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第二部
16「蕾」
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「この冬は飼料がどうにも足りなくなりそうだったが、なんとか持ちこたえたな」
「そうですね」
秋に蓄えておいた牧草が少し傷んでしまったこともあり、若領主は飼料の管理という調整の難しい課題をこなしていた。
だが、それもようやく暖かさを増した季節を迎えたことで事なきを得たようだ。
この冬、若領主は彼を避けることを止めていた。
飼料の手配のため、動物達の頭数管理のため、建物や施設の見回りのため…若領主は酪農地域の区画内を巡る度、1日に1度は彼と顔を合わせ、もしくは彼の姿を遠目にでも見るという生活を送った。
彼は主に外傷を負った人への処置を担当していて、普段は自らが処置をした人の経過を見て回ったり、薬を届けたりしているようだ。
お互いの仕事の合間を縫っては2人で他愛もない話をする。
たったそれだけのことが どれだけ忙しいときだったとしても心に大きな安らぎをもたらした。
そして、昼食を共にしていたときと比べてずっと親しくなれたように思えたこと、それがなによりも若領主は嬉しかった。
「若領主。申し訳ございませんが、私は馬のところへ寄っていかなければなりませんので、先にお屋敷へ戻っていてください」
「うん、分かった。ではまた後で」
「はい」
若領主は侍従と別れ、春を迎えて美しい花を咲かせ始めた木々の道を歩いた。
花はまだ咲き始めたばかりで香りもそう強くないが、今にむせ返るほどの花香に辺り一帯が包まれることだろう。
(あ、あれは…)
道の途中、1本の木をなにやら険しい表情で見上げる人がいる。
「そんな顔をして、どうしたんだ?」
「わ、若!」
その人は一瞬のうちに険しかった表情を驚きに変えて若領主を見る。
「その木がどうかした?」
「あ、いえ、蕾がよく膨らんでいるなと思いまして」
「蕾?」
若領主も彼の隣に立ち、同じように木を見上げた。
たしかに、今にも花開きそうな蕾があちこちについている。
「義姉が香料になるのだと言っていたので…後で採っていってあげようかと思ってみていました」
「後で?今採っていくのではだめなのか?」
「咲く前の蕾でないとだめなんだそうです。僕のこの背で届くところのはもう咲いてしまっていますから、後ではしごでも持って来ようかと…わっ!」
若領主は彼の足元をしっかりと抱え込むと、そのまま彼を抱き上げるようにして蕾の近くまで高く上げた。
「これで届くか?」
「わ、若!こ、こんなこと若にしていただくわけには…!」
「いいから。ほら、せっかく私がこうしているのに、採らないのか?」
彼は少しの戸惑いの後、若領主の肩から手を離して蕾を丁寧に採り始めた。
「ほら、そっちの方のも」
若領主は彼が蕾を採りやすいように少し移動してやる。
しっかりと抱え込んだ彼の足はやはり細く、体重もこのままいくらでも抱えあげていられると思えるほどの、成人男性とは思えない重さだ。
「あ、あの、もう大丈夫…です…」
「うん。降ろすから、気をつけて」
そっと地面に降ろすと、彼はたるませた服に摘み入れた沢山の蕾に手をやりながら「ありがとうございます」と呟いた。
彼の細い指先は蕾を摘み取っていたことで少し汚れている。
若領主はそんな彼の手をとると、香りを嗅ぐように鼻を近付けた。
その指先からは摘み取った蕾よりも良い香りがしている。
「うん…良い香りだ。落とさないように気をつけて」
「は、はい…」と小さく返事をした彼を後に、若領主は屋敷へと再び歩き始めた。
この生活も悪くはなかった。
彼への想いを自覚した当初は、返してもらえる当てのない想いを抱き続けることに悲観したものだったが、最近になり、時折こうして彼と言葉を交わせるだけでも十分ではないかと思えてきたのだ。
そもそも、普通の男女だったとしても、それが想い合えるかどうかは全くの別問題でもある。
その内彼が誰かと婚姻したと聞けば辛くもなるだろうが、彼が幸せな家庭を築けるのであればそれも悪くないだろう。
(しかしね、問題は私自身のことだ。こんな想いを持ったまま夫人を迎えるのはその人に申し訳ないし、なにより私もその気になれない。だとすると生涯未婚を選択する他ないわけだが…歴代のご領主にはそんな人はいなかったのだろうか?色んな人がいるんだし、中には色々な事情から未婚の人だっていたのでは?)
