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第二部
14「狩り」
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季節が過ぎていくのはあっという間のことだ。
ようやく家畜通路の補修が終わったというところで、今年も秋の儀礼の準備に取り掛からなければならなくなっていた。
すでに一通り経験していたこともあり、舞の稽古のための時間を充分に確保したまま他の仕事もこなせるようになっていた若領主は、農業地域からの要請に目を留める。
「狩り…か」
それは農業地域全域で作物が実り始めたこの時期に毎年やってくる要請だった。
穀物を狙う鳥類や、冬の間の保存食とするための野菜を狙う野生動物への対処は、手懐けた猛禽類や猟犬を扱う酪農地域の仕事であり、今年もそれらの要請がされたのだ。
「去年までは忙しくてそれどころじゃなかったなぁ…今年は見学に行かせてもらおうか」
「…若領主」
「うん?」
侍従はなにか言いたげにしていたが、そのうち「いえ、なんでもございません」といつものように恭しい態度を取った。
数日後、領主の許可を得た若領主は係の者達と共に農業地域へと向かい、実際に酪農地域の鳥や猟犬達が活躍する様子を目の当たりにした。
人間と動物の間に深い信頼関係が築けているからこその連携は実に見事で、畑を荒らしにやってきた野生動物を追い立てたり、時には仕留めたりと鮮やかな動きを見せる。
「若領主、この辺りには罠を仕掛けておきます。私達はまた明日か明後日頃に見に来るんですが、若領主もいらっしゃいますか?」
「そうだね…同行してもいいかな?」
「えぇ、もちろんですよ。罠にかかっていたら農業地域の人達と一緒に捌いて食べます。若領主にも1度は召し上がっていただきたいですね」
「捌いて…毎年そうなのか?」
猟師の1人は「えぇ」と頷く。
「野生動物の肉ってのは運んでる間にも どんどん食いづらくなるもんで。すぐに捌かねぇとダメなんですよ」
「あいつらもね、生きるためにやってることであって、人間を困らせようって訳じゃないから。農業地域の人らも『そういう気持ち』を込めて大切に食うんです」
若領主は猟師達がただ野生動物を狩るのではなく、その命を精一杯大切に扱おうという心に触れた。
そして、野生動物達を狩らずにいれば数の増え過ぎに繋がり、冬の間に飢える個体が出ることもあるのだと教えられる。
酪農地域にいる野生動物とは違うことも、酪農地域にいたままでは知り得なかっただろう。
「若領主、それではまた後日」
「あぁ、今日はありがとう」
「いえいえ、とんでもねぇです」
猟師達と別れて酪農地域へ入ろうとしたとき、若領主は微かに彼の声を聴いた。
若領主はすぐさま侍従に「そうだ」と声をかける。
「この子の蹄鉄がそろそろ交換だと聞いていたんだ。見てもらいに連れて行こう、君はどうする?」
「…そうですね、私も同行します」
「うん、じゃあ工房まで行こうか」
若領主は馬の方向を変え、鉱業地域との境目にある馬の装蹄のための工房へと向かった。
「あぁ…今日も疲れたな」
若領主が1日の仕事を終え、執務室から小屋へ向かう支度をしていると、侍従は「…若領主」とためらいがちに声を掛けた。
侍従が珍しい雰囲気を纏っていることに気付いた若領主は「なんだ、どうしたんだ?」と驚きながら尋ねる。
「…若領主、差し出がましいと重々承知しておりますが」
「なんだ?」
「いつまでそのように避けるおつもりですか」
若領主は自らの体が強張るのを感じたが、わざとらしく「うん?なんのことだ?」と声を上げて知らないふりをした。
「彼の、あの医者の彼のことですよ。私はずっと若領主のお側にいるんですよ、本当に気付かないとでもお思いなのでしょうか」
「いや…何を言い出すかと思えば。君は一体何の話を?」
