溺愛社長とおいしい夜食屋

みつきみつか

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冬の話

四 おでんの話

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 一月十日。
 大雪になった。日差しのある昼日中のうちに雪かきをしておいたものの、夕方になって、また降り始める。午後六時。軒先に暖簾をかけながら、横殴りの雪に、客足が遠のきそうだとレンは思った。

「レン兄!」

 振り返るとクリスティナが走ってくる。

「クリスさん、走らないで滑るから!」

 レンは焦って叫んだ。
 案の定、クリスティナは薄く凍ったところを踏んだらしく、滑って転びそうになる。危うく転倒しかけ、駆け寄ったレンはクリスティナをなんとか抱きとめる。体勢を安定させるべく、両ひざをつく。
 クリスティナがびっくりしている。レンはほっとして、涙が出そうだった。

「あぶなかった……」
「ごめん、レン兄」
「いえ、気をつけてくださいね。怪我したら大変です」

 クリスティナを放す。クリスティナは、背後を振り返った。レンが顔をあげると、誰かが歩いてくる。背が高い。ドキリとした。金髪碧眼の人。

「ママ!」
「クリス、何をしているの!」

 レンは立ち上がって会釈した。
 クリスティナの母だ。つまりルイスの実姉に違いない。ルイスにとてもよく似ている。声だけが異なる。髪を切り揃えており、キャリアウーマンのようだ。
 レンは緊張した。

「こんばんは、いつもお世話になっております」
「こちらこそ、いつもありがとうございます。すみません、この子ったらいつも」
「いいえとんでもないです」
「いえいえ」
「いえいえいえ」

 大人同士が頭をさげあう傍で、クリスティナはいつものように店内に入っていく。

「ただいまー、おなかすいたぁ。いいにおーい」
「おかえりなさいませ。本日はお母様もご一緒なんですね」

 と問いかけると、クリスティナの母は視線を鋭くした。

「ええ。いつも美味しいごはんを作ってくれると聞いて、連れてこられたんです。レンさんのことはお聞きしております」

 なんだか怖い、とレンは思った。店に促した。

「どうぞ。いらっしゃいませ。今日はおでんです」

 と、クリスと母は並んで席につく。そして、口論をはじめた。

「ママ、お料理を勉強して。レン兄に教わって。ひとつでいいからコツを覚えて帰ってよ」
「まあー、なんて生意気を言うんでしょう。この子は」
「だってママのごはんさあ」

 ふたりのやり取りを聞かぬふりをしつつ、レンはカウンターの中に立って、準備をする。今夜はおでんだ。週間天気予報をみて決めた。かやくご飯を炊いて、おにぎりにして海苔を巻いてある。肉じゃがを作った。

「苦手なものやアレルギーはありますか?」

 クリスの母に訊ねてみる。

「苦手なのはスポーツね」
「あのー、レン兄、あたしのママってちょっと変わり者なの。おかしいなって思ったらスルーでお願い。何でも食べるしアレルギーもないと思うわ」
「変わり者だなんて失礼しちゃう」

 レンはクリスティナの言い様に苦笑しながら、曖昧に頷いた。

「今日は塾ないの。ゆっくり食べれるの」
「それはよかったです。はい、どうぞ」

 ふたりの前に膳を置く。
 おでん一人前ずつと小ぶりのおにぎり二つ、小鉢の肉じゃがだ。おでんには付けるタレを三種類用意してある。
 ゆで卵、大根、厚揚げ、こんにゃく、ちくわ、さつま揚げ、牛すじ。味を染み込ませるために、午前中に作って、冷ましてふたたび温めた。

「生姜味噌は、身体が温まりますよ。あとは、からしと、甘味噌です」
「ママ、食べてみて!」
「もういただいているわよ」

 クリスティナは大根に息を吹きかけている。母のほうはすでにおにぎりを食べている。どうやらお気に召したようで、無言になっていった。クリスティナはいつものように美味しそうに食べる。
 クリスティナの母はしみじみ言った。

「クリスが太った理由がわかったわ……」
「そうなの。でももう諦めようと思って。『マリア』はわたしは飛ばして」
「困ったわねえ、ウォルターもそろそろ声変わりしそうなのに」

 レンは目をあげる。

「『マリア』って」

 営業の中島が雑誌を持ってきたことがある。
 クリスのママが荷物から、アルバムを取り出した。渡されたレンは、ぱらりと捲る。中島が持っていた雑誌の女の子のポートレートだ。古い写真もある。

「ご存じ?」
「ええ、知り合いが言っていました」
「あ、レン兄も知ってたんだ。これ、『マリア』。うちの親族なの」
「正確にいうと、親族たちね」
「同じ名前を使って、代替わりでモデルしてるのよ」

