悠久の城

蓬屋 月餅

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「休日」

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 結婚や入籍に向かっての準備というのは、心躍るようでいて、実際には最も大変なことだったりするものだ。
 近頃の玖一と律悠はそれをとてもよく実感している。
 ただでさえ必要書類の準備というのは煩雑なものであるのに、玖一と律悠の場合は外国とのやり取りも必須であり、一つ一つきちんと内容を確認しながら行わなければならないことが多いのだ。
 結婚証明書の発行に伴う書類の準備や滞在先でのホテルといった宿泊施設の検討、パスポート取得、行き帰りの航空券の手配など…不足のないように準備していくのは、普段仕事で多くの書類などに向き合っている律悠をもってしてもそう簡単には行かない。
 そのうえ、彼らの性格上『まぁなんとかなるか』と楽観的になるのは本当に最終的な手段であり、こうした手続きなどが絡む場面では特に『きちんとぬかりなく準備する』を徹底していて気が抜けないのだ。
 さらに挙式などはしないということで、その分の記念となる思い出づくりのための準備も並行して行っている玖一と律悠。
 時間にはかなりの余裕を持って準備を始めてはいるが、2人とも手が空いているときには常にそうしたあれこれを気にしつつ過ごしていた。


ーーーーー


(う~ん…写真って、僕本当に苦手…なんだけどな…)

 ある日の休日のこと。
 律悠はダイニングテーブルで渋い顔をしながらスマホ画面を見つめていた。
 画面に映っているのはとあるフリーのカメラマンが開設しているSNSのアカウントだ。
 つい先日のこと、律悠は義姉(二番目の兄の妻)から「私の知り合いにカメラマンがいるの、結婚記念の写真とかを専門に撮ってる人なんだけどね」「同性カップルの写真も沢山撮ってるのよ。腕もいいと思うし…もし良かったらSNSで見てみて」とそのカメラマンを紹介されたのだった。
 以前から玖一は『絶対に2人の写真を撮ろう、絶対に』と言って譲らなかったため、律悠も(せっかくの機会だし、撮らないわけにはいかないよなぁ…)と思ってはいたのだが、やはりこうして他のカップルが映っている写真を見るとその思いも揺らいでしまう。
 カメラマンのSNSにアップされている写真はどれも自然な風景の中で撮られているのだが、そのすべてがまるで結婚雑誌の表紙にでも使われていそうなほど美しいのだ。
 映っている人々も、一般の人のはずだが まるでプロのモデルのように自然な表情をしている。

(…僕には無理だ、こういうのは)

 スクロールしつつ写真の数々に目を通しながら思う律悠。

(そりゃきゅうは写真映りがいいだろうけど、でも僕なんて証明写真くらいしか…家族写真だって写真館で撮ったようなかっちりしたやつだし。こういう自然な表情は僕には無理だ…綺麗だけど、無理だな…似合わない)

 SNSアカウントのページは個人の特定に繋がるものに対する配慮がきちんとなされており、カップルの写真はすべて掲載の許可を取ったもの、それも横顔や少し遠くからの引きのアングルでのものしか投稿されていないのだが、それでも森や花畑などの自然の中での一枚一枚がどれだけ素晴らしいかはよく分かる。
 撮影しに行った先でカメラ慣らしとして撮ったらしい花々なども併せて投稿されているが、それらもとても瑞々しく、美しい。
 こんなにも素敵な写真を撮るカメラマンがそのカメラで玖一を捉えたとしたら…最高の一枚が何百枚と撮れるはずだ。
 律悠は(それはちょっと見てみたいな)と苦笑いしながら、さらに投稿されている写真の数々を見ていった。

 それからそう経たないうちに、玄関が開く音と、それに続いて洗面台の方から水の流れる音が聞こえ出す。
 隣の502号室で仕事を一つ片付けていた玖一が帰ってきたのだ。

「はぁ、なんとか一区切りついたよ。やっと俺の休日が来た」

 早めの朝食を食べてから昼近くの今頃までずっとPCに向かっていた玖一。
 律悠が「お疲れ様」と労うと、玖一ははにかみながら礼を言って寛ぎ始めた。
 TVの電源を入れ、キッチンでお湯を沸かし、コーヒーか紅茶を淹れる支度を始めている。
 まだ昼食にするには少し早い時刻であるため、お茶でも飲んで一息つけばきっとちょうど良くなるだろう。
 だが律悠は相変わらずスマホ画面に目を向け続けていて、TVの音や湯の沸く音、マグカップから立ち昇る香りなどにはあまり気が向いていなかった。
 何枚も写真を眺めては(服装も…それぞれ好きな感じで撮ってるんだな、きっちりしてたりちょっと普段着みたいだったり…どっちも良いな)などと考えていたのだ。
 そうして夢中になっていたため、律悠はなぜ玖一がたった今つけたばかりだったTVの電源を落としたのかについての理由を察しきることができなかった。
 突然TVの音が消えたことに気付いた律悠は故障かと思って顔を上げたが、玖一がリモコンで操作していたのを見て「テレビ、見ても良いのに」と声をかける。