若領主はその日の夜、侍従が自宅へ帰っていった後で記録室から歴代領主に関する本をあれこれと持ち出して目を通すことにした。
いつもは侍従が主にこの記録室から本や書類を持ち出してくるため、若領主がここへ立ち入ったのはほとんど初めてだ。
棚には何度も目を通した領主文字に関する本や様々な事柄への対処が記された記録書があったが、さらに奥の方には物語の書かれた本もあった。
動物に関する本や酪農地域に自生している植物をまとめた本もある。
記録室も屋敷の他の部屋と同様に定期的に清掃が行われているため、埃を被っているわけではない。
しかし、そのうちの1冊を開いてみると、何年も触れられていなかったせいもあってか傷みが酷かった。
若領主はそれらを目にしつつ、彼が以前「文字が好きだ」と言っていたことを思い出す。
(彼がまだ見たことのない文字もこの中にあるかもしれないな…傷みも酷いし、そのうち補修をしてやらないといけない。今度彼に見せてあげる機会があればいいんだけど)
本を棚に戻すと、若領主は歴代領主の記録書を手に執務室へ戻っていった。
記録書を隅々まで読んでみると、多くはないが未婚だった領主も過去にいたことが分かる。
胸を撫で下ろすと同時に、別の懸念が頭をよぎった。
(未婚でいたいと言ったら…父上と母上は何と仰るかな。怒るだろうか、悲しむだろうか…)
若領主は記録書を閉じてため息をつく。
(すくなくとも、僕に落胆は…するだろうな…)
「そうですね」
秋に蓄えておいた牧草が少し傷んでしまったこともあり、若領主は飼料の管理という調整の難しい課題をこなしていた。
だが、それもようやく暖かさを増した季節を迎えたことで事なきを得たようだ。
この冬、若領主は彼を避けることを止めていた。
飼料の手配のため、動物達の頭数管理のため、建物や施設の見回りのため…若領主は酪農地域の区画内を巡る度、1日に1度は彼と顔を合わせ、もしくは彼の姿を遠目にでも見るという生活を送った。
彼は主に外傷を負った人への処置を担当していて、普段は自らが処置をした人の経過を見て回ったり、薬を届けたりしているようだ。
お互いの仕事の合間を縫っては2人で他愛もない話をする。
たったそれだけのことが どれだけ忙しいときだったとしても心に大きな安らぎをもたらした。
そして、昼食を共にしていたときと比べてずっと親しくなれたように思えたこと、それがなによりも若領主は嬉しかった。
「若領主。申し訳ございませんが、私は馬のところへ寄っていかなければなりませんので、先にお屋敷へ戻っていてください」
「うん、分かった。ではまた後で」
「はい」
若領主は侍従と別れ、春を迎えて美しい花を咲かせ始めた木々の道を歩いた。
花はまだ咲き始めたばかりで香りもそう強くないが、今にむせ返るほどの花香に辺り一帯が包まれることだろう。
(あ、あれは…)
道の途中、1本の木をなにやら険しい表情で見上げる人がいる。
「そんな顔をして、どうしたんだ?」
「わ、若!」
その人は一瞬のうちに険しかった表情を驚きに変えて若領主を見る。
「その木がどうかした?」
「あ、いえ、蕾がよく膨らんでいるなと思いまして」
「蕾?」
若領主も彼の隣に立ち、同じように木を見上げた。
たしかに、今にも花開きそうな蕾があちこちについている。
「義姉が香料になるのだと言っていたので…後で採っていってあげようかと思ってみていました」
「後で?今採っていくのではだめなのか?」
「咲く前の蕾でないとだめなんだそうです。僕のこの背で届くところのはもう咲いてしまっていますから、後ではしごでも持って来ようかと…わっ!」
若領主は彼の足元をしっかりと抱え込むと、そのまま彼を抱き上げるようにして蕾の近くまで高く上げた。
「これで届くか?」
「わ、若!こ、こんなこと若にしていただくわけには…!」
「いいから。ほら、せっかく私がこうしているのに、採らないのか?」
彼は少しの戸惑いの後、若領主の肩から手を離して蕾を丁寧に採り始めた。
