10 / 46
第一部
9「初雪」
しおりを挟む
吐息が真っ白になるほど冷え込んだ冬がやってきた。
まだ雪は降っていないものの、空は厚い雲に覆われていて、今にも雪が降り出しそうに思える。
酪農地域はこんな寒空の中でも元気な動物達で賑やかだ。
「これは今日、初雪になりそうだな」
「はい、もうじき降り出しそうです。若領主は先に屋敷へ戻っていてください、私はこの帳簿を届けてまいります」
「うん、分かった。すまないね」
侍従と別れて1人道を歩いていると、本当に雪が降り出しはじめた。
不思議なことに、雪が降り出すと寒さが和らいだように感じられる。
「初雪か…今年は少し早いな」
若領主は外套の頭巾をバサバサと払ってから被ると、そのまま雪の中をゆっくりと歩いた。
雪がもたらすのは良いことばかりではないが、この時期にしか味わえない空気と景色、そして静けさが心地良い。
動物達が真っ白な雪の中で走り回ったりする姿を見るのも好きだった。
あの子犬達もきっと雪を見てはしゃぎまわるだろう。
道を歩いていると、先の方にある東屋の近くの椅子に人影があった。
外套に包まっているものの、どういうわけか頭巾を被らずにいるその人物はあの彼だ。
若領主は何かをじっと見つめている彼に近づくと、「こんな寒空に何をしてるんだ?」と声をかけた。
「若領主!」
驚いて振り向いた彼の目の前には、1つ2つと雪を受け止める黒い布が広げられている。
「屋根もないところで…この布は?」
「あ、僕、雪の結晶を見ようと思って…今日は雪が降りそうだったので、図書塔に行くのを止めてここで待ってたんです」
ほら、と彼は黒い布の上を指差す。
見てみると、氷の粒に混じって美しい形の結晶が現れては消え、現れては消えを繰り返していて、たしかに見飽きない。
「本当だ、結晶がよく見えて綺麗だ」
「でしょう?僕、これを小さい頃に本で知って、それから毎年楽しみにしているんです」
膝の上に置いていた1冊の本を見せながら嬉しそうに言う彼に、若領主は「本が好きなんだな」と微笑んだ。
彼はいたって真面目な雰囲気をまとっているため、本が好きだとしてなんの不思議もない。
「本、好きです!でもどちらかというと内容よりも字を見るのが好きで…」
「字を?」
「はい、色んな人の書体というか…字の癖を見るのが好きなんです」
彼は「変でしょう?」と困ったように笑いながらさらに続ける。
「特に好きなものは真似て書いたりもします。字ってその人の個性が出るから面白いんですよ、同じような書体でも少しずつ違っていたりしますし…若領主の領主文字も、素敵だと思います」
「私の領主文字…ご領主のとはやはり違うか…」
「いえいえ!そういう意味じゃないんです、違いますよ!」
少し落ち込んだ様子を見せる若領主に、彼は慌てて説明する。
「ご領主様方がお書きになる字は歴代受け継がれてきた領主文字ですが、ご領主によって少しずつ、本当に少しずつ違うんです。利き手や筆記具の使い方によるんだと思いますが…よく見ないと分からないほどの僅かな違いですよ、僕はそういうのを見るのが好きなんです」
「そ、そうか…?」
「若領主の領主文字は特に素敵だと思います、本当ですよ!若領主が普段はどんな字をお書きになるのかが気になります、きっとその字も素敵でしょうから」
必死になっている彼を見ていると、どういうわけか心がほかほかと温まってきて、若領主は「うん、ありがとう」と応える。
「今度、機会があれば見せてあげよう。その代わりに君の字も見せてほしいな、どんな字を書くのかが気になるから」
「は、はい…!」
再び笑顔を見せた彼の耳は寒さに長く晒されていたためか縁が赤くなっていて、それに気づいた若領主は後ろから彼の両耳に手を当てた。
「うわっ、こんなに冷えているのに、雪が降るのを待っていたのか?」
「わ、若領主…!?あの、はい…初雪…なので…」
手のひらに当たる冷たさが少し和らいできたのを感じると、若領主は手を離し、そのまま彼の外套の頭巾を視界を遮ることのないように浅く被せた。
「医者の君に言うのもなんだけど、風邪をひかないように」
「ではね」と言い残し、若領主は再び屋敷へ向かって歩き始めた。
だが、しばらく行った所で突然今自分が起こした行動とその恥ずかしさに苛まれ、1人頭を抱えこんだ。
(私は…何をやってるんだ!?相手は成人している男じゃないか、なのにあんな風に触れて…しかも後になってからこんなに恥ずかしく思うなんて…!)
