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秋の話
八 カフェの出来事
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街路樹が赤く染まり、少しだけ葉が落ちている。
秋らしい秋だ。
ただ天気がいいからという理由で外に出たレンは、道路を歩いているときから少し感じていたのだが、カフェに入って本格的に後悔した。
天候のいい朝にテラスに案内されるところまではともかくとして、目抜き通りのカフェだ。テラスは全席が埋まり、混み合っているが、その中にいてもルイスはとても目立つ。
カシャ、というカメラの撮影音がして、レンは顔をあげた。
ルイスと向かい合ってコーヒーを飲みながらホットドッグを食べている自分たちを、遠くから誰かが撮影したと気づく。
正確には、自分たちではなくルイスだが。
レンは慌てた。
「ルイスさん。勝手に撮られてます」
「いつものことです」
「ええ……?」
レンは抗議しようと音の方向を見たが、音の主はもう消えたようだった。
ルイスも不快でないわけではない。
「諦めました。僕の素性はネット上で割れていますし。注目されるのは慣れています。ときどきしつこいひとがいるのと、横断歩道の信号無視や立ちションができないのが難点ですね」
「それはしないでください……」
こうしていると、通りを歩いているひとたちはルイスに気づいて眺めている。視線には遠慮がない。こんなに視線にさらされたらストレスを感じそうなものだ。
晴れた空の下にいると、彼が本当に目立つ存在ということを初めて知ったみたいに気づく。いつも夜だからだ。
レンの店を除けば、ほとんど他人のいない場所でしか接触しない。といっても、ルイスが店の営業時間中に現れるときは、たしかに、年配男性でさえ、ルイスを二度見はする。
レンの店は現役世代の男性が多い。ルイスは目立つものの、じろじろ見られるほどではないと思う。現役世代の男性は、見て見ぬふりをするのが上手いのだ。
遠くで黄色い声があがる。女性二人組がルイスを見て歓声をあげている。
ルイスはそちらの方をちらりと見て、ふんわりと笑う。ルイスの作り笑顔というのはこんな感じなのかとレンは思った。作り慣れていてとても自然だ。
彼女たちの声が高くなる。嬉しそうにしている。四方八方そんな感じだ。
まるでアイドルみたいだ。
生きづらそう、とレンは哀れに思った。平凡でよかったとさえ思う。
レンは、周りからは、悪くないけど印象にも残らないとよく言われる。鏡で自分の姿を見ると、薄幸そうだとレンは思う。塩顔で青白くて痩せていて幸が薄そう。
「レン」
と、ルイスは向かい合ったレンの顔に、長い腕を伸ばして触れた。指先でレンの口の端を拭う。拭った指先を、ルイスは自分で舐めた。
どこかで悲鳴があがる。
知り合いに見られてやしないかとレンは恐れる。ここは地元で、知り合いがいてもまったくおかしくない。半径三十メートル以内に、少なくともひとりくらいはいると思う。
レンはこの近くで商売をしている。ルイスも同じのはずだ。会社は遠くない。レンの店とは反対方向の隣の駅にはビジネス街がある。きっとあのエリアだ。
レンは知っている。彼の会社には少なくとも四人の男性従業員がいることを。
レンは低い声で言った。
「ルイスさん」
「ああ、すみません。ソースがついていたので」
「誤解を与えかねません」
「誤解でしたか?」
厳密にいえば、誤解ではないかもしれないが。
レンは困って言った。
「男性同士でいちゃついているように見られるでしょう。というかいちゃついていますし、ルイスさんは気にならないんですか?」
しかしルイスはどこ吹く風だ。
「そうですねえ。これくらいなら、スキンシップ多めの外国人だなと思われる程度だと考えています。見られていることはわかっていますよ。それが原則なので」
わかっていてやっているんだったら余計にたちが悪い。
もし男性カップルだと思われたとしたら、さすがに市民権は得られていない。堂々とはできない。
それに、恋人だと思われることは、事実と異なっているではないか。自分たちの関係は、あいまいだ。
「しかし、レンの気持ちもわかります。好奇の視線にさらされるのも、他人を不快にさせたくない気持ちも。配慮したいと思いますが――」
風に流れて黄色い葉っぱが落ちてきた。ルイスの頭の上にひらひらと吹かれてきたそれを、レンは腕を伸ばして寸でのところで受け止めた。
「葉っぱが……」
自分の頭にかざされたレンの手をルイスは取った。人差し指と中指で挟んだ葉と、その指先に、ルイスはわざとキスをする。スキンシップ過多である。
レンは慌てて手を引っ込めた。
手を伸ばしてきたレンが悪いとルイスは言う。
「できているカップルって、どれだけ隠そうとしても、周りから見るとあからさまですよね。肉体関係があると、触れることに躊躇いがありませんから」
と、ホットコーヒーを飲みながら言った。
肌が触れ合うと、馴れ馴れしくなる。一度パーソナルスペースに入ったものの特権のように。
ルイスもレンも同様だ。お互いのことを、気軽に触れてもいい存在だと思っている。身体の奥まで繋がっているせいだ。
