酪農地域にて

蓬屋 月餅

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第二部

11「その先」

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「まだ雛達の区画が無事で良かったですね」
「あぁ、本当に…すぐにとはいかないだろうが、卵の流通が元に戻るのも1からよりは早く済むだろう」

 牛や飼料に関する対処は領主が、鶏に関する対処は若領主がそれぞれ手分けをして当たっていたが、ようやくそれらも落ち着きを見せ始め、若領主は少しずつ日常を取り戻しつつあった。

「鶏小屋の補修も終わったし、あちこちの柵も立て直しが済んだんだったな。見廻りに行こう、ちょうど雛達の成育状況も見ないといけないし」
「かしこまりました」

 若領主と侍従はそれぞれの馬に跨がり、広大な牧草地を取り囲む柵を1つずつ見て回った。
 近頃は肌寒く感じる日もなくなり、むしろ陽射しを強く感じることもあるほどだ。
 牧草地もすっかり緑に覆われ、動物達は美味しそうにそれらを食んでいる。

「…うん、とりあえず柵も大丈夫そうだな。直すなら今のうちだから、まとめて取り組んでおいて良かったよ」
「そうですね。これから雨季になりますし、その後は途端に暑くなりますから」
「うん。壊れてからじゃ遅いし」

 前方に中央広場へと続く通りが見えてきたとき、若領主は見慣れた背格好の人物が歩いているのに気が付いた。
 それは正装をした彼だった。

(正装姿を初めて見たな…良く似合っているけど、なぜ正装を?)

 今日は国事もないはずだと若領主が考えていると、侍従は「婚礼ですね」と口を開く。

「婚礼?」
「はい、第5医院のご長男様が農業地域の方とご結婚されるそうで。あれはご両親と弟さんですよね」
「あぁ…少し前に聞いた『調薬師』になったって人か」

 こちらに気付かないまま両親と談笑をしながら歩いていく彼を、若領主はじっと見送った。


(彼のお兄さんか…小さい時から仲が良さそうだったな。そうか、ご結婚されたのか…)

 彼の後ろ姿を見送ってからというもの、若領主は移動しながらすっかり考え込んでいた。

「…君は将来をどう考えているんだ?」
「…はい?」

 唐突に尋ねられた侍従が何事かと訊き返すと、若領主は「あぁ、いや、ほら」と話し始める。

「私達もなんというか…その、『そういう年齢』じゃないか。うん」
「婚姻ですか」
「まぁ、うん…そうだな…」

 侍従とは長い付き合いとはいえ、いや、長い付き合いだからこそ今更こうした話をするのは気恥ずかしく感じ、若領主は口ごもる。
 しかし、そんな若領主に対し、侍従はこともなげに口を開いた。

「考えるも何も、私にはすでに妻がおりますので」

 突然の言葉はあまりにも衝撃的で、若領主はしばらく経ってからようやく「…なんて?」と訊き返した。

「私は既婚ですと申し上げました」

 若領主は絶句した。
 少年時代は不遜な態度を取り続け、成長してからは侍従として片時も離れることなく自らの補佐をしていたこの男が、普段から真面目な態度を崩すことのないこの男が、一体いつ妻を迎えたというのか。
 若領主はとても信じられず、侍従に「嘘だろう」と言わんばかりの目を向ける。

「い、いつ…」
「もう1年半になります」
「相手は…」
「漁業地域のご領主の長女様にお仕えしている侍女です」
「そんな話、1度も聞いてないぞ…」
「互いの身内しか知りませんので。…あぁ、でも妻はどうも長女様に勘付かれているようだと話していました。菓子作りのためだと言っては、よく卵や牛乳の要請をするために酪農地域へ行かされるので」

 たしかに、その侍女の姿は若領主もよく目にしたことがあった。
 しかし、まさかこの侍従の妻だとは思いもしなかったことだ。
 若領主は「そう…だったのか…」と衝撃から抜け出せないまま呟いた。

 翌日、若領主が一息つこうと執務室を出ると、玄関に侍従と話す例の侍女の姿があった。
 そう思って見てみれば、事務的に話をしている2人の間にはどこか親密な雰囲気が漂っているようにも思える。

