酪農地域にて

蓬屋 月餅

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第一部

5「過去」

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「こんにちは、今日も少し見ていっていいですか?」
「あぁ、もちろん!…そうだ、良ければこれを持ってくといいよ。あいつらの大好物なんだ」

 ある日、若領主は馬達が飼育されている区画を訪れていた。
 新鮮な野菜の入ったかごを受け取ると、馬房を1つ1つ回って声をかけ、野菜を手渡していく。
 この馬房にいる馬達は鞍や手綱によく慣らされていて、自身の馬を選ぶとしたらこの中からだろうと若領主は考えていた。

「若領主、私も自分の馬の方へ行ってまいります」
「うん、沢山触れ合っておいで。私はこの辺りにいるから」

 侍従は既に自分の馬を決めていて、度々その馬に会いに行っている。

(本当に、私もそろそろ決めないといけないな。どの子も良い子だし懐いてくれているんだけど、「この子」というのがないんだよな…)

 今までに何度も来た馬房。
 若領主が1番端まで野菜を配り終えると、目の前の放牧場で1頭の馬が草を食んでいるのに気がついた。

(今は皆馬房に入っているはずなのに、あの1頭はどうしたんだ?)

 若領主がその馬に近寄ろうと馬房から離れて放牧場の中を歩いていくと、その足音に気がついた馬は草を食むのを止め、警戒した眼差しで若領主を見る。
 その馬の額には、今まで見たことのない星模様がついていた。

「やぁ、1人でどうしたの?どこか他の放牧場から移ってきたのかな、会ったことないよね」

 若領主がそう声をかけると、馬は何歩か後ろに下がり、離れようとする。

「あ、いや、ここにいていいよ、私はもう行くからね。この野菜は君にあげよう、酪農地域から届けられた君達のための美味しい野菜だ」

 若領主は余っていた野菜をかごごとその場に下ろすと、「額、きれいな星がついているね」とだけ声をかけてその場を後にした。

 放牧場にかごを置いてきた旨を馬房の管理者に話した後、若領主は侍従を待つ間、近くにあるうさぎ小屋を訪ねることにした。
 うさぎ小屋では様々な色や模様のうさぎ達があちこち走り回っている。
 隔てられたところには生まれて少し経った仔うさぎが身を寄せ合っていて、非常に可愛らしい団子を作っていた。

「それじゃあ、また何かあれば呼んでくださいね」
「呼び止めてしまって悪かったわね…ありがとう、助かったわ」
「いえいえ!大丈夫ですよ」

 聞き覚えのある声に若領主が目を向けると、ちょうど奥の小屋から出てきたのは、舞の練習で怪我を負った時に手当をしてくれたあの青年だった。

「若領主…?」
「やぁ」
「若領主!こんにちは、珍しいですね…こちらにいらっしゃるなんて」

 青年は前と同じ大きな荷を背負っていて、何度か担ぎ直しながらそばまでやって来る。

「少し時間があってね。君はどうしてここへ?」
「薬を届けに行った帰りに呼び止められたんです。怪我をしたうさぎがいて、その治療をしてほしいということで」

 青年は仔うさぎが団子を作っているのを見て、「うわぁ…あれ、可愛すぎませんか?」と目を輝かせた。

「小さいのがあんなに沢山…大きくたって十分可愛いのに、もうたまりませんね」
「うん、確かにそうだ」
「はぁ…可愛いな…」

 一緒になって仔うさぎ達を見ていた若領主は、不意に幼少の自身がしていたある勘違いについて思い出し、軽く笑い声を上げた。

「私は…昔、ここのうさぎ達も肉にされてしまうんだと思っていたんだ。当時は『酪農地域の動物はみんな肉になる』と勘違いをしていたから」
「ははっ、そうだったんですね!」

 「君達には別の役割があるもんね」と青年はうさぎ達に微笑みかけた。
 別の役割とは、陸国の子供達と触れ合うことだ。
 陸国には酪農地域と城の敷地以外で動物を飼育すると病気になりやすいという特異な性質があり、他の地域で見られる動物といえば野生動物のみとなる。
 そのため、子供達の教育的な観点から、酪農地域では愛玩動物の飼育も行っていた。

「若領主として実際の頭数管理に目を通すようになって、なんというか…命の重みをより一層意識するようになった。これは慣れないだろうな…」

 そう呟いた若領主に、青年は「それでいいのではありませんか?」と柔らかな視線を向ける。

「育てている人も、肉をとる人も…きっと『そういう気持ち』に慣れている人はいないんじゃないかと思います。だからこそ愛情をかけて、手際をよくして、最大限美味しく食べてもらうんです」

