酪農地域にて

蓬屋 月餅

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第二部

18「豪雨」

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 陸国にも長雨の季節がある。
 幾日も降り続く雨の合間に訪れる晴天はとても貴重で、どの区画でも動物達を放牧させて日光浴をさせたり、草を食ませたりと大忙しだ。
 その日、若領主も大雨の影響で壊れてしまったいくつかの橋を見て回り、どのように補修するかなどの調査を行っていた。

「ここは地面がぬかるんでしまっているから簡単には架け直せないな。土壌整備も含めてご領主にご報告しよう」
「はい」
「予想していた以上に橋の被害がある。大丈夫そうに見える橋も見ておこう」

 若領主は自らの馬に跨がると、侍従と共に別の橋へと向かっていった。
 道中の放牧場では沢山の牛達が放牧されていて、その辺りを担当している男達は若領主を見るなり「若領主!」と声を上げた。

「やぁ、ここ数日はよく晴れていていいね」
「本当ですよ!こいつら、外に出るのが好きなもんだから早く外へ連れ出せってもうすごくて…」

 そう話す男達は牧草をかごいっぱいに刈り取っている。
 食欲旺盛な動物達が放牧から帰ってきても新鮮な牧草を口にできるよう、大体どの区画でもこうして端の方のよく伸びた牧草を人の手で刈り取って与えるのだ。
 しばらく牛達の様子について話をしていると、それまでよく晴れていたにもかかわらず、急に日が陰りだした。
 「今日はここまでだな」と人々が荷をまとめていると、あっという間に空をどんよりとした雲が覆い、ぽつぽつと雨が降り出した。

 動物達が体調を崩してしまうため、こうなったらすぐにでも放牧を止めさせなければならない。
 人々は牧羊犬を使って速やかに動物達を追い立てていくが、荷物になってしまう牧草を詰めたかごはその場に置きっぱなしになる。

「…この牧草を全てこの子に積むから、君が一緒に建物の方まで連れて行ってくれ」
「いえ、それでは若領主が…」
「私はすぐそこの東屋にいるから。この子から荷を下ろしたら迎えに来てもらえればいい」

 雨はどんどんと強くなるようだ。
 「荷を載せるんだ。人が乗るわけじゃないから、やってくれるね?」と自らの馬に言い聞かせながら山のような牧草を積んでいく。
 侍従は自らの馬に跨ると、若領主の馬を連れて雨の中を走り去っていった。
 若領主は近くの東屋まで走る。
 大きな木の下に建てられたこの東屋は、雨を凌ぐのには十分だ。

(せっかく晴れていたのにな…仕方のないことだが。あの補修が必要な橋もどうなることか…)

 雨足は一層強くなっている。
 若領主が重そうな雲の広がる空を見上げていると、この雨の中、東屋に向かって走ってくる人影があった。
 激しい雨によって白く霞がかっていたためにそれが誰かはすぐには分からなかったが、はっきりと姿が見えると若領主は「あっ」と声を上げる。

「君、ずぶ濡れじゃないか!」

 いつも背負っている箱を雨から守るように抱えて走ってきた彼は、東屋の屋根の下に入ると「若…なぜこんなところに…?」と息を切らしながら尋ねた。

「ちょうどこの辺りにいたら雨が降り出したんだ。私の馬は荷物を運ぶのに連れて行かせたから、ここで雨宿りをね。…君はどこから走ってきたんだ、こんなに濡れて」
「僕、あっちの方まで薬を届けに行ってて…帰ってくる途中でこの雨です…あの辺りには雨宿りできるような場所もないから…とりあえずここまで…走ってきて…」
「あぁ、まずは少し落ち着かないとな。その後で話をしようか」

 彼はこくんと頷くと、手巾を取り出してあの箱を丁寧に拭き始めた。
 彼が濡れそぼっている自分のことなど省みる素振りもなく箱を拭き始めたので、若領主は自身の手巾で彼の髪から滴る水滴をそっと拭う。
 彼は「す、すみません…」と申し訳無さそうに言うと、箱を拭き終えた手巾をたたみ直し、自らの濡れた額や首元を拭った。
 彼の濡れそぼった衣服はとても寒々しく見えるが、外套の1枚も持っていない若領主には自分の手巾で少しでも水分を取ってやる他に出来ることがなかった。

「若、すみません…ありがとうございます。あ…さっきまであんなに晴れていたのに、もう、信じられませんね」
「うん、まさかここまで降るとは」

 2人は顔を見合わせ、苦笑いを送り合う。

「いや、それにしても君とはよく会う気がするなぁ。うさぎのところとか初雪の日とか…」
「そうですよね、僕達は小さい頃にも会ってたんですもん」
「ははっ、そうだった!何か縁があるんだな」

 話をしながら、若領主は彼を意識せずにはいられなかった。
 彼は特に寒そうにしているわけではないが、これだけ濡れそぼっていれば身体も冷えているだろう。

(彼のこの手に自らの手を重ねて温めてやりたい)
(彼の肩を抱いて温めてやれたら、どんなに良いだろうか)

