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冬の話
最終話 初めての恋
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午前三時。
お互いにシャワーを浴び、廊下に点々と脱ぎ捨てていた衣類を片づけ、着替えて落ち着いた。リビングのソファに浅く腰掛け、肩を並べ、明かりを消してカーテンを開けて外の景色を眺める。
雪が降っている。予報によれば、まだ降り続けるらしい。街が白く染まっていく。
外の明るさのおかげで、部屋の明かりを消しても、室内の様子はわかる。空調がきいてあたたかい。
「飛行機、無事に着いてよかったですね」
「ええ。一日ずれていたら、難しかったかもしれません」
レンはドリップコーヒーを持ち込んで淹れた。マグカップを二つ買って持ってきた。一緒に飲みたかったからだ。ひとつをルイスに渡す。ルイスは礼を言って受け取り、口をつけた。
外の音もない。ソファが沈む。お互いの呼吸と衣擦れの音だけだ。
「今回はどちらへ?」
「シンガポールです。新しい事業の準備です。一旦戻りましたが、こちらの仕事が落ち着いたら、しばらく向こうに滞在する予定です。別に日本にいてもいいのですが、やはり現地に行きたい思いがあって」
「そうなんですね」
ならば、こうして会うことも、しばらくはない。
そしてそのしばらくがいつまでかはっきりしないし、たとえルイスが日本に戻ったとしても、関係は途切れるのではないだろうかとレンは思う。
「下の階は売りに出して、買い手がつきましたが、この部屋は当面残すつもりです」
「あ、三つあるんでしたね……」
「はい」
入ったことはないが、ルイスはこのマンションに部屋をいくつも持っていた。大富豪の実家を持つ実業家の資産規模はよくわからないが、そういうこともあるのだろう。規格外すぎて想像がつかない。
ルイスはテーブルにマグカップを置く。レンもその近くに置いた。
「レン」
と呼ばれて、レンはルイスを見る。ルイスはレンの唇にキスをした。
コーヒー味のキスを受け入れながら、レンは目を閉じる。
なんだか不思議な恋だとレンは思う。
去年の四月以降、レンはルイスのことばかり考えている。いつになったら考え終えるのだろう。この温もりの余熱だけで、一冬を越してしまう気がする。
ルイスはレンの左手を、両手で取る。
そしてルイスは、キスをしながら、レンの左手の薬指に指輪を通した。冷たくて固い感触に、レンは緊張する。サイズは少し大きい感じはするが、抜けるほどではない。
唇が離れて、ルイスはレンの右手に指輪を握らせた。
「僕にもつけてくれますか」
レンは黙って、ルイスの左手を取る。手の大きさは同じくらい。指が長くてしっかりしている。傷などのないきれいな手だ。
ルイスの左手の薬指に、用意された指輪を嵌めてみる。いくらくらいするのだろう。
遊びで買うようなファッションリングではない。シンプルな揃いのものだが、いかにも高価そうな品だ。プラチナだと思う。
レンは困り果てた。
「……仕事中は、付けられません」
仕事中もプライベートでも付けることはできないとレンは思う。
ルイスは照れ臭そうに微笑んでいる。レンが受け取ってくれたことが嬉しい。
「『レンくん結婚するの?』なんて、きっと訊かれちゃいますね。みんなに」
「ルイスさんも困るんじゃないですか。そんなこと訊かれたら」
ルイスは苦笑する。
「あいにく、僕にそんな質問ができる者はいません。おそらく家族にも訊かれないと思いますよ」
「それもそうかもしれませんね……」
つい納得してしまう。
エマやクリスティナ、ウォルターの態度を見る限り、ルイスは家族の中で浮いている。
じゃあ、とレンは誰かの代わりに冗談めかして質問することにした。
「ルイスさん、ご結婚なさるんですか?」
ルイスは手を取りながらレンを見つめる。
真剣な眼差しで答える。
