酪農地域にて

蓬屋 月餅

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第一部

4「舞」

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「よぉ、若領主!見回りか?」

 若領主が侍従と共に牛舎を歩いていると、敷き藁の掃除をしていた1人から声がかけられた。

「こんにちは、そうですよ。今日の牛達はどうですか、何か変わったことはありますか?」
「そうだな…今日は飼い葉よりも穀物のほうが食いつきがいいみたいだってくらいかな。それ以外は変わらないよ、体調を崩してるのもいないし」
「そうですか…他のいくつかの牛舎でも飼い葉の話が出ていました。傷んではいないみたいですけど、先日も雨でしたし、何か匂いがついたのかもしれませんね」

 侍従が記録するのを横目に「明日も変わらないようだったら知らせてください」と若領主は男に告げる。

「いやぁ、なんだか板についてきたなぁ。もう若領主になって1年が過ぎたなんて、早いもんだ」
「えぇ、あっという間ですね。でも、まだまだ皆さんに教わることが多いです」

 それから2、3言 話し、若領主は牛舎を離れて屋敷へと向かう道を歩き始めた。

「若領主、そろそろ本当に馬を決めていただけませんか」

 侍従は表情を変えることもなく言ったが、その慎ましやかな口調にはほのかに呆れのようなものが感じられる。

「悪いね…これだという子がいなくて。君だけでも乗ったらいいよ」
「いえ、若領主が乗っていないのに侍従が乗ってどうするんですか。若領主の馬が決まるまでは、有事の際のみにとどめます」

 若領主は「早く決めなければな」と申し訳無さそうに言った。

 酪農地域にやってきてから1年以上が経った今、何度も馬達の様子を見に行ってはいるものの、そのうちの1頭が決められずにいる若領主は地域内の移動を全て徒歩で行っていた。
 現在はそれでも事足りているが、いずれは他地域へ出向かなければならない仕事も担うようになるため、早急に馬を決める必要がある。
 「長い付き合いになるのだから」と相性を重視しすぎるあまりどの馬にも決められず、若領主自身もどうしたものかと悩んでいた。


 まだ暑さの残る昼下がりの草原。
 若領主は既にこの日何十回目ともなる舞を終え、ぐいっと額の汗を拭った。
 侍従は手に持っていた水筒を差出し、代わりに若領主から練習用の刀を受け取って言う。

「若領主、そろそろ一休みされてはいかがですか」
「いや、まだ大丈夫だよ」
「体を壊しでもしたらどうなさるんですか、なんでもやりすぎは良くないと…」

 若領主は「分かったよ」と侍従の言葉を遮ると、「あと少ししたら戻ろう」と再び練習用の刀を手に取った。

「…水を汲んでまいります」

 侍従はそれ以上提言することを諦め、水筒を持ってその場を後にしていった。

(初めての秋の儀礼だからといって不完全なものを舞うわけにはいかない。少しでも練習を重ねないと…)

 今年からは領主に代わり、若領主が秋の儀礼で舞うことになっている。
 これは若領主にとって初めての大役でもあり、気合が入っていた。

 再び一通り舞い終えると、ふと目の端に小さな人影が映り、若領主は汗を拭いながらそちらに目を向ける。
 遠目ではあるものの、大きな荷を背負っていると分かるその人影は一瞬慌てた様子だったが、すぐさま頭の上に両手で大きな丸を作って見せた。

(あれは…私の舞が良かったということだろうか…?)

 若領主がその人影に向かって礼をすると、その人影も深々と礼をして去っていった。
 今までに舞を見せたのは侍従と領主、領主の侍従達だけであり、こうして純粋な反応をもらったのは初めてのことだ。
 それは若領主をさらに奮い立たせる大きな力となった。


「若領主、鉱業地域の若領主がいらしております」
「あぁ、通してくれ」

 数日後、若領主の元に鉱業地域の若領主となった友人が訪ねてきた。
 お互いに忙しくしていて、こうして顔を合わせるのは随分と久しぶりのことだ。

「やぁ、よく来てくれたね」
「若領主、ご無沙汰しております」
「お互いに若領主じゃないか。公の場でもないし、こういう時くらいは少し砕けて話そう」
「ははっ、そうでしたね!それじゃ、お言葉に甘えて…」

 鉱業地域の友人は自らの侍従から長い箱を受け取ると、若領主に向かって差し出しながら「ようやく出来上がったから持ってきたんだ」とにこやかに言った。

「秋の儀礼までにはまだ少し日があるから、不都合があれば言って。調整し直すよ」

 若領主が差し出された箱を緊張した手付きで開けると、中から美しい鞘に納められた刀が姿を表した。
 酪農地域を表す伝統的な模様があしらわれたその鞘は、触れることさえ躊躇ってしまうほどの精巧な造りをしていて、控えめに輝いている。

「うわ…これが私の刀…なのか?」
「そうとも。この模様の入り方とかが君の言った通りだろう?それと…刀身も希望通り、従来のものと比べると少し細身になっていて、先の方に重心がくるようにしてある」

 箱の中をしげしげと見つめる若領主に「まずは舞で扱いやすいかどうか、試してみて」と友人は言った。

「こんなに美しい刀で舞をするんだと思うと、緊張するな…」
「いや、緊張するのはそこじゃないぞ。いいか、この刀はものすごく切れ味がいい。舞で見栄えはするだろうが、扱う時は常に気を抜くなよ」
「そんなに?」
「秋の儀礼に使うものだから必ず刃がついてないといけないんだけど、この刀身の細さと重心の関係で普通よりも切れ味が良くなってるんだ。これでも出来るだけ危険度が下がるようにはしてあるんだけど…」

