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第二部
17「家族」
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「お兄様!?ほ、本当にいらしてた!」
「やぁ、久しぶりだね。相変わらず元気そうだ」
ある日、若領主は実家である工芸地域の屋敷を訪れていた。
工芸地域の領主である父と夫人の母に挨拶をしていると、兄が来ているという報せを受けた妹がその場へ駆け込んできて、息を切らしたまま驚きに目を見開く。
「もう…嬉しいのは分かるけれど、少し落ち着きなさい。ほら、ここへ座って」
「は、はいお母様…」
妹はよほど嬉しいのか、口角が上がるのを抑えきれないようだ。
「…さて、私達に話があるんだったな。なんだ?」
「はい、それが…」
言い淀む若領主に、領主は「まぁ、そう気負わず言ったらいいよ」と促す。
「あの…父上と母上には申し訳ないことなのですが、私は夫人を迎えず、生涯未婚でいようかと…思いまして…」
若領主は顔をあげることができなかった。
父は、母は、今一体どんな表情をしているのか。
顔を見ずに話をすることがどれだけ無礼にあたるか分かっていても、両親の顔をどうしても見ることができない。
「ふむ…夫人にと思う人はいなかったのか?」
「いえ…あの…」
「出会いがないのなら、私達が紹介してもいい」
領主は「だが」と続ける。
「お前が言うのだから、まぁ、そういったのは望まないんだろうね」
その言葉には暗く、冷たい気持ちにさせるようなものはなかった。
それどころか、とても温かなものを感じ、若領主はおずおずと顔を上げる。
「なんだ…そんなに驚いた顔をして」
「だって、それは…私が言ったのはつまり…」
口ごもる若領主に、領主は「あのね」と半ばため息をつく。
「私はお前の母ほどではないにせよ、お前をよく知っているつもりだ。小さい頃から私達に何か話をするときは、自分の中で散々考えをまとめてから話すのがお前だろう。ましてやこんな話だ、違うのか?」
「違いません…けど…」
「そうだろう、お前の心はそうやってすでに決まっている。私達が何か言ったところでどうなるものでもないんだ。『そうか』と言う他ないな」
領主が隣に座る夫人に目をやると、夫人は落ち着いた様子で「分かっているわね?」と問いかける。
「夫人を迎えないと、領主としても大変なのよ。覚悟はできているの?」
「…はい」
「…そう。ではその次の領主をどうするかも考えておかなくてはね」
領主と夫人はすでにその先を見据えているようだ。
5つの地域の若領主達の中には婚約をしている者もいるが、全員が未だ未婚で、その次の世代となる子供達が産まれるのはまだまだ先のことになるだろう。
大体の年齢を揃えるように次の若領主が選ばれるため、この場合、次の世代をどのように定めるかをよく吟味する必要がある。
「なんだ、そんなに難しく考えなくったっていいんじゃないの」
それまでじっと話を聞いていた妹が声を上げたことで、他3人から視線が注がれる。
領主は「全く、何を言い出すかと思えば…」と呆れたように言う。
「次の世代を定めるというのはそんなに単純な話じゃないんだ。だから…」
「だから、私の子供達をお兄様の養子にしたらいいんじゃないの?」
あまりにもあっけらかんと言い放つ妹に、夫人は咎めるような視線を送る。
「あのね、その子の人生を決めることでもあるのよ。そんな簡単に養子にすれば良いだのというものでもないでしょう」
「すみません…」
「だいたいね、まずあなたにも相手がいなくちゃならないでしょう。まだ若領主達は若いのだし、そう急ぐこともな…」
「でも…もう、いるもの」
夫人の言葉を遮るように呟かれたその一言に、(場が凍りつくとはこのことか)と若領主は思った。
その場にいる誰もが、うつむいて口を尖らせている妹から目を離せずにいる。
「は、はは…やだ、この子ったら主語がないんだもの。…『なにが』『もう』いるんですって…?」
夫人のこれほど緊張した声音は聞いたことがない。
全員が固唾をのむ中、妹は「…相手が」と小さな声で答えた。
「そ、そうよね!そうよ、お相手がね!えぇ、そうよ、そうよね…」
「…誰だ」
胸を撫で下ろすかのように何度も「そうよね…」と言う夫人に対し、今度は領主が硬い声音で「誰なんだ」と尋ねる。