 青年は「それに」と続けた。

「『そういう気持ち』は全て若領主が動物達に伝えてくださったじゃないですか」
「うん?」
「ほら、舞です。秋の儀礼の舞。僕達はどの地域の人も、何かしらの命を削って生きているんですよね。漁業地域は言わずもがな、工芸地域は木の、鉱業地域は地の…って。僕はあの舞が『そういうもの』へ捧げる大切なものだと思っているんです。だから…」

 青年は「若領主の舞を観て、とても嬉しくなりました」と微笑んだ。

「あ…そうだ、あの…とても見事な舞でした。初めに言わずすみません…とても素敵でした」
「あぁ、ありがとう…練習の甲斐があったというものだ」

 突然の称賛に気恥ずかしくなった若領主が話題を逸らすために「君の考え方も素敵だな」と言うと、今度は青年のほうが「ありがとうございます…」と気恥ずかしそうにする。

「僕は小さい頃から父の行く先々について行っていたので、工芸地域の人と羽や革のやり取りをするのをよく目にしていたんです。だから…ですかね。動物達が全部、1つ残らず僕達のためになってくれることに感謝をしていないとと思うんです」

 若領主は青年が何気なく言った一言に聞き覚えがある気がして記憶を辿った。

(かわいそうだからってたべなかったら、それは もっとかわいそうです。ぼくたちの げんきになるために お肉に なってくれたのに)

(たくさんふれあって、のこさないのがいいと おもいます)

(羽も骨も、ぜんぶ、1つのこらず ぼくたちのために なってくれるんですから)

 若領主が少年だったあの日、鶏達を眺めていて出会ったあの男の子は、今この青年くらいの歳になっているのではないか?
 隣の青年を見ていると、どうもあの時の男の子に思えて仕方がなくなる。

「君…小さい頃、私とこんなような話をしたり…しなかったか?」
「え、若領主とですか?」
「うん、鶏達の所で。見分けがつくと言って、指を指しながら色々と教えてくれたり…」

 そうして当時を思い出す内、この青年にはあの男の子と同じ目元の黒子があることに気付き、若領主は確信した。

「うーん、そんなこともあったような気がしますけど…」
「話をしていたら突然『おにいちゃん』って言って走り去っていったんだ…もう15年くらい前になるかな?」
「あ…たしかに、そんなことがあった気がします!あれ…でも…」

 青年はしばらく考え込んでから、「僕が話したのって、女の人だったような気がします…」と不思議そうに言った。


「私は…女性に間違われるような子供だっただろうか…」
「なんですか、突然」

 若領主は侍従と共に屋敷へと向かう道すがら、先程の青年の話を思い出していた。

(僕もなんとなく思い出した程度なんです、でも…あの時の人が若領主なら、当時の僕はどうして女の人だと思ったんだろう?)

 そう不思議そうに言う青年の顔が忘れられなかった。

「…まぁ、間違える人もいたかもしれませんね」
「え、そうだった…のか」
「はい」

 淡々と答える侍従に、若領主は恐る恐る「どんなところがそう見えた…んだ?」と尋ねる。

「若領主はよく木工場にいらっしゃっていて、同年の少年達より色白でした」
「まぁ…そうかな?」
「今は肩程ですが、もう少し髪が長くて」
「うん…」
「お出かけになった際に『妹が喜ぶから』と花を摘むものの、ずっと手に持っているのは煩わしいと仰っては」
「まぁ…よく髪に挿したり…していたかな…」

 若領主は侍従が言うままに当時の自分の姿を想像し、その姿に頭を抱えた。

「たしかに…はからずも女性らしくなっていたようだ」
「私もお止めすればよかったのですが。申し訳ございません」

 いつも仕事を完璧にこなし、謝罪をすることなど一切ない侍従がそう口にしたことで、若領主は珍しさからからかいたい気持ちになって「あぁ、そうだな」とわざとらしく言う。

「当時、君がきちんと言ってくれていたら、私は女性に間違われることもなかったはずだ」
「…申し訳ございません」
「昔の君は私のことなど本気で『どうでもいい』と思っていたんだろう。いくら言ってもあんな態度をとって…」

 侍従は立ち止まると、「止めていただけませんか」と苦しそうな声を上げる。
 ぐっと握りしめた手や閉じられた瞳は、身の内から湧き上がってくる羞恥や怒りを抑え込もうとしているかのようだ。

「私は…過去の自分をとても恥ずかしく思っているんです。若領主に対してあのような…」

 若領主は侍従の肩に手を置き「からかって悪かったよ」と微笑む。

「別に昔の君も嫌いじゃなかったよ、面白かったし。なによりあんなことを言っていても、私についてよく出掛けてくれたからね」
「…」
「あぁ、でもどうしてこんなに変わったのかは気になっていたんだ。何ヶ月か姿が見えないと思ったら突然こうなってさ…何があったんだ?」
「…」
「教えてくれないのか?」

 「なぁ、なぁ」としつこく尋ねてくる若領主に構わず、侍従は屋敷への道を足早にした。
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