「玖一が見たいならつけてていいよ、僕もなんとなくつけずにいただけだし。仕事してるわけじゃないから音も気にしないけど?」

 律悠は玖一が自分に気を遣ってTVを見るのを止めたのかと思ったのだが、どうやらそうではないらしいということはすぐに分かった。
 玖一の表情が、少し曇っていたのだ。

「…別に、面白そうなのやってないみたいだったから」
「そう?」
「………うん」

 ついさっきまでの晴れやかだった玖一の様子はどこへやら。
 これには律悠も(なんか…妙だな?)と感じ、その理由を探り始めた。
 たしかに写真を見るのに熱心になっていたのは間違いない。だが、だからといって玖一の問いかけに気付かなかったというわけでもない。
 玖一の声掛けがあれば気付いていたはずであり、なんなら「悠も紅茶のおかわり、いる?」と訊かれたがそれにもきちんと「ありがとう、ちょっとだけもらおうかな」と応えたりするなど、やり取りは交わしていたのだ。
 であれば他になにか別の理由があったはずなのだが。

(TVを消したってことは、なんか玖の嫌がるような話題でもやってたのかな…?ちょっと聞いてた感じだと、どうも『最近話題の小説』とかって感じの…特集?みたいだったけど…いくつか聞いたことのあるタイトルが聞こえたような気がしたっけ)

 律悠は思案しながらスマホ画面をスクロールしているが、先ほどまでと違ってあまりその一枚一枚きちんと見ているわけではなかった。
 何気なく普段通りを装いながら原因を探る律悠。
 すると、玖一はソファに腰掛けながら「…あのさ」と話し出した。

「俺、前から思ってたんだけど」
「うん?」
「なんで…『』って、言うんだろうね」

 思わぬ会話の切り口に、律悠は目を瞬かせる。
 何の話かと考えるまでもなく、玖一はさらに続けた。

「少女漫画とか、そういうのを好きなのとは違うってのは分かってるけど。でも、男同士の恋愛を書いた作品を好きだと思うことは、『腐』なんだよね」

「なんていうのかな…もちろん創作の世界でのことだっていうのは理解してるんだよ。だけど、もしかしたら俺が悠のことを好きなのだって、見る人が見れば『腐』ってことなのかなって…思ってさ。俺はただ悠のことを、男女がそれぞれ想い合うのと同じように愛してるだけなのに」

「…時々思ってたんだ、『これは腐向けだね』とかって話してるのを聞くと…なんかそれってどうなのかなって。あんまりいい言葉じゃないじゃん、本来はさ」

 考えすぎだってのは自分でも思ってるんだけどね、と乾いた笑いと共に呟いた玖一。
 それを聞いた律悠はこっそりとスマホで検索画面を開き、それらに関する詳しい語源を調べてみることにした。
 『腐』、つまりBL作品やそうしたジャンルを好む場合に使われている呼称。
 元々は本来BL関係にはない男性キャラクター同士でのカップリングなどを創作した際に『本筋とは違う、腐った妄想』というような意味合いを込めて自虐的につけられていたものだったらしい。
 だが、いつしか『BL』というジャンルが確立されていくにつれ、そうした呼称は『BL作品やBL作品を好むすべてに付随する』というようなものに変化していったようだ。
 つまり元から男性同士での恋愛を描いたものであっても、『腐』と呼称されるようになっていったということ。
 昔から存在している言葉や呼称の中には、使われているうちにいつの間にか元の意味や用法から大なり小なり変化してしまったというようなものも多く見受けられるので、きっとこれもそうして自然と変化してしまっていた言葉の一つと言えるのだろう。
 すでに一般的なものとして定着してしまっていると、その言葉が本来持っている意味などについてはあまり注目されなくなるのだが…だからこそふとした瞬間にそれについて改めて考え、疑問を持つことだってある。

 律悠はそういったことを特に気にしたことがなかった。
 彼は基本的にどんなジャンルの小説も漫画も読む性質タチであり、ましてや玖一も言っていたように『創作は創作だ』と思っていて、いかなる場合でも無意識のうちに実際の自身の境遇とは切り離して考えていたからだ。
 それに、普段生活している中ではそうした言葉を耳にすること、目にすること自体がほとんどなく、気にするまでもなかった。
 しかし、玖一はそうではなかったのだろう。
 そうした話題に触れる度、悶々とした思いを抱いていたようだ。

(あっ、そういえばさっきTVで聞いたあのタイトルのって確か…BL大賞かなんかとった作品じゃなかったっけ…?その手の特集だったのか、よく見てなかったけど)

 番組内で『腐』という単語が出ていたかどうかは定かではないが、玖一が胸の内を吐露したことは確かだ。
 律悠は調べていた単語の検索履歴を消去すると、検索画面を閉じて玖一の方を見遣った。
 ソファに1人座っている玖一はまだ熱い湯気が立っているマグカップのふちに唇をつけ、ふぅふぅと吹きながら中の紅茶がいくらか冷めるのを待っている。
 律悠は自身のスマホを持ってその隣に行くと、「玖~」と呼びかけながらそっと抱きしめた。