「誰って…図書塔で司書をなさってる真面目な方よ。お父様もお母様もきっと気に入るわ、あの、交際を認めていただけない?」
領主は一度寂しそうな表情を見せたが、妹から相手の名前を聞くと、「なんだと!?」と態度を一変させた。
「今、誰だと言った?だめだ、よりによってそんな…絶対に認められない!」
「どうしてそんなことを言うの…お父様が彼の何を知っているの?」
「『彼』!?私はその『彼』の父親をよく知っている!とにかく、認めることはできない」
「どうしてよ…そんなの、私だって納得がいかない!」
初めはまだおとなしい言い争いだったものの、すでに誰も手がつけられないほど白熱してしまっている。
さらに間の悪いことに、屋敷に「本を届けにやってきた」と来客があった。
「お嬢様にこちらの本をお届けするようにと申しつかっておりまして…」
玄関の方から聞こえてくるその声に妹が反応すると、領主はすぐさま「ここへ連れてきなさい」と自らの侍従に言う。
それはまさに今、領主と妹が言い争っている中心人物である『妹の相手』だった。
「君、私の娘と交際しているそうだな」
「ご領主…な、なぜそれを…」
「ごめんなさい、流れでつい言ってしまったのよ…」
「そんな…改めてきちんと挨拶に伺うって話だったじゃないか…!」
「なんだ、私の娘に文句でもあるのか?」
「い、いえ、そうではなく!あの、きちんとご挨拶に伺おうと…」
若領主の話はもうどこかへ行ってしまっている。
「彼はこんなに礼儀正しくて素敵じゃない!」「礼儀正しいだけではだめだ!」とお互いに引かず言い争っている領主と妹、さらにその板挟みになっている妹の交際相手という3人に割り込むことなどできるはずもなく、所在に困った若領主は夫人に(どうしたものでしょうか…)という視線を向けた。
夫人は端座したまましばらくじっとしていたが、若領主の侍従に目配せをし(ここはいいから、とりあえず屋敷に帰りなさい)と伝えてくる。
「…若領主、そろそろお屋敷で記録をまとめませんと」
「あぁ、そうだな…」
「父上、母上、失礼いたします…」と声をかけるも、もはや領主達の耳には届いていないようだ。
夫人とそれぞれの侍従や侍女だけが若領主に礼を返し、若領主は混沌に満ちた工芸地域の屋敷をあとにした。
「やぁ、久しぶりだね。相変わらず元気そうだ」
ある日、若領主は実家である工芸地域の屋敷を訪れていた。
工芸地域の領主である父と夫人の母に挨拶をしていると、兄が来ているという報せを受けた妹がその場へ駆け込んできて、息を切らしたまま驚きに目を見開く。
「もう…嬉しいのは分かるけれど、少し落ち着きなさい。ほら、ここへ座って」
「は、はいお母様…」
妹はよほど嬉しいのか、口角が上がるのを抑えきれないようだ。
「…さて、私達に話があるんだったな。なんだ?」
「はい、それが…」
言い淀む若領主に、領主は「まぁ、そう気負わず言ったらいいよ」と促す。
「あの…父上と母上には申し訳ないことなのですが、私は夫人を迎えず、生涯未婚でいようかと…思いまして…」
若領主は顔をあげることができなかった。
父は、母は、今一体どんな表情をしているのか。
顔を見ずに話をすることがどれだけ無礼にあたるか分かっていても、両親の顔をどうしても見ることができない。
「ふむ…夫人にと思う人はいなかったのか?」
「いえ…あの…」
「出会いがないのなら、私達が紹介してもいい」
領主は「だが」と続ける。
「お前が言うのだから、まぁ、そういったのは望まないんだろうね」
その言葉には暗く、冷たい気持ちにさせるようなものはなかった。
それどころか、とても温かなものを感じ、若領主はおずおずと顔を上げる。
「なんだ…そんなに驚いた顔をして」
「だって、それは…私が言ったのはつまり…」
口ごもる若領主に、領主は「あのね」と半ばため息をつく。
「私はお前の母ほどではないにせよ、お前をよく知っているつもりだ。小さい頃から私達に何か話をするときは、自分の中で散々考えをまとめてから話すのがお前だろう。ましてやこんな話だ、違うのか?」
「違いません…けど…」
「そうだろう、お前の心はそうやってすでに決まっている。私達が何か言ったところでどうなるものでもないんだ。『そうか』と言う他ないな」
領主が隣に座る夫人に目をやると、夫人は落ち着いた様子で「分かっているわね?」と問いかける。