「いいえ。今はまだ。ですが、結婚したいくらい愛しています」
誰かに訊かれたら、いつだってこう答えるとルイスは思っている。
レンは言葉をなくした。
ルイスの心の内は、いつもレンを打ちのめす。
自分は、ルイスが思う以上に、ルイスのことが好きだ。熱量なら彼を超えている自信さえある。
恋という感情の途方のなさに、レンは戸惑っている。何をしていても、ルイスのことが頭から離れない。身体の熱も、感情の熱も、会っていない時間もずっと続いている。
連絡したい。会いたい。一緒にいたい。こらえているのは、困らせたくないからだ。ほんの少しでも、鬱陶しいと思われたくない。レンはそんな自分を打算的だと思う。
ルイスに、自分のことを好きでいてほしい。だから我儘は言いたくない。好きでいてくれなくなったら傷つく。熱を持て余すのは自分のほうだ。
どうしようもなく彼のことが好きだ。
レンは目を伏せる。
「大切にします」
ルイスは苦笑する。
レンの指輪を撫でながら、視線を落とす。レンの指のサイズは、レンが寝ているときにこっそり測っておいた。
本当は、レンの好みを聞いてみたかった。二人で選んでみたかった。だが先に話せば、了解を得られないのではないかと考えてしまった。
レンに拒絶されるのは辛い。いらないと言われたら立ち直れない。
「こんな風に繋ぎ止めようとするのは本意ではないです。ですが、指輪ではなくて首輪をつけておきたいほど、尋常ではない気持ちもあります」
といって、レンの首を撫でた。
いっそ首輪をつけてくれたらとレンは思う。
目をあげて言った。
「俺、戻れなくなりそうで怖いです」
すでに戻れなくなっているのはわかっている。戻る場所がどこなのかもわからない。終着地点もわからない。
「僕もです」
ルイスはそう言った。
もう一度キスしたいと、どちらも思う。
額を合わせて、鼻先が触れる。少し角度を変える。目を閉じる。
唇をそっと重ねた。温かい。
しばらくのあいだ、約束のように、指先を繋いでいた。
<冬の話、終わり。番外編に続く>
お互いにシャワーを浴び、廊下に点々と脱ぎ捨てていた衣類を片づけ、着替えて落ち着いた。リビングのソファに浅く腰掛け、肩を並べ、明かりを消してカーテンを開けて外の景色を眺める。
雪が降っている。予報によれば、まだ降り続けるらしい。街が白く染まっていく。
外の明るさのおかげで、部屋の明かりを消しても、室内の様子はわかる。空調がきいてあたたかい。
「飛行機、無事に着いてよかったですね」
「ええ。一日ずれていたら、難しかったかもしれません」
レンはドリップコーヒーを持ち込んで淹れた。マグカップを二つ買って持ってきた。一緒に飲みたかったからだ。ひとつをルイスに渡す。ルイスは礼を言って受け取り、口をつけた。
外の音もない。ソファが沈む。お互いの呼吸と衣擦れの音だけだ。
「今回はどちらへ?」
「シンガポールです。新しい事業の準備です。一旦戻りましたが、こちらの仕事が落ち着いたら、しばらく向こうに滞在する予定です。別に日本にいてもいいのですが、やはり現地に行きたい思いがあって」
「そうなんですね」
ならば、こうして会うことも、しばらくはない。
そしてそのしばらくがいつまでかはっきりしないし、たとえルイスが日本に戻ったとしても、関係は途切れるのではないだろうかとレンは思う。
「下の階は売りに出して、買い手がつきましたが、この部屋は当面残すつもりです」
「あ、三つあるんでしたね……」
「はい」
入ったことはないが、ルイスはこのマンションに部屋をいくつも持っていた。大富豪の実家を持つ実業家の資産規模はよくわからないが、そういうこともあるのだろう。規格外すぎて想像がつかない。
ルイスはテーブルにマグカップを置く。レンもその近くに置いた。
「レン」
と呼ばれて、レンはルイスを見る。ルイスはレンの唇にキスをした。
コーヒー味のキスを受け入れながら、レンは目を閉じる。
