その杯に葡萄酒を

蓬屋 月餅

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第三章

幕間「男子会(?)」

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 それはある日の【觜宿の杯】、夕飯刻のことだった。

「ねぇねぇ、最近どうなの?2人仲良くやってる??」
「えっ、まぁ…」
「おぉ~?」

 ずらりと並んだ酒棚のそば、長机の端に位置する席で食後のちょっとした一時ひとときを過ごしていた彼らは、ふとした琥珀の一言によって何やらこそこそと密やかな会話を始める。
  唐突な琥珀からの問いにしどろもどろになるこう
 端の席にいるということもあってか、まばらにやってくる男達によって続々と【觜宿の杯】の席が埋まっていく中でも  2人の会話に耳をそばだてる者はいない。

「それにしても、まさか2人がね~。初めは思いもしてなかったけど たしかに2人の雰囲気ってよく合ってると思うよ!コウちゃんってなんか放っておけない感じがあるけど、でもほら、実際はすごく包容力もあるでしょ?だからセンはコウちゃんのことを『放っておけないからそばにいる』ってだけじゃなくて、なんていうのかな…『一緒にいることで安らげてる感じ』っていうかさ。お互いにそれぞれちょっと違う角度から世話好きで人情家だし、とにかく考えれば考えるほど相性がいいよね~」

 璇と夾の交際を知ってからというもの、琥珀はことあるごとに夾達についてをまるで自分のことかのように嬉しそうに話すなどしているのだが、どうやら今夜もそれが始まったらしい。
 夾としても琥珀は自分をこの【觜宿の杯】に、そして璇に引き合わせてくれた恩人でもあるため、その琥珀がこうして嬉しそうにしてくれていることを嬉しく思っているのだが、あらためて自分達の関係について『相性がいい』だとか話されるとくすぐったくなるのも事実だ。
 夾は話題を自分達から逸らそうとして「だけど琥珀さんと黒耀さんも、すごく仲がいいじゃないですか」と新たに話題を振る。

「お2人はお付き合いを始めてから長いんですよね?話しているのを見るといつも息がぴったりですよ」

 すると琥珀は嬉しそうに笑って「え~分かる~?」と照れもせずに答えた。

「うん、そうだよ、僕と黒耀は結構長く一緒にいるんだ。初めて知り合ったのは僕が21のときだから…わぁ、こうして考えてみると本当に長いこと付き合ってるんだなぁ」
「…あの、お2人の馴れ初めって どんなだったんですか?」
「おっ、聞きたい?」
「琥珀さんがいいなら、ぜひ聞きたいです」
「も~かしこまっちゃって!もちろんいいよ、教えてあげる!」

 きっと黒耀がいたら「そんな話、しなくてもいいだろ」と照れたように言いながら琥珀を遮ったに違いないのだが、彼は数日前から仕事のために泊りがけで農業地域へと行ってしまっているため、今ここには琥珀を止める者がいないのだ。
 黒耀がこうして酪農地域を離れるのは珍しいことではないとはいえ、やはり琥珀としては寂しさがあったらしく、夾に馴れ初めが聞きたいと言われたことで目に見えて張り切りだす。
 璇は2人が何の話をしているのか少々気になっているようだったが、なにせ酒場は一番忙しい時間帯に差し掛かっているため気にするだけに留めて近寄っては来ない。

「僕と黒耀は比較的仕事する場所が近くにあってさ、それでお互いのことを知ったんだよ。っていっても当時はそんなに接点はなかったし『たまに見かける』ってだけだったんだけどね…」

 琥珀は茶を一口飲むと、黒耀と知り合ったときのことから懐古して意気揚々と話し始めた。


「僕の一家は昔から農業地域の水田で虫とか草を取ったりするための鴨を飼育する仕事をしててね、僕も学び舎での寮生活が終わったら実家に戻ってその手伝いをすることになってたんだ。時期に合わせて雛を育てたり、農業地域に連れて行ったりっていう仕事をね。で、僕は中央広場の方での寮生活を終えてから実家に戻って本格的に鴨の飼育場での仕事を始めたんだけど、それからちょっと経ったときにはもう黒耀の評判が有名になってたんだ」

 琥珀が家を出て少し長く寮生活をしていた数年の間に農業地域からやってきたというその青年は、猟犬などの飼育をする区画で見習いとして働き始めたばかりだったらしいのだが、当初から背が高くとても目立っていたらしい。
 その上、背恰好だけでなく性格や仕事に対する姿勢についても一目置かれていたという。
 農業地域での猟犬の活躍を見て犬に関する仕事に憧れを抱いたという彼は、犬達と接する中での根気のいる作業にも真摯に向き合い、毅然とした態度をとらなければならない時と普段の世話の時とでは少し接し方を変えながら上手く立ち回っていて、骨のある青年だと評されていたのだ。
 そうした評判は別の区画で働いている琥珀の耳にもすぐに届いてきたほどだった。

