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冬の話

五 雪の日の再会

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「あら、ウォルターが近くにいるって。今から来てもいいかしら」

 エマが携帯電話を見ながら言った。
 ウォルターはエマとルイスの弟だ。

「ええ、大丈夫ですが、雪がひどいので気をつけてくださいね」
「近所だから大丈夫よ」
「うちもこの近くなの」

 まさかルイスと同じマンションではなかろうかと、レンは焦る。あり得る。
 いつもは満席になる時間だが、客はテイクアウトばかりだ。エマが携帯電話でメッセージを送ると、しばらくして、エマとクリスティナのあいだくらいの美少女が入ってくる。男には見えない。

「いらっしゃいませ」
「こんばんは。いつもお世話様です」

 エマと同様、クリスティナにある程度、店やレンのことを聞いているらしい。
 クリスティナを挟んで、ウォルターが座る。メニュー表が読めないというウォルターのメニューは、クリスティナが決めた。日替わりだ。
 ぱっと見、どこからどう見ても少女だ。だが風邪のように声がかすれていて、事情を聞いた今では、声変わりの段階にあるとわかる。ルイスの声に似ている。そう考えることは危険だとレンは思った。先ほどのポートレート然り。
 ルイスに会いたい気持ちが止められなくなる。
 ウォルターが食事をする間、クリスティナとエマはポートレートを眺めて楽しそうにしている。

「はー、ルイスって詐欺だわ」
「こっちのクリストファー、美しくない?」
「このときって、ドロシーは何してたの?」
「イギリスに留学してたんじゃない」

 たくさんいるようだ。もしかしたら、ルイスが寝言でいっていたのも家族の名前なのかもしれないと、レンは都合のいいことを考えてしまった。

「あの、そういえば、マシェリって、ご兄弟ですか?」

 と訊ねると、エマとクリスティナのふたりは顔を上げてレンを見て、黙ってもぐもぐ食べていたウォルターは喉を詰まらせた。

「マシェリ?」
「誰に言われたの?」
「え、えっと、ルイスさんが、こ、こないだ……」

 クリスティナを含めて、皆がレンを見つめ、不思議そうに首を傾げている。ウォルターが口を拭って水を飲みながら言う。

「ルイス兄さんがレンさんに向かって?」
「……わからないです」

 なんだかわからないが、深刻な雰囲気が漂っている気がする。

「わからないって。そのとき目の前にいたの? 誰か紹介してもらったとか?」
「あの、そのー、とても眠そうにしていて、俺とどなたかを間違えてるのかと」

 ふたりで眠っていたときにルイスが発した寝言だとは口が裂けても言えない。あまりへんな説明になると、自分たちの関係を悟られかねない。
 レンの目の前で三人が顔を見合わせている。
 エマはニヤニヤし、ウォルターは青ざめ、クリスティナは怒っているように頬を紅潮させている。

「し、信じらんないルイスったら! レン兄を口説くなんて!」
「まさか。何かの間違いなんじゃないの?」
「もしレンくんのことをいうなら、マシェリなの? モンシェリじゃないの?」
「どっちでもいいよ、そんなの」
「よくないわよ、ルイスのやつ! 見境なくて最低! 人違いだったとしても最低!」
「え? え?」

 困惑するレンに、ウォルターが言った。

「マシェリは、フランス語で、『私の愛しい人』って意味だよ」

 エマが頬を染めながら微笑む。

「つまり恋人のことよ。ふふっ」
「でも、ルイス兄さんって、誰にでもそんなこと言っちゃえるような、軟派な性格だっけ? クリスティナにだけは甘々だけど」
「あんなの、約束破りを許されたいだけの戯言よ。本当に優しくて甘々ならちゃんと約束を守るもの」
「手厳しいです」

 本人も認めていたが、よほど大事な約束を破ったに違いない。

「クリス、マシェリっていわれる?」
「どうだっけ。あたしにはなんでもいうからね、ルイス。モンナンジュ。天使ね。あとは、マピュース。わたしのノミ」
「兄さん、クリスのこと大好きだからなぁ」
「クリス以外にそういうの言ってるの聞いたことないわね」

 いろいろと愛情表現があるらしい。
 フランス語は、料理用語ならばレンにもある程度わかるが、愛情表現までは手が回らない。
 話して失敗だった。説明がつかない。
 レンは普段、あまりこういう失敗をしない。衝動的な性格ではないからだ。
 結局、ずっと心に引っかかっていたせいだ。誰かの名前を寝言で呼んだと勘違いし、ルイスを憎らしく思っていた。気になって仕方なかった。たくさんいる親族のひとりだったらいいなと思った。知る機会を逃したくなかった。
 マシェリが誰を示していたのかはわからない。過去の恋人かもしれない。