「そのように仰るのでしたら構いませんよ、若領主がそうなさりたいのでしたら。しかし、避けても断ち切れないものはあるのではありませんか」
どうやら侍従は本当に若領主が抱く彼への想いに気付いていたようだ。
誰にも悟られまいとしていたため、まさかこんな話をすることがあるとは思ってもみなかった若領主は、再び否定するべきだろうかとさんざん考えた挙げ句「…君には分からないだろうね」と口にした。
「普通に愛して、普通に婚姻をしているんだから。私は少し羨ましく思っているのかもしれない、ただ『普通』でいられる君のことが」
若領主には自らが自嘲じみた事を言っていると分かっていても、もう止められなかった。
必死に想いを消そうと、忘れてしまおうとしていたにもかかわらず焚きつけられるようなことを言われたからなのか、もしくは侍従がいわゆる『普通』だからなのか。
おそらくそのどちらもあるだろう。
「…えぇ、私には分かりませんね。抱いている想いを伝えずにいられることが」
「なに…それは君が『普通』だからだよ。もうそれ以上勝手なことを言わないでくれ」
若領主が居ても立っても居られなくなり小屋へ向かおうと隠し扉を開くと、侍従はその背中に「では1つだけ言わせていただきます」と投げかけた。
「私は妻を、女性だから愛した訳ではありません」
若領主は振り返らず、小屋までほとんど走るようにして向かった。
心はひどく乱れている。
想いを寄せていることを知られていたという羞恥。
秘めていたものを顕にされた怒り。
『普通』ではいられなかった自分への失望。
そして、忘れようと散々努力していたにもかかわらず、結局抱き続けて手放せそうにないほどの恋しさ。
小屋で寝具に包まっていても、一向に眠れそうにない。
ただ1つ、侍従のあの言葉が何度も頭をよぎっていた。
(「私は妻を、女性だから愛した訳ではありません」)
罠を仕掛けて数日、若領主は再び猟師達について農業地域を訪れていた。
猟師達の言っていた通り、罠には大きな野生動物がかかっていて、今日の昼食はこの野生動物の肉を使った料理を農業地域の人々と共に食べることになった。
「やぁ!本当に来てたんだ!」
若領主が声の方を振り返ると、そこには農業地域の若領主となった友人がいた。
この友人は若領主よりも少し年下で、若領主のことをまるで実の兄かのように慕っている。
「うん、狩りの見学にね。会うのは随分と久しぶりだな、元気にしていたかな?」
「いや、まぁ元気…うん。大変だよ、毎日毎日さ」
この友人は誰かに話を聞いてもらいたかったのだろう。
農業地域の領主文字が未だに満足に書けないこと、記録や帳簿の書き方について領主から何度も書き直しを命じられること、日々腕が痛むまで机に向かう毎日を送っていること…。
一寸の間もなく話し続ける友人に、若領主は慰めるように肩へ手を置く。
「君はここへ来て大丈夫なのかな?」
「だ、大丈夫だよ!ちゃんとお許しをもらってきたんだ。僕は秋の儀礼の舞がとても良いと褒められているから、そのご褒美にって」
「それでも随分頼み込んだけどね…」と友人は目を逸らした。
この友人は小さい体格をしているのだが、前に鉱業地域の若領主から聞いた話では儀礼具の鎌の大きさは変えておらず、自らの身長よりも大きいほどだそうだ。
扱いやすいように少しは小さくしろと何度言っても「一生物の儀礼具なのだから、将来身長が伸びたときのために大きいままで」と譲らなかったと聞き、そのらしさ溢れる答えに若領主は苦笑いを浮かべたことを思い出す。
しかし、きちんと舞えるのかという周囲の心配をかき消してしまうほど器用に鎌を扱って舞う姿は、体格を感じさせないほど力強く、優雅で、非常に素晴らしいものらしい。
「秋の儀礼か…」
(「あの…とても見事な舞でした」)
不意に思い出した彼の笑顔を振り払うように、若領主は友人と共に昼食の場へと向かった。
「農業地域の若領主なんだし、君は食べたことがあるだろう?どんな味なんだ?」
若領主はまさに今煮込まれている大鍋に目をやりながら尋ねる。