なんだか不思議な恋だとレンは思う。
去年の四月以降、レンはルイスのことばかり考えている。いつになったら考え終えるのだろう。この温もりの余熱だけで、一冬を越してしまう気がする。
ルイスはレンの左手を、両手で取る。
そしてルイスは、キスをしながら、レンの左手の薬指に指輪を通した。冷たくて固い感触に、レンは緊張する。サイズは少し大きい感じはするが、抜けるほどではない。
唇が離れて、ルイスはレンの右手に指輪を握らせた。
「僕にもつけてくれますか」
レンは黙って、ルイスの左手を取る。手の大きさは同じくらい。指が長くてしっかりしている。傷などのないきれいな手だ。
ルイスの左手の薬指に、用意された指輪を嵌めてみる。いくらくらいするのだろう。
遊びで買うようなファッションリングではない。シンプルな揃いのものだが、いかにも高価そうな品だ。プラチナだと思う。
レンは困り果てた。
「……仕事中は、付けられません」
仕事中もプライベートでも付けることはできないとレンは思う。
ルイスは照れ臭そうに微笑んでいる。レンが受け取ってくれたことが嬉しい。
「『レンくん結婚するの?』なんて、きっと訊かれちゃいますね。みんなに」
「ルイスさんも困るんじゃないですか。そんなこと訊かれたら」
ルイスは苦笑する。
「あいにく、僕にそんな質問ができる者はいません。おそらく家族にも訊かれないと思いますよ」
「それもそうかもしれませんね……」
つい納得してしまう。
エマやクリスティナ、ウォルターの態度を見る限り、ルイスは家族の中で浮いている。
じゃあ、とレンは誰かの代わりに冗談めかして質問することにした。
「ルイスさん、ご結婚なさるんですか?」
ルイスは手を取りながらレンを見つめる。
真剣な眼差しで答える。
「いいえ。今はまだ。ですが、結婚したいくらい愛しています」
誰かに訊かれたら、いつだってこう答えるとルイスは思っている。
レンは言葉をなくした。
ルイスの心の内は、いつもレンを打ちのめす。
自分は、ルイスが思う以上に、ルイスのことが好きだ。熱量なら彼を超えている自信さえある。
恋という感情の途方のなさに、レンは戸惑っている。何をしていても、ルイスのことが頭から離れない。身体の熱も、感情の熱も、会っていない時間もずっと続いている。
連絡したい。会いたい。一緒にいたい。こらえているのは、困らせたくないからだ。ほんの少しでも、鬱陶しいと思われたくない。レンはそんな自分を打算的だと思う。
ルイスに、自分のことを好きでいてほしい。だから我儘は言いたくない。好きでいてくれなくなったら傷つく。熱を持て余すのは自分のほうだ。
どうしようもなく彼のことが好きだ。
レンは目を伏せる。
「大切にします」
ルイスは苦笑する。
レンの指輪を撫でながら、視線を落とす。レンの指のサイズは、レンが寝ているときにこっそり測っておいた。
本当は、レンの好みを聞いてみたかった。二人で選んでみたかった。だが先に話せば、了解を得られないのではないかと考えてしまった。
レンに拒絶されるのは辛い。いらないと言われたら立ち直れない。
「こんな風に繋ぎ止めようとするのは本意ではないです。ですが、指輪ではなくて首輪をつけておきたいほど、尋常ではない気持ちもあります」
といって、レンの首を撫でた。
いっそ首輪をつけてくれたらとレンは思う。
目をあげて言った。
「俺、戻れなくなりそうで怖いです」
すでに戻れなくなっているのはわかっている。戻る場所がどこなのかもわからない。終着地点もわからない。
「僕もです」
ルイスはそう言った。
もう一度キスしたいと、どちらも思う。
額を合わせて、鼻先が触れる。少し角度を変える。目を閉じる。
唇をそっと重ねた。温かい。
しばらくのあいだ、約束のように、指先を繋いでいた。
<冬の話、終わり。番外編に続く>
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