「迂闊でした」
レンは反省した。
ルイスを責めておきながら、自分も注意が足りていない。
秋らしい秋だ。
ただ天気がいいからという理由で外に出たレンは、道路を歩いているときから少し感じていたのだが、カフェに入って本格的に後悔した。
天候のいい朝にテラスに案内されるところまではともかくとして、目抜き通りのカフェだ。テラスは全席が埋まり、混み合っているが、その中にいてもルイスはとても目立つ。
カシャ、というカメラの撮影音がして、レンは顔をあげた。
ルイスと向かい合ってコーヒーを飲みながらホットドッグを食べている自分たちを、遠くから誰かが撮影したと気づく。
正確には、自分たちではなくルイスだが。
レンは慌てた。
「ルイスさん。勝手に撮られてます」
「いつものことです」
「ええ……?」
レンは抗議しようと音の方向を見たが、音の主はもう消えたようだった。
ルイスも不快でないわけではない。
「諦めました。僕の素性はネット上で割れていますし。注目されるのは慣れています。ときどきしつこいひとがいるのと、横断歩道の信号無視や立ちションができないのが難点ですね」
「それはしないでください……」
こうしていると、通りを歩いているひとたちはルイスに気づいて眺めている。視線には遠慮がない。こんなに視線にさらされたらストレスを感じそうなものだ。
晴れた空の下にいると、彼が本当に目立つ存在ということを初めて知ったみたいに気づく。いつも夜だからだ。
レンの店を除けば、ほとんど他人のいない場所でしか接触しない。といっても、ルイスが店の営業時間中に現れるときは、たしかに、年配男性でさえ、ルイスを二度見はする。
レンの店は現役世代の男性が多い。ルイスは目立つものの、じろじろ見られるほどではないと思う。現役世代の男性は、見て見ぬふりをするのが上手いのだ。
遠くで黄色い声があがる。女性二人組がルイスを見て歓声をあげている。
ルイスはそちらの方をちらりと見て、ふんわりと笑う。ルイスの作り笑顔というのはこんな感じなのかとレンは思った。作り慣れていてとても自然だ。
彼女たちの声が高くなる。嬉しそうにしている。四方八方そんな感じだ。
まるでアイドルみたいだ。
生きづらそう、とレンは哀れに思った。平凡でよかったとさえ思う。
レンは、周りからは、悪くないけど印象にも残らないとよく言われる。鏡で自分の姿を見ると、薄幸そうだとレンは思う。塩顔で青白くて痩せていて幸が薄そう。
「レン」
と、ルイスは向かい合ったレンの顔に、長い腕を伸ばして触れた。指先でレンの口の端を拭う。拭った指先を、ルイスは自分で舐めた。
どこかで悲鳴があがる。
知り合いに見られてやしないかとレンは恐れる。ここは地元で、知り合いがいてもまったくおかしくない。半径三十メートル以内に、少なくともひとりくらいはいると思う。
レンはこの近くで商売をしている。ルイスも同じのはずだ。会社は遠くない。レンの店とは反対方向の隣の駅にはビジネス街がある。きっとあのエリアだ。
レンは知っている。彼の会社には少なくとも四人の男性従業員がいることを。
レンは低い声で言った。
「ルイスさん」
「ああ、すみません。ソースがついていたので」
「誤解を与えかねません」
「誤解でしたか?」
厳密にいえば、誤解ではないかもしれないが。
レンは困って言った。
「男性同士でいちゃついているように見られるでしょう。というかいちゃついていますし、ルイスさんは気にならないんですか?」
しかしルイスはどこ吹く風だ。
「そうですねえ。これくらいなら、スキンシップ多めの外国人だなと思われる程度だと考えています。見られていることはわかっていますよ。それが原則なので」
わかっていてやっているんだったら余計にたちが悪い。
もし男性カップルだと思われたとしたら、さすがに市民権は得られていない。堂々とはできない。
それに、恋人だと思われることは、事実と異なっているではないか。自分たちの関係は、あいまいだ。
「しかし、レンの気持ちもわかります。好奇の視線にさらされるのも、他人を不快にさせたくない気持ちも。配慮したいと思いますが――」
風に流れて黄色い葉っぱが落ちてきた。ルイスの頭の上にひらひらと吹かれてきたそれを、レンは腕を伸ばして寸でのところで受け止めた。
「葉っぱが……」
自分の頭にかざされたレンの手をルイスは取った。人差し指と中指で挟んだ葉と、その指先に、ルイスはわざとキスをする。スキンシップ過多である。
レンは慌てて手を引っ込めた。
手を伸ばしてきたレンが悪いとルイスは言う。
「できているカップルって、どれだけ隠そうとしても、周りから見るとあからさまですよね。肉体関係があると、触れることに躊躇いがありませんから」
と、ホットコーヒーを飲みながら言った。
肌が触れ合うと、馴れ馴れしくなる。一度パーソナルスペースに入ったものの特権のように。
ルイスもレンも同様だ。お互いのことを、気軽に触れてもいい存在だと思っている。身体の奥まで繋がっているせいだ。
「迂闊でした」
レンは反省した。
ルイスを責めておきながら、自分も注意が足りていない。
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