酪農地域にて

蓬屋 月餅

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第二部

13「夫人」

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「まぁ、久しぶりね!元気にしていた?」
「はい、母上」
「随分と忙しくしているようね、今日はまたどうしてここへ?」

 ある日、若領主は工芸地域のすぐ横にある家畜通路の監督を終え、実家でもある工芸地域の屋敷を訪れていた。
 新年の挨拶などに来ることはあっても、平時にここへ寄るのはとても久しぶりのことだ。

「近くまで来たので、父上や母上にご挨拶をと思いまして」
「そう!嬉しいわ。でも、父上は今日ちょうど城へ参内しているし、あの子も図書塔に行っているのよ。きっと寂しがるわね、『お兄様に会いに行こうか』ってよく言ってるもの」
「そうでしたか。…ではまた日を改めて来ることにしましょう」

 母上がお元気そうで良かったです、と若領主が去ろうとすると、夫人は「お待ちなさいよ」と引き留める。

「挨拶に寄ったのなら、少しは時間があるのでしょう?どう?」
「え、えぇ…」
「そうよね?」

 夫人は笑顔を浮かべると、自らの侍女と若領主の侍従に「お菓子を作ってちょうだい」と言った。

「そうね、焼き菓子がいいわ。2人いれば持って帰らせる分と今日のお食後の分と、作れるわよね?」
「はい、夫人。お任せくださいませ」
「えぇ、お願いね」

 「あなたは私の部屋に来てちょうだい」と、夫人は半ば強引に若領主の背を押していく。
 若領主が「は、母上?」と困惑しながら尋ねると、夫人は楽しそうに声を潜めた。

「あの2人も会うのは久しぶりのはずよ。親子の時間を邪魔しちゃ悪いわ、そうでしょう?」

 たしかに、互いに離れた地域で仕えているあの2人がゆっくりと会話をするのはいつぶりのことだろうか。
 夫人の配慮に、若領主も「そうですね」と応えた。

「さぁ、入って!あなたがここに来るのもとっても久しぶりね、小さい頃はよく来ていたものだけど」

 若領主を自らの部屋に招き入れた夫人は、一層明るい声音になっていた。
 若領主は部屋の中央に懐かしいものを見つけ、ふと笑みをこぼす。

「これ…まだお部屋に置いてくださっていたんですか」
「あら、当たり前でしょう。あなたが私のために作ってくれた椅子だもの」

 それは背もたれのない、広い長椅子だった。
 幼い頃、背もたれのある椅子では不便に感じた若領主が自ら考えて作り上げたもので、座面には座り心地を良くするために厚い布地が張られている。
 どの角度からも座ることができるこの椅子は、妹と共によじ登って遊んだり、腰掛けた夫人の膝に頭を載せて寝転がったりといった、数々の思い出があった。

「とても…懐かしいです」
「そうでしょう、もう何年も前だものね」

 若領主は椅子に腰掛けると、座面に手を当て、夫人が「やだ、この花の水やりを忘れていたわ」と窓際に寄っていく音をじっと聞いていた。

「…母上」
「うん?」
「母上は幼い頃の私に…よく『大切にしたい人ができたら素直に気持ちを伝えなさい』と仰いましたよね」

 夫人は水やりをしていた手を止め、じっと耳を傾ける。

「…それができない時は、どうしたらいいのでしょうか」

 若領主は夫人に背を向けるように座っていて、その表情は伺い知れない。
 夫人はその背中に「『素直になれない』ではなく、『できない』のね」と優しく語りかけた。

 夫人には若領主の心に陰りがあることが分かっていた。
 いくらいつも通りに振る舞おうとしていても、それは母である夫人の目には明らかな事で、侍女親子に時間を設けてやりたいという気持ちも もちろんあったが、なによりも2人きりで話を聞いてやりたいという思いがあった。

「相手の方は、あなたの事を大切に想ってはくれないのかしら」
「分かりません、でも…だめだと思います」
「…そう」

 夫人は水をやりながら「あなたは…どうしたいの?」と尋ねた。
 しかし、「私にも分かりません」という答えが返ってくる。

「とても苦しいんです。叶わないなら忘れてしまえばいいんでしょう。でも…もうずっと努力しているのに忘れられそうにないんです」
「その人の事やその気持ちを、忘れてしまいたいの?」

