酪農地域にて

蓬屋 月餅

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第三部

30「考え」

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「ん…」

 若領主が薄目を開けると、窓の外の白み始めた空が目に入ってきた。
 胸元にはすうすうと寝息をたてる彼がいて、一晩中こうして彼を胸に抱いて眠っていたのだと分かる。

(…あ、そういえばこうしてじっくり寝顔を見たのは初めてだな。なるほど、私が先に起きるとこんな特権があるわけだ)

 若領主は彼の睫毛にかかっている前髪をそっと除けながら、昨夜の一連の出来事を思い返していた。

(負担が大きいだろうに、わざわざ本で学んでまで…?可愛いというか、いじらしいというか、健気というか…あぁ、もう抱きしめたい!けどだめだよな、起きちゃうだろうし!うん…だめだよな!)

 そうして若領主が1人葛藤していると、彼は身じろぎをしてそっと目を開けた。
 まだうつらうつらとしている彼に若領主が「おはよう」と声をかけると、彼は肩にかかる掛け具を引っ張って顔を隠し、「…おはようございます」と応える。

「あっ…!い、今って…!?」
「大丈夫、起き時にはまだまだ余裕があるよ。ゆっくりしていよう」
「よ、良かった…あの…ぼ、僕…」

 若領主は身を離そうとする彼を掴まえてぐっと引き寄せると、胸元にある彼のつむじに口づけてからため息をついた。
 彼が心配そうに顔を上げると、微笑む若領主と目が合う。

「こんなに『良いこと』を知っちゃったんだ、知らなかった時には戻れないな。…まったく、どうしたらいいんだ?毎日君と一緒に居られたらいいのに…」

 若領主は軽く笑みをこぼすと、寝台から身体を起こして下衣を着直す。

「さぁ、湯を汲んでこよう。汗を流さないと」
「あ…じゃあ僕も手伝います…っ!!」

 身を起こそうとした彼は腰の辺りに手を当て、痛みに眉をひそめた。

「いい、私がやるからそのまま横になっていて。君はゆっくり湯に浸かったほうがいいな、浴室の湯桶もちゃんと湯を張れるようになっているから、用意してくるよ」

 若領主はバツが悪そうな彼の頬をひと撫ですると、湯を汲むための桶を手に源泉の湧き出している場所へと出掛けていった。
 この辺りはどういった経緯で手が加えられていた場所なのか、未だに分かっていない。
 ただ、源泉の流れる先を辿ると再び湯を溜められるようになっている場所があって、そこの湯を汲んでいけば少し熱めの湯加減で風呂桶をいっぱいにできるのだ。
 あの小屋が建てられた当初に整備されたものなのだろうが、だとすれば『あの兄弟』によるものなのだろうか。

(小屋で過ごすには好都合だけど、なんの記録も残っていないとは…一体誰がこんな手間のかかることをしていたんだ?流石にこれを1からやるとしたら大変だっただろうな…)

 若領主はこれらの整備を成し遂げた見知らぬ人物に感謝しつつ、両手の桶を湯で満たして浴室と湯汲場とを往復した。
 浴室の湯桶がいっぱいになり、若領主が寝台へと声をかけに行くと、彼はちょうど身を起こして上衣を羽織ったところだった。

「起き上がって大丈夫?」
「なんとか…す、すみません、湯を…」
「いいから、体を痛めているのは『私のせい』だからね」

 彼は顔を赤らめ、何も言えずに固まっている。

(こういう姿を見るのも、本当に好きだな…)

 若領主は柔らかな気持ちのまま寝台のそばへ行くと、彼を寝具の中から抱え上げた。
 「わ、若!自分で歩きますから!」と胸に当てた手で抵抗されるものの、構わずに浴室へと向かう。
 湯桶の湯は適温になっていて、微かに湯気が揺蕩っている。
 若領主は彼を湯桶のそばに下ろした。

「そっちのは掛け湯に使うんだ。本当は一緒に湯を浴びたいところだけど…」

 上衣の裾を掴んで俯く彼はひどく緊張しているようだ。

「私は後で掛け湯だけすればいいから、君はゆっくりしていて」

 若領主は彼の着替えを持ってきてそばに置くと、浴室の戸を閉じ、寝具を剥ぎに行く。
 すっかり乱れきっている寝具を洗い粉で洗い、慣れた手付きで干して顔を覗かせ始めた太陽に晒すと、木々の間から涼やかな風が吹き付けて寝具をはためかせる。
 夏の始め頃に彼と過ごすようになってから時は過ぎ、すでに真夏を越えて秋に差し掛かっていた。

「やぁ、ゆっくりできた?」
「はい…あの、ありがとうございました…」
「いいんだ、ゆっくりできたならよかった。私も湯を浴びてくるよ」

 彼と入れ替わるように浴室へ入った若領主は頭から湯を被って汗をすっかり洗い流すと、予め用意しておいた着替えを着て出ていく。
 彼は立ったまま2つの杯に飲むために汲んでおいた湯を注いでいて、その様子を見た若領主は髪をくくりながら「座れない?」と声をかけた。

「わっ、若!まぁ、その…大丈夫ですよ」
「大丈夫なわけがあるか、痛むんだろう。ここの椅子は布張りでもないからね…」

 彼は申し訳無さそうに優しく背をなでて労ってくる若領主の胸にそっと額を擦り寄せて応えた。


「よし。どうだろう、これなら座れる?」
「若…わざわざこんなことをしなくても…」

 屋敷で朝食を取り終え、いつものように彼と記録室へとやってきた若領主は、椅子の上にふわふわとした椅子用の敷物を重ねた。
 若領主の持ち物だとすると上質なものに違いないと彼は躊躇したが、若領主は全てを見透かしたように「気にせず座って」と促してくる。
 若領主が勧めるままに腰を下ろすと、とても柔らかな感触が彼の腰を包み込み、少しも痛みを感じなかった。
 彼が無事に座れたことに安堵すると、若領主は彼の望む本を取りに本棚へと向かいながら話す。

