酪農地域にて

蓬屋 月餅

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第一部

9「初雪」

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 吐息が真っ白になるほど冷え込んだ冬がやってきた。
 まだ雪は降っていないものの、空は厚い雲に覆われていて、今にも雪が降り出しそうに思える。
 酪農地域はこんな寒空の中でも元気な動物達で賑やかだ。

「これは今日、初雪になりそうだな」
「はい、もうじき降り出しそうです。若領主は先に屋敷へ戻っていてください、私はこの帳簿を届けてまいります」
「うん、分かった。すまないね」

 侍従と別れて1人道を歩いていると、本当に雪が降り出しはじめた。
 不思議なことに、雪が降り出すと寒さが和らいだように感じられる。

「初雪か…今年は少し早いな」

 若領主は外套の頭巾をバサバサと払ってから被ると、そのまま雪の中をゆっくりと歩いた。
 雪がもたらすのは良いことばかりではないが、この時期にしか味わえない空気と景色、そして静けさが心地良い。
 動物達が真っ白な雪の中で走り回ったりする姿を見るのも好きだった。
 あの子犬達もきっと雪を見てはしゃぎまわるだろう。

 道を歩いていると、先の方にある東屋の近くの椅子に人影があった。
 外套に包まっているものの、どういうわけか頭巾を被らずにいるその人物はあの彼だ。
 若領主は何かをじっと見つめている彼に近づくと、「こんな寒空に何をしてるんだ?」と声をかけた。

「若領主!」

 驚いて振り向いた彼の目の前には、1つ2つと雪を受け止める黒い布が広げられている。

「屋根もないところで…この布は?」
「あ、僕、雪の結晶を見ようと思って…今日は雪が降りそうだったので、図書塔に行くのを止めてここで待ってたんです」

 ほら、と彼は黒い布の上を指差す。
 見てみると、氷の粒に混じって美しい形の結晶が現れては消え、現れては消えを繰り返していて、たしかに見飽きない。

「本当だ、結晶がよく見えて綺麗だ」
「でしょう?僕、これを小さい頃に本で知って、それから毎年楽しみにしているんです」

 膝の上に置いていた1冊の本を見せながら嬉しそうに言う彼に、若領主は「本が好きなんだな」と微笑んだ。
 彼はいたって真面目な雰囲気をまとっているため、本が好きだとしてなんの不思議もない。

「本、好きです!でもどちらかというと内容よりも字を見るのが好きで…」
「字を?」
「はい、色んな人の書体というか…字の癖を見るのが好きなんです」

 彼は「変でしょう?」と困ったように笑いながらさらに続ける。

「特に好きなものは真似て書いたりもします。字ってその人の個性が出るから面白いんですよ、同じような書体でも少しずつ違っていたりしますし…若領主の領主文字も、素敵だと思います」
「私の領主文字…ご領主のとはやはり違うか…」
「いえいえ!そういう意味じゃないんです、違いますよ!」

 少し落ち込んだ様子を見せる若領主に、彼は慌てて説明する。

「ご領主様方がお書きになる字は歴代受け継がれてきた領主文字ですが、ご領主によって少しずつ、本当に少しずつ違うんです。利き手や筆記具の使い方によるんだと思いますが…よく見ないと分からないほどの僅かな違いですよ、僕はそういうのを見るのが好きなんです」
「そ、そうか…?」
「若領主の領主文字は特に素敵だと思います、本当ですよ!若領主が普段はどんな字をお書きになるのかが気になります、きっとその字も素敵でしょうから」

 必死になっている彼を見ていると、どういうわけか心がほかほかと温まってきて、若領主は「うん、ありがとう」と応える。

「今度、機会があれば見せてあげよう。その代わりに君の字も見せてほしいな、どんな字を書くのかが気になるから」
「は、はい…!」

 再び笑顔を見せた彼の耳は寒さに長く晒されていたためか縁が赤くなっていて、それに気づいた若領主は後ろから彼の両耳に手を当てた。

「うわっ、こんなに冷えているのに、雪が降るのを待っていたのか?」
「わ、若領主…!?あの、はい…初雪…なので…」

 手のひらに当たる冷たさが少し和らいできたのを感じると、若領主は手を離し、そのまま彼の外套の頭巾を視界を遮ることのないように浅く被せた。

「医者の君に言うのもなんだけど、風邪をひかないように」

 「ではね」と言い残し、若領主は再び屋敷へ向かって歩き始めた。
 だが、しばらく行った所で突然今自分が起こした行動とその恥ずかしさに苛まれ、1人頭を抱えこんだ。

(私は…何をやってるんだ!?相手は成人している男じゃないか、なのにあんな風に触れて…しかも後になってからこんなに恥ずかしく思うなんて…!)

 面と向かっている時には普通に行動していたことも、こうして改めて思い返してみれば「どうしてあんなことができたのか」と思えてならない。
 屋敷に戻り、時間が経つとなおさら自らの行動の詳細が思い出されていたたまれない気持ちになる。
 
(違う、あまりにも寒そうに見えたからだ…うん。別にあれが彼でなくても私はあぁしたはず。…したかな?いや、したはずだ。うん、彼でなくても…)

 若領主は自分にそう言い聞かせ、なんとか思い出すのを止めさせた。


 彼と昼食に顔を合わせることがなくなる分、若領主はいくらか『そういったこと』は考えずにいられるだろうと考えていたが、全くそうではなかった。
 牛を、うさぎを、犬を…とにかく動物を見る度に、ことごとく彼を思い出したのだ。

(なんだか似てるな…あ、この黒目の感じが彼に似てるんだな)
(この垂れた耳が彼の前髪みたいだ)
(この人懐っこい感じが彼そっくりじゃないか?)

 その時々ではそう思う程度だったが、どうも頻繁に、何を見てもそう考えてしまっているのだと気付いた若領主はひどく動揺した。

(私は…本気でおかしくなってしまったのか?果たしてこれは友情なのか?どうもそうではない気がする…しかし、友情ではないとしたらこれは…?)

 日々、そう思い悩みながら仕事をしていた若領主だが、ある日、ついにその曖昧な思いにとどめを刺された。
 いつものように動物達の様子を見て回っていると、遠くの方に彼がいるのを見つけたのだ。
 彼もすぐに若領主に気付いて礼をすると、笑顔で小さく手を振ってきた。
 その姿は動物を見る度に思い浮かべていた姿よりもずっと愛らしい。
 思い浮かべる姿というのは結局のところ自身の記憶から作り出した幻影に過ぎず、実際に見る姿はそれとは比べ物にならない。
 あの初雪の日以来、初めて見る彼の姿に若領主は胸の高鳴りを抑えきれず、ついに認めざるを得なかった。

(あぁ、私は…どうやら本当に彼のことが好きらしい)
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