酪農地域にて

蓬屋 月餅

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第二部

15「秋」

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 今年も牧草刈りが行われる。
 若領主は昨年に引き続き2回目となる参加をするべく、集まっている人々の元へと向かっていた。

「あっ!『ぎれいのまい』をしてたおにいちゃんだ!」
「ちょっと、この子ったら!…すみません、若領主」
「いや、構わないよ。やぁ、私の舞を見てくれたんだね」

 若領主は先日行われた今年の秋の儀礼でも舞を披露していて、この小さな男の子はその姿をよく覚えていたようだ。
 「かっこよかった!」としきりに言う男の子に、若領主は微笑みながら「ありがとう」と声をかけた。


「それじゃあ、それぞれの区画に向かって下さい。今年もいい牧草刈りにしましょう」

 若領主は集まった人々を領主が決めた区画に割り振って号令をかけると、自らも決められた区画で牧草を刈りはじめた。
 牧草を刈りながら、若領主は秋の儀礼で舞を舞ったときに見た彼の姿を思い出す。
 少し端の方ではあったが、最前列で祈るような眼差しをしていた彼の姿に、若領主も身を引き締めて舞った。

(今日の彼の担当はここの区画じゃなかったな。…まぁ、その方があれこれと気にすることがなくて楽ではあるけれど、残念と思わないこともないというか…うん)

 そうして考えながら刈っていたせいか、若領主は知らないうちに周りよりもいくらか早く刈り進めていたようだ。
 動き続けて大分暑さを感じてきたこともあり、今刈った分を積み上げたら少し休息をとろうと牧草の束に手を伸ばしたその時、若領主は指先に鋭い痛みを感じた。
 見ると指先がかすかに赤く、じんじんとしている。
 どうやらその辺りにいた虫に刺されたようだ。

(誰かに診てもらうか。…その前に川で傷口を流してからにしよう)

 若領主は同じ区画で作業をしている人々に虫がいたことや休息をとる旨を告げ、川へと向かった。
 侍従も同じ区画にいるはずだが、入れ違いになってしまったのか会うことはなかった。
 虫に刺された指先は少しずつ痛みを増していく。

(とりあえず、早く川で冷やして…医者のところへ行かないと)

 ようやく小川の1本が見えてきたとき、ちょうど立ち上がる人影があった。

「なんだ、どうして君がここに?」
「あっ、若領主!」

 それは彼だった。
 小川の水を飲んでいて濡れた両手と口元を拭って彼は若領主に近づいてくる。

「僕、あっちの区画担当なんですけど、色々と資材が足りなくなりそうだということで今から取りに行くところなんです。この小川を渡って行ったほうが近道ですし、ついでに少し水を…」

 彼は「若領主もお水を飲みにいらしたんですか?」と尋ねた。

「あ…それもあるけど、虫に刺されてしまって。まずは川で冷やそうかと」

 若領主はいつの間にかズキズキとした痛みに変わった指先を彼に見せた。
 すると彼は途端に表情を強張らせ、若領主の手を川の水に晒しながら「いつ刺されましたか」と尋ねる。

「うーん、少し前かな。…っ!」

 彼は水に浸かった若領主の指先から血を絞り出すように何度も力を込める。
 あまりの痛みに若領主が眉をひそめていると、彼は川の水で口を濯ぎ、「失礼します」と若領主の指先を口に含んだ。

「君…な、なにを…」

 彼は傷口から血を吸い出し、吐き捨てると再び指を口に含む。
 先程よりも痛みは少ないが、より多くの血を出せているようだ。
 ズキズキとした痛みは次第に薄らぎ、代わりに別の思いが込み上げてくる。

 熱を持った指先を彼の舌が撫で、軽く食むように歯が当たる。
 目を伏せながら自らの指先に吸い付いている彼を見ているだけでもあらぬ『欲』が湧き上がってくるというのに、その上指先から伝わる感覚がその『欲』を抑えきれないものにする。

「早く毒を出さなきゃいけないのに、だめじゃないですか!応急処置用の薬なら持ってますから、とりあえずそれで処置します。川の水でまたよく流してください、他には体調が悪いだとかはありませんか?」
「あ、あぁ…うん…」

 若領主は言われるがままに指先を冷たい川へと浸し、その冷たさに意識を集中させる。
 彼は腰に付けていた小さな箱から細い包帯と薬を取り出すと、再び若領主の指先を手に取った。

「大方の毒は出せたと思います。この薬もよく効きはするんですが…兄はもっといいのを持っているはずなので、すぐに届けます」

 彼は指先に包帯を巻きながら「兄さん、まだ帰ってないといいんだけど…」と呟く。

「とにかく、今日はもう力仕事などはしないでくださいよ!具合が悪くなったりしたら、すぐ医者に診せてください!」

 「では、お先に失礼します!」と言い、彼は走り去っていった。
 指先のかすかな痛みの他に具合の悪いところはない。
 しかし、若領主は立ち上がれなかった。
 立ち上がるべきではなかったのだ。
 一度湧き上がった『欲』はそう簡単に治まりそうもなく、若領主は包帯のまかれていない方の手で何度も冷たい川の水を掬い上げては額に、首に、頬に、とかけて熱と『欲』とを鎮めようとした。


「若領主!どこへいらしてたんですか、今探しに行こうと…」

 若領主が自らを落ち着かせて担当の区画に戻ると、すぐさま侍従がやってきた。

「あ、いや少しね…何かあったか」
「この薬、あの彼が若領主にお渡しするようにと持ってきましたよ。虫に刺されたんですよね?あまりにもいらっしゃるのが遅いので、どこかで体調を崩されているのではないかと…」
「いや!大丈夫だ、うん。少しね、頭を冷やしていただけだから…」

 侍従は若領主の挙動がどこかおかしいように感じて訝しがったが、すぐに続けて報告をする。

「今年は虫が多く、どの区画でも刺された者が数名いるそうです。彼もその対処をするのに忙しくなって、この薬を私に託していきました」
「対処!?対処ってどんな…一体何を…」

 若領主は今さっき彼がしていた『対処』を思い出して思わず声をあげる。

「…ですから虫除けの薬草を焚くんです。この区画もその支度ができるまですこし休息をということで。どうかされましたか」
「いや、そうか…うん、なんでもないよ…」

(てっきり『あれ』を他の人にもしているのかと…思ってしまって…)

 結局、虫に刺された者は安静にせよ、という医師達の指導により、若領主の分は侍従が牧草刈りを進め、若領主は怪我人などの記録を取った。


 その日の夜、小屋へ戻った若領主は昼の出来事を思い出していた。
 指先はまだ少し痛みがあるものの、新しく届けられていた薬を塗ったことで更に良くなってきているようだ。
 彼が巻いてくれた包帯をなんとなく大切に持っておきたくなった若領主は、それを綺麗に洗って小屋の窓際に干した。

 昨年の秋に儀礼具で切り傷を作ってしまったときも彼が包帯を巻いて手当をしてくれたが、今回はそれとは違う。
 あのときとは違い、若領主は彼に想いを寄せていて、その上指先に感じた彼の温もりが再びあらぬ『欲』を掻き立てる。
 いくら「紳士的ではない」と自らを御しても、ここには冷たい水もなければ人目もない。
 包帯を巻いた指先を自らの唇に触れさせると、彼の舌が指先を撫でたあの感覚がより鮮明になる。
 ついに『欲』を抑えきれなくなった若領主は自らのものに手を重ねた。
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