牧草地の白馬

蓬屋 月餅

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ショートストーリー(時系列バラバラ)

風の屋敷と卵

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少し時を戻し…
 これは風の神とひたきの間に生まれた霊鳥の『ぎょう』が目醒める前、まだ1つのだった時のことだ。


ーーーーー


 転生を済ませてこの【天界】へ戻ってきた鶲が幾度も風の神と体を重ねて過ごし、数え切れないほどの夜を明かしてついに一体の精霊を生み出した翌日。
 突然 風の神と自らの神力を半分ずつ併せもった精霊が生まれたことに驚きを隠せない鶲だったが、風の神は特に驚きもせず淡々と「器を創ってやる必要がある」とだけ言い、そのまま神力を使って白く艶やかな殻をした一つのを創り出していた。
 両の手のひらでようやく受け止めることができるくらいの大きさの卵。
 鶲はなんとなく【器創り】と聞いてから『風の神が創り出すのは雛鳥だろう』とばかり思っていたため、想像と違った器の姿に目を丸くしたものの、風の神は「卵からの方がいいだろう」と空中に手を差し伸べてそこに漂っていた精霊を呼び寄せる。

「精霊が器に馴染むまでには時が必要だ。なるべく元の器が小さい方が早く馴染み、霊鳥としての目醒めも早くなる」

「…どうした、なにか不服なのか」

 じっと卵を見つめたまま微動だにしない鶲に風の神が問いかけると、鶲は静かに首を横に振った。

「あの…風様」
「なんだ」
「この卵…腕に抱いても良いですか?触ってみても…いいでしょうか」

 鶲のその呟きに「あぁ」と頷いて答える風の神。

「ちょうどいい、そのまま卵を抱えていなさい。私が精霊をそこに納めよう」

 慎重に卵を手のひらに乗せた鶲は、そのまましっかりと胸に引き寄せて大切そうに抱きかかえる。
 風の神がふわふわと浮かぶ精霊の乗った手を近づけて「ほら、お前のための器だ。入りなさい」と促すと、精霊は大人しく、吸い込まれるようにして白い卵の殻の中へと潜っていった。
 精霊によって神力を帯びた卵は内側から光り輝くようであり、まさに宿というような様子だ。
 鶲は卵をさらに大事そうに抱きしめると、何とも言えない慈しみに満ちた表情を浮かべて「わぁ…君は本当に、僕と風様の…なんだね」と優しい声で語りかけた。

「君が目を醒ます日…今から楽しみだよ。僕、何でもしてあげるからね」

「ゆっくりでもいいから…いつかお外に出ておいでね」


ーーーーー


 それからというもの、鶲の卵に対する愛情の注ぎ方は尋常ではなく、と称したそれも多岐にわたって行われることになる。
 まず、卵を置く場所を『巣』とし、すでにきちんとした敷物の上に置かれているのにもかかわらず周りを布や枝葉で覆った上、さらに鳥の姿の自分から抜いた羽根をこっそりとそこに敷き詰めた。
 常にそばにいて離れず、卵を愛おしそうに撫でたり、口づけたり、話しかけたり。
 さすがに風の神の務めに同行する際に抱えて連れて行くことは1、2回で止めたが、風の神が屋敷で日々の記録を書き記していると「あっ、の向きを変えてあげないと…」と言って頼まれていた記録書探しをほっぽり出すことも。
 卵の元へ行き、上下を逆さまにひっくり返してからしばらくじっとそこで眺め、そして名残惜しそうにしながらしぶしぶ記録棚へ戻ってきてまた記録書を探し始めるのだ。
 甲斐甲斐しく世話をする鶲の姿はまさに親鳥のそれだった。
 だが、鶲が世話をしている卵というのは、厳密に言えば卵ではない。
 『卵の姿をした』なのだ。
 通常であれば必要な親鳥の温もりも転卵(中にいる雛が殻にくっついてしまわないよう、卵の上下を入れ替えるように転がすこと)も、その卵には必要ない。
 しかしいくらそう言われても鶲の『なにかしてやりたい』という思いは抑えられるものではなく、風の神は(まぁ、好きにさせてやればいいだろう)と思いながら、時々「いい加減にしろ」と鶲を捉まえて閨に引き込むなどしていた。


ーーーーー


「わぁ…本当に可愛いなぁ、君はどんな子に育つんだろう。いつ殻を破って目を醒ますのかな…」

 ある日、うっとりとした表情で卵に話しかけている鶲を傍らで眺めていた風の神は「まったく。まさに『目に入れても痛くない』というようだな」とため息交じりに鶲へ声をかける。