「ほら、そっちの方のも」
若領主は彼が蕾を採りやすいように少し移動してやる。
しっかりと抱え込んだ彼の足はやはり細く、体重もこのままいくらでも抱えあげていられると思えるほどの、成人男性とは思えない重さだ。
「あ、あの、もう大丈夫…です…」
「うん。降ろすから、気をつけて」
そっと地面に降ろすと、彼はたるませた服に摘み入れた沢山の蕾に手をやりながら「ありがとうございます」と呟いた。
彼の細い指先は蕾を摘み取っていたことで少し汚れている。
若領主はそんな彼の手をとると、香りを嗅ぐように鼻を近付けた。
その指先からは摘み取った蕾よりも良い香りがしている。
「うん…良い香りだ。落とさないように気をつけて」
「は、はい…」と小さく返事をした彼を後に、若領主は屋敷へと再び歩き始めた。
この生活も悪くはなかった。
彼への想いを自覚した当初は、返してもらえる当てのない想いを抱き続けることに悲観したものだったが、最近になり、時折こうして彼と言葉を交わせるだけでも十分ではないかと思えてきたのだ。
そもそも、普通の男女だったとしても、それが想い合えるかどうかは全くの別問題でもある。
その内彼が誰かと婚姻したと聞けば辛くもなるだろうが、彼が幸せな家庭を築けるのであればそれも悪くないだろう。
(しかしね、問題は私自身のことだ。こんな想いを持ったまま夫人を迎えるのはその人に申し訳ないし、なにより私もその気になれない。だとすると生涯未婚を選択する他ないわけだが…歴代のご領主にはそんな人はいなかったのだろうか?色んな人がいるんだし、中には色々な事情から未婚の人だっていたのでは?)
若領主はその日の夜、侍従が自宅へ帰っていった後で記録室から歴代領主に関する本をあれこれと持ち出して目を通すことにした。
いつもは侍従が主にこの記録室から本や書類を持ち出してくるため、若領主がここへ立ち入ったのはほとんど初めてだ。
棚には何度も目を通した領主文字に関する本や様々な事柄への対処が記された記録書があったが、さらに奥の方には物語の書かれた本もあった。
動物に関する本や酪農地域に自生している植物をまとめた本もある。
記録室も屋敷の他の部屋と同様に定期的に清掃が行われているため、埃を被っているわけではない。
しかし、そのうちの1冊を開いてみると、何年も触れられていなかったせいもあってか傷みが酷かった。
若領主はそれらを目にしつつ、彼が以前「文字が好きだ」と言っていたことを思い出す。
(彼がまだ見たことのない文字もこの中にあるかもしれないな…傷みも酷いし、そのうち補修をしてやらないといけない。今度彼に見せてあげる機会があればいいんだけど)
本を棚に戻すと、若領主は歴代領主の記録書を手に執務室へ戻っていった。
記録書を隅々まで読んでみると、多くはないが未婚だった領主も過去にいたことが分かる。
胸を撫で下ろすと同時に、別の懸念が頭をよぎった。
(未婚でいたいと言ったら…父上と母上は何と仰るかな。怒るだろうか、悲しむだろうか…)
若領主は記録書を閉じてため息をつく。
(すくなくとも、僕に落胆は…するだろうな…)
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蓬屋のBLに興味をもって下さった方へ…ぜひ他作品の方も併せてご覧下さい。【以下、蓬屋のBL作品紹介】《陸国が舞台の作品》: ・スパダリ攻め×不遇受け『熊の魚(オメガバース編有)』 ・クール(?)攻め×美人受け『彼と姫と(オメガバース編有)』 ・陸国の司書×特別体質受け『図書塔の2人(今後オメガバース編の予定有)』 ・神の側仕え×陸国の神『牧草地の白馬(多数カップル有)』 《現代が舞台の作品》:・元ゲイビ男優×フリーランス税理士『悠久の城(リバあり)』 それぞれの甘々カップル達をよろしくお願いします★
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