に大きくみられる。
「いえ、あれは淳弥のほうが失礼です」
淳弥は純粋に心配しているのではないとレンは思う。幼馴染で友人ではあるが、自分たちの関係は、身体の関係を結んだときに、普通の友達ではなくなっている。
「あのときは、恭介がいたから、言えなかったんですが」
「ああ、もう一人いた子」
「はい。アルバイトをしてもらうことになりました。二階に住みこみで」
「そうなんですか。少し意外です」
「すみません、ちょっと不安で……」
レンは大きくため息を吐いた。
ルイスはレンと手を繋いで、レンの手の甲にキスをする。レンの緊張が解れるようにと願いを込める。憔悴の原因だろうと察し、優しく問いかける。
「不安? どうして?」
「人の人生、背負いこむみたい。怖いです」
本当に、これでよかったのだろうか。
恭介を雇うと決めたときから、気づくと手が震えている。
心臓が煽ってくる。高揚というよりも不安だ。たしかに、手伝ってもらえると助かるし、土日の営業もしたい。ランチの営業も考えていることだった。
だが、いざ進めてみると、やはり怖い。
自分一人の手では限界があるとは知っていた。ならばいつか、誰かの手を借りなければならない。恭介とは二日間一緒に仕事をした。一度はホテルにも採用されている。話し合いもできる。性格も良い。だから恭介にはきっと問題はない。
何もかも怖い。自分一人は気楽だ。何があっても自分が無理をすれば済む。
「ふふ。レンは怖がりですねえ」
「そうかも……。何かをするときは、いつも怖いです」
「気持ちはわかります」
「……ルイスさんは、何も怖くなさそうに見えます」
「僕は何も怖くないです。そのへんの神経が切れているとよくいわれます」
「それって……」
「けなされてます」
レンは吹き出して、ルイスを見る。やっと見たとルイスは思った。今日のレンは、心許なさそうな、縋るような瞳をする。だがどこか上の空だった。
ルイスは言った。
「レンの人生を背負う覚悟もあります。それは生涯の伴侶として、レンを愛しているからです。労働者のことはまた別の考えを持っています」
ルイスはレンに優しくキスをする。こうしていると幸せを感じる。
レンはルイスの肩に頬をのせる。ルイスはレンの髪や、肩、背中を撫でる。レンはルイスに抱きつく。
自分を頼ってくれているようでルイスは嬉しい。
「ルイスさん。俺、次にあいつに会ったら、ルイスさんのこと、婚約者だって言ってしまいますからね」
抱きついたまま、レンは言った。恥ずかしいので、表情は見せない。
ルイスは笑った。
「それは嬉しいんですけど、わざわざ彼と会う機会を設けたりはしないように。彼は危険人物です」
「あはは」
レンが笑うとルイスは嬉しい。
「さて、レン。恭介を雇う話ですが」
「え、あ、はい」
たちまち現実に引き戻され、レンは緊張した。
「レンが不安でたまらなくなるのは、なぜなんでしょうね。よろしければ、紐解いてみましょうか」
「それは……経済的なこととか」
十分な給料を払えるわけではない。それでも、収支が合うのだろうか。そもそも調理の仕事は薄給だ。肌感覚として、おそらく最低時給くらいしか払えない。
しばらくは試用期間だ。それでいいと思う。まかないも用意できる。住む場所と食事さえあれば、ホテルほどの給料がなくても構わないと言っていた。自分と同じように、恭介にも実家がないらしい。
「あと、本人の将来のこととか」
十八歳。ホテルであれば修業場所として最適だ。横並びで競争でき、たくさんの人がいて刺激があり、技術が身につき、揉まれて、忙しさの中で得られるものが多い。レンは、手厚く教えられるわけではない。
頭がごちゃごちゃしてくる。思わずこめかみを押さえる。
「そう気負わずに。転職してステップアップするなどは、将来的に、本人が決めることですから、いまはレンはレンにできることを教えてあげて、任せてあげればいいですよ、きっと」
「あ、そっか」
レンにはレンの料理しかできない。だが、それでいいのだ。そう思うと、肩が軽くなる。
少し落ち着いたようだとルイスは思った。
「経済的な点は、あとで、数字をみてみましょうか」
「数字」
「ええ」
ルイスはにっこりと笑う。
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