「そんなに熱心にあれやこれやとされては、きっと卵の中で目を回しているに違いない」

 ふん、と小さく笑う風の神に鶲は「そ、そんなこと!ない…と思います、けど…」と唇を尖らせた。

「だって、こんなのは卵のお世話としては当たり前のことなんですよ?温めるのも、転がしてあげるのも…」
「だから何度も言っているだろう。その子は精霊であり霊鳥だ、【地界】のものとは違う」
「うぅ分かってますってば…でも、それでも卵には違いないんですよ、そばにいてできることは全部してあげなくちゃ」

 になっている敷物の上を整えながら優しく卵を撫でる鶲に、風の神は「…鶲」と呼びかける。

「まったくお前は世話焼きなことだな。そんなにこの子が可愛いか」

 問う、というよりも語りかけるような柔らかい口調で言う風の神に、鶲は卵に触れていた手を引っ込めながら「えっ?当たり前じゃないですか!もう~」と破顔して答えた。

「それはもちろん、可愛いに決まっていますよ!お世話することを手間だなんて思いません、なにせこれは僕の昔っからの夢でしたからね」

 卵と目線を合わせるようにして こてん と首を傾けた鶲。
 これには珍しく風の神も頬を綻ばせて「ははっ…そうか、そこまで私との子が…」と言いかけたのだが、鶲はすぐさまクスクスと笑って「あっ、いえいえ!」と小さく首を横に振る。

「まぁ、もちろんそれもありますけど…でも、こうして卵のお世話をするのが、ですよ」

「僕が【地界】にいた頃の夢、叶うことのなかった夢です。僕の…ずっとずっと昔からの夢」

 屈託のない笑顔を浮かべる鶲に対し、柔らかだった表情がわずかに固まっている風の神。
 妙な雰囲気が流れているが、鶲はそれにまったく気付いていないらしい。
 少しの間の後に「……なんだと?」と問われた鶲は、やはり卵に目を向けたままゆったりとした声音で話し出した。

「僕、ただの鳥として【地界】で生きていた頃のことを今でも憶えています。それこそ、もうずっとずっと昔のことですけど…。とにかく当時の僕はいつも夢見ていたんです、『いつか自分の作った巣に卵を産んでもらって、そして雛を育てたい』って。…だって、素敵でしょう?自分のことを気に入ってくれた相手と一緒に巣を作って、そしてそこで一緒に小さな雛を育てるんですよ?来る日も来る日も卵を温めて、餌を取ってきて分けたり、生まれた雛の催促に応えてあげたり、飛び方を教えたりして…そして一人前になる姿を見届けるんです。それができたらどんなに良いだろうかって、いつも思っていました」

「そのために僕は一生懸命頑張ってたんです。まず僕自身のことを誰かに気に入ってもらわなくちゃいけませんから、他の雄のように歌声や鳴き声を良くしようと練習したりして。周りの雄達も皆同じで、毎日競い合うようにしていましたよ。たくさんいる中から自分を選んでもらえるようにって必死で…本当に休む暇もなく練習に明け暮れていました。でも…」

「風様もご存知ですよね?あはは…僕、歌がとっても下手なんです、へたっぴなんです。皆が綺麗に囀ってるっていうのに、僕はてんでダメでした。やっと一羽聴きに来てくれたと思っても…すぐにどこかへ行ってしまって、結局一人ぼっち。歌がダメならって思って、僕がどれだけ虫を獲ったり飛んだりっていうのが得意かを見せてみたりしましたが…やっぱりそれじゃダメだと、いうことで」

「…季節になるとあちこちの巣から雛達の声が聴こえてるんです。餌をねだる雛達はとても可愛くて…聴くたびに羨ましくなっていたことを思い出します。『いつか僕のところにも僕の歌声を気に入ってくれる雌が来てくれる。そして一緒に巣を作って雛を育てるんだ』と。雛達にたくさん餌を食べさせてあげて、寒さから守ってあげて、精一杯にお世話して…そして最後に飛び方や餌の獲り方を、僕の持てるすべてを教えてあげて、一人前にして巣立ちさせるんだと。そんな光景を思い描きながらずっと一人ぼっちで過ごしていました」

「結局、僕は一度も選ばれませんでしたけどね…あはは……でも、それが僕の夢だったんです。巣で卵を、雛を育てるということが僕にとっての唯一の夢でした。【天界】に住むようになってからはもうそれも…随分長いこと忘れちゃっていたはずなのに、今はあの時の思いが鮮明に蘇ってくるようです」

 しみじみと語りながら「まさか今こんな形で夢が叶うなんて。まさにのようですよね」と微笑む鶲。
 だが鶲は卵にばかり目を向けていて、風の神がどのような表情を浮かべているかについてはまったく気が向いていなかった。

「…では、もし、お前を気に入る者が現れていたとしたら。お前は私の呼びかけに応えず、【天界】にも上がらなかったのか」

 静かに重く響く風の神の声。
 鶲はそれにさえも気付かず「うーん、どうでしょうかね?」と間延びした様子で言った。

「あの時と今とでは色々違うのでなんとも言えませんけど…うーん……でも、たしかにあの時の僕は本当に心から雛達のことばかり考えていまし………」

「っ!!」

 突然、鶲は風の神に肩を掴まれ、勢いよく振り向かされる。
 あまりの勢いに面食らう間もなく、唇には風の神の唇が押し当てられた。

(んっ、んんっ!!)