 友人は刀を箱ごと若領主に受け取らせ、気をつけるようにと念を押した。

「分かった、気をつけるよ」
「あぁ。…さぁ、これでようやく1つ届けられたな。あと3つだ…」
「刀の製作、本当にありがとう。皆の儀礼具を手配するのは大変だろう…当日は美味しいものを手配できるよう、私も頑張るから」
「楽しみにしてるよ。…お互い、頑張ろうな」

 友人は笑顔に疲れを滲ませて帰っていった。



 秋の儀礼は、それぞれの地域で行われる重要な行事だ。
 領主達は自らの地域で定められた自分だけの儀礼具を用いて舞を行い、その地域で得られる糧への感謝を示す。

 鉱業地域は鉱石の採掘に使用する鎚。
 工芸地域は木の伐採に使用する斧。
 農業地域は農作物の刈り取りに使用する鎌。
 漁業地域は魚を突くための銛。
 そして酪農地域は動物から肉を取るために使用する刀が儀礼具となっている。

 どの儀礼具も実際の道具よりずっと大きく造られており、扱うのはもちろん、舞の中で美しく見せるのにも相当な鍛錬が必要だ。
 またそれぞれの地域によって舞の型が違うため、先代の領主や書から学ぶ他ない。

「練習用の刀よりもずっと振りやすいな」
「ですが、振りやすさのために少し舞が早くなってしまうところがあるようです」
「うん、もう少しこの刀に慣れないといけない」

 自らの刀を手にした日から、若領主は早速その刀を使っての練習を始めていた。
 友人に言われた通り、刃に触れぬよう最新の注意を払いつつ…。

「若領主、そろそろ本日の記録書を仕上げませんと」
「あぁ…それじゃあ先に屋敷へ行って用意をしておいてくれないか。すぐに私も行くから」
「かしこまりました」

 侍従を屋敷へと帰らせると、若領主は刀を抜き出して今日最後の一舞をする。
 練習を始めた頃からは想像もできないほど洗練された舞は、辺り一帯をはらうような力を持っていた。

(よし、きちんと最後まで舞えるようになってきたな)

 一通り舞い終えた若領主は安堵からふと息を吐いて刀を鞘に納める。
 しかし次の瞬間、指先に鋭い痛みを感じて身をこわばらせた。
 刀を落とすまいと咄嗟に鞘を握りしめた左手の指先にはすっと真っ直ぐな線が引かれていて、その線は次第に赤くはっきりとしていく。

(気を抜くなと言われていたのに…)

 幼い頃は木の棘や木工具でこのような些細な怪我をするのも珍しくなかったため、そんな手の傷にも構わず、若領主は平然と屋敷へ向かって歩き始めた。

(刀をよく拭いておかないと。刀になにかあったら、鉱業地域に申し訳ない)

 その時、後ろからガサガサという物音と「あの…若領主!」と呼び止める声が聞こえてきた。
 若領主が振り向くと、そこには大きな荷を抱えた青年がいた。
 どこか中性的なその青年の中央で分けられた前髪は、走ってきたために乱れている。

「あ、あの、手を怪我されたんじゃないですか?」
「あぁ…少しね」
「僕、第5医院の次男です。医者なんです、手当をさせてください」

 抱えていた荷から水などを手早く取り出して手当をし始めた彼に「これくらい大丈夫だ」とも言えず、若領主はそのまま手当をされることにした。
 彼が抱えていた大きな荷の中には薬草や包帯などが詰め込まれているのが見える。
 この大きな荷、背格好。
 どこか見覚えがあるような気がした若領主は、彼に確かめたくなって尋ねた。

「君…もしかして少し前に舞の練習を見てた…?」

 水で洗い流した後の傷口を拭っていた彼は「はい…」と申し訳無さそうに言った。

「そうです、いつも舞ってらっしゃるのを見させていただいていました。…盗み見るような真似をしてすみません」
「いや、いいんだよ。でもあんな不完全なものを見られていたと思うと、恥ずかしくなってくるな…」
「不完全だなんてそんな!若領主にはどこかお気に召さない点があるのかもしれませんが…でも本当に素敵だと思います。僕、見惚れてしまって…」

 彼は気恥ずかしそうにそう言うと、小瓶の中の薬を傷口に振りかけ、細く割いた包帯を巻いた。

「あ…儀礼具のその刀、とてもいい切れ味なんですね。傷口が真っ直ぐだったので、すぐに塞がると思います」

 出来ました、と微笑む彼に若領主も「ありがとう」とにこやかに応える。

「秋の儀礼での若領主の舞、楽しみにしています…!」
「うん、ありがとう。精進するよ」

 彼の「怪我にはどうかお気をつけて!」と言う声に包帯が巻かれた手を挙げて応え、若領主は屋敷への帰途に就く。
 手当をしてくれた彼の言う通り、傷口はすぐに塞がり、跡も残らなかった。

 数日後。
 若領主は初めての秋の儀礼で見事な舞を披露し、立派に大役を勤め上げた。
 儀礼のために集まった人々の中には、あの彼の姿もあった。
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