すると友人はバツが悪そうに「知らない」と答えた。
「僕は普段、ずっと屋敷にいるんだってば…食べたことないよ…」
若領主は肩をすくめて「悪かったよ」と言うと、落ち込んだ様子の友人に別な話題を振るべく辺りを見渡した。
卓の準備がされ、大鍋からはいい香りが立ち昇っている。
だが、そういった周りの一切を意識の外にやってしまうほど、若領主は衝撃に包まれた。
集まってきた人の中に彼の姿があったのだ。
見間違いではないだろうか、と信じられない気持ちでいると、彼は若領主の姿を見るなりあの笑顔で軽く礼をした。
「どうしました?」
「いや、知ってる人を…見かけてね」
若領主はそれから気が気ではなかった。
初めて味わう野生動物の肉は臭みもなく美味しいものだったが、それよりも遠くに座る彼の様子が気になって仕方ない。
彼は友人らしき人物と談笑しながら昼食を口にしていて、久しぶりに見たその笑顔はどこも変わっていなかった。
「…何か言いたいことでも?」
「いえ、とんでもございません」
夜、屋敷で1日の仕事を終えた若領主はテキパキと書類を片付けている侍従に向かって「何か言いたげじゃないか…」と呟いた。
侍従も昼食の場にやってきた彼の姿を目撃したはずだ。
「若領主がそんなにお話ししたいのでしたらご希望に添いましょうか」
「いや、そういうわけでは…」
「彼、来てましたね。久しぶりに顔を見れてよかったではありませんか」
突然応じ始めた侍従に若領主がたじろいでいると、侍従は書類を手にしたまま振り向いて続ける。
「先日も申し上げましたが、『誰かを想う気持ち』は避ければ断ち切れるというものではないでしょう。現にこの数ヶ月、若領主がそうだったではありませんか」
「いや…しかし…」
「そもそも、避けようと意識している事自体が彼を意識しているという事に他なりません。恐れながら申し上げますが、もうこんな無意味なことはお止めになるべきでしょう」
侍従の口調は改まってはいるものの、そのハッキリとした物言いはあの少年時代と同じだ。
「いっそ告白してはいかがですか」
「な、できるわけないだろう…君は思い切りが良すぎるよ、そう単純じゃないんだから」
「ではどうなさりたいんですか。忘れることもできず、かといって告白するのでもない。若領主はこの先、どうなさりたいんですか」
自分は一体どうしたらいいのか。
それは今までずっと考えてきたことだ。
若領主は俯きながら重い口を開く。
「私は若領主だし…将来的には夫人を迎えなくてはいけない。だからこの想いはもう…」
「ですから、諦めるにしてもまずは彼に気持ちを伝えてはいかがですかと言っているんです。断られたら気持ちに収まりもつくでしょうし、少なくとも今のままよりは良いでしょう」
「そうはいっても…」
真っ直ぐな性格の侍従とは反対に、若領主は子供の頃から心の内であれこれと思い悩む性格だった。
若領主はどうにも気まずくなり、なんとか話題を逸らせないかと「そもそも!」と声を上げる。
「君は侍従じゃないか!私に夫人を迎えるように言わなくていいのか!?」
「侍従は領主や若領主が仕事を円滑にこなせるよう補佐することが仕事です、私生活に関しては若領主がお決めになるべきでしょう。私共 侍従は夫人がいらっしゃれば夫人の補佐も行いますし、いらっしゃらなければいらっしゃらないでそのように仕事をするまでです」
侍従は表情を1つも変えずに淡々と話す。
どれだけ若領主が反論しても、侍従はこの淡々とした態度を一切崩すことはないだろう。
先日、侍従と話したときは「普通だからだろう」と苛立ちを覚えたものだったが、今は男らしく感じて「私もこういれたら…」と憧れさえ抱く。
「と、とりあえず…まだしばらくはこのままでいるよ…」
「そうですか」
「どちらにせよ、昼食を外で食べる機会はこれから減るんだ。もう冬が近づいてきているし、来年からはもっとご領主から仕事を引き継がなくてはならないし…ご領主にも皆と昼食をとっていただきたいし」