 胸を押して抵抗する鶲だが、風の神はびくともしない。
 がっしりとした肩や胸の筋肉はどこも力強い神力に漲っていて、鶲の力ではどうしようもないほどなのだ。
 強引な口づけにしばらくもがいているとようやく一瞬の隙をついて唇を離すことができたため、鶲はしっかりと風の神を押しのけて「な、何をなさるんですか!」と声を上げた。

「こんな…っ!せ、精霊のっ、卵の…こっ、子供の前でっ……!!」
「お前は他の神の前でも私にベタベタとくっついてくるだろう。それと一体何が違うんだ」
「そっそれは…っ……でも、それとこれとは違うでしょう!明らかに!」

 慌てて弁明しようとしていた鶲だったが、ようやくそこで風の神が自らの目をじっと見つめてきていることに気が付いて口を噤んだ。
 頬に添えられた風の神の手のひらがもたらすものには、鶲はとても逆らうことができない。
 さらに風の神の深い赤茶色の瞳が鶲を捉えている。
 それはもはや神力云々ということではなかった。

「お前…卵があれば相手は誰でも構わなかったのか」
「えっ…」
「雛の世話さえできれば、お前はそれで良いのか」

 風の神の言葉に、鶲は思わず耳を疑い、『まさか』と目を瞬かせる。
 怒っているような、悲しんでいるような…いつもの威厳の満ちたものとは全く違う声。
 常に孤高で気高くある風の神がこんなにも『弱々しい』と思ってしまうような声を鶲に聴かせたことは、いまだかつて1度もなかった。
 いや、鶲に限らず誰にもないだろう。

「そんな…何を仰るんですか、風様」

 鶲は驚きながら自らにされているのと同じようにして風の神の頬へ手のひらを当てる。

「僕は…風様のことを心からお慕いしてるんですよ、本当に…本当に」

 風の神の瞳を見つめながら、静かに言葉を紡ぐ鶲。

「雛を育てたいのだって…【天界】で風様のおそばにいたら、そんなの忘れちゃってたんですってば。夢見るほどだったことを、忘れちゃってたんですよ?僕はもう…あの頃の僕とは違うんです、ただ雛を育てたい一心だったあの頃とは、違って…今の僕は純粋に風様との精霊が宿ったこの卵を、を『大切にしたい』って思っているだけなんです。…それだけなんですよ、風様」

「相手が誰でもいいなんて…そんなこと、僕は思ってません。だって風様とだからこそが生まれたんじゃないですか。風様とだからこそ、その……ですから、僕がこうしてお世話したくなるのは…あの……風様との卵だから、僕は……」

 再び風の神の唇が近づき、今度は鶲もそれを受け入れてしっとりとした口づけを交わした。
 控えめでありながらも充分な甘さを含んだそれは、互いの神力が混ざり合ってなんとも言えない心地よさをもたらす。
 離れがたいというように腕を回し、抱きしめ合って交わす口づけ。
 体の奥深くがウズウズとして焦れったくなった鶲は、風の神と鼻先をくっつけるようにしながら伏し目がちに息をついた。
 体が疼いているのは風の神も同じに違いない。
 それははっきりと分かっている。

「ここじゃ…だめです」

 2人の間に響く吐息混じりの囁き声。

「いくらといっても、こんな…子供の前では……」

 一陣の風が巻き起こり、ふわりと体が浮いたかと思った次の瞬間には、鶲は風の神に横抱きに抱え上げられていた。
 行き先はただ一つ、屋敷をさらに奥へ行った部屋だろう。

 風の神にしっかりと抱きつきながら大人しく運ばれる鶲。
 大きくて広い胸に頬を摺り寄せ、体に焚き染められている清めのための香を感じ、少し顔を上げて恐ろしいほどに整った顔を見つめると、途端に鶲は我慢できなくなって風の神の耳元へ唇で触れた。
 ほんの少しの触れ合いからでも感じられるその膨大な神力は風の神がどれだけ神格の高い神であるかということを物語っているようだが、鶲の胸にはそんな高位の神が自らをそばにと求めているのだということに対しての言葉に表すこともできない思いが溢れる。

「…お慕いしています、風様」

「僕、本当に…大好きです」

「風様のこと、愛しています」

 それはほとんど独り言のようだったが、鶲を抱いて移動する風の神の動きは速さを増していた。
 あとほんの少しで天蓋のはためく楚々とした閨に到着するだろう。
 しかしそのわずかな間でさえも、2人にはもどかしいようだった。
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