「私の妹がね、一時期余った羊毛や綿花で小物を作るのに熱中していたんだけど…そのうち飽きて 材料を全部、全部私にくれたんだ。当時はかなり迷惑…じゃなくて『困った』んだけど、とりあえず椅子でも作った時に使おうかと思って敷物にしたんだよ」
「若、やっぱりお兄さんなんですね…なんだかとても微笑ましいです。あ、その右の…いや、やっぱり僕が取りに…」
「いや、君は座ってていいから」
「あの、僕だってそんなにひ弱じゃないので!甘やかしすぎですよ、もう十分ですから」
「愛する人を甘やかして何が悪いんだ?」

 若領主は本を手に、彼の元へと戻りながらわざとらしく言う。

「う、うわ!何を言って…」

 彼が若領主の口を噤ませようと慌てた表情をするのを見て、若領主は笑い声を上げた。

「若って…意外と臆せず『そういうこと』を言うんですね…誰かが聞いていたらどうするんですか…」
「まぁ、そうだな。今は屋敷だし、人もいつ来るかわからないし…でも『大切にしたい人には素直に気持ちを伝えるべき』ってことだ、うん。それに、本当はもっともっと近付いていたいのを堪えてるんだから…それくらいは許して」
「で、でも…ちょっと…」

 若領主が机の下にある彼の手を握って指を絡ませていると、記録室の扉が叩かれて侍従が入室してきた。
 侍従は彼の隣りにいる若領主には目もくれず、淡々と彼に用事を告げる。

「では、こちらの分もよろしくお願いします」
「はい、すぐにやっておきますね」
「ありがとうございます。…若、あまり彼の邪魔をしないでくださいよ。彼はあくまでも『本の修復』をしに来てくれているんですから」
「分かってるよ、邪魔はしない。ちょっと近くで見るだけにする」
「彼の気を散らせることを『邪魔』と言うのですが。あまりにも彼を困らせるなら、なにか急ぎの案件でも探してきましょうか。次からは仕事をいくつか残すようにして…」
「な、なんだと…!?」

 若領主と侍従が軽く言い合いになる中、彼はまるで仲のいい兄弟のような2人の様子に笑みをこぼした。

 
 季節が移り変わり、医者達が手入れをする薬草は花や葉から実や根といったものになってきている。
 彼も薬の配達や怪我の予後を見回る合間を縫い、採ってきたものを天日に干したりと作業していた。

(僕がお屋敷に…若領主の所へ泊まるようになってから、もう何か月になるかな?初めは触り合うくらいだったのに、この間は…若領主が…僕の中に…)

 彼は作業の手を一瞬止め、汗を拭うように額へ腕を当てる。

(ぼ、僕…おかしいのかな、あんなことをするなんて!でも僕は若のことが好きだし、好きだからあんなこともしたくなるし、それに…すごく気持ちいい…し…。だけど、いつまでもこのままでいいとは思えない…)

 彼はふとため息をついた。
 近頃、彼が若領主の屋敷へ行くと、若領主は疲れた様子を見せることがある。
 どうやら若領主は彼が来る日に合わせ、その前後の数日間に多少無理をして仕事をこなしているようだ。
 「君と過ごす時間のためなら、なにも大変じゃない」とは言うものの、そんな生活を続けていればいつか積もり積もった疲労で体調を崩してしまうだろうと彼は心配していた。

(侍従さんもそんなことにならないようにって予定を組んでいるけど、こればっかりはね…行くのを控えたって、逆に僕を訪ねようと余計無理をしそうだし…というより、僕も今より若と離れているのは嫌…だし…。そもそも、若が時間を作ろうとするのは、僕が休みの日しか一緒にいられないからで…)

 彼は頭の片隅に置いていたものを引っ張り出してきて、改めて自分の考えと向き合った。
 考えたことはあっても、実現はしないだろうと思ってきたことだ。

「あぁ、もう採ってきてくれてたのか。採りに行かないといけないなと思ってたんだ、ありがとう」
「と、父さん!」

 彼が突然の声に驚いて振り返ると、彼の父親は「おい、随分と顔が赤いな」と肩を叩いてくる。

「涼しくなってきたとはいえ、ずっと下を向いて作業してたんじゃ暑いだろう。父さんが代わるから、お前は湯の支度でも頼む」
「あ、うん…分かった」

 顔が赤く、暑さを感じていたのは下を向いて作業していたからだけではないが、そんなことは言えるはずもない。
 彼に代わって作業をし始めた父親に、彼は意を決して声をかけた。

「あのさ、父さん。僕…ずっと考えてたことがあるんだけど」
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蓬屋のBLに興味をもって下さった方へ…ぜひ他作品の方も併せてご覧下さい。【以下、蓬屋のBL作品紹介】《陸国が舞台の作品》: ・スパダリ攻め×不遇受け『熊の魚(オメガバース編有)』 ・クール(?)攻め×美人受け『彼と姫と(オメガバース編有)』 ・陸国の司書×特別体質受け『図書塔の2人(今後オメガバース編の予定有)』 ・神の側仕え×陸国の神『牧草地の白馬(多数カップル有)』   《現代が舞台の作品》:・元ゲイビ男優×フリーランス税理士『悠久の城(リバあり)』 それぞれの甘々カップル達をよろしくお願いします★
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