 若領主からの返答はない。
 夫人は若領主と背中合わせになるように椅子に腰掛けると、そっと穏やかな声をかけた。

「私に、何かできることはあるかしら」
「いえ…これは、私自身の問題です。私がどうにかしなくては…」
「…そう」

 夫人は語りかけるように続ける。

「…いい?あなたは1人じゃないわ。私ももちろんそうだけど、なにより『時間』があなたの味方についている。あなたが忘れたいにせよ何にせよ、『時の流れ』はあなたを悪いようにはしないわ」
「…」
「だからね、少しでもここにその苦しさを置いていきなさい。苦しさで胸をいっぱいにしてはだめよ、良いものが入らなくなってしまうから」

 夫人は若領主を後ろから抱きしめる。

「あぁもう、こんなに大きくなって!私の力では足りないわ、もっと鍛えなくちゃだめね…!」
「も、もう充分お強いですよ…」
「いいえ、まだまだ足りないでしょう!」

 渾身の力を込める夫人の腕を、若領主はぽんぽんと軽く叩き、「く、苦しいじゃないですか」と困ったような声を上げた。


「まぁ!本当に良い香り!」
「えぇ夫人!よく焼き上がりましたよ」

 夫人と若領主が調理場へ降りていくとそこには焼き上がったばかりの焼き菓子が沢山並べられていた。
 茶葉や木の実が入れられたものもあり、どれからもとても美味しそうな香りが立ち昇っている。

「若様!この子ったら、若様にお菓子をお作りしたことがないんですって?まったく…仕事の補佐だけではなく、ご休息のためにもお作りしなくてはなりませんのに!」
「あ、いや、彼はそういうのは苦手だと聞いていたから…」
「まさかそんな、苦手なもんですか!こっちのはこの子が作ったんですよ!」

 侍従が作ったという菓子を見てみると、どれもふっくらとよく膨らんでいてとても美味しそうな仕上がりになっている。

「…侍女様、もうお話は結構でしょう」
「本当にこの子はもう…!」
「なんだ、得意なら今度から屋敷でも作ってもらおう」
「わ、若領主…」

 ここまでバツが悪そうにしている侍従を見るのは初めてのことで、若領主は思わず笑みをこぼす。
 すると突然夫人は焼き菓子を1つ つまみ上げ、ぽんっと若領主の口の中へと入れた。

「は、母上!」
「行儀が悪いって?たまにはいいでしょう、焼き菓子は焼き立てが1番なんだから。…でもお父様には内緒よ」
「はい…」

 夫人も自ら選んだ焼き菓子を口にすると、「うん!やっぱり美味しいわね!」と満面の笑みを浮かべる。
 調理場はとても穏やかで、温かな空気に包まれていた。


「では母上、また参ります」
「えぇ。体調には気をつけてね」
「はい。母上も」

 包んだ焼き菓子を手に酪農地域への帰途についた若領主を見送り、夫人と侍女は感慨深く言葉を交わす。

「夫人、ありがとうございました。あの子と一緒に何かをしたのは…本当に久しぶりのことでした」
「いいえ、こちらこそ。…子供達の成長は思っている以上に早いものね」
「えぇ、そうですね」
「…そろそろ夕食の支度をしなくては。先に調理場に行っていてくれる?前掛けを取ってくるから」
「かしこまりました」

 侍女を先に調理場へ行かせた夫人は1人自室に戻ると、扉を後ろ手で閉めてその場に立ち尽くした。
   窓の外からは屋敷のすぐそばにある染料の花畑で遊ぶ子供達の賑やかな声が聞こえてくる。

(あの子があんなに苦しんでいるのに、私にできることは何も…)

 夫人の頬を1つ2つと涙が伝っていく。
 小さい頃から周りに元気と笑顔とを振りまきし、母である夫人にさえも一切弱音を吐くことがなかった若領主。
 そんな若領主が「苦しい」とまで吐露するほどの事柄が一体どういうものなのかは夫人にも知り得なかったが、その苦しさをいくらかでも軽くしてやれるのなら何でもしてやりたかった。

(どうか…あの子の苦しみが早く過ぎていきますように…どうか…)

 茜がかった空を、涼やかな風が通り過ぎていった。
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