「たまに黒耀が犬を連れてるところとか世話しながら仕事してる姿を見かけてたんだけど、その度にすごくかっこいいなって思ってたんだ。今もあの通り、かっこいいでしょ?それに人柄も素敵だっていうのが見てるだけでも伝わってきたし、もう…そうこうしてるうちにいつの間にか好きになっちゃってさ。変だよね?だってほとんど話したこともないくらいだったのに それでも好きになるなんて…だけど不思議なことに『彼の姿を見かけたらそれだけでその日1日が良い日になった』って思えるくらい好きになっていっちゃったんだ。ほんとに、不思議なんだけどね」

「でもそれ以上どうにかなりたいってことはなかったんだよ。だって黒耀は女の子達にも人気があったからいずれその中の誰かと付き合って結婚するだろうって思ってたし、僕もなんとなく『付き合う』っていうのとは違うかなぁって思ってたからね。僕自身、当時は同性をそういう意味で好きになるとは思ってなかったってのもある。しかも仕事とか生活での接点もなくて、挨拶以外で話したこともない相手とどうこうなるなんて…ありえないでしょ?僕は本当にそんなふうには考えてなかったんだよ」

 しかし、やはり《きっかけ》というのは訪れるものなのだ。
 璇と夾が想いを告げ合ったあの日のように、琥珀と黒耀にとっての《きっかけ》となったのもまさしく【秋の儀礼】の日のことだった。

「秋の儀礼の日って、他所の手伝いのために色んなところで人手が必要になるでしょ?だから鴨の飼育場でも当日は最少人数で世話をすることになるんだけど、ちょうど僕の班がその当番になった年があってさ。いつもより少ない人数で全部の世話をしなくちゃいけないから忙しくて…班の仲間がちょっと鍵をかけ忘れた拍子にね、何羽か鴨を逃がしちゃったんだ。すぐに捕まえたんだけど どうしても1羽だけ捕まらなくて逃げちゃって。僕がその鴨を追うことにしたんだよ」

 追えば追うほどすばしっこく、時々羽ばたきながら逃げる鴨。
 琥珀はなかなか鴨に追いつくことができず、別の区画へと続く一本道をひたすら走ったのだが…その道中で草むらの陰になにやらムクムクとしたものがへたり込んでいることに気づいたのだった。
 (な、なに?鴨…じゃないよね)と思いながら琥珀が恐る恐る草むらを除けてみると、そのムクムクとしたものの正体が明らかになる。
 それはそれはどうみても仔犬、まだ生まれて1ヶ月に満たないくらいの仔犬だった。
 陸国では野犬が存在しないため、この酪農地域の何処かの区画からか逃げ出してきた仔犬に違いなかったのだが…

「なんでこんなところに仔犬がいるんだろうってびっくりしてさ。抱っこして見てみたら首に識別のための首輪がつけられてて、どうもそれが猟犬を管理してるところのものみたいだったからとりあえず連れて行くことにしたんだ。もうその時には僕も鴨を完全に見失ってたし、まさか猟犬のいるところへはいかないだろうけど…でも人懐っこい子はどこへ行ったとしても不思議じゃないからね、とにかく見かけた人はいないか聞くだけでもと思って。そしたらそこで、僕は黒耀と出逢ったんだ」

---
 琥珀の仕事場と黒耀の仕事場の、ちょうど中間あたりに位置する道中で顔を合わせた2人。
 道の向かい側からやってきた黒耀の腕には逃げた鴨が抱えられていて、2人は互いが抱いている鴨と仔犬を見て「あっ」と同時に声を上げた。

「その鴨…!」
「その仔犬!」

 会釈をしながら近寄って確かめてみると、たしかに黒耀が抱いているのは琥珀が追っていた鴨に間違いなかった。
 互いに担当している区画から担当している動物を逃してしまい、後を追っているところだったらしい。
 どちらも区画を統括している年長者に知られてしまえば大目玉を食らうであろうというほどの失態を犯していたことに気まずく思いながら「あ…ありがとうございます、探してた…んですよ」とぎこちなく言葉を交わす琥珀と黒耀。

「その子、羽ばたきながら逃げていっちゃったから、なかなか捕まえられなくて…」
「…その仔犬はちょっと目を離したすきに柵の下を掘って抜け出していたみたいで」
「そう…だったんだね、だからこの子ちょっと疲れてるみたいだったのかな?よく見たら…ほら、おててが土だらけだ」

 琥珀が鼻っ面を撫でてやると、仔犬は嬉しそうに小さな尻尾を振る。
 きっとこの前足で必死に土を掘り 柵の外へ出てみたはいいものの、まっすぐ歩いているうちに疲れ切ってしまって草むらにへたり込んでいたのだろう。