「そうですね」
「うん、だから…うん…」
侍従は再び書類を片付け始めた。
今晩は侍従が家へ帰るため、若領主はこの執務室で休息をとる。
片付けをする侍従がいつも以上にテキパキとしているように見えるのは、家で妻が待っているからなのだろうか、と若領主はぼんやりと考えていた。
「君は…妻を愛していると言っていたけど、もし彼女が、その…男だったらどうしたと思う…?」
「さぁ、分かりませんね。実際、彼女は女性であって男ではありませんから」
「いや、そうだけど…」
「人のどこを見て、どこに惹かれるかというのは人それぞれでしょう。たしかに私は彼女の女性らしい所に魅力を感じますが、それ以上に考え方だとか、人間的な部分で魅力を感じています。そういった考え方に『女性として』経験してきたことが少なからず関係しているでしょうから、彼女が男だったらという仮定では正直なところ なんとも言えませんね」
「ですが」と侍従は続ける。
「もし彼女の全てがそのまま、性だけが変わったのだとしたら、間違いなく愛すでしょうね。今言ったように、私は彼女を『女性だから』愛しているというわけではありませんから。愛した人が『偶然女性だった』というだけです」
「『偶然女性だった』…?」
「そうです。彼女は『偶然女性』で、私は『偶然男』だった。若領主もそうではありませんか?心を寄せた人が女性ではなく、『偶然男性だった』んでしょう」
話しながら片付けをしていた侍従は全てを片付け終えると「では、おやすみなさいませ」と足早に家へと帰っていった。
(『偶然男性だった』…か…)
若領主は目の前の机に視線を落としたまま、しばらくその言葉を心の内で唱えた。
ようやく家畜通路の補修が終わったというところで、今年も秋の儀礼の準備に取り掛からなければならなくなっていた。
すでに一通り経験していたこともあり、舞の稽古のための時間を充分に確保したまま他の仕事もこなせるようになっていた若領主は、農業地域からの要請に目を留める。
「狩り…か」
それは農業地域全域で作物が実り始めたこの時期に毎年やってくる要請だった。
穀物を狙う鳥類や、冬の間の保存食とするための野菜を狙う野生動物への対処は、手懐けた猛禽類や猟犬を扱う酪農地域の仕事であり、今年もそれらの要請がされたのだ。
「去年までは忙しくてそれどころじゃなかったなぁ…今年は見学に行かせてもらおうか」
「…若領主」
「うん?」
侍従はなにか言いたげにしていたが、そのうち「いえ、なんでもございません」といつものように恭しい態度を取った。
数日後、領主の許可を得た若領主は係の者達と共に農業地域へと向かい、実際に酪農地域の鳥や猟犬達が活躍する様子を目の当たりにした。
人間と動物の間に深い信頼関係が築けているからこその連携は実に見事で、畑を荒らしにやってきた野生動物を追い立てたり、時には仕留めたりと鮮やかな動きを見せる。
「若領主、この辺りには罠を仕掛けておきます。私達はまた明日か明後日頃に見に来るんですが、若領主もいらっしゃいますか?」
「そうだね…同行してもいいかな?」
「えぇ、もちろんですよ。罠にかかっていたら農業地域の人達と一緒に捌いて食べます。若領主にも1度は召し上がっていただきたいですね」
「捌いて…毎年そうなのか?」
猟師の1人は「えぇ」と頷く。
「野生動物の肉ってのは運んでる間にも どんどん食いづらくなるもんで。すぐに捌かねぇとダメなんですよ」
「あいつらもね、生きるためにやってることであって、人間を困らせようって訳じゃないから。農業地域の人らも『そういう気持ち』を込めて大切に食うんです」
若領主は猟師達がただ野生動物を狩るのではなく、その命を精一杯大切に扱おうという心に触れた。
そして、野生動物達を狩らずにいれば数の増え過ぎに繋がり、冬の間に飢える個体が出ることもあるのだと教えられる。
酪農地域にいる野生動物とは違うことも、酪農地域にいたままでは知り得なかっただろう。