「なるほど。クリスさんか恋人の夢でも見てたんですね、きっと」

 誤魔化せたかどうかはわからなかった。クリスティナはすごく嫌そうにしている。
 ウォルターが苦笑しながら言う。

「そうかもね。でも恋人のことはわかんない。そんな話、聞いたことない。ルイス兄さんって自分の恋愛事情、家族にも一切言わない人なんだよ」
「あら、そういえば恋人を紹介されたことって今までないわね。気づいたらビジネススクールを出て働いていたし」
「エマ姉さんは人の話聞いてないだけだよ」
「ママ。ルイスって、会社ではどうなの?」
「会社に住んでる人って感じよ。出張中以外はいつ行ってもいる。二十四時間営業。コンビニみたい」
「そういうこと聞いてんじゃなくて、社内恋愛とかさあ」
「どうかしら……。男女問わず仲がいいひとがいないわね。性格が冷酷でしょ? 鬼気迫る雰囲気で怖いし、やたら早口だし、いつも怒ってるみたいで厳しいし。役員の中で一番怖がられてるんじゃないの。誰かと付き合ってるって感じはしないけど……」
「ルイスの彼女なんて悲惨……。絶対、約束破られまくるよ」
「あの調子で仕事してたらねえ。ちょっと気の毒だわ。お父様ってルイスの仕事ぶりに対して異常に厳しいし。後継者だから仕方ないけど」
「夢に見るくらいだから恋人のひとりやふたり、いるんだろうけどねえ。兄さんの性格も相まって、信じがたいところはあるね」
「そういえばあの子、もうすぐ三十三歳よ。いい歳だし、わりと綺麗な子なんだから、誰とも付き合わないなんて、そんな寂しいことはないでしょうよ」
「でもルイス兄さんだからなあ」
「ふられちゃえばいいのよ」
「クリス、恨むわねえ。まああれはルイスが悪いのだけど」
「あはは……」

 もしルイスが男性だけを相手にしていたのであれば、家族にはなかなかパートナーを紹介できないのではないかとレンは思う。
 ルイスの実態を垣間見ているレンは、ルイスにはおそらく人並み以上の経験があるとわかる。なんというか、経験で培われたと思しきアクロバティックさを彼は持っている。年下のレンは翻弄されるばかりだ。
 ウォルターが言った。

「え、念のため聞くけど、レンさん、ルイス兄さんに告白されたの?」
「いや、そういうのはちょっと覚えがないです」

 それは答えられないので嘘を吐いてしまう。
 できれば嘘など吐きたくないがどうしようもない。

「レン兄、気をつけてね。油断しちゃだめ。ルイスって冷酷無比なのよ。きっとサイコパスよ」
「よく知ってるねそんな言葉」
「クリスはそういうけど、姉としては、レンくんさえよければ、あんな弟でよければもらってくれてもいいわ。よく働くと思うわよ。仕事を愛しすぎて家に帰ってこないけど」
「ええ……?」
「いやよ! やめてママ! レン兄にはもっといいひとがいるって、絶対! ルイスにはもったいないの!」
「クリス、ルイス兄さんのことなんだと思ってんの? レンさんの味方なの?」
「あったりまえでしょ。ルイスなんか敵よ、敵。レン兄みたいな優しいひとには、こう、しっかり者で、ライフワークバランスを大切にする、ちゃんとした、ほんわかした奥さんが必要なのよ。レン兄! 彼女いないの!?」
「あいにくおりません」
「えー、レン兄、絶対モテると思うんだけどなー。背が高くてシュッとしてて優しくて、声もいいし、お料理できるし……」

 クリスティナは両肘をついて頬を寄せ、カウンターの中に立つレンを眺める。
 レンは苦笑した。

「お褒めにあずかり恐縮ですが……。所詮、個人飲食店のひとり店長ですから、明日をも知れぬ身なんですよ」

 わかる、とエマが唸った。

「経営者って大変よねえ。よし、レンくん、生中ひとつ!」
「ありがとうございます!」
「看板娘の若女将って感じの、可愛くて健気でふんわりほんわかした優しそうな女の子がいいな! で、スタッフも増やして土日のお昼も営業するの!」
「それってランチ食べたいだけじゃない?」
「ランチ、ときどき言われるんですよ。土日。そろそろ真剣に考えようかと」
「食べにくるから。するときは言ってちょうだい」

 そのとき、引き戸が開いて男性客が入ってきた。レンは顔をあげて迎える。

「いらっしゃいませ」
「レン。ただいま」
「おかえりなさいませ」

 噂をすれば、だ。来るとは聞いていない。
 日本に帰ってくることも、その日程も、何も連絡はなかった。
 黒いスタンドカラーコートの肩にも、金髪の頭にも、雪が積もっている。姪のみならず実姉にも見放され、仕事ばかりしていていつも会社にいる、二十四時間営業の冷酷無比な男。彼を見るレンだけが心からの笑顔だ。
 振り返った他の面々は自ずと冷たい視線になる。無言だ。

「なんでうちの家族が……。あなたがたが揃うと嫌な予感しかしません」

 ルイスは一歩、後退った。
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