 なるほど、そういうことだったのか。
 カウンターの上で、ポートレートを汚さないように捲っていくと、クリスの母は覗き込みながら注釈を入れてくれる。

「これはわたし。エマ。これは妹のジュリア。これは従弟のアンソニーかな。ここから先はしばらく、弟のルイス」

 ルイスと聞いて、つい手が止まる。
 たしかに、手にしたカサブランカのブーケに顔を埋める、愛らしいウェディングドレス姿の少女には、ルイスの面影がある。
 レンは笑いそうになってこらえた。こらえきれず、肩が震える。

「……可愛いですね」
「ルイスの時代って短かったけどとくに人気だったわ。あ、レンくん。ルイスのこと知ってるんだったわね。そういえば、ルイスもレンくんのこと知っていたわ」

 いったいどのように言っているのかと思うと、レンは恐ろしい。焦りを表情に出さないように微笑んだ。

「そうなんですね」
「時々来るみたいね?」
「時々いらっしゃいます」
「ルイスも来るんだ……」

 クリスティナはあからさまに嫌がっている。レンは苦笑した。

「大切なお客様です」
「あとねー、ここから甥のクリストファーで、妹のキャシーで、今は弟のウォルター」

 ルイスから他の人に変わると、レンには判別がついた。同じように見えて、目鼻立ちが若干異なる。ポートレートの中でも、ルイスの顔立ちが一番整っているように見える。しかも、瞳や口元に妙な色気がある。
 行きつ戻りつしながら、結局、ルイスの写真ばかり眺めてしまう。目が離せない。
 ルイスは今頃、何をしているのだろう。レンは思った。
 海外出張と聞いている。去年会ったときにぎくしゃくしてしまい、後悔している。疲れていて、判断能力が欠け、淳弥のことを話してしまったせいだ。
 ルイスを困惑させるくらいなら、何も言わなければよかった。
 隠しとおすこともできたはずだが、淳弥に組み敷かれたときに皮膚がこすれてあちこち赤くなっていた。痣にもなっていて、ルイスに心配をかけたのだ。
 遅刻の原因とともに、ある程度話さざるをえなかった。
 最終的には、ベッドの上で洗いざらい吐かされたのである。

「だから次はクリスティナなんだけど、だいぶ太ったのよね。それは別にいいんだけど」
「まったく太ってないように見えますが、モデルさんって大変ですね」
「それより、ママ、全部食べてみてどう思った?」

 あっという間にエマの膳は空っぽだ。きっちり完食してあり、温かいお茶を啜っている。エマは至極幸せそうに笑った。

「美味しかった」

 レンは嬉しく思う。美味しいは魔法の言葉だ。自分をもっとも幸せにしてくれる。

「でしょ!? ねえ、おうちでもこういうの作って!」
「でも、ママって『メシマズ』じゃない?」
「どや顔で言わないで! メシマズ治して!」

 クリスティナはさめざめと泣いている。エマの料理はよほど美味しくないらしい。
 レンはポートレートをエマに返しながら言った。いいものを見せてもらったが、今の自分には目の毒だ。会いたくなる。

「簡単な方法がありますよ」

 クリスティナは顔をあげ、目を輝かせた。

「そうなの!? 治療が必要なんだと思ってた」
「メシマズって病気なのかしら」
「和食を作ればいいんです」

 とレンが言うと、クリスティナはがっくりと肩を落とす。

「レン兄、無茶苦茶なことを言うのね。ママは和食なんて作ったことないのよ?」
「わからないからいいんです」
「どういうこと?」
「わからなければ、余計なアレンジはしないでしょう? 本のとおりに作れるはずです。本屋さんで、初めての和食って本を一冊でいいから買ってみて、そのとおりに作ってみてください。家に計量する道具がなければそれも買ってください」

 メシマズはアレンジをやめ、目分量をやめるだけでも改善される。
 クリスティナは頭を抱えている。

「詭弁だわ……」

 レンは笑った。

「そこは騙されたと思って頑張ってください。あとは、クリスさんも手伝ってあげてください。お手伝いで、監視役で、味見係」

 クリスティナは初めて気づいたように顔をあげ、レンを見つめる。

「あたしが!?」
「きっと方向修正できますよ。僕の家は食堂で、僕は三歳には包丁を持ってました。小学生のときには一通り作れるようになっていましたよ」

 料理は別に母親だけがするものではない。安全に配慮さえできれば、クリスティナにだって作ることができる。
 レンの父は料理人だったし、自宅が食堂で両親が働きづめだった清水家の食卓は、主にレンが担っていた。
 両親の死で突然食堂を継ぐことになり、契約書や帳簿の読み方がわからないなどの苦労はあったが、調理の苦労はなかった。
 専門学校を卒業後、レンはホテルのレストランに勤めていた。ホテルでの将来もあったが、辞めて後を継ぎ、今はそれでよかったと思っている。
 レンは心の底から思う。

「ごはん作るのって、楽しいです。美味しそうに食べてもらえると、本当に幸せです」

 そう言うと、クリスティナは「わかった」と納得した。

「クリスティナの監視って厳しそう」

 と、エマは困っている。
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