「若領主、それではまた後日」
「あぁ、今日はありがとう」
「いえいえ、とんでもねぇです」
猟師達と別れて酪農地域へ入ろうとしたとき、若領主は微かに彼の声を聴いた。
若領主はすぐさま侍従に「そうだ」と声をかける。
「この子の蹄鉄がそろそろ交換だと聞いていたんだ。見てもらいに連れて行こう、君はどうする?」
「…そうですね、私も同行します」
「うん、じゃあ工房まで行こうか」
若領主は馬の方向を変え、鉱業地域との境目にある馬の装蹄のための工房へと向かった。
「あぁ…今日も疲れたな」
若領主が1日の仕事を終え、執務室から小屋へ向かう支度をしていると、侍従は「…若領主」とためらいがちに声を掛けた。
侍従が珍しい雰囲気を纏っていることに気付いた若領主は「なんだ、どうしたんだ?」と驚きながら尋ねる。
「…若領主、差し出がましいと重々承知しておりますが」
「なんだ?」
「いつまでそのように避けるおつもりですか」
若領主は自らの体が強張るのを感じたが、わざとらしく「うん?なんのことだ?」と声を上げて知らないふりをした。
「彼の、あの医者の彼のことですよ。私はずっと若領主のお側にいるんですよ、本当に気付かないとでもお思いなのでしょうか」
「いや…何を言い出すかと思えば。君は一体何の話を?」
「そのように仰るのでしたら構いませんよ、若領主がそうなさりたいのでしたら。しかし、避けても断ち切れないものはあるのではありませんか」
どうやら侍従は本当に若領主が抱く彼への想いに気付いていたようだ。
誰にも悟られまいとしていたため、まさかこんな話をすることがあるとは思ってもみなかった若領主は、再び否定するべきだろうかとさんざん考えた挙げ句「…君には分からないだろうね」と口にした。
「普通に愛して、普通に婚姻をしているんだから。私は少し羨ましく思っているのかもしれない、ただ『普通』でいられる君のことが」
若領主には自らが自嘲じみた事を言っていると分かっていても、もう止められなかった。
必死に想いを消そうと、忘れてしまおうとしていたにもかかわらず焚きつけられるようなことを言われたからなのか、もしくは侍従がいわゆる『普通』だからなのか。
おそらくそのどちらもあるだろう。
「…えぇ、私には分かりませんね。抱いている想いを伝えずにいられることが」
「なに…それは君が『普通』だからだよ。もうそれ以上勝手なことを言わないでくれ」
若領主が居ても立っても居られなくなり小屋へ向かおうと隠し扉を開くと、侍従はその背中に「では1つだけ言わせていただきます」と投げかけた。
「私は妻を、女性だから愛した訳ではありません」
若領主は振り返らず、小屋までほとんど走るようにして向かった。
心はひどく乱れている。
想いを寄せていることを知られていたという羞恥。
秘めていたものを顕にされた怒り。
『普通』ではいられなかった自分への失望。
そして、忘れようと散々努力していたにもかかわらず、結局抱き続けて手放せそうにないほどの恋しさ。
小屋で寝具に包まっていても、一向に眠れそうにない。
ただ1つ、侍従のあの言葉が何度も頭をよぎっていた。
(「私は妻を、女性だから愛した訳ではありません」)
罠を仕掛けて数日、若領主は再び猟師達について農業地域を訪れていた。
猟師達の言っていた通り、罠には大きな野生動物がかかっていて、今日の昼食はこの野生動物の肉を使った料理を農業地域の人々と共に食べることになった。
「やぁ!本当に来てたんだ!」
若領主が声の方を振り返ると、そこには農業地域の若領主となった友人がいた。
この友人は若領主よりも少し年下で、若領主のことをまるで実の兄かのように慕っている。
「うん、狩りの見学にね。会うのは随分と久しぶりだな、元気にしていたかな?」
「いや、まぁ元気…うん。大変だよ、毎日毎日さ」
この友人は誰かに話を聞いてもらいたかったのだろう。