「うわっ、ちょっと悠!危ないじゃん…!」

  慌てて手に持っていたマグカップをテーブルに置く玖一。
 律悠はそんな玖一をひとしきり抱きしめると、透明感のあるすべすべとした両頬を両の手のひらで包み込みながら目を合わせて言う。

「玖、僕達はさ、今結婚の準備をしてるんだよ?ただ婚姻届を書いて役所に提出すればいいのとは違って、もっと色んな書類とかを用意して、海外できちんとした証明書をもらってこようとしてる。大変だけど、でもやろうとしてる。これが愛じゃなかったら、なんなの?」
「悠…」
「ねぇ、玖。そんな呼称に思い悩むことはないんだよ。だってどう考えても『そんな言葉』は僕達の『愛し合ってる』っていう事実には全然ふさわしくないでしょ?一部の呼称に振り回されずに、玖にはもっと自信を持ってほしい。僕達の愛は毎日、なんだから」

 朗らかな表情をした律悠の明るい言葉は玖一の心にすっと沁み込んでいくようだった。
 玖一は思わずあははっと笑みをこぼすと、律悠の左手を取り、静かにそこに輝いている指輪をいとおしそうに見つめながら「たしかに、そうだね」と手を握る。
 玖一の表情は、すっかり晴れやかなものに変わっていた。
 …少し照れてもいるようだ。


「はぁ…なんか不思議だよ。だって今まで俺はずっとことあるごとに気にしてたんだよ?それなのに悠が今そうやって言ってくれたのを聞いたら、なぜか全然気にならなくなってきた。これってどうしてなんだろう?自分でも本当に不思議なんだけど、でも憑き物が落ちたみたいだ」

「悠はいつも俺のことをこうやって助けてくれるね。家族とのこともそうだし、何もかも…」

 すると律悠は「まぁ、やっぱり僕は玖より年上だから。年上の余裕、包容力ってのがあるんだよね」と茶目っ気を込めて返したのだった。

 いつもの雰囲気が戻ってきた501号室。
 談笑しながらも義姉から紹介された例のカメラマンのことを玖一に話すかどうか迷っていた律悠が「一応聞いときたいんだけど、写真って…こういうの?」とSNSにアップされている写真を見せると、すぐに玖一は身を乗り出して画面に魅入った。

「えっ!すごくいいじゃん…!どれも雰囲気がいいし、綺麗だし、構図が絶妙じゃない?俺、まさにこういうのが撮りたかったんだよ!」

 想像していた以上の反応に、律悠は「あぁ…そうなんだね…」と苦笑いを浮かべる。

「このカメラマンの人、僕の義姉さんの知り合いらしくてさ。『写真撮るならこのカメラマンはどう?』って義姉さんが紹介してくれたんだ」
「お義姉さんの知り合い!?そっか、紹介してくださったんだね…!俺からもお礼言っといてね、悠!」

「うわぁほんとに良いな…あっ、これも素敵じゃん!ねぇ、この人がいい、この人に撮ってもらおうよ!なんで悠は乗り気じゃないの?なんかだめなの?」
「いや、だめってわけじゃないけど…」

 律悠が「僕を撮ってもこんな自然な感じにはならないんじゃないかなって思って…」と不安を吐露すると、玖一は「大丈夫だってば!そんなに心配しないでよ、悠はもっと自信を持っていいんだから!」と明るくはしゃいだのだった。


ーーーーーー

~後日談~

 結局例のカメラマンに写真撮影を依頼した玖一と律悠。
 ワイシャツなどのあえて飾らない衣装で海辺と森、そして花の咲き乱れる中で撮影した写真はどれも非常に良い仕上がりとなった。
 なにしろ被写体は玖一と律悠なのだ。
 玖一の見目の良さは言わずもがな、写真映りを心配していた律悠だって実際は玖一にも引けをとらない見目の持ち主であるため、終始カメラマンは「あぁっ、やばい、めっちゃいい写真がこんなに沢山撮れてる…!SDカードが足りん…」と感動していた。
 最初はかなり緊張していた律悠だったのだが、カメラマンの「お2人共、好きに動いてもらって大丈夫ですよ。話したり手を繋いだり、ハグしたり。もちろん、『ちゅっ』っていうのも」という言葉を聞いた玖一が本当に急に隙をついて唇にキスをしてきたことで、完全に恥ずかしさと緊張のメーターが振り切れてしまった後はもはやなんということもなくなってしまったのだった。
 和やかな雰囲気の中で撮影された玖一と律悠の結婚記念写真。
 それは飾らない2人の自然な笑顔と姿が納められた、非常にいいものとなった。

ーーー

撮影をしたカメラマンからの1言:
「この仕事してて本当に良かったです…まさに眼福って…感じでした…///」
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