(あの2人が夫婦…か…)

 不思議な気持ちで見ていると、若領主に気付いた侍従が何やら侍女に耳打ちをし、2人揃ってこちらにやってきた。
 若領主がドギマギとしていると、2人は恭しく「若領主」と礼をする。

「夫からお聞きになったそうですね。ご報告せず、申し訳ございません」
「あぁ、いや…いいんだよ。おめでとう」
「ありがとうございます」

 あくまでも侍従と侍女という態度を崩さない2人に、若領主はバツが悪そうに「こちらこそすまないね」と告げた。

「知らなかったとはいえ、彼をこの屋敷に泊まらせることも多かった。これからはそれもないようにしよう」
「いえ、私共は互いにそういった仕事をしているのです。私も普段はお嬢様のお屋敷で寝泊まりしておりますから、構いません」
「そうです。若領主はお気になさならないでください」

 若領主はどういった経緯で2人が夫婦となったのか知らないままだったが、優秀な侍従と侍女であるこの2人は雰囲気がよく似ていて、お似合いだと思った。


「では若領主、おやすみなさいませ」
「あ…いや、君は家に帰るといいよ。私は小屋には下がらないから」

 夜になり、今日も屋敷へ泊まろうとする侍従にそう声をかけると、侍従はしばらくの間のあとで「お気になさらずと申し上げたではありませんか」と答える。

「妻も今日は屋敷です。私共は互いに合わせて家へ帰っているので、構いません」
「いや、しかしね…」
「明後日は帰らせていただきますから、今日明日は小屋でお休みになってください」

 頑なに譲らない侍従に、若領主は「そこまで言うなら…」とあの隠し扉に手をかけた。
 足を踏み出そうとした時、若領主はふと1つ聞きたくなって侍従の方を振り向く。

「君は…どうしてあの子と婚姻したんだ?」
「…はい?」
「見合いとか…周りから勧めがあったとか」

 侍従は表情を1つも変えずに「彼女を愛しているから、ですが」と答えた。
 普段の彼からは想像もつかないほどあまりに直球な答えのため、若領主は呆気にとられる。

「私が誰かに言われて婚姻を決めるような人間に見えますか。互いを愛しているから結婚したんです」
「随分とはっきり…自信を持っているんだな」
「当然でしょう。私は彼女のことをよく知っていますが、私以上に『そういう気持ち』がなければ婚姻などしない人です」

 「では、おやすみなさいませ」と礼をする侍従に「うん、おやすみ」と声をかけ、若領主は小屋へと帰った。


(愛しているから、ですが)

 静かな小屋の中で、若領主は先程の侍従の言葉を反芻していた。
 あの2人の間には特別で確固たる絆があるのだろう。
 それは恋を超えた『愛』というものの上に築かれているもので…

(私には得られないもの、か…)

 それは、自らの気持ちに気付いてから触れずに来たことだった。

普通であれば想いを伝えて。
普通であれば絆を育てて。
普通であれば愛を知って。
そして、いつか家族になることもあるだろう。

「私は一体…なにを浮かれていたんだろうね…」

 この想いの先には、『普通』に続くはずのその先が無い。
 そもそも彼への想いに気付く前、友人に指摘された時は「彼は男であって、決してそんな気ではない」と自ら一線を引いていたではないか。
 彼がどこか中性的に感じられるからなのか、よく親しげに接してくれていたからなのか、いくら考えてもこの想いの起源は探れそうにない。


(『…だからね、そんな風に思う人に会えたなら、その時は、その人に沢山あなたの心を伝えて、精一杯大切にすること。いい?恥ずかしがって隠していても、心や気持ちは伝わらないから。素直に、素直にね』) 

 幼い頃から何度も聞かされていた言葉が、この沈んだ胸に、さらに重くのしかかる。

(母上…これはとても伝えられるものでは…素直になれるものではありません…)

 若領主はここのところ温かくふかふかとしていた胸の内が、冷たく重いものに変わっていくのを感じた。
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