 若領主のことを『若』と呼ぶにまで親しくなった彼だが、それも結局の所『気の合う友』としてのことだと思うと、心の奥がかすかに軋む。
 そうとも知らない彼は雨にまつわる思い出話をあれこれと語っていて、若領主はただただ「うん、うん」とその話に耳を傾けた。

「それで、その時の僕はまだ小さかったので…うわっ!」
「っ!」

 突如、辺りにまばゆい稲光が走る。
 若領主と彼が息を呑みながら降る雨に目を向けていると、しばらくして轟音が鳴り響いた。
 それに呼応するように、ゴロゴロとあちこちから雷の音がする。

「い、今の凄かったですね!かなり大きい雷が!」
「うん、これだけの雨だからな…もしかしたら、ここも安全じゃないかもしれない」
「そんな…脅かさないでくださいよ…っ!!」

 次の瞬間、信じられないことに本当にすぐそばへ雷が落ちた。
 稲光の直後、先程とは比べ物にならないほどの大きな音の雷は、おそらくすぐそこに立つ木に落ちたのだろう。
 だが、東屋の中にいる若領主には、そんなことを気にしている場合ではないことが起こっていた。
 とっさに彼の手を引いた若領主は、そのまま彼をきつく抱きしめていたのだ。

 心臓がドクドクと、激しく拍動している。
 互いに濡れそぼっているせいで、冷えていた体は触れ合っている部分からじんわりと温かさが広がっていく。
 どれだけ経ったか、若領主はようやく口を開いた。

「な、なんだろうね、これは…」
「わ、若…」
「いや、うん、すまないね…」

 背中に回していた手をおずおずと彼の肩にかけ、ゆっくりと身体を離すも、2人の間には気まずい空気が流れる。
 (なにか言うべきだろう、しかし一体何を言えばいいのか…)と若領主が思案していると、ミシッという嫌な音と共に東屋の屋根が軋んだ。

「わ、若…!」

 一瞬の間に、若領主が一切躊躇うこともなく再び彼を抱きしめると、東屋の天井がガラガラと音を立てて2人に降り注いできた。
 彼を庇うように自らを覆いかぶせた若領主の背に、崩れた梁が重くのしかかる。
 彼は箱を置いていた東屋の机に半分身体を預けていて、傍から見れば若領主が彼を押し倒しているようにも見えなくはない。
 抱きしめただけでもあれだけ気まずい空気になったのだ、これでは一層気まずくなってしまう。
 そう考えた若領主はのしかかっている梁を自らの背で押し退けると、すぐさま彼に「大丈夫?」と問いかけた。

「怪我はない?いや、咄嗟のことだったんだよ、またこんな…すまないね、すぐに退くから」
「あ、いや、あの…若…」

 上体を起こした若領主の背を生暖かなものが伝い、右手を動かそうとすると鈍い痛みが走る。
 どうやら肩と背中を傷めたらしい。
 
「若…!お怪我をされたんでしょう?診せてください」
「いや、大丈夫だよ」
「そんな…そんなわけがないでしょう…!」

 痛みが強くなっていくせいで若領主は彼を止めることができず、そのまま彼が背中に回って傷口を診始めるのをじっと受け入れた。
 彼ははっと息を呑むと、すぐさま箱から清潔な布を取り出して傷口に押し当てた。

「うっ…!」
「すみません、若領主。とにかく止血をしないと…」
「君は大袈裟だな、大丈夫だよ。これくらい…」
 
 傷口を強く押さえられ、若領主は思わず言葉を切り、息を飲む。

「とにかく、もっと安全な場所に行かないと…ここはもう…」
「大丈夫だよ、少し切ったか何かしたくらいだから」
「若は見ていらっしゃらないじゃないですか!」

 彼がそう言うと、ちょうど雨の中から外套を羽織った侍従が馬を走らせてやってきた。

「若領主!これは一体…」
「侍従様!若がお怪我をされています、安全なところへお連れしないと!」

 侍従は驚きに目をみはるも、すぐさま冷静に「分かりました」と答える。

「屋敷が良いでしょう、一番近いと言えるはずです」
「ではお屋敷へ!」
「若領主、馬へ乗れますか?」
「あぁ…」
「いえ、肩を負傷されていますから手綱は握れないでしょう」
「では、私の馬にお乗せします」
「分かりました、僕は若領主の馬をお借りします」

 侍従は自らの馬を降りて2人乗りができるよう支度をする。
 そして、持ってきたもう1つの外套を彼に差し出した。

「いや待て、私の馬は乗りづらいはずだ。私は大丈夫だから君は侍従の彼の馬に乗せてもらって…」
「そんなことを言っている場合ですか!侍従様、止血のため強く縛っておきました」
「ありがとうございます」

 侍従は自らの外套を若領主に被せると、半ば強引に馬に乗せる。

「いや、だから、その子は…」

 若領主が痛みを堪えながら顔を上げると、なんと彼は難なく若領主の馬に跨っていた。
 馬も耳を伏せず彼の「よろしく頼むね」という声を聞いている。

(そうか…杞憂だったのかもしれない)

 手綱を握る2人は降り続く雨の中、屋敷を目指して馬を駆けた。
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