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秋の話

五 本名と愛称

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 もう一度ベッドに戻った。
 お互いに寝巻姿だ。レンの着ている寝巻は、ルイスの指示により、レンが買って置いてあるものだ。
 ルイスに洗濯という余計な手間をかけさせたくないのでレンは都度持ち帰ろうとするのだが、ルイスは許さない。寝泊まりをするようになって、ルイスはやたらレンのものを自分の部屋に置きたがる。
 広いベッドで隣合って、部屋を暗くして天井を仰ぎながら手を繋いで話す。静かで、ゆっくりした時間が流れている。遠くの喧噪もこの部屋には聞こえない。
 ルイスが言った。

「レンは、フルネームはなんというんですか?」
「あ、はい。清水廉です。きよみずに、まだれに兼ねるでレン」

 ルイスは日本語が達者であるし、読み書きもできることをレンは知っている。メモをもらったことがある。

「なるほど、『清廉』ですね。美しい、いい名前です」
「そういうことは初めて言われました」
「みんながレンと呼ぶからレンと呼びはじめたけれど、もし苗字だったら今更どうしようかと思いました」
「あり得ますね。略称とか。あと、名前っぽい苗字の方もいますよね。ゆうきさんとかまゆみさんとか」
「会社に、つばきさんと、はるなさん、みきさんやみなみさんがいます。全員男ですよ」
「あはは」

 レンが笑うとルイスは嬉しい。

「僕の名前は言いましたっけ」
「ルイス・J・アーヴィンさん」
「覚えていてくれたんですね」
「外国の知り合いはいませんし、逆に覚えやすいです」
「ああ、そういえば、僕のこと、さん付けしなくていいですよ」

 そう言われ、レンはドキドキした。

「じゃあ……ルイス?」
「はい。レン」

 ルイスは眠たそうだ。声がゆっくりと、甘くなっている。
 レンも眠たい。だがまだ眠りたくない。
 こうしている時間があまりに穏やかだからだ。
 もう少しこんな風に話していたい。
 ルイスが少しずつ自分のことを話している。知りたくない気持ちは嘘で、やはりひとつでもいいから彼のことが知りたい。この時間が惜しい。
 レンは迷いながら言った。

「あの、いつか、店でついクリスさんの前で言ってしまいそうだから、やめておいたほうがいい感じがします。クリスさんにつられそうで」

 ルイスは笑う。

「ふふ。レンならきっと上手くやれますよ」
「ふたりきりのときだけって、意識しておかないとまずいです」
「では、ふたりきりのときだけ」

 ルイスは、ふと切り出した。

「ジェイミーと呼ぶのはどうですか? 音が違うから、間違えづらいかもしれません」
「ジェイミー?」
「そう。ミドルネームのJはジェームズで、愛称はジムとかジミー、ジェイミーです。うちは家族がやたら多くて、ジムもジミーもいるので、僕はずっとルイスですが。ジェイミーだと空いてますね。まあ、なんでもいいです」

 どんな素晴らしい名前だって呼ばれなければ無意味だ。呼び名よりも呼ばれることのほうが大切だ。ルイスはそう思っている。

「万一、クリスさんの前でジェイミーなんて呼んだ日には、家族会議ものでは?」
「裁判沙汰かも。姉さんによれば、クリスティナはレンのことが大好きみたいだから、僕は今よりさらに嫌われそうですねえ」
「いったい何したんですか?」
「約束をことごとくすっぽかしました」
「あー……」

 それは嫌われるはずだ。
 クリスティナは、最初はルイスのことが好きだったはずだ。だが何度も約束を違えられると、信用できなくなる。それが嫌いに変わったのだろう。

「だから、自業自得なんです。大切なひととの約束は、二度と破らないつもりです」

 ルイスはうつらうつらしている。
 手を握る力が弱まっては、握り直している。しかし睡魔に負けて、やがて力が弱くなっていった。
 レンは気づかれないように手を離して、身を起こす。
 寝ていても覚めていても精巧な人形みたいな彼を覗き込んで、本当に眠っていることを確認する。寝息を立てているのが不思議に思える。
 そして、いたずらのように覗き込んでキスをする。
 呼んでみたい。自分だけが呼ぶ彼の名前を。
 レンは、誰にも聞かれていないとわかっていながら躊躇いつつ、

「ジェイミー」

 と呼んでみた。
 そう呼んだとき、ルイスは、寝言のように呟いた。

「ん、マシェリ」
「……マシェリ?」

 誰かの名前だろうか。
 レンは、ルイスから離れて、もとの位置に戻る。
 誰も呼ばないという愛称を呼べて嬉しがっていた気持ちが少し落ち着いてくる。
 なぜこんな小さなことが引っかかって、先ほどまでの幸せな時間がなくなってしまうのだろう。
 自分はまだおそらく、ルイスの夢に現れるほど、彼と関わっていない。それが残念なのだ。だが、平均月一回程度なら、社会人同士であれば少ないわけでもない。
 寝言で過去の恋人の名前を呼ばれたとしても、怒る気になどなれない。
 ただ――寂しいだけだ。
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