「夫人を迎えないと、領主としても大変なのよ。覚悟はできているの?」
「…はい」
「…そう。ではその次の領主をどうするかも考えておかなくてはね」
領主と夫人はすでにその先を見据えているようだ。
5つの地域の若領主達の中には婚約をしている者もいるが、全員が未だ未婚で、その次の世代となる子供達が産まれるのはまだまだ先のことになるだろう。
大体の年齢を揃えるように次の若領主が選ばれるため、この場合、次の世代をどのように定めるかをよく吟味する必要がある。
「なんだ、そんなに難しく考えなくったっていいんじゃないの」
それまでじっと話を聞いていた妹が声を上げたことで、他3人から視線が注がれる。
領主は「全く、何を言い出すかと思えば…」と呆れたように言う。
「次の世代を定めるというのはそんなに単純な話じゃないんだ。だから…」
「だから、私の子供達をお兄様の養子にしたらいいんじゃないの?」
あまりにもあっけらかんと言い放つ妹に、夫人は咎めるような視線を送る。
「あのね、その子の人生を決めることでもあるのよ。そんな簡単に養子にすれば良いだのというものでもないでしょう」
「すみません…」
「だいたいね、まずあなたにも相手がいなくちゃならないでしょう。まだ若領主達は若いのだし、そう急ぐこともな…」
「でも…もう、いるもの」
夫人の言葉を遮るように呟かれたその一言に、(場が凍りつくとはこのことか)と若領主は思った。
その場にいる誰もが、うつむいて口を尖らせている妹から目を離せずにいる。
「は、はは…やだ、この子ったら主語がないんだもの。…『なにが』『もう』いるんですって…?」
夫人のこれほど緊張した声音は聞いたことがない。
全員が固唾をのむ中、妹は「…相手が」と小さな声で答えた。
「そ、そうよね!そうよ、お相手がね!えぇ、そうよ、そうよね…」
「…誰だ」
胸を撫で下ろすかのように何度も「そうよね…」と言う夫人に対し、今度は領主が硬い声音で「誰なんだ」と尋ねる。
「誰って…図書塔で司書をなさってる真面目な方よ。お父様もお母様もきっと気に入るわ、あの、交際を認めていただけない?」
領主は一度寂しそうな表情を見せたが、妹から相手の名前を聞くと、「なんだと!?」と態度を一変させた。
「今、誰だと言った?だめだ、よりによってそんな…絶対に認められない!」
「どうしてそんなことを言うの…お父様が彼の何を知っているの?」
「『彼』!?私はその『彼』の父親をよく知っている!とにかく、認めることはできない」
「どうしてよ…そんなの、私だって納得がいかない!」
初めはまだおとなしい言い争いだったものの、すでに誰も手がつけられないほど白熱してしまっている。
さらに間の悪いことに、屋敷に「本を届けにやってきた」と来客があった。
「お嬢様にこちらの本をお届けするようにと申しつかっておりまして…」
玄関の方から聞こえてくるその声に妹が反応すると、領主はすぐさま「ここへ連れてきなさい」と自らの侍従に言う。
それはまさに今、領主と妹が言い争っている中心人物である『妹の相手』だった。
「君、私の娘と交際しているそうだな」
「ご領主…な、なぜそれを…」
「ごめんなさい、流れでつい言ってしまったのよ…」
「そんな…改めてきちんと挨拶に伺うって話だったじゃないか…!」
「なんだ、私の娘に文句でもあるのか?」
「い、いえ、そうではなく!あの、きちんとご挨拶に伺おうと…」
若領主の話はもうどこかへ行ってしまっている。
「彼はこんなに礼儀正しくて素敵じゃない!」「礼儀正しいだけではだめだ!」とお互いに引かず言い争っている領主と妹、さらにその板挟みになっている妹の交際相手という3人に割り込むことなどできるはずもなく、所在に困った若領主は夫人に(どうしたものでしょうか…)という視線を向けた。
夫人は端座したまましばらくじっとしていたが、若領主の侍従に目配せをし(ここはいいから、とりあえず屋敷に帰りなさい)と伝えてくる。
「…若領主、そろそろお屋敷で記録をまとめませんと」
「あぁ、そうだな…」
「父上、母上、失礼いたします…」と声をかけるも、もはや領主達の耳には届いていないようだ。
夫人とそれぞれの侍従や侍女だけが若領主に礼を返し、若領主は混沌に満ちた工芸地域の屋敷をあとにした。
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