面と向かっている時には普通に行動していたことも、こうして改めて思い返してみれば「どうしてあんなことができたのか」と思えてならない。
屋敷に戻り、時間が経つとなおさら自らの行動の詳細が思い出されていたたまれない気持ちになる。
(違う、あまりにも寒そうに見えたからだ…うん。別にあれが彼でなくても私はあぁしたはず。…したかな?いや、したはずだ。うん、彼でなくても…)
若領主は自分にそう言い聞かせ、なんとか思い出すのを止めさせた。
彼と昼食に顔を合わせることがなくなる分、若領主はいくらか『そういったこと』は考えずにいられるだろうと考えていたが、全くそうではなかった。
牛を、うさぎを、犬を…とにかく動物を見る度に、ことごとく彼を思い出したのだ。
(なんだか似てるな…あ、この黒目の感じが彼に似てるんだな)
(この垂れた耳が彼の前髪みたいだ)
(この人懐っこい感じが彼そっくりじゃないか?)
その時々ではそう思う程度だったが、どうも頻繁に、何を見てもそう考えてしまっているのだと気付いた若領主はひどく動揺した。
(私は…本気でおかしくなってしまったのか?果たしてこれは友情なのか?どうもそうではない気がする…しかし、友情ではないとしたらこれは…?)
日々、そう思い悩みながら仕事をしていた若領主だが、ある日、ついにその曖昧な思いにとどめを刺された。
いつものように動物達の様子を見て回っていると、遠くの方に彼がいるのを見つけたのだ。
彼もすぐに若領主に気付いて礼をすると、笑顔で小さく手を振ってきた。
その姿は動物を見る度に思い浮かべていた姿よりもずっと愛らしい。
思い浮かべる姿というのは結局のところ自身の記憶から作り出した幻影に過ぎず、実際に見る姿はそれとは比べ物にならない。
あの初雪の日以来、初めて見る彼の姿に若領主は胸の高鳴りを抑えきれず、ついに認めざるを得なかった。
(あぁ、私は…どうやら本当に彼のことが好きらしい)
まだ雪は降っていないものの、空は厚い雲に覆われていて、今にも雪が降り出しそうに思える。
酪農地域はこんな寒空の中でも元気な動物達で賑やかだ。
「これは今日、初雪になりそうだな」
「はい、もうじき降り出しそうです。若領主は先に屋敷へ戻っていてください、私はこの帳簿を届けてまいります」
「うん、分かった。すまないね」
侍従と別れて1人道を歩いていると、本当に雪が降り出しはじめた。
不思議なことに、雪が降り出すと寒さが和らいだように感じられる。
「初雪か…今年は少し早いな」
若領主は外套の頭巾をバサバサと払ってから被ると、そのまま雪の中をゆっくりと歩いた。
雪がもたらすのは良いことばかりではないが、この時期にしか味わえない空気と景色、そして静けさが心地良い。
動物達が真っ白な雪の中で走り回ったりする姿を見るのも好きだった。
あの子犬達もきっと雪を見てはしゃぎまわるだろう。
道を歩いていると、先の方にある東屋の近くの椅子に人影があった。
外套に包まっているものの、どういうわけか頭巾を被らずにいるその人物はあの彼だ。
若領主は何かをじっと見つめている彼に近づくと、「こんな寒空に何をしてるんだ?」と声をかけた。
「若領主!」
驚いて振り向いた彼の目の前には、1つ2つと雪を受け止める黒い布が広げられている。
「屋根もないところで…この布は?」
「あ、僕、雪の結晶を見ようと思って…今日は雪が降りそうだったので、図書塔に行くのを止めてここで待ってたんです」
ほら、と彼は黒い布の上を指差す。
見てみると、氷の粒に混じって美しい形の結晶が現れては消え、現れては消えを繰り返していて、たしかに見飽きない。
「本当だ、結晶がよく見えて綺麗だ」
「でしょう?僕、これを小さい頃に本で知って、それから毎年楽しみにしているんです」
膝の上に置いていた1冊の本を見せながら嬉しそうに言う彼に、若領主は「本が好きなんだな」と微笑んだ。
彼はいたって真面目な雰囲気をまとっているため、本が好きだとしてなんの不思議もない。
「本、好きです!でもどちらかというと内容よりも字を見るのが好きで…」
「字を?」
「はい、色んな人の書体というか…字の癖を見るのが好きなんです」
彼は「変でしょう?」と困ったように笑いながらさらに続ける。
「特に好きなものは真似て書いたりもします。字ってその人の個性が出るから面白いんですよ、同じような書体でも少しずつ違っていたりしますし…若領主の領主文字も、素敵だと思います」
「私の領主文字…ご領主のとはやはり違うか…」
「いえいえ!そういう意味じゃないんです、違いますよ!」
少し落ち込んだ様子を見せる若領主に、彼は慌てて説明する。
「ご領主様方がお書きになる字は歴代受け継がれてきた領主文字ですが、ご領主によって少しずつ、本当に少しずつ違うんです。利き手や筆記具の使い方によるんだと思いますが…よく見ないと分からないほどの僅かな違いですよ、僕はそういうのを見るのが好きなんです」