農業地域の領主文字が未だに満足に書けないこと、記録や帳簿の書き方について領主から何度も書き直しを命じられること、日々腕が痛むまで机に向かう毎日を送っていること…。
一寸の間もなく話し続ける友人に、若領主は慰めるように肩へ手を置く。
「君はここへ来て大丈夫なのかな?」
「だ、大丈夫だよ!ちゃんとお許しをもらってきたんだ。僕は秋の儀礼の舞がとても良いと褒められているから、そのご褒美にって」
「それでも随分頼み込んだけどね…」と友人は目を逸らした。
この友人は小さい体格をしているのだが、前に鉱業地域の若領主から聞いた話では儀礼具の鎌の大きさは変えておらず、自らの身長よりも大きいほどだそうだ。
扱いやすいように少しは小さくしろと何度言っても「一生物の儀礼具なのだから、将来身長が伸びたときのために大きいままで」と譲らなかったと聞き、そのらしさ溢れる答えに若領主は苦笑いを浮かべたことを思い出す。
しかし、きちんと舞えるのかという周囲の心配をかき消してしまうほど器用に鎌を扱って舞う姿は、体格を感じさせないほど力強く、優雅で、非常に素晴らしいものらしい。
「秋の儀礼か…」
(「あの…とても見事な舞でした」)
不意に思い出した彼の笑顔を振り払うように、若領主は友人と共に昼食の場へと向かった。
「農業地域の若領主なんだし、君は食べたことがあるだろう?どんな味なんだ?」
若領主はまさに今煮込まれている大鍋に目をやりながら尋ねる。
すると友人はバツが悪そうに「知らない」と答えた。
「僕は普段、ずっと屋敷にいるんだってば…食べたことないよ…」
若領主は肩をすくめて「悪かったよ」と言うと、落ち込んだ様子の友人に別な話題を振るべく辺りを見渡した。
卓の準備がされ、大鍋からはいい香りが立ち昇っている。
だが、そういった周りの一切を意識の外にやってしまうほど、若領主は衝撃に包まれた。
集まってきた人の中に彼の姿があったのだ。
見間違いではないだろうか、と信じられない気持ちでいると、彼は若領主の姿を見るなりあの笑顔で軽く礼をした。
「どうしました?」
「いや、知ってる人を…見かけてね」
若領主はそれから気が気ではなかった。
初めて味わう野生動物の肉は臭みもなく美味しいものだったが、それよりも遠くに座る彼の様子が気になって仕方ない。
彼は友人らしき人物と談笑しながら昼食を口にしていて、久しぶりに見たその笑顔はどこも変わっていなかった。
「…何か言いたいことでも?」
「いえ、とんでもございません」
夜、屋敷で1日の仕事を終えた若領主はテキパキと書類を片付けている侍従に向かって「何か言いたげじゃないか…」と呟いた。
侍従も昼食の場にやってきた彼の姿を目撃したはずだ。
「若領主がそんなにお話ししたいのでしたらご希望に添いましょうか」
「いや、そういうわけでは…」
「彼、来てましたね。久しぶりに顔を見れてよかったではありませんか」
突然応じ始めた侍従に若領主がたじろいでいると、侍従は書類を手にしたまま振り向いて続ける。
「先日も申し上げましたが、『誰かを想う気持ち』は避ければ断ち切れるというものではないでしょう。現にこの数ヶ月、若領主がそうだったではありませんか」
「いや…しかし…」
「そもそも、避けようと意識している事自体が彼を意識しているという事に他なりません。恐れながら申し上げますが、もうこんな無意味なことはお止めになるべきでしょう」
侍従の口調は改まってはいるものの、そのハッキリとした物言いはあの少年時代と同じだ。
「いっそ告白してはいかがですか」
「な、できるわけないだろう…君は思い切りが良すぎるよ、そう単純じゃないんだから」
「ではどうなさりたいんですか。忘れることもできず、かといって告白するのでもない。若領主はこの先、どうなさりたいんですか」
自分は一体どうしたらいいのか。
それは今までずっと考えてきたことだ。
若領主は俯きながら重い口を開く。
「私は若領主だし…将来的には夫人を迎えなくてはいけない。だからこの想いはもう…」
「ですから、諦めるにしてもまずは彼に気持ちを伝えてはいかがですかと言っているんです。断られたら気持ちに収まりもつくでしょうし、少なくとも今のままよりは良いでしょう」
「そうはいっても…」
真っ直ぐな性格の侍従とは反対に、若領主は子供の頃から心の内であれこれと思い悩む性格だった。
若領主はどうにも気まずくなり、なんとか話題を逸らせないかと「そもそも!」と声を上げる。
「君は侍従じゃないか!私に夫人を迎えるように言わなくていいのか!?」
「侍従は領主や若領主が仕事を円滑にこなせるよう補佐することが仕事です、私生活に関しては若領主がお決めになるべきでしょう。私共 侍従は夫人がいらっしゃれば夫人の補佐も行いますし、いらっしゃらなければいらっしゃらないでそのように仕事をするまでです」
侍従は表情を1つも変えずに淡々と話す。
どれだけ若領主が反論しても、侍従はこの淡々とした態度を一切崩すことはないだろう。
先日、侍従と話したときは「普通だからだろう」と苛立ちを覚えたものだったが、今は男らしく感じて「私もこういれたら…」と憧れさえ抱く。
「と、とりあえず…まだしばらくはこのままでいるよ…」
「そうですか」
「どちらにせよ、昼食を外で食べる機会はこれから減るんだ。もう冬が近づいてきているし、来年からはもっとご領主から仕事を引き継がなくてはならないし…ご領主にも皆と昼食をとっていただきたいし」
「そうですね」
「うん、だから…うん…」
侍従は再び書類を片付け始めた。
今晩は侍従が家へ帰るため、若領主はこの執務室で休息をとる。
片付けをする侍従がいつも以上にテキパキとしているように見えるのは、家で妻が待っているからなのだろうか、と若領主はぼんやりと考えていた。
「君は…妻を愛していると言っていたけど、もし彼女が、その…男だったらどうしたと思う…?」
「さぁ、分かりませんね。実際、彼女は女性であって男ではありませんから」
「いや、そうだけど…」
「人のどこを見て、どこに惹かれるかというのは人それぞれでしょう。たしかに私は彼女の女性らしい所に魅力を感じますが、それ以上に考え方だとか、人間的な部分で魅力を感じています。そういった考え方に『女性として』経験してきたことが少なからず関係しているでしょうから、彼女が男だったらという仮定では正直なところ なんとも言えませんね」
「ですが」と侍従は続ける。
「もし彼女の全てがそのまま、性だけが変わったのだとしたら、間違いなく愛すでしょうね。今言ったように、私は彼女を『女性だから』愛しているというわけではありませんから。愛した人が『偶然女性だった』というだけです」
「『偶然女性だった』…?」
「そうです。彼女は『偶然女性』で、私は『偶然男』だった。若領主もそうではありませんか?心を寄せた人が女性ではなく、『偶然男性だった』んでしょう」
話しながら片付けをしていた侍従は全てを片付け終えると「では、おやすみなさいませ」と足早に家へと帰っていった。
(『偶然男性だった』…か…)
若領主は目の前の机に視線を落としたまま、しばらくその言葉を心の内で唱えた。
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蓬屋のBLに興味をもって下さった方へ…ぜひ他作品の方も併せてご覧下さい。【以下、蓬屋のBL作品紹介】《陸国が舞台の作品》: ・スパダリ攻め×不遇受け『熊の魚(オメガバース編有)』 ・クール(?)攻め×美人受け『彼と姫と(オメガバース編有)』 ・陸国の司書×特別体質受け『図書塔の2人(今後オメガバース編の予定有)』 ・神の側仕え×陸国の神『牧草地の白馬(多数カップル有)』 《現代が舞台の作品》:・元ゲイビ男優×フリーランス税理士『悠久の城(リバあり)』 それぞれの甘々カップル達をよろしくお願いします★
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