「この子ね、道端の草むらに座りこんじゃってたんだ。最初は元気がなかったみたいだけど抱っこして撫でてあげたらちょっとは元気になったみたいで…あははっ、知ってる人が迎えに来てくれて嬉しいんだね、こんなに尻尾振ってる」
 
 黒耀の匂いを嗅ぐなりそれまで以上に激しく尻尾を振りだした仔犬が微笑ましく、琥珀は黒耀の元へとさらに一歩近づいて仔犬を渡そうとする。
 鴨も仔犬も、ついさっきまで脱走して追われていた身なのだ。
 せっかく捕まえている今、どちらも地面へ下ろすわけにはいかない。
 受け渡すために体を寄せ合ってなんとか互いに抱えていたものを交換すると…琥珀と黒耀の手は重なり、そして少ししてからまた離れた。
 一瞬感じた大きな温かい手の感触をあまり気にしないようにしながら「…もう、どうしてこんなところまで逃げて来ちゃったの、おまえは。すごく心配したんだよ?」と琥珀が鴨の頬をぐりぐりと撫でると、鴨はグワグワと鳴いてうっとりと目を閉じる。
 黒耀曰く、この鴨はやはりこの道を堂々とした様子で歩いていたらしい。
 きっと琥珀の追跡をうまく撒いたことで『ゆったり散歩でもしようか』という気になっていたのだろう。
 明らかに野鳥ではないその人慣れした様子に仔犬同様 飼育区画から逃げたようだと悟った黒耀は、その鴨を抱き上げ、琥珀とまったく同じようにして仔犬を探すことにしていたのだという。
 互いにほんの少し情報交換をし、礼を言い合ってその場を後にしようとした琥珀。
 だが黒耀はそんな琥珀のことを「あの、あなた『琥珀さん』ですよね?」と呼び止めたのだった。

「いつも鴨達を連れている…琥珀、さん」

 呼び止められたことに驚きながらも「えっ?あっ…うん、そうだよ、僕は琥珀」と応える琥珀。

「君は『黒耀君』でしょ?背が高くってとっても爽やかな人だなって、実は前から思ってたんだ」
「そう…だったんですか。俺も琥珀さんのことを、すごく朗らかな人だなと以前から…」

 どうやら以前から互いのことを気にしていたらしいと知った2人は、胸にそれぞれ鴨と仔犬を抱いたまま、ほんの少しだけさらにその場で立ち話をしたのだった。

---


「……っていうのが僕と黒耀の馴れ初めなんだ~」

 琥珀は当時を懐かしむように微笑みながら、濡れた酒器の縁を人差し指の先で拭う。

「それからも色々あってさ、結局付き合い始めたのはもっともっと後のことなんだけど。でもその日がきっかけになったことは間違いないし、僕たちにとっても秋の儀礼の日は特別な日なんだよ」
「そうだったんですか。…ということはつまり、琥珀さん達を結びつけたのは鴨と仔犬だったってことですね」
「そうそう!図書塔にある本の物語みたいな話だけど、本当にそうなんだ」

 琥珀の楽しそうな表情につられて、夾も柔らかく微笑んだ。
 その時2人を結びつけた仔犬はその後大きく成長し、猟犬ではなく牧羊犬になったそうだ。
 鴨は年老いた今も黒耀によく懐いていて、黒耀の姿を見るとグワグワと鳴いて近寄ってくるのだという。
 そうしたことをひとしきり話した琥珀はふと息をつくと、「でもほんとに…こういう話ができて嬉しいな」としみじみ口にした。

「…ほら、僕達にはあんまりこういう話をする機会がないでしょ?話したくてもなかなか、ね。だからコウちゃんがこうやって話を聞いてくれるのがすごく嬉しいよ。…ありがとね」

 どこか淋しげなその様子に「いえ、俺も琥珀さんから色々なお話が聞けて楽しいですから」と夾が応えると、琥珀は「も~!コウちゃんは良い子だなぁほんとに~!」と破顔して肩を寄せる。

「ねぇ、コウちゃん。もしなにかあったらなんでも僕に言ってね、どんなことでもいいから!もちろん相談にものるよ、知りたいことや訊きたいことも全部教えるし答えるからね。僕に任せて!」

 琥珀のその頼もしい言葉に「はい」と頷く夾。
 夾のまっすぐで人懐っこさのあるそうした姿を特に気に入っている琥珀は、さらに嬉しそうに笑いながら夾と話をする。

「で?コウちゃんはどうなの?センとはうまくいってる?」
「えっ、まぁ…それは、その…」
「え~?なになに、なんなの~?」

 声を潜めながら、なにやらコソコソと言葉を交わす夾と琥珀。
 そんな2人を見かねた璇が【觜宿の杯】の主らしく「楽しそうに、何の話を…してるんですか?」と恭しい態度でお冷やを手に近寄ると、琥珀はまたクスクスと楽しそうに笑ったのだった。
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