「そ、そうか…?」
「若領主の領主文字は特に素敵だと思います、本当ですよ!若領主が普段はどんな字をお書きになるのかが気になります、きっとその字も素敵でしょうから」
必死になっている彼を見ていると、どういうわけか心がほかほかと温まってきて、若領主は「うん、ありがとう」と応える。
「今度、機会があれば見せてあげよう。その代わりに君の字も見せてほしいな、どんな字を書くのかが気になるから」
「は、はい…!」
再び笑顔を見せた彼の耳は寒さに長く晒されていたためか縁が赤くなっていて、それに気づいた若領主は後ろから彼の両耳に手を当てた。
「うわっ、こんなに冷えているのに、雪が降るのを待っていたのか?」
「わ、若領主…!?あの、はい…初雪…なので…」
手のひらに当たる冷たさが少し和らいできたのを感じると、若領主は手を離し、そのまま彼の外套の頭巾を視界を遮ることのないように浅く被せた。
「医者の君に言うのもなんだけど、風邪をひかないように」
「ではね」と言い残し、若領主は再び屋敷へ向かって歩き始めた。
だが、しばらく行った所で突然今自分が起こした行動とその恥ずかしさに苛まれ、1人頭を抱えこんだ。
(私は…何をやってるんだ!?相手は成人している男じゃないか、なのにあんな風に触れて…しかも後になってからこんなに恥ずかしく思うなんて…!)
面と向かっている時には普通に行動していたことも、こうして改めて思い返してみれば「どうしてあんなことができたのか」と思えてならない。
屋敷に戻り、時間が経つとなおさら自らの行動の詳細が思い出されていたたまれない気持ちになる。
(違う、あまりにも寒そうに見えたからだ…うん。別にあれが彼でなくても私はあぁしたはず。…したかな?いや、したはずだ。うん、彼でなくても…)
若領主は自分にそう言い聞かせ、なんとか思い出すのを止めさせた。
彼と昼食に顔を合わせることがなくなる分、若領主はいくらか『そういったこと』は考えずにいられるだろうと考えていたが、全くそうではなかった。
牛を、うさぎを、犬を…とにかく動物を見る度に、ことごとく彼を思い出したのだ。
(なんだか似てるな…あ、この黒目の感じが彼に似てるんだな)
(この垂れた耳が彼の前髪みたいだ)
(この人懐っこい感じが彼そっくりじゃないか?)
その時々ではそう思う程度だったが、どうも頻繁に、何を見てもそう考えてしまっているのだと気付いた若領主はひどく動揺した。
(私は…本気でおかしくなってしまったのか?果たしてこれは友情なのか?どうもそうではない気がする…しかし、友情ではないとしたらこれは…?)
日々、そう思い悩みながら仕事をしていた若領主だが、ある日、ついにその曖昧な思いにとどめを刺された。
いつものように動物達の様子を見て回っていると、遠くの方に彼がいるのを見つけたのだ。
彼もすぐに若領主に気付いて礼をすると、笑顔で小さく手を振ってきた。
その姿は動物を見る度に思い浮かべていた姿よりもずっと愛らしい。
思い浮かべる姿というのは結局のところ自身の記憶から作り出した幻影に過ぎず、実際に見る姿はそれとは比べ物にならない。
あの初雪の日以来、初めて見る彼の姿に若領主は胸の高鳴りを抑えきれず、ついに認めざるを得なかった。
(あぁ、私は…どうやら本当に彼のことが好きらしい)
0
蓬屋のBLに興味をもって下さった方へ…ぜひ他作品の方も併せてご覧下さい。【以下、蓬屋のBL作品紹介】《陸国が舞台の作品》: ・スパダリ攻め×不遇受け『熊の魚(オメガバース編有)』 ・クール(?)攻め×美人受け『彼と姫と(オメガバース編有)』 ・陸国の司書×特別体質受け『図書塔の2人(今後オメガバース編の予定有)』 ・神の側仕え×陸国の神『牧草地の白馬(多数カップル有)』 《現代が舞台の作品》:・元ゲイビ男優×フリーランス税理士『悠久の城(リバあり)』 それぞれの甘々カップル達をよろしくお願いします★
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説

青少年病棟
暖
BL
性に関する診察・治療を行う病院。
小学生から高校生まで、性に関する悩みを抱えた様々な青少年に対して、外来での診察・治療及び、入院での治療を行なっています。
※性的描写あり。
※患者・医師ともに全員男性です。
※主人公の患者は中学一年生設定。
※結末未定。できるだけリクエスト等には対応してい期待と考えているため、ぜひコメントお願いします。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語
六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる